10-1.損失と補填
夕食とするには、あまりに早い招集だった。それだけで不穏さを感じ取った者も中にはいるだろう。
それがただの杞憂ではないと悟ることになったのは、集合場所に指定されたリビングに足を踏み入れた時のことのはずだ。
そこで誰よりも早くから待っていたミトやモカの表情を見れば、漂う雰囲気を感じ取れば、重苦しい空気に息を詰まらせることになるのも必然と言えた。
一人、また一人と集まっていき、やがて、一人を除いて、その建物にいるはずの全員が顔を合わせることとなった。そこで未だ顔を見せない最後の一人を呼ぶため、ユーマが立ち上がろうとしたところに、恐怖さんが釘を刺すような形で口を開いた。
「全員、揃ったようだね」
その一言に立ち上がりかけたユーマを含め、リビングに集まった大半の人物の視線が恐怖さんに向いていた。誰しもが何を言っていると驚くように――あるいは、疑わしく眉を顰めるように――どこか鋭さの伴った視線を恐怖さんに向けていた。
もちろん、その中にミトやモカは含まれていない。
「ちょっと待ってください、組合長。まだジュンが……」
急く恐怖さんを止めるようにユーマが口にしかけ、その言葉を言い切るよりも早く、恐怖さんが再び口を開いた。
「ああ、そのことなら、これから話すところだよ。まずは落ちついて話を聞きたまえ」
これから話す。気楽さすら感じさせる、あっさりとしたその言葉に、ユーマは目を丸くし、唇を僅かに震わせていた。
何かを言おうとしている様子だったが、それを実際の言葉とするには、あまりに動揺が強かったようだ。
それも仕方ないだろう。ここに集まった経緯から、この場の全員の頭の中では、既に悪い想像が組み立てられてしまっているのだから。
後は与えられたパーツから、細部を保管していくくらいで、その先にある悲劇の本質は変わりそうにない。
「さあ、ミトくん、話したまえ」
そこで恐怖さんの視線が――まっすぐに示された片手がミトに向けられた。その手に誘導されるように、その場の全員の視線がミトに向く。
その瞬間、ミトに伸しかかったプレッシャーが、ミトの胃を押し潰してしまったように、ミトは吐き気を伴うほどの気持ち悪さに襲われることとなった。
油断すれば、いらない物まで吐き出してしまう。それだけの感情が逆流し、ミトは僅かに俯いて、開きかけた口を閉じた。
「ミトくん……?」
ユーマが名前を呼ぶ。その声の震えにミトの心が押し潰される。
口の中に広がる酸っぱさを――あるいは、その元凶とも言える感情の全てを――気にしている場合ではない、とミトは思った。
そういう個人の感情を優先している場合ではない、とミトはゆっくりと顔を上げる。
自分を見つめる視線をゆっくりと見つめ返し、その最後にユーマと目を合わせると、ミトはようやく気持ち悪さ以外の感情を吐き出すため、静かに口を開いていた。
そして、ミトは話し始めた。どうしてリビングに集められたのか、どうしてジュンがこの場所にいないのか、どうして恐怖さんがミトに話を振ったのか、そういう全てに説明がつく、起きてしまった悲劇のことを順番に語り始めた。
頼まれて買い物に出かけたこと、その先で迷子になってしまったこと、誤って超人の施設の周辺に足を踏み入れてしまったこと、ジュンが探しに来てくれたこと、合流して帰ろうとしたこと、その途中で超人と出遭ってしまったこと。
ミトはそれがかつて顔を合わせたことのあったパペッティアという超人だったと説明し、そこでその続きを口にすることを躊躇うように、僅かに唇同士を押しつけていた。
それでどうなったのか。ミトが話を続けることを躊躇っても、そう聞いてくる人はいなかった。
それは口を閉ざしたミトの気持ちを尊重してくれたからであり、ユーマの気持ちを慮った結果であり、聞くまでもないことであったからだろう。
この場にジュンがいない事実を考えたら、ジュンの身に何があったかなど、聞くだけ野暮だった。
いや、誰も聞きたいと思わなかったという方が正確かもしれない。聞かなければ、それが嘘で終わると言わんばかりに、その場の全員が口を閉ざしていた。
パン、とその場に漂う空気とは、正反対の明るい軽快な音が響き渡ったのは、その直後のことだ。全員の視線が音に吸い寄せられ、驚きに満ち満ちた表情を浮かべる。
そこでは、恐怖さんが空気を払うように手を叩き、小さく何かを理解したと言わんばかりに頷いていた。
「ジュンくんのことは非常に残念だ。彼は私達にとって、とても大きな大きな戦力だったからね」
「せ、ん……りょく……?」
恐怖さんの言葉にユーマの表情が傾く。日が落ちたように影が差す。
「しかし、同じく狙われてたミトくんはこうして生きている。それだけが不幸中の幸いだと思わないかね?」
恐怖さんが僅かに首を傾げ、上半身が大きく傾く。目元はシルクハットの下に隠れ、表情は一切読み取れなかったが、その仕草や言葉から問いかけてきていることだけは明白だった。
「不幸中の幸い……?」
