9-22.託された命
迎えたクリサンセマムカンパニーと喚阿商会の話し合いが行われる当日、その話し合いに同席――あるいは、モニタリング――するため、ヒマリ達はクリサンセマムカンパニーの本社を訪れていた。
話し合いの場に同席するシトの役目が件の側近の男を見極めることであるのに対して、話し合いに同席できないヒマリ達の負った役目は、有事の際にキクコ達を守ることである。
そのため、話し合いが行われる部屋の近くで待機することになっていたのだが、当日、シトは話し合いが行われる予定の時刻まで、その部屋で最終確認を行っていた。
ヒマリがシトの前に一本のボールペンを突き出し、クリップ部分に指を添える。シトやその傍にいたミライがヒマリの指に吸い込まれるように、ボールペンのクリップ部分を凝視し、その中に小さな違いを発見する。
「この根元の部分、ちょっと無駄に膨らんでる?」
「ボタンみたいになってる」
「ボタンみたい、じゃなく、これはボタンだ」
「何の?」
「カメラ」
そう言って、ヒマリはボールペンをくるりと回し、今度はノック部分に指を向ける。シトとミライの目はクリップ部分からノック部分に移り、そこにも普通のボールペンには見られない異様な部分を発見する。
「これがレンズ。さっきのボタンを押したら、ここで映像の録画が開始する。リアルタイム視聴も可能な優れものだ」
「そんなものをどこで?」
シトの部屋にもカメラなどの道具は置いてあったが、それはあくまで日常的なものであり、このような普通の生活では使わない機能のついたものは置いていない。
どこから手に入れてきたのかという純粋なシトの疑問に対して、ヒマリは僅かに目を逸らし、特に何かを答えるわけでもなく、ボールペンをシトに手渡してきた。
「こいつを持って、話し合いの場に行け。話し合いが始まる前にボタンを押して、レンズの方向を気にしながら、胸ポケットに差しておくんだ。そうしたら、この部屋で俺達も部屋の様子が見られる」
「それは分かったけど、どうして、どこで手に入れたのか触れないの?」
「スイミ、大人になれ。相手の気持ちを察した行動を心掛けるんだ」
ヒマリがちらりとミライに目を向け、顔を見られたミライが不思議そうに小首を傾げる。その様子を見たシトは、ボールペンにつけられたカメラという機能から、ヒマリが何を隠しているのか何となく察する。
「それから、これもポケットに忍ばせておけ」
ヒマリはそう言いながら、今度は小さな黒い箱を取り出した。それを受け取り、手の中で良く観察したシトが首を傾げ、ヒマリに不思議そうな目を向ける。
「これは何? 消しゴム?」
「ボールペンなら消しゴムは使わないだろう? そいつは盗聴器だ」
「何で、こんな物が?」
「そのボールペンはあくまで映像を送れるだけだからな。音を聞くなら、そいつがいる」
シトはどうして盗聴器がここにあるのかという意図での質問だったが、ヒマリは勘違いしたのか、あるいは誤魔化したのか、少しずれた回答が返ってきたものの、シトはそれを深く追及しようとは思わなかった。ボールペンのこともあるので、こちらも何となく察することはできた。
「それから、こいつも用意した」
そう言って、ヒマリが次に取り出したものは眼鏡だった。
「これもあれじゃない? カメラじゃない?」
フレームの部分にカメラが仕込まれた眼鏡をシトは以前に何かで見たことがあった。これもそういう類だろうと思ったのだが、ヒマリはかぶりを振る。
「そんなにいくつもカメラがあっても仕方ないだろう。こいつはこの部分が無線機になっている」
ヒマリは眼鏡の蔓の部分に触れ、先程のボールペン同様、そこにあるボタンと思われる膨らみをシトやミライに見せてくる。
「これがスイッチ。押したら、他の無線機と通信できるようになり、一方的に音声を受信できる。この蔓から骨伝導でかけている人に直接、音が届く仕組みだ。これで何かあれば、こちらから指示を出す」
「こっちからは連絡できないの?」
「仕様上できないが、そうではないとしても、状況的にそちらから連絡を取るのは難しいだろう。音自体は聞いているが、こちら側に話そうとは考えない方がいい」
少しでも異様さを察知されたら、尻尾を出さないどころか、こちら側の始末を最優先に考え始める可能性がある。キクコを何としてでも守らなければいけない状況で、相手を刺激するようなことは避けたい。
