9-31.start over again
狭い車内が震えるほどの銃声が響いた直後、それを覆い隠すようにガラスの割れる音が続いた。フロントガラスにぽっかりと開いた穴を見つめながら、キョウシローは驚きで目を丸くしていた。
キサブローはキョウシローの凶弾に倒れることなく、キョウシローが引き金を直前、キョウシローの手ごと銃を掴み、銃口の向く先を自身から逸らしていた。
あまりに一瞬の出来事であり、キョウシローは何が起きたのか理解し切れないまま、割れたフロントガラスを見ることとなったのだろう。驚きのまま固まり、動けなくなってしまったキョウシローの手を静かに離し、キサブローは眉を顰める。
「震えるほどに迷うなら、最初から銃など構えるな」
静かに叩きつけるように言い放ち、キョウシローは銃を掴む自身の両手に目を向ける。車内が氷点下になっているのかと錯覚するほど、キョウシローの両手は小刻みに震え、それ故にキサブローの対応が間に合ってしまったようだった。
迷っているのか、怯えているのか、どちらにしても、キョウシローは両手の震えを目にしたことで、ようやく自身の心の機微に気づいた様子だった。
「ま、よう……?」
戸惑うように小さく呟いて、キョウシローは小さくかぶりを振る。
「迷うって、何に……? どうして……?」
「本当はそんなことを聞くまでもなく、自分で分かっているんじゃないのか?」
そう言いながら、キサブローは震えるキョウシローの手から銃を抜き取っていく。そのことに抵抗することもなく、キョウシローは奪われる銃を見つめたまま、ゆっくりと表情を崩していた。
今にも泣きそうな子供のように顔を歪めて、キョウシローはキサブローを見つめる。
「どうすれば、良かったんだよ……?」
それはこれまでのキョウシローが着飾っていた言葉ではなく、キョウシローの心の内側から溢れ出した疑問であることは、その声の震えから良く分かった。
「社長を渡されて、会社を経営していなくちゃいけなくなって、それなのに、親父と取引していた人達は一斉に離れて、俺じゃダメだって言いやがって、このままじゃ会社が潰れてしまうところまで行って、それで……立て直さなきゃいけなかったんだよ」
「どうして、そう思ったんだ? 俺が嫌いなら、俺の物が嫌なら、喚阿商会など早々に畳んで、新しい会社を作っても良かったはずだ。どうして、喚阿商会を大きくしようと思ったんだ?」
キサブローに対する反抗心が根底にあるなら、キョウシローにはそれらを全て捨て去る道も残されていた。キョウシローは経営者という立場を譲られたのだから、それを止める手段はキサブローにはない。
だが、実際はそうしなかった。それどころか、キョウシローは病的なほどに会社を大きくすることに執着した。それが全てキサブローに対する対抗心であるとは思えなかった。
「……かったから……」
キョウシローは腹の底に転がっていた気持ちに手を伸ばして、それを言葉に変えていく。
「会社を……そこで働く人達を……守りたかったから……」
キサブローがそうだったように、キョウシローも喚阿商会という会社を、そこで働く社員達を愛していた。社長の座を譲られ、自身が経営するようになってから、キサブローと取引していた相手は一斉にいなくなり、会社が倒産寸前になってしまっても、会社を見捨てるどころか、立て直そうと考えたのは、その会社や社員達を守りたいという一心からだった。
ヴァイスベーゼと取引をし、会社を成長させることに執着してきたのも、全ては会社を存続させるためであり、そこで働く社員の生活を保障するためだ。一度、潰れかけた状況を見てしまったから、キョウシローは病的なまでにそのことを意識していた。
たとえ、自身の手段が間違っていると心の底では気づいていたとしても、それ以外の手段を持ち合わせていなかったキョウシローには、気づかないフリをする以外の選択肢がなかった。
「喚阿商会は好きか?」
キサブローが銃を分解し、助手席に放りながら、フロントガラスの穴を見つめる。表情はそれまで言い合っていたことが嘘のように穏やかであり、ルームミラー越しにキョウシローを見つめる目は優しかった。
キョウシローは震える自身の手を見つめた姿勢のまま、顔を上げることがなかった。俯いたままで、どのような表情をしているかは分からないが、震える手に落ちる雫が表情を容易に想像させる。
