第3話 ロゼ・プレリュード
舞踏会、開催二時間前。
着替えなど舞踏会のための準備をしているティアナの部屋がノックされた。
鏡の前の椅子に座らされたティアナは、胸元と袖が白地と桃色の紗が二重になり、胸元の切り返しから下が若草色のふんわりと裾の広がったドレスを身につけている。その周りにはイザベルの他に三人のメイドが囲み、化粧をさする人、宝飾をつける人、髪を結う人、手先の手入れをする人――とそれぞれ忙しそうにティアナを飾りたてていく。ティアナは身動きせずに瞳をとじて座り、ノックに声だけで返事をした。
「どうぞ」
カチャっという音で扉が開き、青いマントを羽織った侍従のアウトゥルが顔をのぞかせた。
「ティアナ姫様に、レオンハルト様からの贈り物をお持ちしました」
そう言って部屋に入ってきたアウトゥルの後ろから侍従が大きなバラの花束を運んできた。その瞬間、部屋中に華やかなバラの香りが広がり、ティアナはその香りを大きく吸い込んだ。
「ティアナ様、見て下さい。なんて素敵な花束なのでしょうか」
化粧のため瞳を閉じていたティアナは、イザベルの言葉に瞳をそっと開く。
「まあ、ほんとに……なんて素敵なのでしょう」
花束自体貰ったことが初めてだったティアナはそんな感想しか述べられなかったけれど、花束を見て何か思いついたようにそわそわしだしたイザベルに気づき、首をかしげる。
「どうしたの、イザベル?」
「あの……私にちょっと考えがあるんですけど……」
そう言ってティアナの耳元で小さく囁いたイザベルの言葉に、ティアナの頬が僅かに紅潮した。
※
舞踏会、開幕――
突き抜けるように高い天井からは煌びやかな大きなシャンデリアがつり下がり、壁には色とりどりの絵が描かれたダンスホールには、楽師の奏でる優雅な音色が響き渡り、華やかに着飾った人々で埋め尽くされている。
侍女であるイザベルとはダンスホールに続く回廊の入り口で別れ、会場にはティアナ一人で入った。もちろん、会場に知り合いはおらず、ティアナはただただ周りの煌びやかさに目を奪われていた。
“レオンハルト王子の花嫁選びの舞踏会”というだけあって、会場にはティアナと同じような年頃の少女が大勢いた。その誰もが、王子の心を奪うために、誰よりも目立つような格好をして競っていた。ある娘は、身長の半分はあるんじゃないかという程髪を高く結いあげ、ある娘は大粒の宝石を散りばめた豪奢なドレスを身にまとい、ある娘は天使か妖精をイメージしたのか、大きな羽を背中につけている。
そんな中、ティアナは自分のドレスを見て――私、地味かしら、なんて首をかしげる。
イザベルの作る服はどれも素敵だしティアナは大好きだけれども、生地はそんなにいいものを使っていない――自国が貧乏だから仕方がないと言えばそれまでだが、周りには絹のドレスと纏った少女が大勢いる中で、自分は舞踏会になど出てもいいのかという気にさえなってくる。
宝飾類はもともと持っていないからつけるつもりはなかったが、そのことを言ったらイザベルが、ザッハサムの街で服を売って出来たお金の残りで若草色の石のついたピアスを買ってきてくれた。でも、それだけでは寂しいと言ったイザベルは、タイミング良くレオンハルトから送られてきた花束からバラを抜き取り、生花をそのまま、髪や服に飾り、首飾りと腕飾りも手早く用意してくれた。
イザベルにはよくここまで準備してくれたとは思うけど、宝石一つ持たない自分はこの華やかな舞踏会には場違いで、気後れしてくる。なぜか周囲にいる少女からも冷たい視線を向けられ、より一層居心地が悪くなってきた時、高らかな侍従の宣言と共に正面の扉が開かれた。
「カロリーネ王妃様、レオンハルト王子様の御成ーりー」
今夜の主役の登場に、人々はざわめきレオンハルトに視線が集まる。誰もが、我先にとレオンハルトと王妃に声をかけようとする中、レオンハルトはその誰もの声を断り、まっすぐとティアナの方へと歩いてくる。
この日のレオンハルトは、絹の白い衣装を纏い、所々にアクセントとしてラピスラズリが用いられている。ピアス、タイピンにはラピスラズリの宝石が、胸にはラピスラズリ色のハンカチが。袖から出たフリルはレオンハルトが歩くたびに優雅に揺れ、レオンハルトからは眩いばかりの輝きが放たれている。
まさに絵にかいたような王子様が、自分の方に向かって歩いて来ているとは夢にも思わないティアナは、その姿にうっとりと見とれてしまう。
レオンハルト王子の容姿は、ティアナがコレクションしていたレオンハルトの絵姿の金髪碧眼の王子とは似ても似つかないが、それ以上に美しかった。少し癖のある銀色の髪、澄んだ空の色の瞳、通った鼻筋、高い頬、爽やかな口元、気品に満ちた顔。本物のレオンハルトと対面した時、憧れていた時以上の感情が胸を焦がし始めていた――
実際、ティアナがレオンハルトに憧れ――恋をしていたのは、絵姿に一目惚れしたからではなく、兄の話にほんの少し出てきただけの、会ったこともない自分に贈り物をしてくれた優しさや誠実さに惹かれたのだった。
レオンハルトと知らずに共に旅をしたエル――猫の姿だったレオンハルトは、気配りができる暖かい人で、落ち込んだ時には諫めてくれる厳しい人で、疫病に母が倒れたから助けてくれと泣く少女に病が移る危険も顧みず行くと言った、優しさとひた向きな強さを持った人。
その姿はレオンハルトの嘘偽りのないもので、エルがレオンハルトではないかと思った時、強く強く惹かれたのだ。
でも、それと同時に思い知らされたこと。猫の姿に変えられても本来の本質と誇り高さを失わないレオンハルトは本物の王子様で――大国ドルデスハンテの王子様だということ。貧乏小国の姫にすぎない自分ではつり合いが取れない――遠い存在だと。
自分の思考に囚われて瞳を閉じていたティアナが瞳を開くと、今の自分とレオンハルトの現状のように遥か遠くにいたレオンハルトがすぐ目の前にいて、目を瞬かせる。
レオンハルトはティアナの二歩手前で立ち止まると、胸の前に手を当て、優雅に一礼する。
「ティアナ様、今宵は我が舞踏会にお越しくださいまして、ありがとうございます。紹介いたしたい方がいますので、私と一緒に来ていただけますか?」
そう言って、ふわりと薫るような甘い微笑みを浮かべて手を差し伸べたレオンハルトの手に導かれるように――ティアナは無意識に自分の手を重ねていた。




