Ch.2-1-4 業
◇2327年10月8日(木) 18:56
狭間。中間層ほどお行儀良くなく、スラムほど一触即発ではない、文字どおり”間”の地。
それでもネオンが怪しく照らす地面にはイザコザが合ったことを示す血痕やピルケースが散らばり、影の部分では非合法な取引が絶えることなく行われている。
アリスが指定したヴァクシムとの面会ポイントは、スラム寄りにある違法建築が複雑に絡み合った、”マンション”と呼ばれている場所。かつては企業の社宅だったらしいが、今は不法占拠者や訳アリの連中が巣食う魔窟だ。
毎日のように住人どころか構造自体が変わるこの場所は、確かに秘密の逢瀬にはもってこい。
身を隠すのにピッタリのフェイクグリーンや、密閉された空間特有の淀んだ空気、甘いようなすえたような嫌な匂いがする。
俺は複数ある入口のうち、どこから襲われても問題はないと判断した一番大きい玄関ホールに陣取りアリスを待つことにした。俺の背後には下品な落書きのデコレーションがされた首無しの石像が三体立っている。
通りすがりのヤンキーの下品なヤジに青筋を立てながら待っていると、アリスから通信暗号が届く。事前に共有されていた復号鍵で解読すると、HUDにメッセージが表示された。
『一四〇八』
短文。こういうのは性格が出る。デイヴィスもこんなメッセージが多かった。まだ二週間しか経ってないのに懐かしさを覚えたことに苦笑する。そのままヤンキーの後ろ姿に中指を立てて、エレベーターに向かう。
壁には無数の落書き。近づくと”Broken”の張り紙が落書きの上から張られていた。マジかよ、十四階だぞ? 普段不便すぎるだろ、早く直せよ。ため息をつきながら階段に足を向けた。
◇2327年10月8日(木) 19:04
流石に十四階を階段で上がるのはしんどい。指定された部屋にたどり着く。
一四〇八。見た目は他の部屋と変わらない。ただドアの隙間から漏れ出すガンジャの独特な臭いが鼻を突いた。相当なヘビースモーカーだ。これ、絶対服に臭いがつく。キレイ好きな俺からすると、かなりイラッとするやつ。そうでなくとも要らん運動をさせられて血圧が上がってるというのに。
それでも仕事は仕事。俺は割り切ってドアをノック――の前に電子キーが解除される音がした。どうやら歓迎されているらしい。俺は重い鉄扉を押し開けた。
中に入った瞬間、予想していたガンジャの臭いは消え失せた。代わりに鼻孔に飛び込んできたのは、強烈なスパイスの香りと、喉に張り付くような甘ったるいシーシャの煙。もはや空気自体が粘度をもっており、体にまとわりつくような感覚に襲われる。
極めつけは肌を刺すような熱気。臭いも相まって頭がガンガンと殴られるような気さえする。
吐き気を堪えながら中を進む。外見はボロアパートでも、中は異界だ。壁という壁が取り払われ、ワンルームに拡張された空間を埋め尽くしているのは、無骨な黒いサーバーラックの塔とディスプレイの森。それらが唸りを上げて排熱し、天井に張り巡らされた極太のダクトが悲鳴のような吸気音を上げている。
「いらっしゃい。待っていたよ、死神の弟子」
サーバーとディスプレイの谷間、青白いモニターの光が集中する最奥に、その男はいた。あぐらをかいて浮遊チェアに座る、ターバンを巻いたふくよかなインド系の男。ひどい外斜視だ。右目が明後日の方向を向いている。
ヴァクシム・ワスプ。ただ、実体ではなかった。ホログラムだ。後ろの壁にデカデカと描かれた足の長い蜂のペイントが微かに透けて見えている。俺の視線に気付いたのか、微笑みながら男が言った。
「生身じゃなくてすまないね。ただでさえ私の命を狙う輩は多い。だが私を頼る者はもっと多い。だからこんな出張所を構えているってわけだ」
「別に仕事をしてもらえればいいさ。俺としてはアンタが生身だろうがヒューマノイドだろうがAIだろうがなんでもいい」
俺の言葉に微笑みを崩さないヴァクシム。その時入口のドアが開く音がした。
「じゅ、十四階にエレベーターなしとかイカれてるんじゃないの⋯⋯」
息を切らしたアリスが入ってきた。その様子を認めたヴァクシムが右手の指を鳴らす。するとラックの間を縫って椅子と水が入ったコップをロボットが運んできた。扇情的な服装をした女型のヒューマノイド。
「あら、気が利くのね。ありがとう」
出された水を疑いもなく飲み干し、椅子に腰掛け足を組むアリス。いい度胸をしている。それを見たヴァクシムは嬉しそうに頷いた。
「アリス嬢、久々じゃないか。聞いているよ。ちょっとした”おいた”をしでかしたってね」
「ええ、Tiānqǐの奴らも狭量だわ。ちょっと機密を盗んだくらいでこんな美女を追い回すなんて」
笑い合う二人。空気も相まって悪の組織のやり取りにしか見えない。いや、実際そうか。
ヴァクシムの視線がこちらを向き、黄色い歯が覗いた。
「まさか死神の弟子と麒麟児が手を組むとは私ですら思わなかった」
