10-4.私情と理屈
指先に痺れを覚えるほどの重苦しい空気が開かれ、真っ先に部屋からクマが飛び出していた。一方、突きつけられた情報の濃さに当てられたのか、ミト達はすぐに動こうとしていなかった。
その様子を尻目に、恐怖さんは悠然と部屋から立ち去っていく。
それに気づいたヒナコが慌てて立ち上がり、先程のコマザワがそうしたように廊下を駆け出していた。ミト達ほどに思いつめることなく、次にどうするべきかと悩んでいたババは、慌ててその後を追いかける。
「ちょっと待たんかい」
その先では自室に戻ろうとする恐怖さんをヒナコが呼び止め、疑心に満ちた目を向けているところだった。
振り返った恐怖さんが小さな笑みを口元に浮かべ、ヒナコの声と視線に小首を傾げる。それがヒナコの癇に障ったのか、ヒナコの表情が更に鋭く歪んでいく。
「どうしたのかね?」
「どうしたじゃないでしょう? あの超人はどないなっとんですか?」
「どういう意味かね?」
「何で、超人を味方にしとるんですかって、聞いとんのじゃボケ」
惚ける恐怖さんに苛立ちが積み重なったのか、ヒナコはいつものように訂正することもなく、恐怖さんに汚い言葉を吐きかけていた。
しかし、恐怖さんは立ち振る舞いを変えることなく、ヒナコの問いに小首を傾げている。
「何で? やはり、その問いの意味があまり理解できないのだがね?」
「何が理解できないねん……!? 超人味方に引き込んどる理由を聞いとるだけやろが……!? いつまで惚けたフリしとんねん……!?」
処理し切れない苛立ちを吐き捨てながら、ヒナコは恐怖さんを激しく睨みつけていた。
が、恐怖さんはその視線に動揺する様子もなく、小さくかぶりを振る。
「惚けているのは君の方だがね。彼女は自ら怪人となることを望んだのだよ。即ち、彼女は既に超人ではなく、怪人。この怪人組合の一員であることに何も不思議はないかと思うがね?」
超人であるか怪人であるか、という問題はどちらに属するかという部分でしか判断されない。
超人であることをやめて、怪人組合に与することを決めたウェイトレスは分類上、怪人に分類され、超人を味方に引き込んだのではなく、怪人となったのだから味方とした、と恐怖さんは主張していた。
それは傍から聞くババには正しく聞こえるものだったが、ヒナコはその程度の説明では納得がいっていない様子だった。
「怪人になることを決めたから怪人です。それだけの理由で昨日の敵を許せたら、世の中もっと平和やねん。急に味方やって言われても、受け入れられるわけがないやろうが……!?」
妹であるヒメノを超人に殺され、今のヒナコは抑え切れないほどの憎しみが原動力となっていた。
そこに超人が味方となって現れて、それをすぐさまに受け入れられるはずもない。
ババから見ても、それは当然の結末のように思えたが、恐怖さんには今のヒナコの考えが理解できないのか、不思議そうに小首を傾げるばかりだった。
「君は個人的な感情で、彼女の決断を切り捨てるつもりかね?」
ヒナコの憎しみや反発は間違っていると恐怖さんは当然のように指摘し、それを聞いたヒナコの感情を逆撫でしていた。
ヒナコは驚きと今にも吹き出しそうな怒りで目を丸くし、その円の中に恐怖さんの姿を映す。
「嫌いなもんを嫌いって言ったらあかんのか?」
「嫌いという理由だけで、人の決断を蔑むべきではないと思うがね?」
「何が決断や……? この前まで典型的な超人やった奴が急に変わるわけないやろ……? 表面的に取り繕っとうだけか、あんたがありえんことしたんとちゃうんか……!?」
ヒナコが怒りに疑いを混ぜた眼差しを恐怖さんに送る。ウェイトレスの急な変化の理由を追及する言葉に、恐怖さんはきょとんとしてみせてから、堰を切ったように笑い声を上げる。
「面白いことを言う。何もかも考え過ぎだ。私にそこまでの力はない」
「ホンマか……? その帽子の下も見せたことない、本名も教えてくれへん、それで何もできひんとか言われても、信じられへんねんけどな……!?」
恐怖さんが何を言っても、疑いの眼差しをやめる気配のないヒナコを前にして、恐怖さんは退屈と面倒の間を漂う溜め息をついた。
「勘違いしているようだから、明言しておこう。彼女に何かをしていたのは私ではなく、超人の方だよ。私はただ彼女にかけられた洗脳を解いただけだ」
「洗脳……?」
「ああ、そうだよ。ただそれだけのことさ」
恐怖さんはそう言うが、その説明をされても尚、ヒナコの疑いは晴れていないようだった。
それもそのはずだろう。超人が洗脳を受けているなど、これまでに一切、聞いたことのない話だ。
もしもその話が本当であるなら、怪人組合の目的を果たすために、その情報をもう少し利用してくるべきだろう。恐怖さんの性格を考えたら、全く利用せずに放置するとは思えない。
だが、実際のところは利用するどころか、その情報をヒナコ達に開示することもなく、今の今まで秘匿していた。
どうしてそうしたのか。理由を考えた時に思いつくのは二つだ。
一つは、今の情報自体が嘘であるから。
もう一つは、怪人組合の目的の方が嘘であるから。
どちらにしても、恐怖さんは嘘をついている。その可能性が非常に高かった。
「それに超人が怪人になることは悪いことではないと思うがね? それこそ、超人と怪人の立場を明確化させるものであり、怪人の立場を向上させる礎となるとは思わないかね?」
超人が怪人となれば、その二つの曖昧さも露呈し、やがては怪人の地位が向上する。
そう訴えかける恐怖さんの言葉をヒナコは聞き入れられなかったが、その説明以上にヒナコが耳を疑う言葉を、恐怖さんはその次に口にした。
「君はもう少し怪人のことを考えるべきだと気づかないかね?」
「は、あ……? 何や、その言い方……?」
自身の感情ばかりを優先し、もっと大局的に怪人の行く末を考えていない。ヒナコの考えを恐怖さんはそのように切り捨て、批判していた。
その言い方に――その言葉を向けてきたという事実に――ヒナコは怒りや憎しみ以上の本能的な嫌悪感を懐く。
これを理知的と呼ぶのなら、それはそうなのかもしれない。
だが、恐怖さんの足元にいるのは人形ではなく、人間だ。そこに存在する感情まで考えが及ばないのなら、上に立つ人物としては相応しくない。
「理屈で感情は押し込めろと……? 理屈で納得したら、それで敵意はなくなるって言うんか……!?」
「愚問だね。理屈が通るなら、そこに個人の感情など挟む必要がないよ。それとも、君は自分の感情さえ良ければ、道理に反していてもいいと言うのかね?」
「そんな話はしてへん!?」
ヒナコと恐怖さんの言葉は正面から衝突し、お互いに譲ることなく火花を散らしていた。
その言葉の認識のずれをお互いに気づいていないのか、あるいは、気づいていながらも無視しているのか、二人のやり取りからは判然としないが、その状態でお互いの主張が落ちつくはずもなかった。
「もうええわ……」
やがて、これは無意味だと悟ったのか、ヒナコは恐怖さんにそう吐き捨て、背を向けてしまう。
その姿を見つめながらも、恐怖さんは何も言うことなく、立ち去ろうとするヒナコを見送っている。
ババはそこでヒナコを呼び止めようかと思ったが、抑え切れない憎しみや怒りを抱え、血が出そうなほどに強く拳を握り締めるヒナコの様子に気づいてしまい、結局、ババは何も声をかけられなかった。




