9-34.フェリーマン
昼間は次第に暖かくなってきたとは言っても、夜も深くなると未だ気温は下がり、肌寒さが指先や耳を痛めつけていた。
その中で静かに寒さに耐え、川沿いの遊歩道に設置されたベンチに座る人影があった。街灯が設置されているとはいえ、その明かりは仄かにベンチを照らす程度で、周囲はぼんやりと薄暗い。
その中に佇む人影に警戒する様子もなく、一人の老爺が近づいてくる。重たそうな鞄を肩から下げ、ゆっくりとした足取りで遊歩道を進んでいく老爺を追うように、ベンチに座る人物は視線を動かしていく。
やがて、その視線は老爺の鞄で揺れるアクセサリーで止まる。そこで震えていたはずの手足はピタリと止まり、自然と口角が持ち上がっていた。
「渡し賃はいくらだ?」
ベンチに座る人物――アザラシがそう声をかけると、遊歩道を歩いていた老爺の足が止まった。自分に話しかけているのかと問いかけるように首を傾げ、アザラシの方を振り返る。
その様子に戸惑いながらも、アザラシは少し首を傾げ、何かを思い出したように口を開く。
「戦場までの渡し賃はいくらだ?」
そう告げると、老爺はそれまでのきょとんとしていた顔を一瞬で引き締め、神妙な眼差しでアザラシを見つめてきた。
「御宅が客ですか?」
「ああ、そうだ」
アザラシがそう首肯すると、老爺はゆっくりとベンチに近づいてくる。重たそうな鞄と、そこで揺れる古銭を繋げたアクセサリーを確認しながら、アザラシは老爺を制止するように手を伸ばす。
「ちょっと待て。その前に一つ、こちらも確認したい」
「確認、ですか?」
「ああ、まずは証拠を見せてくれ。あんたがフェリーマンである証拠を」
アザラシがそのように求めると、アザラシに近づきつつあった老爺は重たそうな鞄をその場に置き、ファスナーに手をかけた。それをゆっくりと開くと、少し離れた位置に座るアザラシでも確認できるように、老爺はその中身を見せつけてくる。
「そいつはライフルか?」
鞄の中に入っていた数丁の銃を目にし、アザラシが確認するように問いかけると、老爺は静かに首肯した。銃を直接的に触っているわけではないが、ただの散歩中の老爺がモデルガンか何かを持ち歩いているとは考えづらい。
この老爺こそが本当にフェリーマンなのだろう。そう納得しながら、アザラシはようやくベンチから立ち上がる。
「いや、申し訳ない。噂に聞くフェリーマンが、このような老人だとは露ほども思わなくてな」
「それは仕方ないことです。よく言われますから」
アザラシの驚きの声に、フェリーマンを名乗る老爺は気恥ずかしそうに頭を掻く。その仕草も含めて、ミステリアスで情報の掴めないフェリーマンの正体とは思えないが、疑いようのない証拠が重なっていることも事実だ。
この人物がフェリーマンであると断定して、取引を進めようと考えながら、アザラシはフェリーマンが地面に置いた鞄に目を向ける。
「ところで、フェリーマンの売る武器はそれで全部なのか?」
「いえいえ、もちろん違いますよ。この子供の飯事程度の銃で終わっていたら、武器商人は名乗れませんから。これは見本であり、証拠でもあるのですよ」
自分がフェリーマンであるということを証明するための武器である。フェリーマンはそのように語り、アザラシは納得する。本人もよく言われると言っていたが、初見でフェリーマンであると信じられることは少ないのだろう。
何せ、フェリーマンはあまりに情報が少ない。それは有名な情報屋が正体を突き止められないほどであり、そこまで情報を絞っているのなら、自身の正体を証明するための物が必要なことも仕方ないように思えた。
「御売りするための武器はこの近くにあります。ご案内しましょうか?」
フェリーマンに問いかけられ、アザラシは一瞬、警戒の意識が芽生えたが、すぐに首肯していた。どちらにしても、今のアザラシ達はフェリーマンとの取引が必要である。これが罠であるとしても向かわなければいけない以上、断るという選択肢はないだろう。
仮に罠があったとしても、多少のものなら何とでもなるはずだ。アザラシは袖口を確認しながら、重たそうな荷物を持ち上げて、再び遊歩道を歩き始めたフェリーマンの後ろを歩き始める。
その背中を見つめながら、アザラシは自身の歩いている場所が平凡な遊歩道であることに疑問を懐いていた。
「しかし、どうして、こんな場所を取引の場にしたんだ? もっと目立たない場所があるだろう?」
「目立たない場所は目立つのですよ。特に、裏の世界では、ね」
「そこまで目立ちたくないのか?」
「もちろん。情報の少なさは武器ですから」
「武器?」
フェリーマンの言葉にアザラシは首を傾げ、思わず呟く。
「ええ、武器です。何せ、私は見ての通りの年寄りですから。もしも相手が武力を行使してきたら、どれほどの武器があったとしても、身を守れないでしょう」
「だから、情報を減らして、フェリーマンという存在を影にしたのか?」
あらゆる情報を得ることで、身を守る盾を構成したトムとは対照的に、フェリーマンは情報を絞り、自身の素性を掴ませないことで、自身の身を守る壁を作り上げた。手段は大きく違っているが、どちらも身を守るために情報を利用している事実に、アザラシは自分達とは少し違う裏の世界の面白さを感じ取る。
「じゃあ、あんたがフェリーマンであることを知った俺が、この先にある武器を奪い取るとは考えないのか?」
アザラシがそのように問いかけた途端、フェリーマンの足が止まり、不思議そうな顔でアザラシの顔を見つめてきたかと思えば、不意に吹き出すように笑い始めた。
「面白いことを言いますね」
「ん? そうか? 普通に考える可能性じゃないのか?」
「いやいや、もしも御宅がそのようなことをするのでしたら、もうとっくにその袖の中の武器を使って、やっていることでしょう?」
そう言って、フェリーマンが袖口に目を向けたことにアザラシは動揺する。どこで武器の存在に気づかれたのかと疑問に思うが、フェリーマンは楽しそうに笑い、そのまま何事もなかったように歩き出してしまう。
(おいおい、何が情報を制限することで身を守っている、だ。とんだ食わせ物じゃないか)
フェリーマンの底知れない雰囲気に圧倒されながら、アザラシが再びフェリーマンの後ろをついて歩き出すと、やがて、フェリーマンは遊歩道から大きく外れ、近くの港まで歩き始めてしまう。
「おい、どこまで行く気だ?」
「もう少しですよ」
そう答えたフェリーマンはしばらくすると、港に停泊した一隻の船の前で足を止める。
「この船の中をご覧ください」
そう言われ、アザラシはまさかと思いながら、フェリーマンの示した船に乗り込んでいた。そこに隠された物を見つけて、思わず笑みを零しながら、アザラシはフェリーマンの元に戻る。
「これは全部でいくらだ?」
「タダですよ、私を殺せば」
フェリーマンがそう告げたことに、アザラシは大きく笑い声を上げてから、ゆっくりと片手をフェリーマンの前に差し出していく。
「いいや、金を払う。あんたとちゃんと取引がしたい」
「でしたら、喜んで受け取りましょう」
そう言って、フェリーマンは重たそうな鞄をその場に置き、ゆっくりとアザラシの手を握っていた。