キョウシローは小さく頷いて、それまでの振る舞いが嘘のように、ぽつりと気の抜けた声を漏らす。
「小さい頃から見ていたから……」
「皆、変わってないか?」
「うん、ずっと優しいままだよ。俺が何をしても、怒ってこない……怒ってくれないんだ……」
キョウシローの呟きは子供のように幼く響く声音をしていた。それを聞きながら、キサブローは小さく微笑み、そうだろうと納得するように頷く。
「本当は止めたくても、止めた後に何をすればいいのか分からなくなっていたんだよな?」
キサブローが優しく問いかけて、キョウシローは静かに頷いていた。
「どうすれば良かった……? 俺は何をすれば正解だった……?」
答えを知ろうとキサブローに問いかけてくるキョウシローを目にして、キサブローは最初から分かり切っていたことを口にする。
「普通にすれば良かったよ。お前がお前の言葉で話そうとすれば良かった。ただそれだけのことだ」
「でも、誰も聞いてくれなかった……!?」
「それは本当にお前の言葉だったか? 社長という立場について、見せなければいけないと思い込んでしまった自分の姿じゃなかったか?」
そう言われ、キョウシローは自分がどのように振る舞ってきたか、ようやく自覚したように驚いた様子で顔を上げていた。目は赤くなり、頬は濡れ、それでも気にすることなく、こちらを見るキョウシローの様子に、キサブローは思わず振り返る。
「そういう姿だ。そういう姿を見せてでも、相手と話し合おうという気概を見せたか? ちゃんとそれができていたら、きっと話を聞いてくれたはずだ。そして、話を聞いてくれたら、お前と取引をしたいという相手はたくさん出てきたはずだ。きっと今よりも大きく、全うな会社になっていただろう。まあ、やっている仕事は武器販売だが」
苦笑するキサブローにキョウシローは戸惑いの表情を浮かべていた。キサブローが今よりも大きい会社となっていたと断言したことに驚いているようだ。
「どうして、そう言い切れるの?」
「お前には私にはない才能があった。交渉という場において、お前の話術は十分に魅力的だ。この才能があるなら、きっと私よりもうまく会社を成長させてくれるだろう。そう思ったから、会社を譲ったんだ」
そう答えながら、キサブローはこれまでの自身の行動を思い返し、そこに後悔の念を懐く。
「だからこそ、下手に口出しをせず、見守ろうとばかりしてきたが、少しやり過ぎていたのかもしれない。もう少し、お前の背中を押すくらいのことをするべきだったと、今になって後悔しているよ」
もっと早く、こうして正面から話し合うべきだった、と回り道をした今だからこそ、キサブローは思っていた。そうしたら、もう少し早くにキョウシローを止められて、ここまで他の会社に迷惑をかけることもなかったのだろう。
そう思っても、起きてしまったことはやり直せない。そのことを誰よりも、キョウシロー本人が理解している様子だった。
「俺は……これから、どうすれば……?」
取り返しのつかないことをしてしまったと後悔しても、何かを取り返せるわけではない。その事実の前に立ち、キョウシローは目の前が真っ暗になっている様子だった。
だから、キサブローは今度こそ後悔しないよう、キョウシローの前で手を伸ばす。
「ちゃんと謝ろう。過ちを認めて、これから一つずつ取り返していこう。信頼も一から作り上げていかないといけない」
「そんなこと……許されるはずが……!?」
「もちろん、全部が許されるはずもない。罰を受けることもあるだろう。でも、お前が少しずつでも正そうとすれば、それを認めてくれる人も現れるはずだ。そうやって一つ一つ取り戻していけば、また戻ってこれる。今度は違う形で」
不安や罪悪感が項垂れるキョウシローの肩を抱き、キサブローは力強く続ける。
「大丈夫、お前はまだ若い。それだけの時間が残されている。罰を受けるのなら、私も一緒に罰を受けよう。そうしたら、大丈夫」
キサブローはキョウシローの身体を、心を抱き締めるように、温かな声で言葉を紡いでいく。
「だから、やり直そう」
キサブローの言葉に、キョウシローはただ頷くばかりだった。小さく頭が揺れる度、足元には雫が落ちて、小さな染みを作っていく。
やがて、静かに嗚咽の声が聞こえ始めた頃、キサブローは未だ小さく震えるキョウシローの手を取って、二人でクリサンセマムカンパニーの本社に入っていくのだった。




