9-26.謎の球
こちらが場所をセッティングできると分かった段階で、キクコは相手に悟られないくらいの準備を整えることにした。部屋自体に違和感が存在すれば、喚阿商会側はその異変から罠の存在を訝しみ、交渉を途中で断ち切る恐れがある。違和感は最小限に留めなければいけない。
そういう制限の中でキクコが考えたものの一つが用意されたソファーだった。これは普通のソファーではなく、内部に特殊な金属が仕込まれており、弾丸すらも防げる優れものだった。
もちろん、内部に金属を仕込んでいるのだから、信じられないくらいに重くなってしまうのだが、交渉の最中、用意されたソファーを持ち上げようと考えることはないだろう。
不意な攻撃を警戒して、部屋の壁に意識を向けることはあっても、自身の座るソファーまで警戒することはないはずだ。特に座り心地に違和感がなければ、ただのソファーだと思われるだろう。
その考えが見事に功を奏し、ソファーの陰に隠れたシトやキクコは迫り来る無数の弾丸から、何とか身を守ることに成功していた。ソファーの間に置かれたテーブルが砕かれ、大小様々な破片となっていることを考えたら、ソファーを壁とできるように準備していたことは正解だったのだろう。
「無事ですか……?」
「何とかね……」
シトが小声でキクコに問いかけ、キクコは小さく頷く。突如の銃声が耳を貫き、この距離のキクコの声すらも真面に聞こえない。キクコがシトの方を向いて頷いてくれたのも、声が聞こえたからなのか、雰囲気から察しただけで声は聞こえていないのか、シトには判断がつかない。
とはいえ、無事であることは様子からも分かったので、一旦は安心することにして、部屋の方に目を向ける。
ソファーの傍には、シトとキクコの姿しかない。無数の弾丸がソファーの表面を覆っていた革を撒き散らし、それが視界の一部を覆って、状況の確認を妨げてくるが、ウンモはソファーから離れたところで座り込んでいるように見える。
助けられなかった。状況からシトは察し、後悔が募るが、今はそれに浸る余裕もない。
状況から考えるべき問題は、シトとキクコが何に撃たれたのかという点だった。寸前まで、銃火器の類は見えなかった。寸前で取り出したと考えるには、あまりに弾の数が多いだろう。
一丁で、これほどの弾丸を撃てる銃を隠して持ち運べるとは考えづらい。それを取り出して、シトが変化に気づく前に撃つことが可能であるとも思えない。
隠せるくらいの銃なら、これほどの数を撃つためには数が必要であり、そちらも普通に考えれば不可能だ。単純に銃を隠していて、取り出して撃ったという可能性はあまりに低いと考えるべきだろう。
それなら、何から弾が発射されたのか。物自体の想像はできなかったが、状況から正体を察することは可能だった。
これこそが恐らく、側近の男の怪人としての力である。何らかの手段で銃弾を撃つ、もしくは銃弾を撃てる武器を作り出す、そういう力だろう。
そこまで想定できたことは良かったが、弾丸を発射した方法が明確に分かっていない以上、具体的な対処法も思いつかない。確認したいとは思うが、状況が正確に分からない状態で、下手に確認しようと顔を上げれば、蜂の巣にされる可能性が十二分にある。
何とか、この部屋からキクコを逃がしたいが、そのためにはどうするべきか、と頭を悩ませながら、部屋の出入り口の方をちらりと見たところで、ようやく回復し始めたシトの耳に声が届いた。
「……たのか?」
「……りません。ですが、状況的に避けられたとしても、致命傷は負わせたかと」
二代目と側近の男の声が聞こえる。どうやら、キクコを始末できたのか、確認を取っているらしい。
「なら、ちゃんと殺せたか見てみるべきか」
「いえ、キョウ様。万が一にも、生存して待ち構えていた場合、そこを覗き込むのはあまりに危険です。仮に今は生きていたとしても、確実に助からない状況を作り上げてから、確認しましょう」
二代目と側近の男の会話がそれで終わり、そこから物音がしなくなる。こちらに近づいてくる足音も聞こえてこない。
今、キクコの状態を確認すると言っていたが、こちらに近づかずにどのように確認するのかとシトは疑問に思いながら、顔の違和感に気づく。
いつの間にか、シトはかけていたはずの眼鏡を失っていた。それだけではない。胸ポケットに差したボールペンは折れ、ポケットに押し込んでいた盗聴器は潰れている。
現在の状況がヒマリ達に届いていない。そのことに気づいたシトは自分が何とかするしかないという事実を改めて認識する。
キクコを守り切るためにも、何とか側近の男がどのような手段を使っているのか考えないといけない。そう思いながら、ソファーの向こうを確認しようと視線を上げたシトが、視界を移動する小さな光の存在に気づいた。
