9-23.独善と共栄
この部屋どころか、建物全体が何かを察したように静かなことが原因だろう。何より、到着は足音から知らされることになった。
扉が開く前から迫る音を聞いて、シトの背筋は自然と伸びる。いよいよ本当に始まると心が盛大に騒めき始める。
扉はゆっくりと開かれた。音を立てないように、あるいは部屋の中に罠があるかもしれないと怯えるように、扉は少しずつ部屋の中に押されていく。
やがて、開き切った扉の向こうに、シトも既に見たことのある顔が二つ並んでいた。一人は喚阿商会の二代目社長であり、もう一人はシトの目的である側近の男だ。写真の中でしか見たことがなかったが、実物の第一印象も写真の印象と然程変わらなかった。
「お待たせしました。御機嫌よう、モモセ社長」
部屋の中に足を踏み入れながら、二代目が口を開く。ねっとりとした話し方が鼓膜にまとわりつくようだ。
「言うほど待っていない。席に座ってもらえるかな?」
ソファーの傍で足を止めた二代目を目にし、キクコが自身の正面を手で示す。二代目はもちろんと答えながら、側近の男に指示を出し、自身の背後に立っているように言ってから、キクコの正面に腰を下ろす。
その途中、二代目の視線がシトで止まる。キクコの背後に立つ見慣れない顔に、興味がそそられたようだ。
「そちらは?」
「うちの社員の一人だ。そちらを出迎えるのが、こんなババアと無愛想な男一人では気分も乗らないだろう?」
キクコは冗談っぽく、そう答えていたが、その説明を聞いた二代目は特に否定をすることもなく、納得したように小さく頷いていた。顔に張りついたニヤニヤとした笑みが気持ち悪いとシトが思っていると、若干、キクコの雰囲気が悪くなっていることに気づく。
もしかしたら、既に交渉は始まっているのかもしれないと、その姿にシトは思った。
「それで、わざわざ呼び出して、何の用でしょうか?」
二代目がそう切り出し、部屋の中に漂っていた空気が変わる。ピンと糸を張りつめたように緊張感が支配し、シトは思わず息を呑む。
「目的は言うまでもなく分かっているだろう? 昨今のそちらのやり方を私達は問題視している」
「こちらのやり方? はて、何のことでしょうか?」
二代目はキクコが何を言っているか分からないと示すように首を傾げ、惚けた顔をする。その姿にキクコは若干の苛立ちを募らせているようだが、それも向こう側の作戦だろうとキクコも思っているのか、空気を変えるように軽く咳をする。
「昨今、そちらは会社の規模を急速に拡大させているな。そのために様々な取引を行い、多くの組織に武器を販売している」
「ええ、ありがたいことに依頼が止まらない状況ですよ」
「余所の会社の方針に口を出すことでもないと分かっているが、その依頼の取り方が少し強引なのではないか?」
「強引? 何のことでしょうか?」
キクコの追及を受けても、二代目は表情一つ変えることなく、先程と同じように首を傾げている。
「私達はただ交渉しているだけですよ。その結果が今です」
「その交渉が強引なのではないかと聞いているんだ。手段の話ではない。他の事業者が懇意にしている客まで取るなど、業界のルールを逸脱していると思わないか?」
キクコの問いかけを聞いた二代目が大きく笑い始める。キクコが何か途轍もない冗談を言ったような反応だが、キクコは真面目に話しているだけであり、その証拠にキクコの表情は微塵も変化しない。
「ルール? 何を言っているんですか? こんなアナーキーな世界で、ルールも何もないでしょう? 他よりも、うちの出した条件が良かった。ただそれだけのことです。客の方が選んだのですから、こちらに文句を言うなど、お門違いにも程がありますよ」
二代目はキクコの言い分を鼻で笑い、来る必要もなかったと言わんばかりに目を逸らす。自身の背後に立つ側近の男を一瞥し、今の時間を聞いている。
「もういいですか? できれば、一秒も時間は無駄にしたくないのですよ」
そう言って、二代目が立ち上がろうとする。事前に喚阿商会が交渉に応じたのは、何か行動を起こすためかもしれないという話をヒマリ達から聞いていたので、シトはその行動に思わず驚きそうになる。
が、何とか耐えたところで、キクコが立ち上がろうとする二代目を押さえつけるように声を発する。
「まだ話は終わっていない」
「何ですか? こちらの仕事に関することなら、そちらの逆恨みという話で終わったと思いますが?」
「そちらは今、この世界がアナーキーだと言ったが、それなら一層、ルールは必要なはずだ。そうしないと、自分達の身すら常に危険に晒されることになる」
「自分の身くらい自分で守ればいいでしょう?」
「他の商人の仕事を奪うのも、守り切れない商人が悪いと?」
二代目の言い分を確認するようにキクコが聞くと、二代目は大きく頷き、「当然」と口にする。
「上客を手放したくないなら、そうならないように手を尽くすべきだった。誰がそうしましたか? 何もしなかった。だから、全てうちで引き取ったんです」
