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アンビリーバーズ  作者: 鈴女亜生


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9-19.大役の適任者

 ヒマリが部屋の扉を開けた時、そこは昨日の出来事を思い出させるほどの静けさに満たされていた。メモ一枚を残して、蛻の殻となった昨日の部屋を思い返し、ヒマリは一瞬、キクノがいる状況で外出したのか、とミライ達を疑ってしまう。


 だが、それも本当に一瞬のことで、すぐにそれが冤罪であると、ヒマリに知らせるように部屋の奥から足音が聞こえてきた。リビングに通じる扉が開かれて、奥からミライとジッパが顔を出す。


 どうやら、ヒマリ達が帰ってくるのを待つこと自体か、それともヒマリ達の帰宅が想像以上に遅くなったことか、具体的にどの部分にそう感じていたのかは分からないが、ミライ達はヒマリ達が帰ってくるまでの間、緊張感に苛まれていたようだ。自然と口数も、何かしらの行動の回数も減り、部屋の中が静けさで満たされることになってしまったらしい。


 それがついにヒマリとブラックドッグが帰宅したので、少なくともジッパを覆っていた緊張感は少し和らいだ様子だった。分かりやすくジッパの表情は緩み、安堵を感じさせる柔らかな笑みを浮かべている。


「おかえり」


 ミライがヒマリとブラックドッグの姿を確認し、すぐに口を開く。それにヒマリが返答を思い浮かべるよりも早く、ブラックドッグが靴を脱ぐヒマリの隣で声を発した。


「ただいま」


 そのさも当然のように発せられた言葉に、ヒマリはいくつか思うことがあったが、それらの茶番を生む多くの言葉は飲み込み、ヒマリはキクノの前では不用意に喋らないよう、ブラックドッグに注意する。

 それを言われ、自身がミライからの挨拶に返答していたと気づいたのか、ブラックドッグはやや驚いたように目を見開いて、ぽかんと口を開けていた。黒い毛に覆われて分からないが、もしかしたら頬は紅潮しているのかもしれない、とヒマリは想像する。


 ヒマリは靴を脱ぎ終えると、ブラックドッグのリードを掴んだまま、ミライやジッパの待つリビングに足を踏み入れていた。先程は顔を出さなかったが、シトもそこで待っていて、部屋にヒマリ達が入っていくと、「おかえり」と軽く挨拶を口にする。

 リビングに足を踏み入れた直後から、ヒマリは自然とその場に見当たらない、もう一人の姿を探していた。リビングを隅々まで見渡し、その場にいないことを確認すると、ヒマリはミライに視線を向ける。


「百瀬綺久乃はどうした?」

「部屋にいる」


 ミライがキクノに与えた部屋の方を指差し、そう告げた。キクノにトラウマを植えつけたであろうブラックドッグを連れて、この部屋を後にした段階で、ヒマリはキクノが出ていく可能性も考えていた。もしそうなったとしても、キクノの存在が交渉に具体的な影響を及ぼす可能性は少ないだろうと考えていたので、致し方ないことであると割り切るつもりではいたのだが、まだ大人しく部屋に残っていると聞き、ヒマリはキクノが何を考えているのか、少し気になりつつあった。


 具体的にヒマリ達がいなくなった後に何かがあったのかは分からないが、こっそりと逃げ出すこと自体はそこまで難しくないはずだ。逃げないように監視しておくことを命令していない以上、ミライやシトがしつこく縛りつけるはずはなく、ジッパの目を欺くのは子供を騙すよりも簡単である。


 その状況でも逃げないことを選んだというのなら、後でキクノの様子を見に行く方がいいかと考えながら、ヒマリはリビングのソファーに腰を下ろしていた。

 キクノが隣の部屋にいるのなら、説明を曖昧にする必要もなく、今回の収穫をミライ達に報告できるというものだ。今の内に伝えておくべきだろうと考えるヒマリの思考を読んだのか、立っていたミライがソファーに座り、そのことに気づいたジッパも近くから椅子を引っ張っている。


「それで、どうだったの?」


 ジッパが椅子に座ったところで、シトがヒマリを促すように聞いてきた。ヒマリはどこから説明するかと考えてから、まず斯波兄弟のところで手に入れた情報を三人に話していく。


「喚阿商会は今の二代目に社長が代わってから、かなり業績を落としていたらしい。先代を慕っていた客が一気に離れたという噂だ。そこからしばらくは少なくとも、界隈から少し離れたところにいる俺の耳には喚阿商会の状況が入ってこないほど、会社の経営は傾いていた。が、それも少し前までのことのようだ。最近は一気に業績を伸ばしているらしい。先代の時と同じか、それ以上に会社の規模が拡大しているそうだ」

「それだけの変化が起きた時期って……?」

「例の側近が現れた頃だろう。そこで明確に会社の方針も、実際の業績も変化した。かなり臭う話だな」


 喚阿商会とヴァイスベーゼの関係性について、現時点ではあくまで可能性の域を出ていない。実際にヴァイスベーゼとの間に取引が発生しているのかどうかは、喚阿商会の内部を覗く必要があるが、それだけの力は今のヒマリ達にはない。