そう呟いたカシマの表情が静かに曇っていく。風に流れて雲が集まるように、カシマの表情に暗さが増していく。
「ジュンがいなくなって……無事とも言われん状況で……何がどうして幸いやねん……!?」
カシマが表情に小さな怒りを宿し、それに同調するように、ヒナコやババ、モカの表情も変化していた。
「ミトくんまで喪っていたら、目も当てられなかったかもしれないが、今回はそうならなかった。これは正に不幸中の幸いと呼ぶべきことだと私は思うのだが、違うかね?」
不思議そうに首を傾げる恐怖さんの仕草は、ただ火に油を注いでいるだけだった。カシマが堪え切れなくなったように立ち上がり、テーブルに力強く手を打ちつけようとした。
その手前で、その動きすらも掻き消すほどに激しく、ユーマが立ち上がっていた。テーブルを押し潰すように両手を突き、顔は俯いたまま動こうとしない。
「すみません……。少し一人にさせてください……」
そう言い残し、ユーマはリビングから出て行ってしまう。
その背中を追いかける者も、その背中に声をかけられる者も、その場にはいなかった。
ユーマが何を噛み殺し、何を抱えたまま、このリビングを後にしたのか、想像できないほどの馬鹿は残念なことに、その場には一人もいなかった。
「確かにジュンくんは残念だった。だがね、そういう不測の事態に対処できるよう、私は事前に準備を進めていたのだよ」
ユーマが立ち去った後の張りつめた空気の中、誰よりも空気の読めない声色と振る舞いで、恐怖さんがそのように話し始めた。
さっきまで怒りかけていたカシマも、立ち去ったユーマの様子から気持ちを汲んだのか、僅かに怒りを抑え込んで、再び椅子に深く凭れかかっている。
「準備……?」
それまでジュンの話を聞いても、眉一つ動かさなかったヤクノがそこで怪訝な顔を見せる。
「そう、準備さ。戦力は一人でも多い方がいいと思って、先に動いていたんだ」
そう言いながら、恐怖さんの視線がリビングの奥に向く。
キッチンの奥――誰も気にかけていなかったその空間を見つめて、恐怖さんは口を開く。
「こちらに来たまえ」
恐怖さんの一言を合図にして、キッチンの奥から何かを顔を覗かせた。ひょっこりと身を乗り出したかと思えば、ゆっくりとした足取りで、ミト達の座るテーブルへと近づいてくる。
暗闇の奥から輪郭が浮かび、そこに明かりが差した。ゆっくりと鮮明になっていく姿を捉え、その場で顔を突き合わせていた全員の表情が次第に強張っていく。
「自己紹介をしたまえ」
そう恐怖さんが促すと、その隣で立ち止まった一人の少女は深々と頭を下げ、その場の空気に似つかわしくない快活とした声を発する。
「皆さん、初めまして。私は美星玲花と言います。ここで、これからお世話になることになりました。どうぞ、仲良くしてください」
そう言い切ると、美星玲花と名乗った少女は朗らかな笑顔を浮かべ、リビングに並ぶ面々を見回していた。
しかし、ミホシの表情に反して、そこに並ぶ顔には笑顔が一つもなかった。
戸惑い、怒り、憎しみ、悲しみ、虚無、そういう感情だけが見本市のように並んでいる。
が、そのことにミホシは触れることも、気に留めている様子も見せなかった。
「どう、いうことですか……?」
最初に口を開いたのは、やはり、カシマだった。
「何で、そいつがそこにおるんですか?」
カシマがミホシを鋭く指差し、恐怖さんに問いかける。カシマの疑問に恐怖さんは僅かに首を傾げ、その質問の意図が分からないという素振りを見せている。
「分からんわけがないでしょう……!? そいつは、だって……!?」
カシマが言葉を発しかけた直前、テーブルを激しく叩く音が響き渡り、部屋の空気ごと、カシマの動きが止まった。視線が自然と音の発生源に向く。
そこでは、歯を食い縛ったヒナコが、ミホシと恐怖さんを睨みつけていた。
「組合長。まさかとは思うけど、そいつを味方にするとか言わんよな?」
ヒナコが確認を取るように呟くと、恐怖さんは不思議そうに小首を傾げる。
「そのまさかだが?」
「ふっ……!? ざけんな!? 何で、何で……!?」
激しく椅子を蹴飛ばしながら、ヒナコは立ち上がり、その勢いのまま、持ち上げた腕をまっすぐミホシに向けていた。
「何で、超人なんかと仲良くしなあかんねん!?」
ヒナコが口の端から激しく唾を飛ばし、その指に晒されたミホシ――ウェイトレスは柔らかな笑みを浮かべたまま、その怒りを真正面から見つめていた。
「そう言われても、ヒナコさん。これは決定事項だよ。次の作戦の時には、彼女も私達の戦力の一人として活躍してもらう。そのつもりだが、何か問題があるかね?」
さも当然のように呟きながら、恐怖さんはウェイトレスを見つめていた。その視線に気づいたウェイトレスが振り返り、この場の空気に当てられても変わることのない笑顔を浮かべる。
「はい、任せてください! 頑張ります!」
そう意気込む声が場違いなほど激しくリビングの中を反響し、それを聞いたミト達の脳を内側から大きく揺さ振るようだった。




