15話 ロギア・オルバース
午前七時二十分
普段なら――まだ世界が壊れる前だったなら、今は通勤ラッシュ時刻であり東京の町を仕事や学校、観光で通う人ばかりの筈なのだが、今となっては人一人歩いては無い。
道路のいたる所に亀裂が入っておりそこからは雑草が伸びていた。
開店準備に忙しい筈のショッピングセンターでさえガラスは割れ、部屋全体も薄暗く昼間でも入りたいとは思わない不気味な雰囲気を漂わせている。
町全体、人間の手が全く付けられておらず東京と言う都市もゴーストタウンへとなり果てていた。
先頭を歩くロギアは度々脚を止め、同行者がちゃんと自分の後について来ているか確かめる。
同行者との距離は左程離れていると言った感じでは無かったが、歩幅の問題なのか、体力的な事が原因なのか徐々に離れていた。同行者は表情には出ていないが結構無理をしてついて来ている様に見える。
“流石に、今まで大して動いていなかった奴が日頃から歩き回っている奴にペースを合わせるのはキツイか……”
脚を止め振り返る。
「大丈夫か?」
アタッシュケースが誰かに取られるという最悪なケースは取り敢えず回避するつもりでいるが、いざと言う時に動けないでは話にならない。
「はぁ、はぁ……だ、大丈夫……」
そう言うアリアの顔色は悪く、額には汗が滲み出ていた。
「そうか、キツイ時は言えよ、墜落現場でバテられてもしんどい」
それだけ言うとアリアが頷くのを見終える前に再度脚を進めた。
数分ほど歩いてようやく二人は墜落現場付近に到着した。
「どうやら、昨日はパーティ騒ぎだったらしいな」
双眼鏡越しに見える惨状を見て後ろにいるアリアにも見えるよう双眼鏡を手渡す。
「パ、パーティ騒ぎ?」
切らした息を整えながらアリアはその言葉が何の事を指しているのか疑問を感じつつも首を傾げながらも双眼鏡を受け取る。
「――っ!?」
その惨状を見て絶句した。ヘリコプターの残骸付近に転がっていた死体が一つも見当たらない。あるのは人とは言い難い幾つかの無惨に散らばった肉片だけ。
「夜の内に感染者達が後片付け、したみたいだな」
ロギアはそう言いつつボウガンを構えると周囲を警戒しながら残骸へと近づいて行く。ロギアが動くと慌ててアリアもその後を追いかける。
未だに残っている生臭さと血の匂い、焦げ臭さが鼻につき、周辺を飛び回る蠅の羽音も騒々しい。ロギアは首に巻いていた布で鼻を隠す様に上げると極力肉片を避ける様に進む。背後ではアリアの引き攣った声が聞こえ、微かに聞こえる足音もたどたどしい物だった。
幸いにも機体に近付くまでには何も起きていない。だからと言って油断する事も出来ない。遠くから自分達を監視している人間が居る可能性は十二分にある訳だから。
ロギアは入口付近に近付くと背を機体につけ機内の音を探る。
「――――。」
音は一切しない。
ボウガンを向けながら入口の正面へと飛び出した。
案の定、良くも悪くも機内の中も死体は一つも無く、感染者も見当たらない。
「ふぅ……」
止めていた息を吐き出しながらボウガンを下ろすと後ろで待機しているアリアへと視線を向けた。
「よし、俺が探すからアンタはここで周囲を警戒していてくれ、何か見えたら言ってくれ」
必ずしも信用した訳では無いが二人で機内に入るよりはマシな判断だと思っていた。
人影がある以上罠を警戒し無闇に接近する奴は今の世界には居ないだろうし、何よりアリアを見ていて一つ一つの動作が自分と比べて遅い為、正直邪魔になりそうだからだ。
「うん」
小さな返事を聞くとロギアは機内に入り、大きい瓦礫をどかし始める。
「……」
ふと自分を見つめる視線に気付き振り返ると入口付近でジッと立ち、自分を眺めているアリアと視線が重なった。
「何だ?」
一言、そう呟きロギアは再び身体の向きを変える。
「見張り」
そう一言い放つと身体は再び瓦礫に向き直りアタッシュケースを探しつつも耳はアリアの方へと意識を持って行く。
「ねぇ……まだ……まだ貴方の名前、聞いてない」
瓦礫をどかす手を止めアリアの方へと視線を送ると「あ~……そうだったか?」少し動きを止め思考を巡らせた後、直ぐに申し訳なさそうに答えた。
「名前……確かに、言ってないな。悪かった、俺はロギア・オルバースだ。好きに呼んでくれて構わない」それだけ言い直ぐに瓦礫をどかしアタッシュケース探索を始めた。
「――――――――ッ!?」
その名前を聞き、アリアは全身が凍り付いたかの様に固まり息を吸う事さえ忘れてしまった。
「――お、オルバース……?」