「奪い取ったの間違いだろう?」
「いいえ、これは保護のようなものですよ。彼らにとって、より条件のいい相手と取引するのは、大きな利益となりますから。貴女達のような組織に飼い慣らされているなど、あまりに可哀相だ」
キクコがどれだけ押そうとしても、二代目はぬらりくらりと身を躱し、キクコの追及を受け止める様子がなかった。
あくまで全ては客を取られた会社が悪いと告げ、その度にキクコの雰囲気が悪化する。そのことにシトとウンモは緊張や恐怖を懐かずにいられなかった。
「他の武器商人はそちらのやり方を認めていない。その証拠に署名を募ったら、これだけの量が集まった」
そう言って、キクコが紙束をテーブルの上に置く。それは事前にクリサンセマムカンパニーが準備していたものらしく、シトはその紙の内容も存在も知らなかった。
「規模の差はあれど、数百人の武器商人がそちらの手段を強引だと判断し、抗議のための署名を行ってくれた。分かるか? 君達の方針は周りの誰も認めていない」
「だから、どうしたと言うのですか? 貴方達に認められるかどうかなど興味がない。そもそも、その署名、本物ですか?」
「当たり前だ。これはうちの社員が駆け回って集めた――」
「なら、余計に意味はありませんね。自然と集まったものではなく、かの有名なクリサンセマムカンパニーが集めた署名でしょう? 喚阿商会を恨んでいないとしても、クリサンセマムカンパニーの圧力があったら、名前を書くしかありませんよ」
この署名はどうせ、クリサンセマムカンパニーが自身の所有する権力を振り回し、無理矢理に書かせたものだろう、と二代目は断言していた。
もちろん、キクコを始めとするクリサンセマムカンパニーの面々はそのようなことを一切していないが、二代目が聞く耳を持たない以上、クリサンセマムカンパニーが集めた書類に意味はない。
仮に、実際の声が届いたとしても、それすらもクリサンセマムカンパニーの圧力が生み出した結果であると言われたら、議論は平行線を辿ることとなるだろう。それで済んだらいいが、今の喚阿商会はクリサンセマムカンパニーに勝るとも劣らない権力を有している。
もしも二代目が指摘したことを喚阿商会が自身の手で行えば、クリサンセマムカンパニーは喚阿商会を潰すため、周囲の同業者に圧力をかけたことになってしまう。
それが事実でないとしても、実際に証人がいる状況で、噂が広がってしまえば、クリサンセマムカンパニーの信頼は地に落ちることだろう。
キクコの用意してきた手は封殺された。そのことをキクコも察したのか、署名の束を仕舞おうとする一方で、キクコは不思議そうな眼差しを二代目に向けていた。
「どうして、それほど孤立する方を選ぶんだ? 周囲との関係性を蔑ろにしてまで何がしたいんだ?」
交渉など手前に置いて、心の底からの疑問が湧いてきたのか、キクコはそれまでとやや声音を変え、二代目に正面から疑問をぶつけていた。
二代目はその疑問を鼻で笑い、キクコが異常であると言わんばかりに冷ややかな目を向ける。
「何を言っているんですか? 同業者はライバルですよ? そのライバルと手を取って、何の意味があるんですか? 一人でも多く、他の会社よりも客を捕まえる。そうして、会社を大きくしていく。それ以外の目的があるとでも?」
二代目はそれが当然のように語るが、キクコはその考えに潜む危うさを感じ取っているのか、静かにかぶりを振っていた。
「それでは摩擦が生じるだけだ。手段を選ばない、相手を選ばない。そういう方法では、いつか綻びが生じ、取り返しのつかないことになる」
キクコは目の前の二代目が間違った道を進んでいることを気に病んだのか、説得するように告げていたが、二代目は聞く耳を持たなかった。キクコの言葉を鼻で笑い、「邪魔が生じるなら、ただ処理するだけです」と強気な発言をする。
「そういうことじゃない。何も分かっていないのか? 先代はその辺りをちゃんと理解し、判断できる人物だったというのに」
目の前にいる二代目と比較し、先代の手腕が優れていたことを思い出したのか、キクコががっかりするように呟いた途端、二代目の表情がそれまでと比較して、明らかに変化していた。
それまではどこかキクコを見下した態度こそ取っていたが、感情的な部分を見せようとしていなかった二代目が、一瞬で表情に怒りを露わにし、目の前のテーブルを強く叩く。
「あの男の話をするな……!?」
静かに腹の底から震える声を発し、キクコはその二代目の変化に驚きながらも、何かを察したのか、口元に小さな笑みを浮かべる。
「そうか。先代のようになれないことを気にしているのか?」
「うるさい!? そんなわけがあるか!?」
二代目が声を荒げ、力強くテーブルを叩きながら、その場で立ち上がる。その勢いと表情に強い怒りが見られ、シトは肌に突き刺さるほどの強い緊張感に襲われる。
一触即発。部屋の中の様相は、正にその言葉が相応しかった。




