9-18.決断の鳴き声
ヴァイスベーゼ。それは怪人や超人に対する知識が薄くても、一度は聞いたことがあるというほどに名前が広がっていた。ヒマリの説明を受ける中で、キクコが頭の中に思い浮かべていた名前も、恐らくはヴァイスベーゼだったのだろう。ヒマリが明確に言及した時、キクコの表情は驚きと共に納得が生まれていた。
しかし、頭の中に思い浮かべていたからといって、それで突きつけられた名前を受け入れられるかは話が違う。酒鬼組が関係している組織として、ヴァイスベーゼの名前を口に出しても、二人の反応は懐疑的だった。
「酒鬼組が怪人の組織と手を組んでいる? 本気で言っているのか?」
「こんなところに来てまで冗談を言う趣味はない。酒鬼組の関係者とヴァイスベーゼの怪人が共に行動していることは確認済みだ。二つの組織が繋がっていることは間違いない」
ここまで手の込んだ状況を作り上げて、キクコに法螺を吹聴する異常者であると思われているなら、ヒマリの言葉の信憑性は低くなるかもしれないが、これまでのヒマリの立ち回りが冗談を語っているとは考えづらいものだったからだろう。キクコだけでなく、キクコの背後にいる側近の男でさえ、怪訝な表情を浮かべながらも、絶対に嘘であるとヒマリの言葉を糾弾できない様子だった。
ヒマリは今が勝負の時であると判断し、未だ情報の処理が終わらない様子のキクコに向かって、どんどんと言葉を投げ込んでいく。
「酒鬼組の目的は勢力の拡大だ。怪人の力を利用することで、裏社会での地位を絶対的なものにしようとしている。一方で、ヴァイスベーゼの目的は恐らく、酒鬼組の持つ裏社会での繋がりだ。酒鬼組の紹介で様々な勢力の手を借り、最近話題になっているような大規模な行動を起こそうとしている」
ヒマリは全てを説明したわけではないが、そこまでを語れば、具体的な部分はここまでの情報と合わせて理解できるはずだ。実際、キクコの表情は変わり、面倒なことを抱えてしまったと言わんばかりに溜め息をついていた。
「つまり、喚阿商会はヴァイスベーゼと接触し、今度、超人の施設を襲うための武器を卸しているということか?」
「二代目の側近が仮にヴァイスベーゼの怪人であるなら、裏でそういう行動を進めていてもおかしくはないはずだ」
「仮にそんなことが起きてみろ。事態は喚阿商会だけの問題ではなくなる」
「だろうな。だから、話を持ち込んだんだ」
怪人組合がヴァイスベーゼの行動を懸念するように、クリサンセマムカンパニーは喚阿商会の行動が引き起こす可能性を考えなければいけない。武器の入荷ルートも潰れる可能性があれば、販売先の組織にまで影響を及ぼすかもしれない。最悪の場合、規制強化の煽りを受けて、倒産という可能性も十分に考えられる。
これは他人事ではない。話を持ち込むに当たって、そう判断されると思っている部分も大いにあった。
「待ってください、社長。それは全て、その男の話が本当だった場合の話です。ヤクザが怪人と手を組んでいるなどという話はこれまでに聞いたことがありません。そもそも、そんな話をどこで手に入れたのか、確認したと言っていますが怪しいところです」
側近の男がキクコに冷静さを取り戻させるようにそう告げる。実際、その指摘は全うであり、ここまでの話でヒマリの話の全てが信用されるとは考えていなかった。
キクコも同じことを考えていたのか、側近の男の言葉に頷き、ヒマリの顔をじっと見つめてくる。
「その目で確認したということを持ち込んだわけではないよな? 何かしらの証拠があって、それで話を持ってきたのだろう? その証拠を見せろ」
ヒマリの言葉を信じるためには証拠が必要である。そう言われることくらいはヒマリであるなら分かっているはずだとキクコは語っていた。
それはヒマリに対する一定の信頼があるということであり、その信頼をヒマリは裏切るつもりがなかった。そこまで信用されているなら、ヒマリはここまで慎重に話を進めてきた甲斐があったというものだ。
目の前に見えたゴールテープを取り上げられないよう、ヒマリは気を引き締めながら、手に握っていたリードを引く。
「ブラックドッグ。出番だ」
「ああ? ここか?」
そう言いながら、ヒマリにリードを引かれたブラックドッグが身を起こした。その口から、はっきりと人間の言葉が発せられた様子を目にして、キクコと側近の男が目を丸くする。
「こいつに言われていたからな。自己紹介をしよう。ブラックドッグ。今は繋がれているが、超人だ」
ヒマリが証拠であるとブラックドッグを手で示すと、キクコはあまりの驚きからか、口元に小さな笑みを浮かべていた。
「まさか、ここまで頭が混乱する証拠を見せられるとはな」
「怪人の組織が関わっているという証拠なら、これが一番だと思ってな。ただ先に言っておくが、超人の手を借りているわけじゃなく、あくまでこいつ個人が一緒に行動しているだけだ。お宅を厄介ごとに巻き込むつもりはない」