「あなた、そんなカッコいい呼び方があったの?」
「お前も麒麟児ってなんだよ、どっちかと言うとフラミンゴだろ」
それって私が赤いから? 安直ねぇ、とコソコソ話をしていると、それすらも面白いのかヴァクシムが再び声に出して笑った。
「それに神の手も懇ろにしている。お前たちは台風の目になるだろう⋯⋯この街のな」
意味ありげに意味不明のことをのたまうヴァクシム。どうでもいいことは後で良い。先に本題に入ろう。
「俺達は今日アンタに依頼をしに来た」
「そうだろうとも。悲しいかな私に会いに来る者たちは皆何かを私に頼みに来る。私がまるでランプの魔人かのように」
「似たようなもんだろ。頭に何か巻いてるし」
ジーニーはターバン巻いてないわよ、とアリスに突っ込まれる。そうだったか? どっちでもいい。
「依頼の詳細は――」
「ああ、既に知っている。Tiānqǐへの”撒き餌”だろう?」
ヴァクシムに話を割られる。アリスを見ると肩をすくめた。先に話していたわけではないらしい。そのままヴァクシムが笑顔を絶やさず続けた。
「既に手配済みだ。奴らの探索アルゴリズムが拾いやすいよう、絶妙にノイズを混ぜて情報を流しておいた。「十五日深夜、狭間ルートより逃亡」⋯⋯手がかりがない中で、とびきり上等な餌だ。まず間違いなく食らいつく」
「仕事が早いな」
「”事実”を流布することが仕事なら、こんなに簡単なことはあるまい」
ホログラムに左手をかざし、二万クレジットを送付する。ヴァクシム側でも確認したのか、鷹揚に頷いた。
そして再度右手の指を鳴らす。先ほどと同じヒューマノイドが恭しく一枚のチップを運んできた。
「お前たちの希望どおり、偽情報の拡散状況と、現在Tiānqǐが動員しつつある部隊の推定規模データだ。どうやら向こうも本気らしい。新型の強化兵が含まれている可能性が高い」
俺はチップを取り、左腕のポートに指す。HUDに展開されるマップとポイント済みの偽情報。スワイプすると、Tiānqǐの執行部隊の詳細データが表示された。⋯⋯確かに表立って公表している部隊じゃないらしい。Helixの”ゼロ”には及ばないものの、正規兵とは装備レベルが二つは違う。想定内とはいえ、やはり楽な仕事じゃなさそうだ。
「こんなサービスまで助かる。また終わったら礼をしに来る」
用は済んだ。次は下見だ。アリスの手を取り立ち上がらせたところで、ヴァクシムが独り言のように呟いた。
「これは戯言なんだが――」
振り返り、ホログラムを見る。斜視の右目が俺を捉えていた。
「AA教のトップが、再来月またザ・シティに来る」
”AA教(アマニ・アニマ教)”。人とその他動植物の融合と共存を掲げる近代一のカルト集団。先日、大規模なパレードを行い、信者たちを熱狂させたばかりだ。タナカの言葉が脳に反響し、金髪の女の顔がフラッシュバックした。
「教祖様のおかわり訪問? 愛人でもいるのか?」
「ただの訪問じゃない。今回は、信者向けのパフォーマンスではなく”大統領”に会う予定になっている」
「大統領ですって? あんな有名無実の空っぽな奴に会って何しようっていうの?」
アリスが話題に飛びつく中、俺は嫌な感じを覚えた。コバエが服の中に入って縦横無尽に動き回る感じ。
大統領。この”ザ・シティ”の象徴にして虚像。滅多に表舞台に出てこない、いや来れない統治機構の頂点が、カルトの教祖と会談する?
「数カ月も経たずに再訪。しかも大統領との極秘会談⋯⋯きな臭いと思わんか?」
ヴァクシムの声からノイズが消え、冷徹な響きを帯びる。
「何かが動いている。水面下で、巨大な業が、な。Tiānqǐの不祥事、Helix Corpの沈黙、そしてAA教の再訪⋯⋯点と点が繋がり始めている」
「それが、俺たちに関係あると?」
ヴァクシムの顔から表情が消えた。
「全くわからん」
「わからんのかい!」
ナイスツッコミだ、アリス。
「もしかしたら中心にいるのはお前たちなのかもしれん。あるいはただ大渦に巻き込まれているだけのちっぽけな存在なのかも」
ヴァクシムは意味深に笑い、ホログラムが乱れ始めた。
「火事になってから井戸を掘るのでは遅い、十分に準備しろよ。お前たちには期待しているのだから。死人は語らん。喋れる内にまた来い」
ホログラムが消え、部屋に静寂が戻る。
重い空気はますます体にまとわりつき、溺死しそうだった。
部屋を出る。廊下の淀んだ空気すら、今は新鮮だ。
アリスが起こそうとしている騒動。ヴァクシムが予言した巨大な渦。 俺たちは今、とんでもない爆薬庫の上で火遊びをしようとしているのかもしれない。
それでも、不思議と恐怖はなかった。どんな火でも風がなきゃ大きくならない。腹の底で燻っている火種を大きくするためなら、どんな業でも飲み込んでやる。
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