9-32.カプセルの可能性
話は前日まで遡る。クリサンセマムカンパニーと喚阿商会の話し合いが翌日に決定し、ヒマリがシトを紹介するためにクリサンセマムカンパニーの本社を訪れた後のことだ。
変わらずシトの隠れ家に帰宅した後、ヒマリは以前から疑問に思っていたことの解明を行うため、テーブルの上にカプセルを並べていた。そこに何をしているのかと興味を持ったのか、あるいは単純に暇だったのか、リードに繋がれて自由の奪われたブラックドッグが近寄り、ヒマリに聞いてきた。
「どうした? 数が合わないのか?」
どこかで落としたのかと聞いてくるブラックドッグを見やり、そこでヒマリは考え込むように動きを止める。
そのことに不穏さを覚えたのだろう。ブラックドッグは踵を返して逃げようとするが、ヒマリの手は咄嗟に伸びて、ブラックドッグのリードを引っ張っていた。ブラックドッグの首輪が締まり、ブラックドッグの喉から声とも言えない音が漏れる。
「んぐっ!?」
「ちょうどいい。実験に付き合え」
ヒマリがそう言いながらリードを引けば、当然のようにブラックドッグは抵抗できない。涙の滲む目を白黒させながら、ブラックドッグはヒマリの隣に仕方なく移動し、そこでヒマリの話を聞くために尻を下ろす。
「実験? 何をする気なんだ?」
「お前も入ったことがあるから分かるだろうが、このカプセルで生物を捕らえると、その生物はこの中で眠りにつく。捕まる前がどういう状態であれ、強制的にな」
ブラックドッグはカプセルに入っていた頃の記憶こそないはずだが、捕まえる直前と解放された後のことくらいは思い出せるはずだ。すっぽりと消えた記憶が自身の意識の消失を意味し、それが眠りについていたという証明になっている。
ヒマリの確認にブラックドッグは頷き、ヒマリは話を続ける。
「眠っているから、一度、このカプセルの中に入れてしまうと、そこから取り出した生物は目覚めるまでの数秒間は確実に動けない。これは他の生物でも試したわけではないが、カプセルの特性上、そうであると仮定してもいいだろう」
実際のところ、全ての生物に当てはまる法則なのかは分からない。生物によっては眠るという概念が乏しく、内部で意識を固定されているだけに留まり、解放と同時に動き出すものがいてもおかしくはない。
が、その部分が正解かどうかは重要ではなく、ヒマリが今、問題に思っている部分は、捕らわれた生物が人間だと確実に眠ってしまい、すぐには動き出せないという点だった。
「もしも味方をカプセルの中に入れられたら、カプセルを投げるだけで味方を対象に接近させられるということになる。場合によっては本来、現れない方向に味方を移動させ、奇襲をかけるということも可能だ」
「確かに。それができたら、かなり強いだろうな」
「ああ」
「だが、残念なことに眠ってしまうからできない」
「そうだ。そこが問題だ」
ヒマリが順を追って話し、その部分まで至ったことで、ブラックドッグはヒマリの言っている実験がどういうものか、既に察し始めている様子だった。ブラックドッグはやや険しい表情をして、テーブルの上のカプセルに目を向ける。
「まさか、俺をこの中に入れて、眠らないようにしろとか言わないよな?」
「そう言ってできるなら言うが、それはアルコールを飲ませて酔うなというようなものだ。眠るという構造が存在する以上、それは不可能だろう」
「ああ、そう分かってくれているなら良かった」
無茶を言われ、できなかったら文句まで突きつけられるのかと不安に思ったのかもしれない。もしくは面倒臭さか。どちらにしても、ヒマリはそこまで理不尽ではないと思いながら、ブラックドッグの前でカプセルの一つを手に取る。
「俺が思ったのは別だ」
「別?」
「カプセルの中で眠らないようにするのではなく、カプセルの外から起こせないかと思ったんだ」
カプセルがどういう構造かはヒマリ自身も正確に把握しているわけではない。何せ、ヒマリは入ったことがなく、入ったとしても中での記憶は残らないのだから、それも仕方ない。
ただもしもカプセルの外側から内部に刺激を与えられるなら、そこで眠っている生物を起こせないかとヒマリは思い至ったのだった。
もちろん、それが可能であるかは分からない。カプセルを持ち運び、その間もある程度の衝撃はあると考えたら、外部から多少の刺激を与えても起きないと考えるべきなのかもしれない。
だが、ヒマリは今までに一度も、その手段を試していない。起きるという可能性も否定し切れない以上、一度くらいは試しておいた方がいいとヒマリは考えていた。
