9-17.交渉の切り札
ヒマリの語る目的はあまりに不可解なものだったようだ。ヒマリの発言を受けたキクコは隠すことなく眉を顰めて、ヒマリの真意を読み解こうとヒマリの表情を睨みつけていた。
キクコの背後では、側近の男が同様にヒマリを睨みつけていた。ただキクコと明確に違うのが視線の種類だ。キクコがヒマリの考えを読み解こうと、ヒマリの頭の中を覗き込むように鋭い視線を向けているのに対して、側近の男の視線は純粋な敵意だった。キクコの手前で下手な発言をするとは思えないが、もしもキクコを気にせずに発言するなら、今頃ヒマリを信用できないと断じて、その後の話を聞く前に結論を出していたことだろう。
この男が交渉相手として目の前に現れなくて助かったと思いながら、ヒマリはキクコからの回答を待つ。ヒマリの目的を見抜いてくれるかどうかは分からないが、どちらにしても、ここでヒマリから動くと話の信憑性が途端に落ちてしまう。
あくまで相手の判断に委ねるという状況を維持していないと、ヒマリの持ち込んだ話は拒絶されやすい類のものであることくらい自覚している。
キクコの中でも、独自にヒマリの言葉の真意を考え、それなりの理由を見出だそうとはしただろう。その上で読み解き切れなかったと正直に語るように、キクコの表情は険しさを維持したままだった。下手に隠すことなく、剥き出しの怪訝さを押し当ててくるのも、それはそれで一つの交渉術だ。ヒマリでなければ、臆していたかもしれないと思いながら、ヒマリは表情だけでキクコを促す。
「何を考えている? うちに恩を売って、お前に何の得がある?」
踏み抜き方を間違えたら、クリサンセマムカンパニーほどの会社でも弾き飛びかねない。それはヒマリに対する警戒心の高さではなく、喚阿商会の現状がそうであると物語っているようだった。危険であるとキクコが考えれば考えるほど、ヒマリの立場は保障されるというものだ。状況が味方していると考えたことは間違いではなかったらしい。
「別にクリサンセマムカンパニーに恩を売りたいわけではない。目的は別にある」
ヒマリの手札が情報に偏っている現状では、その情報の価値が交渉の成功を左右すると言っても過言ではない。切り方を間違えないためには、前提としてキクコがどこまで状況を正確に把握しているか知る必要がある。
情報の正確さや重要さはキクコほどの人物であれば、判断を誤ることはないだろう。その部分に関しての信頼は前提として持ち寄ってきているので、その部分の見極めをヒマリが間違っていた場合、それはもう最初から交渉に失敗していたと自身の愚かさに呆れるしかない。
そうではないことを祈りながら、ヒマリはキクコの返答を待つ。キクコは眉間に寄せた皺をより深いものに変え、ヒマリの両目を穴が開くほどに睨みつけてくる。
「何を欲している? こちらの世界の利権か? 喚阿商会を消した後、その後釜に収まりたいのか?」
キクコの返答がヒマリの考える道筋から大幅に逸れたことで、ヒマリはキクコがヒマリの持ち込んだ情報の一部も把握できていないことを悟った。手札の切り方を間違えたら、途端に道を逸れてしまい、話は戻せないほどに突き進んでしまうかもしれないが、その部分さえ間違えなければ、ヒマリの情報は全てキクコを説得し得るだけの切り札になり得るということだ。
状況は整った。ヒマリは涎を垂らさないように気持ちを落ちつかせながら、持ち寄ったカードを頭の中に並べていく。
「勘違いさせてしまったようだが、俺の目的は武器商人の界隈に関することじゃない。喚阿商会そのものだ」
ヒマリが一歩引いた態度を取ったことで、キクコの気持ちをほんの少し落ちつかせることに成功したのか、ヒマリの答えにキクコの表情は少し和らいでいた。触れ方を間違えていたら、爆発していたところかもしれないが、取り敢えず、その可能性は消せたらしい。
「喚阿商会の二代目の傍に、少し前から新たな側近がいるだろう?」
「ああ、オノダか」
キクコがオノダと名前を口にしたことで、ヒマリはあの側近はオノダというのかと、思わぬ形で新たな情報を得ることとなっていた。そのことをここで悟られると、話が面倒な方に転がると思ったので、できるだけオノダの名前を知らなかったことは表情に出すことなく、ヒマリは首肯する。
「俺の目的はその側近の男だ」
ヒマリが少しずつ目的を開示したことで、キクコはヒマリの言葉の真偽を探ろうと思ったのか、ヒマリの表情を射抜くように睨みつけていた。並の相手なら、この視線だけで嘘をついていなくても、嘘をついてしまったように振る舞っていたことだろう。ヒマリも嘘をついていたら、襤褸を出していたかもしれないと思いながら、キクコの目を見つめ返す。