 だが、外側から集められる情報だけでも、その疑惑が深まるだけの状況証拠が揃いつつある。後は決定的な証拠さえ掴めれば、喚阿商会を叩く明確な理由が生まれ、その先にいるヴァイスベーゼにも、大きな影響を与えることができるはずだ。

 その手前まで歩みを進めていることを確認しながら、ヒマリは更にその先の情報を三人に伝えていく。


「ただ喚阿商会の仕事はかなり強引らしく、他の武器商人との関係性がかなり悪化しているらしい。特にクリサンセマムカンパニーは客を多く取られているようで、社長の百瀬倚久子はご立腹ということだった」

「クリサンセマムカンパニーの社長ってことは、キクノちゃんの御婆様?」

「ああ、だから、例の写真を使って、クリサンセマムカンパニーに乗り込んできた。上の人間と逢えたら、深く話ができるかと思ったが、まさかの社長直々に出てきてくれてな。そこでいろいろと話してきた」


 斯波兄弟のところで情報を手に入れてくるとは言ったが、クリサンセマムカンパニーとの交渉がどの程度まで膨らむかは事前に話していなかった。その部分は情報の内容次第で変わるところであり、実際に話をつけるところまで行けるとはヒマリも考えていなかったからなのだが、実際には話がまとまる段階まで行ってしまい、そのことを今になって知ったシトやジッパは分かりやすく驚いていた。


「ちょっと待って。もう話してきたの?」

「ああ、喚阿商会との関係をつつきながら、こちらの持っている情報を少しずつ開示して、こちらの目的を通すように交渉してきた」

「それで、どうなったんですか?」

「まあ、一旦、目的は達成できたな。クリサンセマムカンパニーが喚阿商会と話をつける場に、席を用意してもらえるらしい」


 あまりにヒマリの行動が早く、シトもジッパも焦った様子を見せていたが、結果的には話がうまくまとまったと分かり、二人の表情は途端に和らいでいた。


「そんな急に逢いに行って、良く追い返されなかったね」

「まあ、孫の写真を持っていったのと、後はこいつだな。流石に俺が犬連れで逢いに行ったら、何かあると察してくれたらしい」


 ヒマリがリードを引くと、ブラックドッグが鬱陶しそうに顔を上げる。これもキクコ本人が出てきてくれたから、犬を連れている異常性に何かあると察してくれたが、キクコの側近の男が相手だったら、部屋に入ってきた時点で追い返されていただろうと考えると、本当に運が良かったとヒマリは今更ながらに実感する。


「一旦なの?」


 そこで安堵した表情を浮かべていたシトやジッパと違い、じっとヒマリの話を聞いていたミライが不思議そうに呟いた。その一言を聞いて、ヒマリが少しぼやかした言い方をしたことに気づいたのか、シトやジッパの表情が少し強張る。


「何かあるの?」

「いや、大したことじゃない。ただ大役を任せることになるだろうから、少し言い淀んだだけだ」

「大役?」


 首を傾げるミライに頷いてから、ヒマリはシトに目を向ける。シトはこの状況で視線を向けられたことに何かを察したのか、表情を強張らせたまま、小さく「まさか」と呟いている。


「話し合いの場に同席して、二代目の側近が怪人かどうか見極める役目はスイミ、()()()()()()

「わ、たし……!?」


 ヒマリから直々に任命され、シトは大きく驚きながら、自身の顔を指差していた。その反応に戸惑うことなく、ヒマリは冷静に頷くと、部屋の中にいる面々を順番に指差していく。


「俺とジッパは大岐土組の関係者として顔が割れている可能性が高い。クリサンセマムカンパニーの関係者に、大岐土組の関係者が同行していたら、何か怪しいと疑われるだろう? 出してくれる尻尾も出してくれなくなるかもしれない」

「それは……確かに……」

「となると、残りは三人になるが、その三人の内、一人はまだ子供で、もう一匹は犬だ。当然、話し合いの場に連れていけるわけがない」


 ミライとブラックドッグを順番に指差し、ヒマリの指は自然と残されたシトに向かう。


「つまり、その場に同席できるのはお前だけだ」

「なるほど……」


 ヒマリの任命にシトは戸惑っている様子ながらも、受けた説明で自身が選ばれたことに納得はしたようだった。確かに、この場にいる面々では自分しか素性を隠せる人物がいないと考えているのか、表情に浮かんでいた戸惑いが少しずつ消え、真剣に考え込むものに変わっていく。


「他にも手段は用意するつもりだが、その場に同行できる人物が一番、近くで側近の男を観察できるはずだ。怪人かどうかの見極めも、お前にかかっている。が、十分にお前ならできると俺は思っている。どうする? 断るなら、他の手段を考えるが、正直なところ、これが最良だ」


 ヒマリがそう告げると、シトは深々と頷いてから、大きく「うん」と声を発していた。


「分かった。その役目は私がやる。私にしかできないなら、ちゃんとやってみせる」


 そう言いながら、膝の上でシトの拳が力強く握られていることにヒマリは気づき、小さく頭を掻く。昨日から何かを隠しているようだ、とヒマリは察しながらも、シトの決意に水をかけないよう、ヒマリはシトに「頼んだ」と声をかけるのだった。

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