6話 放課後2
「お、お前……おかしいよ」
暁人は思わず声に出していた。
――やばい。
この女は、おかしい。
千景は暁人の問いかけには何一つ答えない。
それなのに、次から次へと意味の分からないことばかり言ってくる。
「先生。今は分からないと思う。でも――私のことを信じて」
千景が上目遣いに暁人を見つめる。
鮮やかな赤い瞳。
その目は、必死に何かを訴えかけているようだった。
「信じろ……?」
暁人は思わず顔をしかめる。
「今のお前の行動と言動で、俺に信用しろっていうのが無理な話だと思わないのか?」
「…………」
「俺の質問には何も答えない。なのに俺のことは根掘り葉掘り聞いてくる。挙げ句の果てに『信じて』? 無理に決まってるだろ」
「……私が今日、先生を呼んだのはね」
まただ。
また、俺の話を無視する。
千景は一度俯いて、それから意を決したように顔を上げた。
「もう、常盤凪紗とは話さないで」
「……は?」
「一緒に帰らないで。学校でも、できるだけ関わらないで。できれば……無視してほしい」
「……何を言ってる?」
「お願い」
千景が一歩、こちらへ近づく。
「家が近所なのも知ってる。家族同士に付き合いがあることも、小さい頃からずっと一緒だったことも知ってる。だから、そんなことが簡単にできないのも分かってる」
「なんで――」
背筋に冷たいものが走った。
「なんで、そんなことまで知ってる?」
「だから!」
千景の声が教室に響いた。
暁人に喋らせる暇すら与えない。
「私のところへ来てほしい」
「…………」
「しばらくの間でいいから。私の家に来て。学校が終わったら真っ直ぐ来て。凪紗とは帰らないで」
千景が、また一歩近づく。
「お願い……先生」
――怖い。
暁人が感じたのは、それだけだった。
ひたすらに、怖い。
背中をぞくぞくと何かが這い上がってくる。
千景の赤い瞳から向けられているもの。
それが何なのか、暁人には分からない。
甘く、どろどろとまとわりつくようにも感じる。
それなのに、凍りつくほど冷え切っているようにも感じる。
相反するはずの感情が、ぐちゃぐちゃに混ざり合っている。
恋愛感情?
――違う。
こんなものが恋愛感情であってたまるか。
独占欲?
支配欲?
違う。
どれも違う。
だったら――なんなんだ。
分からない。
理解できない。
理解できない人間が、自分のことだけは何もかも知っている。
その事実が、たまらなく恐ろしかった。
「は、話にならねえよ!」
限界だった。
暁人は踵を返す。
もう一秒たりとも、ここにはいたくなかった。
「先生は、私を放っておけない」
背中に千景の声が届いた。
引き留めようとする声ではなかった。
懇願でも、焦りでもない。
まるで――暁人が必ず足を止めると確信しているような声だった。
暁人は足を止めた。
止まるな。
そのまま教室を出ろ。
本能はそう告げていた。
それでも、止まってしまった。
「……どういう意味だ」
「私は超研に入るの」
振り返ると、千景は笑っていた。
「これから毎日、凪紗と一緒なの。先生は――この事実をどうする?」
意地悪そうに、こちらを試すような笑み。
その笑顔には、どこか邪気めいたものすら感じられた。
「お、お前……凪紗に何をするつもりだ?」
「さあ?」
千景はわざとらしく首を傾げる。
「それは先生が直接確かめるしかないんじゃない?」
「もし凪紗に怪我させたり、陰湿なことしたりしたら……俺はお前を許さないぞ」
「そんなことしないわよ!」
千景の表情が一転した。
「私のイメージどうなってるのよ!」
「さっきまでの自分の発言を思い返してみろ!」
「先生、怖い顔してる」
「誰のせいだ!」
「安心して。危ないことはしないわ」
千景はそう言ってから、ほんの少しだけ目を細めた。
「でも――凪紗の方が変わるかもしれないわね」
「……何?」
「例えば、先生にもう近づいてこなくなるとか」
「……!」
暁人の表情が強張る。
「お前――」
「私は何もしないってば」
千景はくすくすと笑った。
「凪紗が私と一緒にいるのが楽しくなって、先生のところに来なくなるかもしれないって意味よ」
「…………」
「どうする、先生?」
「……俺も」
「んー?」
千景が口角を上げる。
「俺も超研に入る」
「…………」
「清志もだ」
「…………」
「俺も清志もバイトがあるから毎日は無理だけど、交代で顔を出す。お前が凪紗に変なことしないか、見張らせてもらうからな」
一瞬の沈黙。
次の瞬間――。
「ええ! ええ!」
千景の顔がぱっと輝いた。
「一緒よ! 一緒! 先生と一緒に超研に入るの!」
「……清志はどこに行った」
暁人はがくりと肩を落とした。
ついさっきまであれほど不気味な笑みを浮かべていた女と同一人物とは思えない。
本当に訳が分からない。
「でもね、先生」
不意に千景の声が落ちた。
「……なんだよ」
「私と凪紗の会話には、あんまり興味を持っちゃ駄目よ」
「は?」
千景は人差し指を唇に当てる。
「乙女の秘密よ」
「……ほんっとに訳分からん」
暁人は吐き捨てるように言った。




