9-25.別室にて
シトを見送ってから数分後。ジッパの目の前に置かれたノートパソコンに映像が送られてきた。シトに渡したボールペンからの映像だ。クリサンセマムカンパニーと喚阿商会の話し合いの場が画面に映し出されている。
「取り敢えず、何をしなければいけないか覚えているくらいには冷静だな」
緊張していないわけではないだろうと察していたが、頭が真っ白になるほどではないことが分かり、ヒマリ達は一旦、安堵する。
「音声も問題ないですね」
ジッパが映像より早く聞こえてくる音を聞いて、そのように呟く。映像と音声は別々の方法で送っている。音ズレが生じるのも仕方のないことで、これは十分に想定内だった。
「緊張しているの?」
ジッパの隣でパソコンを覗き込み、やや不安げに表情を曇らせていたキクノを目にして、ミライがそのように聞いていた。キクノは驚いたような顔を見せてから、誤魔化すように唇を動かし、観念したように「少し」と呟いている。
「どうして?」
キクノに何かの役目が与えられたわけではない。見ているだけなら、緊張する必要もないのではないかとミライは感じたらしい。純粋な疑問に当てられ、キクノは困ったように表情を曇らせる。
「知れば判断しなければいけないからだ」
その様子を見ていたヒマリが隣から答え、キクノは驚いたように目を丸くしてから、動揺したように唇を震わせていた。
「判断?」
「これまでは知らないことを理由に、ただ一方的な拒否反応を示せた。ただそれは道理に適った拒絶じゃない。反抗期の子供が親に逆らうようなもので、細い糸一本くらいでも、戻れるだけの繋がりを残すような行動だ」
キクノの起こした反抗は一種の逃避に近かった。自分の向き合うべき問題を放置し、全てを捨て去ることで、新たな自分を手に入れようとする。
だが、そこには本気で変えようとする意思はない。それがあるなら、少なくとも、ヒマリに見つかる程度の場所にはいなかったはずだ。
もっと遠くへ、誰の目にも見つからない場所へ、それくらいの気持ちがなければ、それは子供の家出という表現を抜け出せない程度の行動だった。
「だが、知れば反抗ではなく、決断したことになる。あらゆることを知り、考えた上で、家族から離れることを決断した。そこには相応の決意が乗る。家を出ないと決めても同じだ。これから下す決断は逃げることとは違う。これから先の人生に関わってくるものかもしれない。そう感じているから、緊張している」
キクノが具体的に何を思って、自身が見つめようとしていなかったことを知ろうと思ったかは分からないが、仮にちゃんと決別するための理由を見つけようとしていたとしても、ここでの行動がどのように転ぶか不安に思っていることだろう。
ちゃんと嫌うための理由が見つからなかったらどうしよう、とそう思っているわけではない。
離れるべきと感じた時に、ちゃんと嫌うだけの理由が見つけられるだろうか、と不安に思っているはずだ。
キクノがここにいることを、ここにいると決めたことを考えたら、ヒマリはその気持ちが手に取るように分かった。
本当は家族を嫌いになれない。そういう子であるから、ミライと共鳴し、家族と向き合うという覚悟を決めたのだろう。その気持ちに向き合うだけの行動を見せてあげて欲しいと、ヒマリはこっそりキクコに思うが、そういう部分を口に出すのは無粋である。祈るくらいしかやることはない。
「大丈夫、大丈夫」
ミライがそのように声をかけながら、キクノの手を握る。その手の温もりに安心したのか、キクノの表情から曇りが少し取れ、微笑みながら頷いている。
それから、しばらくして、シト達のいる部屋に来訪者があった。誰であるか確認するまでもなく分かるが、ヒマリ達はモニターを見つめて、そこに現れた人物が喚阿商会の二代目と側近の男であることを確認する。
関係が険悪と言っても、ここでは話し合いが主目的である。別に武器を構えて争い合うつもりではない。始まりは粛々とした雰囲気に包まれていた。
会話はキクコと二代目の間で成り立っていた。片方が意見を言えば、それに反論し、お互いの主張をぶつけながら、議論は進んでいく。
キクコは周囲との調和を求め、二代目はそれを真っ向から否定していた。利益至上主義と言える考え方で、周囲と手を組んで何になるのかと問うてくる。
確かに二代目の考えは事業をする上では正しいだろう。ライバルと手を組んでいても、利益は伸ばせない。どこかで蹴落とすための行動を取らなければいけない。
だが、そのために客を選ばないという手段はあまりに悪手だった。恐らく、二代目はその可能性まで考えられていないのだろう。自分の取引相手が裏社会の人間であることを念頭に置けば、すぐに考えは行きつくはずなのだが、どこかでその意識が低いらしい。
