4話 下校
「まったく、ひどい目にあった」
暁人は鞄を肩にかけ、清志と並んで歩いていた。
「いいじゃんかよ。正直、羨ましかったぜ。あんな美少女に、こーんな近距離まで迫ってもらってよぉ。俺だったら一歩前に出ちゃうわ」
清志が軽口を叩く。
「お前と一緒にするな」
久遠千景と名乗った少女は、意味不明だった。
初対面の暁人を「先生」と呼び、いきなり常盤凪紗との関係を問い詰め、挙げ句の果てには顔が触れそうなほどの距離まで迫ってくる。
その行動も、言葉も、何一つとして筋が通っていない。
確かに、千景は目を引くほどの美少女だった。
腰まで伸びた銀色の髪に、鮮やかな赤い瞳。
あれだけ整った顔を間近まで寄せられれば、普通なら多少なりとも意識してしまうのかもしれない。
だが暁人にとっては、そんな衝動よりも――行動原理のまるで分からない人間から、正体の分からない感情を向けられる恐怖の方が圧倒的に勝っていた。
「あの久遠とかいう女……明日も来るんだろうか」
思わずため息が漏れる。
別れ際、千景は、
『明日の放課後、ゆっくり話したいから! また明日ね!』
そう言い残して、脱兎のごとく駆けていった。
まるで何かに追われているようだった。
何をそんなに急いでいたのか。
考えたところで、分かるはずもない。
「おーい! 暁人くーん! 清志くーん!」
背後から聞き慣れた声が飛んできた。
二人が振り返ると、こちらへ駆けてくる常盤凪紗の姿があった。
「おー、凪紗ちゃん。今日も元気そうだねー」
清志が明るく返す。
「二人とも今からバイト?」
「そうだよー。俺、来月買いたいゲーム機があるから金貯めてんの」
「へー。じゃあ今度、梓さんとご飯行くから、清志くんがバイト頑張ってるって伝えとくね」
「げぇ! また姉ちゃんと遊びに行くの? あんなのに付き合えるなんて、凪紗ちゃんも変わってんねー」
相変わらず暑苦しい二人だ。
ただでさえ暑いというのに、その熱気のせいでこっちまで熱中症になりそうだった。
「それで? 俺たちは今からバイトだけど、凪紗はどうしたんだ?」
わざわざ呼び止めた理由を尋ねると、凪紗は待ってましたとばかりに暁人へ顔を向けた。
「んっとね」
どこか楽しそうに口元を緩める。
「暁人くんが、すっごい美人な外国人の子に詰め寄られてたって聞いたから、どんな子だったのか聞きたかったの!」
「……情報回るの早すぎない?」
ついさっきの出来事だぞ。
暁人は今日何度目になるか分からないため息をついた。
「なに? 凪紗ちゃん、もしかして嫉妬?」
清志が意地悪そうに口元を歪める。
「ううん、違うの」
凪紗はあっさり否定した。
「ほら、私、超研――超常現象研究会やってるでしょ? 周りにあんまり女の子いないからさ。誰も知らない外国人の女の子って聞いて、もしかしたら一緒にやってくれないかなーって」
そこまで言って、凪紗はしょぼんと肩を落とした。
「女の子がいないどころか、お前一人しかいないじゃん」
すかさず暁人が一刀両断する。
「ひどいよー! 前は男の子が一人いてくれたもん。すぐ脱退しちゃったけど……」
「そりゃ、お前の熱量についてこられる人間はそうそういないわ」
「えー! でもロマンなんだよー?」
凪紗は不満そうに頬を膨らませる。
「魔法とか、超科学とか、古代文明とか! 考えるだけでワクワクしない? 暁人くんは興味ないの?」
「ない」
きっぱりと言った。
「即答!?」
「ないものはない」
「えー……。じゃあ清志くんは?」
「ごめん、凪紗ちゃん。俺も正直そういうのは……。まあ、暁人が入るなら俺も入っていいけど」
――なんで俺なんだよ。
暁人は心の中でぼやいた。
「うう……。やっぱり、その子に入ってもらえないか相談してみようかな。ねえ、どこのクラスの子なの?」
「うーん……」
暁人と清志は揃って唸った。
「そういや、どこのクラスなんだろうな」
「さあな。俺の眼にあれほどの美少女が記録されていないことが不可解すぎる。まさか……俺の眼も、ついに曇ってきたのか……!」
「もう曇りまくってんだろうが」
「そんな……!」
「まあ、冗談はさておき――」
暁人は昼間に出会った少女の姿を思い浮かべる。
腰まで伸びた銀色の髪。鮮やかな赤い瞳。
「あんな目立つ髪と目をしてるのに、今まで噂の一つも聞いたことがないってのも不思議だよな。転校生か?」
「ううん。転校生が来るなんて話、聞いてないよ。もちろん留学生もね」
「じゃあ、ますます不可解だな」
清志が腕を組む。
「名前は? なんていうの?」
「久遠千景って言ってたかな」
「久遠……千景……」
その名前を口にした瞬間。
凪紗の足が、ぴたりと止まった。
「……どうした?」
暁人も足を止め、振り返る。
「知ってる名前なのか?」
気になった。
千景は明らかに、凪紗に対して何かしらの感情を抱いていた。
ならば、凪紗の方も千景を知っていたとして不思議ではない。
「ううん」
だが、凪紗はゆっくりと首を横に振った。
「知らないの」
「じゃあ、なんで止まったんだよ」
「……分からない」
凪紗は少し困ったように笑う。
「知らないんだけど……なんだか、すごく懐かしい響きがするの」
「……は?」
凪紗まで不思議なことを言い出した。
今日は一体なんなんだ。
「どういう意味だ?」
「だから、私にも分からないってば」
そう言ってから、凪紗はもう一度、小さく呟いた。
「久遠千景……」
まるで、その名前を確かめるように。
そして――ふっと笑った。
「でも、きっと仲良くなれる」
「なんでそうなる」
「分かんない」
凪紗は笑ったまま答える。
「分からないけど――そんな気がするの」
その言葉に根拠など、どこにもないはずだった。
なのに。
なぜだか暁人には、凪紗がそう言い切ったことの方が妙に引っかかった。




