10-13.友達の友達の距離感
部屋の隅で丸まりながらも、目を瞑って転寝するだけの余裕はなかった。ブラックドッグは頭を足の内側に押し込みながら、開いた目の端で部屋の中央に置かれたテーブルの様子を窺う。
そこでは、椅子に座ったジッパがブラックドッグを睨みつけるように見ていた。一瞬も油断する気はないと目だけで語り、血走った視線をブラックドッグの全身に突き刺してくる。
「おい」
その視線に嫌気が差し、ブラックドッグは顔を上げる。深く溜め息をつきながら、冷ややかな目をジッパに向けるが、ジッパから返ってくる視線は緊張感に満ち満ちたものだ。
「そんなに怯えなくても、逃げ出さないから落ちつけ」
ブラックドッグはジッパを宥めようとそう言ってみるが、当のジッパは寧ろ強張った顔で、小さくかぶりを振る。
「そんなことを言って、油断させてから逃げるつもりだな!」
「いや、首輪をつけられ、しかもこの身体で、閉め切ったこの家からどうやって逃げるんだよ?」
ブラックドッグはそう言いながら、自身の真っ黒い毛に覆われた身体を見せつけてみるが、ジッパの反応は変わらない。
その様子にブラックドッグは再び溜め息をつく。ジッパは頑なに警戒を解くつもりがないらしく、いつまでも鋭い視線をブラックドッグに向けてくるのだが、そのことはこの際、どちらでも良かった。
それよりも、もう一つの方をどうにかして欲しいと思い、ブラックドッグは鼻先をジッパに向ける。
「分かった。監視はいいから、少なくとも、その銃は下ろしてくれ」
ジッパの手に握られた銃を鼻先で示し、ブラックドッグはそう頼み込んでいた。
ジッパの緊張感に満ち満ちた警戒の視線もそうだが、それ以上に一瞬の隙もなく、常に向けられている銃口の方がブラックドッグは落ちつかなかった。
流石にそう簡単には引き金を引かないとは思っているが、そうだとしても、銃口を向けられている状況に落ちつけるはずもない。
「落ちついて昼寝もできない」
溜まりに溜まった嫌気を吐き出すように零すと、ジッパは流石に銃を構え続けている状況に罪悪感を覚えたのか、その銃をテーブルの上に置いていた。奪われないためか、逃げようとした際に足を止めるためか、銃から手を離そうとはしていないが、銃口がブラックドッグから外れた事実に、ブラックドッグはようやく一息つく。
「どう? 逃げ出そうとした?」
昼食を手に持って、シトがリビングに戻ってきたのは、ちょうどその時だった。
気軽に口に出されたシトの疑問を聞いて、ジッパはかぶりを振り、ブラックドッグは溜め息をつく。
「お前はこいつを見習え。監視なんて、これくらいの軽さでいいんだ」
ブラックドッグは鼻先でシトを示し、ジッパに言い聞かせる。
そう言われ、ジッパは一瞬、納得しそうな素振りを見せるが、すぐに否定するようにかぶりを振り、自分自身にも言い聞かせるように呟く。
「スイミさんの様子は俺が見張っているからです。誰かが俺の役割をしなければいけないんです」
「そんなわけが……」
テーブルの上に運んできた食事を並べるシトを見て、ブラックドッグは否定の言葉を呟きかけるが、それを言い出したところで、無駄な議論が膨らむばかりだ。
取り敢えず、ジッパに銃を下ろされることには成功したので、今はこれで満足するべきかと閉口することにする。
とはいえ、これで逃げやすくなったなどとは考えておらず、ブラックドッグは最初から言っているように、今は逃げるつもりがなかった。
どちらにしても、ヒマリ達の目標にはヴァイスベーゼが含まれており、そのヴァイスベーゼが超人とぶつかる際、ヒマリ達がそこに介入する可能性は非常に高い。
もし逃げ出すとしても、その時に他の超人と接触すれば、怪人を連れ帰ったということで、ブラックドッグの評価も上がる。
