9-27.客観視する末路
クリサンセマムカンパニーの本社に足を踏み入れたのは、子供の頃以来だった。まだ純粋無垢で、何も知らなかった頃の自分が祖母と逢う場所の一つがここだった。祖母が何をしているのか、クリサンセマムカンパニーがどのような会社なのかを知ってからは一度も近づこうとしなかった。
そのためか、最初の印象は懐かしいだった。建物の中に足を踏み入れ、その空間の空気を吸い込んだ時、自分でも忘れていた記憶が頭の奥底から立ち昇ってきて、そう言えば子供の頃はここで良く遊んでいた、とふと思い出すこととなった。
しかし、それも最初に限った話だ。ヒマリ達について移動し、ヒマリ達が待機する部屋に足を踏み入れた時、キクノは足元の落ちつかない緊張感に襲われることとなった。
何に対しての緊張かは判然としない。これから起こることを悪い方に想像して緊張しているのか、あるいは目を逸らし続けていたことと向き合うことに緊張しているのか。
途轍もなく逃げたい気持ちに駆られたが、ここまで来て逃げるような臆病者にはなりたくないと思ったのと、そうして逃げることに意味はないと気づいてしまったこともあって、キクノは何とか足を部屋の中に落ちつかせていた。
やがて、モニター越しにキクコの様子を見ることとなったが、キクノは戸惑いの方が大きかった。キクコの仕事を軽蔑し、キクコを避けるようになってから、キクノはキクコが周囲を威圧し、拒絶しているような印象を受けていた。
それが喚阿商会との話し合いの中では、相手の意見を聞きながらも、二代目の道を正そうとする姿が見られ、そのことにキクノはどうしようもなく動揺してしまった。
こんなに優しいはずがないと何故か頭は否定したがる。
キクノの動揺はそれだけに留まらなかった。事態が深刻な方向に転がり始める前のこと。キクコと二代目のやり取りを見る中で、キクノは二代目の行動が行き過ぎた父親への反発心から来るものではないかと感じ始めていた。
それは自身が家を飛び出したことにも通ずる話であり、もしも自分も周りを見ることなく、ただ感情を振るうように拒絶だけを繰り返したら、このような状態になってしまうのかと想像し、キクノは恐ろしくなる。
周囲をこれほどまでに困らせて、傷つけて、それでも気づかずに力を振るうようなら、それはキクノ自身が嫌っていたものに、自分もなってしまったということになる。
もしもヒマリに見つかることなく、ミライと話す機会もなかったら、キクノはこうなっていたかもしれない。その想像が今の選んだ道の正しさを証明してくれるようで、キクノは改めて思った。
ちゃんと祖母と話さなければならない。ちゃんと向き合って、知った上で考えないといけない。そうして考えたことをちゃんと伝えないといけない。ただ叩きつけて終わってはならない。
多分、そういう当たり前のコミュニケーションをこれまで取ったことがなかった、とキクノは今になって気づく。
これは自分が、そして祖母が、お互いに酷く愚かしい結果だとキクノは笑いそうになりながら思った。
そして、そこでキクノの漏れ出そうになった笑みが消え去るような光景がモニターの向こうに広がることとなる。激しい銃声が盗聴器などなくても聞こえるほどに鳴り響き、キクノは考えるよりも先に足が動き出していた。
「お、お祖母ちゃん!?」
何ができるとか、何がしたいとか、そういう考えは何もなかった。ただキクコに何かがあったかもしれないと思ったら、キクコの無事を少しでも早く確認したいと思ってしまい、気づいた時には部屋を飛び出していた。
キクノは誰よりも早く、キクコのいる部屋に辿りついて、その扉を押し開けていた。
「お祖母ちゃん!?」
そう叫びながら扉を開いた時、こちらに向く四つの目に気づく。
二代目とその側近の男の目だ。それらがこっちに向いて、その視線の鋭さに寒気を覚え、キクノが冷静さを取り戻した時にはもう遅く、二代目の銃口がキクノに向けられていた。
キクノは恐怖で身を縮こまらせ、身体を庇うように片手を上げながら、その場に崩れ落ちかけた。そこに銃声が鳴り響き、キクノは反射的に目を閉じた。
暗闇が視界を覆い、キクノは死を覚悟した。正確には、死んだと思うしかなかった。