その理由を考えつつ、ヒマリは側近の男が動きを見せないことに疑問を懐いていた。
喚阿商会は社長の交代後、明確に業績が落ちたらしい。それは喚阿商会という名前を界隈で聞かなくなるほどのことだ。先代との取引相手が社長交代を理由に離れたことが原因だろうと言われていた。
それが側近の男の出現を境目にして、急速に業績を伸ばすこととなる。それほどの変化が起きたからには、側近の男が何らかの知恵を貸し、二代目を暴挙とも言える方法に走らせたのだろうとヒマリは考えていた。
しかし、今のところ、話し合いは全てキクコと二代目の間で行われている。ここに側近の男が関与すると思っていたヒマリからすれば、その光景は異様に思えた。
もしも二代目の行う交渉に側近の男が絡んでいないとすれば、会社の業績が上がったことに側近の男が関与していないことになる。二代目が交渉術を学び、それが実を結んだと言うのだろうか。
クリサンセマムカンパニーと取引している相手を奪うほどの結果が本当にそれだけのことで得られたのか。ヒマリは当然のように疑問を懐き、あり得ないと考える。
客の方が馬鹿なら、クリサンセマムカンパニーとの取引を中止し、喚阿商会に乗り換える可能性はあるが、そういう相手は大した数がいないはずだ。クリサンセマムカンパニーとしても、馬鹿を切れて良かったと考えることはあっても、客を取られたと激怒する理由にはならないだろう。
つまり、交渉には秘密がある。その秘密と思われる部分を二代目の様子からは現状見られない。
そのことがヒマリは引っかかり、モニター越しに側近の男を見つめる理由となっていた。
確実に、側近の男には役割がある。そう思うのだが、今のところはその役割が見えてこない。
それは何かと深く考えようとするヒマリの隣で、キクノの焦りの乗った声が響いた。
「お祖母ちゃん……!?」
その声でヒマリは状況が変化し始めたことを知る。話し合いは急速に場が動き、キクコが二代目を煽っている様子だった。
恐らく、二代目が望む結論に傾かないことを悟り、ヒマリの持ち込んだ可能性に賭けようと思ったのだろう。そのために尻尾を出させようと過剰に煽っているようだ。そのことをシトが気づいているかは分からないが、状況からして、自身の役目が近いことくらいは悟っているだろう。ヒマリも警戒しながら、場を見つめる。
二代目の表情が変わったのはその時だった。テーブルを叩きつけるほどに激昂していながら、唐突に落ちついた様子を見せていた。
ヒマリはその変化に察し、シトに無線で声を届ける。
「気をつけろ。何かをする気だ」
そう伝えて、画面の中で側近の男に目を向けてから、ヒマリは場の違和感に気づいた。もう一度、二代目の落ちついた様子を眺めてから、ヒマリはその場を想像する。
シトの前にはキクコがいて、隣にはウンモがいる。二人は年齢から考えても、ヒマリよりも裏社会で長く生きてきているはずだ。様子の変化を察知するくらいはヒマリ以上にでき、何かが起きることくらいはすぐに察してしまう。
それに気づけない馬鹿が今の大きくなった喚阿商会の社長を務められているとは思えない。相手に察知されることが分かっていても、様子を変化させることを選んだ。
いや、相手に察知されると知っていても、気持ちが落ちつくほどの何かがあった、と考えるべきだろう。怒りを怒りのままに抱えている必要はなく、すぐに発散されると分かっていた。
それはどういうことか。ヒマリは考え、すぐに答えに行きつく。
「すぐに部屋から逃げろ!?」
ヒマリがそう叫ぼうとした直前のことだった。
画面の中で映像が激しく揺れ、シトがキクコの身体を引こうとした。それが完遂されたかどうかを示すよりも早く、盗聴器から激しい銃声が鳴り響く。
それは部屋を越え、実際の音として耳に届くほどだった。近くの部屋で発砲が起きている。そう分かるほどの音が鳴り響き、ヒマリ達は騒然とする。
「お、お祖母ちゃん!?」
真っ先にキクノがそう叫び、思わず駆け出していた。
「お、おい!?」
ヒマリが咄嗟に止めようとするが、その手をすり抜けて、キクノは部屋から飛び出してしまう。
「クソッ!?」
ヒマリがすぐに追いかけようとした瞬間、ヒマリの脇を小さく何かが飛び出し、部屋の扉の方に駆けていた。それがミライであることに気づき、ヒマリは一旦、足を止める。
「ジッパ、俺達も行くぞ」
「はい!」
ヒマリの声掛けにジッパは傍らの銃を手に取りながら答え、二人はキクノやミライを追いかけるように部屋を飛び出していく。その最中、ヒマリはポケットの中に仕舞ったカプセルを確認するように何度も細かく叩いていた。