「ちょっと待て。外部の刺激ってどれくらいだ? 銃で撃ったりしないよな?」
「そもそも、手持ちに銃はない。銃は手に入らなかった。まあ、あったとしても、成功以上に危険が勝る手段を実験程度で行わないがな」
自分は研究者ではないと言いながら、ヒマリはブラックドッグから了承を得ることもなく、カプセルを構え出す。
「ちょっと待て。何でもう構えているんだ? 俺の意思はどこに行った?」
「残念ながら、今のお前は俺達の犬だ。決定権はこちらにある」
「犬って言葉をややこしい使い方するな。ていうか、俺のことくらいは俺に決めさせろ」
「そういうことは人間の姿になってから言え、飼い犬」
「あっ? だったら、人間の姿に戻ったって――」
そこまでブラックドッグが口にしたところで、面倒が勝ってきたヒマリは勝手にカプセルを投げていた。何かを言おうとしたブラックドッグの鼻先に当たり、ブラックドッグはカプセルの中に吸い込まれていく。
カプセルはその場に落下した後、数回左右に揺れてから、そのまま何事もなかったように落ちついた。
ヒマリはそのカプセルを手に取り、中身に目を向ける。そこではこれまでもそうだったようにブラックドッグが眠っている。
「さて、いろいろやってみるか」
そう言いながら、ヒマリは準備していた工具をテーブルの陰から取り出すのだった。
◇ ◆ ◇ ◆
話は現在に戻る。ヒマリの実験は結果から言えば、一定の成果を出していた。とはいえ、それは刺激の大きさや種類ではなく、内部に捕らえられた生物の意思の方だ。
カプセルに捕まった。そこで眠りにつく。この二つを前提として意識した上で、その中で目を覚ますという行動に注力すれば、完全とは言い切れないながらも、寝惚けているくらいの覚醒は可能であることが判明したのだ。
それをある程度、実践的に可能である領域まで詰めて、ヒマリは当日の何かあった際の切り札として、クリサンセマムカンパニーを訪れる前から、ブラックドッグをカプセルに仕舞い込んでいた。
そして、キョウシロー達が動き出した直後、監視のための別室から移動する際に、ヒマリは少しずつブラックドッグに現状の変化を知らせるための刺激を与えていた。爪でカプセルを軽く叩き、指で擦り、時に割れない程度に壁にぶつけ、それらの衝撃が起きようとするブラックドッグの意識に少しずつ触れていた。
やがて、ヒマリは球体を操るオノダの意識を一時的に接近するソファーに向けさせ、その隙にカプセルをオノダの足元まで転がすことに成功していた。そこでオノダがカプセルに触れれば、カプセルは開く。仮に触れなくても、近くに散らばるテーブルの破片をミライに飛ばさせたら、どれかはカプセルに触れるはずだ。
その考えでいたが、オノダは狙い通りにカプセルに触れ、カプセルはオノダの足元で割れていた。そこからブラックドッグがちゃんと動いてくれるかが心配だったが、ブラックドッグはカプセルから飛び出したという状況に戸惑いを覚える様子もなく、近くに見えたオノダの左腕に反射的に噛みついていた。
「何だ!?」
飛び出してきたブラックドッグに戸惑いながらも、オノダはブラックドッグを振り払おうと、右腕を動かして球体を操ろうとする。
そのことに気づいたヒマリが咄嗟に指を伸ばし、ミライに叫んでいた。
「右だ!」
その声に反応したミライがオノダに踏み込み、オノダが動かそうとしていた右腕に片手を振り下ろす。その腕はさっきまでの光り輝く神々しい物から、不気味に映る異形の物に変化していた。
ミライの手が動きかけたオノダの右腕にぶつかり、オノダの右腕が大きく跳ねた。弾き飛ばされたボウリングのピンのように転がり、そのことに気づいたオノダが痛みや恐怖で絶叫する。
「うがぁあああああああああああ!?」
オノダは座り込むようにその場に倒れ込み、それが偶然にも左腕に噛みついていたブラックドッグの身体を地面にぶつけ、ブラックドッグは思わず口を離していた。
とはいえ、オノダの左腕は既に自由が利かないほどに痛めつけられ、ブラックドッグが離れても、力なく垂れ下がっているだけで動こうとしていない。
その間にジッパやシト、ウンモが動き出し、オノダを取り囲むように銃を構えていた。その状況に気づいたのか、あるいは痛みから意識が朦朧とし始めているのか、オノダは抵抗する様子もなく、床に身体を伏せていく。
気づけば、オノダを囲うように浮かんでいたはずの球体が全て床に散らばっていて、ヒマリは無事に終わったと安堵の息を漏らすのだった。