だが、痛みも衝撃もキクノの身体を襲うことはないまま、キクノは何が起きたのかと確認するように、ゆっくりと目を開いていく。怯えるように小さく、細く開いた瞼の隙間から、さっきまで扉の向こうの部屋が広がっていた景色を見る。
そこに自分よりも小さな人影が立っていることに気づいて、キクノは驚きで目と口を開き切ってしまっていた。
そこに声がかけられる。
「大丈夫?」
光り輝く片手を振り上げながら、ミライがそう聞いてきた。
◇ ◆ ◇ ◆
キクノが撃たれた、と一瞬思ってしまったシトだったが、そこにミライが飛び込んできたことに気づき、キクノの無事を確認することなく、安堵していた。ミライの光り輝く手を見れば、銃弾が弾かれたことは明白だった。
何とか助かった、とそう思ったのも束の間、シトは側近の男が宙に浮かぶパチンコ玉を動かし、ミライの方を見ていることに気づく。
あそこから発射される弾丸がどのようなものでも、ミライの手なら弾くことはできるだろう。ただ問題なのは、それら全ての弾丸に触れなければ、弾けないということだ。弾の数が多ければ多いほど難易度は上がり、いくらミライの手がどのようなものも弾くと言っても、被弾する確率は上がってしまう。
撃たせてはならない。咄嗟にそう思ったシトが銃を構えていた。側近の男に向かって引き金を引けば、側近の男の視線がこちらに向いて、激しい金属音が鳴り響く。
シトの放った弾丸と空中に浮かぶパチンコ玉の間。そこで突風が吹いたように空間が揺れ、弾丸が弾き飛ばされるように落ちた。どのような手段を取っているか分からないが、あのパチンコ玉は弾丸を落とせるだけの風か何かを起こしているらしい。
防がれたとは思うが、こちらの弾を防ぐことに意識を割いてくれるなら、ミライは自由になる。そう思ったシトが更に引き金を引いた直後、ウンモも考えを察してくれたのか、少し離れた位置から側近の男を狙って引き金を引いてくれていた。
二箇所から弾丸が発射され、側近の男に迫っていく。そのことを煩わしそうに眉を顰めながら、側近の男はパチンコ玉を二人のいる方に動かしていた。
そこで弾丸が何かに阻まれ、地に落ちていく。それでも、シトとウンモは弾の続く限り、引き金を引いていく。
その間、二代目は状況が膠着したことを察し、キクノを人質に取ろうと動き出していた。銃口をキクノの方に向け、大人しくするように言っているが、その間にミライがさっと移動して割って入っている。
「何だ、お前は!?」
「うるさい」
二代目の銃を弾き飛ばそうと腕を振り上げようとしたミライに向かって、二代目は引き金を引く。弾丸が発射されたことに気づいたミライが身体を庇うように手を構え、そこに触れた弾丸があらぬ方向に弾き飛ばされていく。
その光景を見た二代目は目を丸くしていた。信じられないという風にミライをじっと見つめてから、どこか怯えた様子で顔を引き攣らせている。
「まさか、そんな……。クリサンセマムカンパニーも……?」
そう呟くと、二代目は急に銃口をミライへと向け、銃弾を乱射し始めた。何度も引き金が引かれ、その度に身体を庇うように掲げたミライの手に弾丸がぶつかっていく。
そうして、ミライの動きが止まった隙を狙って、二代目は部屋から飛び出していた。そこにいるキクノを一瞥したが、銃を構えるよりも早く、廊下をこちらに走ってくる人影がまだいることに気づいたのか、慌てて反対方向に逃げていく。
「おい、今のは……?」
そこに遅れてヒマリとジッパが到着した。自分達に背を向けて走り去る背中を見つめ、怪訝な顔をしている。
が、すぐに部屋の中の様子に気づき、二代目を追いかけることなく、ヒマリは部屋の中に足を踏み入れていた。
「追いかけるにしても、流石にこいつを何とかした後だな」
そう呟きながら、ポケットに手を突っ込むヒマリの姿を見つめて、側近の男が舌打ちする。
「あの馬鹿が……。面倒な状況を作るだけ作って、勝手に逃げてんじゃねぇーよ……」
側近の男は空中に浮かぶキーボードでも触るように指を動かし、それに呼応して、パチンコ玉が側近の男を囲うように広がっていく。
「まあ、いいや。全員殺してから、どうするかは考えるか」
そう呟いた側近の男が小さく笑みを浮かべ、ヒマリはポケットの中でカプセルを掴んでいた。