「どういうことだ?」
「ピーピングトムは流石に分かるだろう? あいつから、情報を買ったんだ。その側近の男に関する情報だ。どうやら、トムでも一切の前歴が掴めない男らしい」
裏社会で力を増せば増すほど、組織での地位が高まれば高まるほど、トムの名前や存在は影響力を増していく。クリサンセマムカンパニーほどの大会社で、その会社の社長を務めるキクコであれば、トムが持っている情報の価値と、そのトムを以てしても、情報が掴めない側近の男の異常さは嫌というほどに分かるはずだ。
ヒマリはそれ以上のことは言わなかったが、キクコは分かりやすく目を見開いて、動揺を表情に見せていた。それはキクコの側近の男も同じことで、二人がヒマリを見つめる視線に明確な驚きが混入している。
「明らかに裏の世界の人間ではない。だが、今では喚阿商会の二代目の近くにいる。その異様さを知った時、俺はそいつの正体に関して、ある程度の見当がついた」
全く素性の分からない喚阿商会、二代目社長の側近。そこまでの情報を開示した上で、ヒマリがその正体について、ある程度の予想がついていると話したことで、キクコの目は驚愕を語る大きさに変化していた。
ヒマリを見つめる視線には、もちろん疑いの色も含んでいるが、それ以上にヒマリが持っていると思われる情報の厚さに、ヒマリの目的が見えなくなってきている様子だ。この辺りで手順を間違えると、キクコの警戒心が強まってしまいそうだと、ヒマリは気を引き締める。
「そもそも、俺はある組織を追っていたんだ。目的があってな」
「ある組織?」
「大岐土組の一件は流石に耳に入っているだろう?」
ヒマリの前にキクコが姿を現してから、大岐土組が既になくなった前提で話している場面はあった。流石に大岐土組壊滅の情報くらいは知っているとヒマリも察していたが、一応の確認のためと、何よりヒマリの目的を明確にする意味もあって、ここでの認識の確認は必要だった。
キクコがヒマリの言葉に首肯し、ヒマリは自身の目的がそこにあると強く印象づけるため、表情と声色を変える。
「俺の目的は大岐土組を壊滅させた酒鬼組への復讐だ。そのために酒鬼組をずっと追っていた」
ここが重要であると語るまでもなく、キクコや側近の男に伝わるだけの意思を込めて、ヒマリはそう告げた。それがここまでの話と矛盾している事実まで理解してくれていると、不要な説明をしないで済むのだが、と考えていたら、キクコが明確に眉を顰めて、怪訝そうにヒマリを見てくる。
「どうして、ここで酒鬼組の名前が出てくる? 喚阿商会のオノダは裏の世界の人間ではなかったのだろう?」
キクコの疑問が間違いではないと示すため、ヒマリは首肯する。キクコが不思議に思ったように、喚阿商会に新たに現れた側近の男は裏社会の人間ではなかった。それが酒鬼組を追うヒマリと繋がるためには、キクコが知らない今の裏社会の実情を伝えなければいけない。
そして、これこそがヒマリの持ち込んだ切り札であり、ここから先の交渉の結果を左右する一番の要素だ。ここの手順を間違えないよう、再確認するようにリードを握り締めてから、ヒマリは順番に説明を開始する。
「酒鬼組を追う途中、酒鬼組が大岐土組を襲撃する前に、別の組織と手を組んでいたことが分かったんだ。それも、元々裏の世界で名を聞いたことのない組織だ。恐らく、喚阿商会に現れた側近はその組織の人間だ」
「元々裏の世界で無名の組織? そんな組織と手を組んで、何の意味がある? 喚阿商会も、そんな組織と繋がっていると?」
「確かに元々は無名だが、今は名の知れた組織となっている。多分、あんたらも知っている組織だ」
ヒマリの持ち出す情報が謎かけ染みてきたためか、キクコと側近の男は分かりやすく険しい表情をして、ヒマリを睨みつけ始めていた。このまま引き伸ばせば、それだけでヒマリを追い出しかねない勢いだ。ここで信頼を損ね過ぎると、この後の話も聞いてもらえない可能性が出てくる。
そのため、ヒマリは少し駆け足で言葉を並べていく。
「最近、ニュースは見たか? 大々的に出てたから、ニュースを見ているなら聞いたことがあるはずだ」
ヒマリがそう告げたことで、キクコの中ではヒマリが何を言おうとしているか察したらしく、それまでの怪訝な表情に驚きが混ざる。
「まさか……」
「恐らく、その思った名前で間違っていない」
ヒマリはキクコが思い浮かべた名前を確定させるため、キクコと側近の男の顔色を窺いながら、口を開く。
「酒鬼組はヴァイスベーゼ、怪人の組織と繋がっている」
ヒマリがそうはっきりと告げた声は、狭い部屋の中で反響したように響いていた。




