9-21.不穏な決定
クリサンセマムカンパニーが如何なる手段を用い、どれくらいの労力をかけて、その結果を手に入れたのかは分からないが、翌日には喚阿商会との場が無事にセッティングされたという連絡が届き、その予定日がその日の翌日――つまり、ヒマリがクリサンセマムカンパニーに話を持ち込んだ翌々日――に決まったと聞いて、ヒマリ達は驚愕することになった。
クリサンセマムカンパニーという会社が業界内で絶大な力を有していることは知っているが、今の喚阿商会はそれを恐れることのない暴挙に出ている最中だ。キクコがどれだけの圧力をかけても、喚阿商会が応じない可能性は十分にあったはずだが、結果的にはかなり直近の予定が組まれたということにヒマリは若干のきな臭さを感じていた。
クリサンセマムカンパニーが喚阿商会の存在を疎く感じているように、喚阿商会もクリサンセマムカンパニーの存在を疎く感じている節はあるはずだ。どれだけ喚阿商会が力を有しても、キクコとの関係性などから、喚阿商会に流れない客は一定数いるだろう。
クリサンセマムカンパニーがなくなれば、そういう客が全て喚阿商会の手に渡ることを考えたら、喚阿商会が何らかの強硬手段に出てもおかしくはない。
今回の話の決定はそういう側面も有しているかもしれないと考えたら、ヒマリは自分達の存在が今回の話し合いの中で、重要な地位を占めることになるかもしれないと感じ始めていた。
そのこともあって、ヒマリは話し合いの当日まで保留にしておく予定だったクリサンセマムカンパニーへのシトの紹介を、その前日には行っておく必要があると考えを改めることになる。一日程度で信頼が芽生えるとは思っていないが、当日に顔を合わせて、すぐに息を合わせろと言われても、難しい部分の方が大きいだろう。
少なくとも、前日から相手の様子を知ることで生まれる連携もあるはずだ。そういう部分を考えたら、前日に行っておくのがベストという結論に至っていた。
そのため、ヒマリは喚阿商会との話し合いが行われる前日、シトと共にクリサンセマムカンパニーの本社を再び訪れることとなった。
今日は事前にアポを取っての来訪である。キクノの写真を見せるまでもなく、ヒマリの名前を告げるだけで、すぐにキクコの待っている部屋に通された。
キクコの方は紹介するまでもなく、シトは部屋に入った段階で、そこにいるのがキクコであると察した様子だった。表情の中に若干の緊張が見られ、ヒマリはこういう状況で緊張する質なのかと、シトの変化を意外に思う。
対してシトの方はそうも行かない。ヒマリ達が部屋に足を踏み入れた段階で、表情が厳しくなったキクコに対して、ヒマリはシトが怪人であるということを若干、迂遠な言い方をしながら、紹介する。
「ほう、この子がね」
シトのことを伝えたキクコがそう言って、シトの顔や身体を食い入るように見ている。興味があるというよりも、どれくらい使えるか値踏みしている様子だ。シトもそれを感じ取ったのか、自然と背筋が伸びている。
「そうは見えないがね」
「そう見えていたら、喚阿商会はここまで自由にやっていないだろう?」
この先の目的を引き合いに出し、ヒマリがそのように聞くと、キクコは納得したのか、最初から分かり切っていることを口にしていたのか、ヒマリの言葉に相槌を打ちながら、ようやくシトから視線を外していた。
「それで、わざわざ前日に押しかけてきて、まさか、その子を紹介するだけかい?」
話の終わりを感じさせる振る舞いをキクコが見せ、シトが戸惑ったようにヒマリを見てくる中で、ヒマリはゆっくりとキクコの前に身体を寄せていた。
「どこまで考えているんだ?」
「何がだ?」
「今回のこと。どういう手を使ったか知らないが、明らかに状況が早過ぎる。向こうにも、それなりの考えがあると考えるべきだろう?」
ヒマリが忠告するように聞くと、キクコはつまらなさそうにふんと鼻を鳴らした。
「言われるまでもない。それくらいのことは分かっている。だから、場所はこちら側がセッティングすると告げた」
「それで向こうは飲んだのか?」
「ああ、二つ返事でね」
喚阿商会との交渉の様子を説明しながら、キクコが若干の笑みを浮かべたことで、ヒマリはキクコがどこまで考えているのか察し、表情を曇らせることになった。
「死ぬ気か?」
「そこまでのつもりはないが、そういう展開も待っているかもしれない。そうならないようにその子が守ってくれるなら、話は別だがね」
キクコがシトに視線を向け、シトは困惑した表情を浮かべていた。恐らく、ヒマリやキクコが何を考えているのか、まだ察していないのだろう。話が物騒な方向に転がっていることだけが分かり、不安を募らせているように見えた。
「相手の場に飛び込むことに躊躇いがないのは馬鹿か、もしくは相手の土俵の上でも問題がないと言えるくらいの自信があるかのどちらかだ」
馬鹿であることを望みたいところだが、喚阿商会の手腕を考えたら、その可能性は低いだろう。そうなれば、必然的に後者の理由であると考えられる。
相手の土俵の上でも問題ないと言えるほどの自信。それは即ち、間接的に喚阿商会の持つ力を宣告していることに等しく、その力の正体を何となく察しているヒマリ達からすれば、怪人を連れていくという堂々たる宣言にも聞こえた。
「向こうに怪人がいると仮定して、その力は分かっていない。こちらが場を用意しても、問題ないと言えるくらいのものなら、その力は非常に攻撃的である可能性が高い」
その状況で細かな判断を下し、シトはキクコを守らなければいけない。もちろん、自分自身の身も含めてのことだ。相手がどれほどの力を持ち込んだとしても、そこで殺されてしまったら、喚阿商会を抑制する力が弱まり、喚阿商会は――その背後にいるかもしれないヴァイスベーゼは――ヒマリ達の手に及ばないほどに勢力を強めてしまうかもしれない。
シトに委ねられた役目がどれほど重いものなのか、今のヒマリの説明で改めて実感したのだろう。シトの表情は知らされた状況の深刻さも相俟って、曇ったものに変わっていた。
その表情を見たキクコが不安そうにするわけでもなく、諦めるように深い溜め息を吐く。ヒマリも同じ立場なら、同じような反応をしていたことだろう。
自身につくはずのボディーガードが自信のなさを前面に押し出しているのだ。もうどうしようもないと両手を上げても仕方がない状況である。
「大丈夫、です」
その空気を察したのか、あるいはそう言うことで自身を鼓舞したかったのか、シトはやや震えた声でそのように呟く。
「そうは聞こえないが?」
「大丈夫です、絶対に」
シトは自身の様子を指摘され、その怯えた振る舞いを取り繕うように、言葉を重ねていく。
「絶対に皆が助かる方を選びますから」
シトの怪人としての力を知らないキクコからすれば、シトが何を言っているのか理解できなかったことだろう。それでも、キクコはシトの表情をじっと眺めてから、そのことを深く追及するわけでもなく、納得したように「そうかい」と呟いていた。
最初こそ曇った表情をしていたが、今のシトは決意に満ち満ちた目をしている。そのことがキクコを納得させる要因となったのかもしれない。
そうであるなら喜ばしいところだが、ヒマリはそう思い切れない部分もあり、自信満々に宣言するシトの様子を不安げに見てしまっていた。
最初から何があったとしても、問題のないように準備は整えるつもりではあった。そのために必要なものも事前に考えてはいたが、その内容をもう少し充実させる必要があるかもしれない。
ヒマリはそのように感じながらも、シトとキクコの顔合わせ自体は何事もなく、無事に終わりを迎えるのだった。