プラスになることはないかもしれないが、これで怪人に捕まったという事実くらいは打ち消せるだろう。
それ以外ではブラックドッグごと怪人と判断されかねない。戻りたくても戻れないのなら、戻れる可能性が高い方に賭けるべきだ。
そのように考えていたから、ブラックドッグはヒマリ達がヴァイスベーゼの一件に介入する時まで、行動を共にするつもりだった。
しかし――と、ブラックドッグは不意に思う。
「俺のことよりも、あいつらが帰ってきたら、どうするつもりなんだ?」
ブラックドッグが再び丸まりながら、ジッパとシトに疑問を投げかける。テーブルに昼食を並べ終え、食事を取ろうとしたジッパとシトが振り返り、ブラックドッグに怪訝な目を向けている。
「どうするって、フェリーマンの情報が分かったら、そこから――」
「フェリーマンを特定し、それでどうするんだ? 恐らく、武器はヴァイスベーゼに渡っているだろう。武装した酒鬼組とヴァイスベーゼを相手に取るのか?」
フェリーマンの特定は苦し紛れの手段に過ぎない。それで細い糸を手繰ったとして、その先にいるヴァイスベーゼを相手にするだけの力が今のヒマリ達にはない。
「ヴァイスベーゼと接触して、望んでいる通りの結果を得るには、相当な準備が必要のはずだ。今からヴァイスベーゼが動き出す日まで、それだけの準備が整えられる時間はない」
ヒマリ達が準備を終えた頃には、ヴァイスベーゼは超人とぶつかり、それまで以上の権力を得ているか、ヴァイスベーゼという組織自体が滅んでいるだろう。
それだけの事態が巻き起ころうとしているのだ。悠長にしているだけの時間はなかった。
「もしも接触して、目的を果たせるとしたら、それは相手の目がこちらに向いていない時だけだ。超人と殴り合っているヴァイスベーゼの横から、手を出す以外に用意できる方法はない。その時、今のまま向かっても、問題ないと思っているのか? 何の策もなく、超人と怪人が殺り合う中に飛び込んでも、無事でいられると?」
ブラックドッグの問いかけに、ジッパとシトはゆっくりと顔を見合わせていた。ブラックドッグが前から思っていたことに、今の今まで気づいていなかったのかとその反応に思いかけるが、顔を見合わせた二人の表情が焦りや戸惑いのものではないことに気づき、ブラックドッグは眉を顰める。
「どうした?」
「いや、多分だけど、その点は大丈――」
そこまで言いかけ、シトは思わず両手で自身の口を覆っていた。演技などではない、心の底からの反応として、間違えたという焦りの色が見え、ブラックドッグは目を細める。
「何だ?」
「い、いや、別に……!? 何でもないから……!?」
シトはそう言いながら、慌てた様子の視線をジッパに送っていた。シトに見られたジッパは口を閉ざすような動きを見せて、目の前の食事に目を落としている。
その反応を見たことで、ブラックドッグは二人が何かを隠していると確信を持っていた。
正確に言えば、二人が何かを隠していること自体は気づいていたが、その内容までは思い至っていなかった。
が、その内容についても、そこまでの反応から何となくの察しがつく。
「なあ、もしかして――」
ブラックドッグがそう言った時のことだった。
玄関の方から物音が聞こえ、扉が開かれたかと思うと、「ただいま」とミライの声が部屋の中に飛び込んできた。
「帰ってきた」
シトがそう言って立ち上がり、玄関の方にヒマリとミライを出迎えに行く。
その間も、テーブルから動くことなく、銃から手を離そうとしないジッパの様子を確認し、ブラックドッグは頭を足の内側に押し込んでいた。
今はいいか――そう思いながら、ブラックドッグはヒマリとミライがリビングにやってくるまでの数秒間、気持ちを落ちつかせるように目を瞑るのだった。