チラチラと視界の端を残像にも思える光が移動し、こちらに迫っている。その光の正体が何かと目を凝らし、シトは空中に浮かぶ小さな球体を発見する。サイズも見た目もパチンコ玉のような球体だ。それが浮かんでいる。
そのことに気づいた瞬間、シトは怪人としての力を使っていた。パチンコ玉が何かは分からないが、あれがただのパチンコ玉だとしても、何の支えもなく空中を浮かんでいるわけがない。
物体自体がそうなのか、それとも、浮いている手段がそうなのかは判断できないが、それが側近の男の力と絡んでいることは明白だった。
怪人としての力を行使し、浮かぶパチンコ玉を見たシトがそこに二つの可能性を見る。
一つはパチンコ玉が急激に加速し、こちらに迫ってくるというものだ。速度は銃から発射された弾丸のようで、それら浮かぶパチンコ玉がソファーの陰に隠れるシト達を射抜くというものだった。
そして、もう一つはパチンコ玉の中から弾丸が生み落とされ、それが引き金を引いたように勢い良く発射されるというものだった。数えられる数ではないので、具体的な数は分からないが、空中に浮かぶ十個以上のパチンコ玉が全て銃と等しいということになる。
前者は約六十パーセント、後者は約四十パーセントの可能性を示していたが、その数字の部分はシトからすればどうでも良かった。
どちらにしても、パチンコ玉の次なる行動は攻撃である。ソファーの陰に隠れるシトとキクコを狙って、一気に攻撃してくる。このまま黙って倒れ込んでいたら、蜂の巣になることは間違いない。
それを回避するためには、と考えるだけの時間などなく、シトは咄嗟にキクコの身体を抱えて、ソファーの陰から飛び出していた。
次の瞬間、パチンコ玉から弾丸が発射され、ソファーの裏側に叩き込まれていく。少し前までシトとキクコのいた場所が一瞬でボロボロになり、シトは思わず息を呑む。少しでも回避が遅れていたら、二人は真面に死体すら残っていなかったかもしれない。
そうならなかったことに安堵したのも束の間、ソファーの陰から飛び出したことで、シトとキクコの生存は明白なものとなってしまっていた。
「おい、やっぱり生きてたぞ!」
「驚きましたね。どのような手段を使ったのか……。まあ、どちらにしても、今、始末します」
側近の男はそう言いながら、指先をくるくると回している。それが空中に浮かぶパチンコ玉を操る動きであることは、チラチラとした光の接近ですぐに分かった。
このままではもう逃げ場がない。その事実にシトが絶望し、一瞬、思考を止めてしまった瞬間のことだった。
空中に浮かぶチラチラとした光の傍らで何かが動き、大きく身を起こしていた。そのことに気づいた二代目と側近の男の視線が動き、意識がシト達からそちらに向く。
そこではウンモが銃を構えていた。死亡したかに思えていたウンモだったが、どうやら致命傷は避けられたらしく、身体にいくつかの傷を作りながらも生きていたようだ。
ウンモが銃口を二代目に向ける。そのことに気づいた二代目が咄嗟に身を屈めながら、側近の男に指示を出す。
「そいつを先にやれ!」
その声に反応し、側近の男がパチンコ玉をウンモに向けようとした瞬間、シトも咄嗟に起き上がり、銃を構えていた。狙いは二代目ではなく、側近の男自身である。
シトとウンモは特に何も言わなかった。視線を交わす余裕もなく、ただ状況から、これが最善であると二人して認識したようだ。
二人はパチンコ玉が弾丸を発射するよりも早く、同時に引き金を引いていた。二つの銃口から弾丸が発射され、それが二代目と側近の男に向かっていく。
命中した――とシトが思った直後のことだ。キンと甲高い、金属同士がぶつかる音が響き渡り、シト達と二代目や側近の男との間に、ぽとりと何かが落ちた。
それは二人の放った弾丸だった。
何が起きたのか、シトには理解できなかった。ただ何かに弾丸が阻まれたという事実だけを理解し、シトはゆっくりと青褪める。
失敗した。それが取り返しのつかないことであることは考えるまでもなく分かった。
「よし、そいつを殺れ!」
二代目はそう言いながら銃を取り出した。ウンモを軽く顎で示してから、取り出した銃をシトの近くに座り込むキクコに向けている。
側近の男がウンモを狙い、二代目がキクコを狙っている。このままではどちらか、最悪どちらも死ぬ。
どうしたらいいのか、と真っ白になった頭を必死に動かそうとしたシトの耳に、全く違う音が飛び込んでくる。
それは激しく扉を開く音であり、その音に続く声が切実なものとして耳に届いた。
「お祖母ちゃん!?」
その声に反応したのか、扉が開かれたという事実に怯えたのかは分からない。ただ二代目と側近の男の視線は扉の方に向き、そこに立っているキクノを見つめていた。
そのことをシトやキクノ自身が認識するよりも早く、二代目は視線と共に銃口をキクコから扉の方に向ける。
「ダメ!?」
というシトの声が口から飛び出るよりも早く、引き金は引かれ、銃声が部屋の中に鳴り響いていた。