「そんなみっともなくリードに繋がれている姿を見たら分かる。今は政府じゃなく、ヤクザの飼い犬ってことかい?」
キクコが皮肉染みた言葉を向けると、ブラックドッグは不快に思いながらも言い返せないと判断したのか、ふんと鼻を鳴らしていた。
「それでお前の目的は喚阿商会との一件に手を貸したいということだったな」
「ああ。側近の男が怪人かどうかの確証はないが、状況的には可能性が高い。もしもヴァイスベーゼが関与し、怪人が力を行使してくるなら、いくらクリサンセマムカンパニーでも対処は難しいはずだ」
「だが、お前なら――お前らならできる、と?」
「少なくとも、今のあんたらよりは知識がある」
キクコはゆっくりと深く息を吐いてから、自身の頭に手を当て、考え込むような素振りを見せていた。与えられた情報の量と濃さから、いくらキクコほどの人物でも混乱している部分が大きいだろう。冷静な判断が下せるのか、自身でも疑問に思いながら考えているはずだ。
その部分を突いて、冷静さを取り戻す前に話をつけるという手もあるにはあるが、ヒマリとしても、完全な信頼のない状況で協力し合うのは難しいと考えていた。ただでさえ、相手は武器商人と手を組んだ怪人で、かなり厄介な存在だ。そこで味方も信用し切れないとなると、不測の事態が起きやすくなってしまう。
ヒマリはキクコがある程度、落ちついて考えられるよう、判断は待ちながらも情報を整理するように口を開く。
「こちらの目的は喚阿商会と繋がっている可能性のあるヴァイスベーゼ、延いてはその先にいる酒鬼組の壊滅だ。喚阿商会の件はその足掛かりとまでは言わないが、ヴァイスベーゼの行動に大きく制限をつけられたら望ましいくらいのことだ」
「だが、それでこちらは喚阿商会との問題を解決できるかもしれない。場合によっては、その先にある事態の変化も止められるかもしれない」
「そういうことだな」
「そちらはどれくらいの手札がある? まさか、その犬一匹か?」
「いや、こいつのような奴が四人いる」
ヒマリとミライ、シト、ブラックドッグ。四人全員が戦えるというわけではないが、喚阿商会社長の側近の男が怪人だった場合、起き得る事態に対処できるだけの力は全員が持っていた。
少なくとも、クリサンセマムカンパニーの社員よりは相手できるだろう。数秒で死ぬか、数分で死ぬかの違いかもしれないが、その差が大きな結果を齎すかもしれない。
ヒマリの説明にキクコは深く考え込んでから、ゆっくりと顔を上げる。その表情はそれまでの悩んでいるものから一変し、ある程度の覚悟が決まった様子のものだった。
「お前の話はある程度、信用しよう。考えられる可能性が私達には対応の難しいものであることも認めよう」
キクコの言い方が外側を撫でるようなものであることにヒマリは息を呑む。ヒマリはキクコが次に口にする言葉を頭の中で想像し、次の一手が最も重要であることを察していた。
「その上で聞くが、お前の手を借りて、うまく行く保証はどこにある?」
「保証はない」
ヒマリはキクコからの問いを受けて、考えるまでもなくそう答えていた。キクコからのどのような質問が投げかけられるかは既に予想がついていた。その返答を頭の中に準備するくらいの時間は十分にあった。
「だが、約束はする。仕事は果たす、絶対に」
ヒマリはキクコの目を真正面から見つめ返し、力強くそう断言した。その一言を聞いたキクコの両目は揺れることなく、ヒマリをじっと見つめていたが、やがて、ゆっくりと瞼が閉じられた。
「そう言い切れるだけの自信があるなら、お前のための席を用意しよう。どのような形になるか分からないが、喚阿商会との話し合いの場を設ける際、そこに同席するといい」
「助かる」
キクコとの交渉が無事にまとまり、ヒマリはキクコに礼を言っていた。キクコは事態が複雑したためか、未だ納得し切らない様子ではあるが、一応はヒマリを受け入れてくれたのか、表情は少し和らいでいる。
が、それもすぐに強張り、キクコはブラックドッグに目を向けていた。
「ところで、四人いると言ったが、他の三人は大丈夫なのか?」
「どういう意味だ?」
「話し合いの場を設けたとして、今回のように犬を連れていくのは難しいぞ?」
キクコにそう指摘され、ヒマリはブラックドッグを見やる。確かにブラックドッグがその場にいたら、明らかに何かあると感づかれるだろう。これまでのようにブラックドッグを連れていくのは難しい。
そう考えたら、ヒマリは自身の存在も怪しいと思い始めていた。ヒマリが大岐土組の関係者であることは喚阿商会も把握しているはずだ。クリサンセマムカンパニーとの話し合いの場に大岐土組の関係者がいたら、何か他に目的があると悟られるかもしれない。
それらのことを考慮すると、話し合いの場に同席させるのは、相手に素性を把握されておらず、有事の際に動ける人物が好ましいことになる。
その条件に相応しい人物がいるのかと、ヒマリは交渉が無事にまとまった余韻に浸る余裕もなく、新たな問題に頭を悩ませ始めるのだった。