シトはヒマリの忠告に素直に頷き、与えられた道具一式を確認する。これらはあくまでヒマリ達に状況を伝えるための手段であり、これらがシト達の身を守ってくれるわけではない。
万が一の際には、自分自身で身を守るために行動しなければいけない。そのことを改めて思い出しながら、シトは渡された道具を身につけていく。
「スイミさんに渡すものはそれだけですか?」
その一連のやり取りを少し離れた場所から眺めていたジッパが、ヒマリにそのように質問していた。
「銃とか渡さないんですか?」
シトの怪人としての力には攻撃手段がない。ヒマリから渡された道具があくまで状況を知るためのもので、身を守るための道具が何もないことにジッパは不安を覚えた様子だった。
「銃自体は頼んである。後で百瀬倚久子から受け取ってくれ。流石に立場上、目立てないからな。私物で武器は用意できなかった」
忘れそうになることだが、ヒマリも怪人である。超人に見つからないように行動しようとしたら、それなりに制限がかかるはずだ。
武器が用意できないことなど当然のことであり、寧ろ、その中でこれだけの道具を揃えられたことの方が凄いと言えた。
ヒマリの説明に納得したのか、大人しくなったジッパを横目に、シトはボールペンを胸ポケットに差し、盗聴器をポケットに忍ばせ、無線機つきの眼鏡をかける。
それらはちょっとした動きであり、大したことではなかったが、一つ一つの準備が終わっていくほど、シトは物事が着実に進んでいることを感じてしまい、ゆっくりと緊張感に襲われ始めていた。
もうすぐ始まる。その意識が強まれば強まるほど、シトの表情は強張り、息は浅くなる。
「もう一度、確認する。お前の役目は喚阿商会の二代目の側近が怪人であるか確認することだ。クリサンセマムカンパニーと喚阿商会の話し合いに参加する必要はない。クリサンセマムカンパニー側の人間として、その場にいるだけでいい。お前はあくまで側近の男に集中しろ」
ヒマリに改めて自身の役割を説明され、シトはゆっくりと覚悟を決めながら、分かっていると頷いてみせる。
「有事の際には俺達も向かうが、駆けつけるまで時間がかかる。たった数秒だとしても、命のやり取りの中では大きな時間だ。事態が深刻にならないよう、お前は絶対に百瀬倚久子を守れ。分かっているな?」
「大丈夫。最優先に動くから」
「言っておくが、自身の身を犠牲にして守ろうなどとは考えるなよ。相手は怪人かもしれないんだ。知識のあるお前がいなくなれば、俺達が駆けつける前に一瞬で殺されるぞ」
「分かってる。私自身も助かるように動くから」
できるだけ、と言いかけた言葉を飲み込み、シトは頷く。その様子を見たヒマリがシトの考えを察したのか、溜め息をついていたが、それ以上の追及はなかった。
「シト」
シトとヒマリのやり取りを見ていたミライがそう名前を呼びながら、シトの手を握ってきた。
「何かあれば、すぐに駆けつける。だから、死なないでね」
ミライに懇願するように言われ、シトは微笑む。ミライにはっきりと言われてしまった手前、シトは自身を犠牲にするなど考えられるはずもない。
もちろんと答えるようにシトは頷き、ミライの手を強く握り返す。
何としてでも生き残る。その決意が自然と固まっていく。
そこでシト達のいる部屋の扉がノックされた。ヒマリが声をかけると、キクコの側近という男が顔を出し、時間であることを伝えてくる。
シトは頷き、ミライに行ってくることを伝え、部屋を一人で出ていく。そこで側近の男から簡単な説明と銃を手渡され、シトはゆっくりと水を掬い上げるように銃を受け取る。
「何か起きた際には、私も社長も貴女の指示に従います。絶対に社長を死なせないでください」
「貴方は?」
自分自身のことなど関係ないと言わんばかりに、キクコのことを頼んできた側近の男を前にし、シトは思わずそう聞いていた。
「私のことは何かあれば、都合のいい壁としてお考えください。社長を守れるなら、私はこの身を捧げる所存ですから」
覚悟の決まった声を聞いて、シトはこの人の命も自身が預かっているという事実を実感し、寒気を覚える。本当に大丈夫なのかという不安が込み上げてくるが、今更、無理とは言えない。覚悟を決めるしかない。
「あの最後に一ついいですか?」
「何でしょうか?」
「貴方のお名前を伺っても?」
「私は雲母斎内と申します」
そうウンモが名乗ったところで、シト達は目的の部屋に到着する。その部屋の中ではシトの到着をキクコが待っていて、喚阿商会の面々が到着するまで、しばらく待機することになるのだった。