声色が変わった、アリアから発せられた声はあからさまに変化しており、息遣いも分かりやすい程早い。【怯えている】そんな空気を肌に感じ取りロギアも手を止めた。
「……」
アリアは何も話そうとしないが視線だけはロギア自身に向けられている事が分かった。
「……どうした?」
アリアが何かしらの理由で固まっているという事に気付き声をかける。何が原因かは分からないが流石にそんな相手に背中を向け続ける訳にはいかない。
顔を向けると同時にお互いの視線がぶつかり、黙ってしまう。唯一耳に聞こえてくるのは小さい羽根を羽ばたかせ死体に集る蠅の音だけだった。
「……何? 何かあるならハッキリ言ってくれ」
その言葉を聞くとアリアは引き攣った顔を浮かべながら口を開いた。
「っ、貴方って、父親、っていたりする……?」
そのとんちんかんな言動に、ロギアは大げさに肩をすくめた。
「一応居るが……居なきゃ可笑しいだろ、大丈夫か?」
「あ、うん……」
アリアは我に返り、自分の意味不明な発言を思い出し、焦った後に直ぐにうつむいた。
「まぁ……離れてから長いし。今は生きてんのか、死んでんのかさえ分からねぇが、それだけか、聞きたいのは?」
「う、ううん……何でも、ない……」
「そうか。――なら、良いんだがな……見張り、頼むぞ」
“嫌な感じだ”ロギアはそう思いながらも手は捜索を続行する。
アリアは捜索を開始するロギアの背中を見る。
自身でも抵抗感がある、そんな可能性があっただなんて想像さえつかない。ただ一つ言える事があるとすれば今は自分ではどうする事も出来ない。
「――えっーと……じゃあ、ロギ……ア、ロ、ロ、ロギ……ロギ宜しく」
か細くぎこちない様な声が入口付近から聞こえた。
「……おう」懐かしさを感じる呼び名に一瞬返事が遅れる。
アリアはその返事を聞くと直ぐに機内から出て行った。
“――ロギ……”
前にそのあだ名で呼ばれていた事があった。
父親の都合で故郷であった国を離れ日本へと留学する事になった時に、そこで始めて会った少女に付けられたあだ名だ。
初対面であだ名を付けられ、立て続けに質問された時は正直、面倒だ、と言う気分だったが当時は右も左も分からず頼れる人が誰もいなかった為無視する訳にもいかなかった。
その後は日本語や町の事を熱心に教えてくれ、その少女《水美夏夜》は自然とロギアにとって唯一の親友になっていった。単なるあだ名だがロギアにとっては懐かしくもあり、当時を思い出してしまう言葉でもある為、微妙な表情になる。
「っ……」
“戻りたい”不意に喉の奥から声が漏れ、叶う筈の無い後悔だけが頭を支配する。あの時、《水美夏夜》の手さえ離さなければ今も彼女は傍にいたであろうという確信があった。世界が終わる前に戻れたのなら他の友人も救い出せるかもしれない。
叶う訳が無い強烈すぎる妄想を頭から振り払い再びアタッシュケースの捜索に集中する。
“過去なんて考えてもしょうがない。――辛いだけだ”
アタッシュケースが誰かに持ち出されている可能性がある事を考えていたが、幸いにも幾つかの瓦礫を退かすだけであっけなく目的のアタッシュケースを回収する事が出来た。
「見つけたが、これがそのアタッシュケースで間違いないよな?」
外見がかなりボロボロだったため中身が無事か心配になったが、ロックが掛かっている事もありおそらく大丈夫だろう。
「……そう、それ」
そう言うとアリアは周囲を見渡すのは止めロギアを見た。
アタッシュケースのロックはパスワード式になってはいたが、ヘリコプター墜落の衝撃で壊れたのか、後は強い衝撃を加えてやれば開ける事は出来そうな状態だった。
ただその酷く損傷した外見の為、改めて中身が無事か不安が込み上がって来る。
「……ったく、どんな素材で作ってんだか……」
ロギアは小声で毒づくとヘリコプターから出て腕時計を確認する。画面に表示された時刻は八時ジャストだった。
「中身を調べる前にここから移動しよう、ここに居て他の奴等に見られたら色々と面倒だからな。そこでこれからどうするか決める、それで良いか?」
「うん……」
ロギアは周囲を見渡し、目に付いた行き慣れているショッピングセンターを見付けアリアが分かる様にそのショッピングセンターへと指をさした。
「取り敢えず、あのショッピングセンターに行こうか、あそこなら一応安全だ」
「……分かった」
「大丈夫だ、そんなに長くは歩かない。十分程だ」
「じゅ、十分……」
若干、苦虫を噛み潰した様な顔をしたように見えたがロギアは気にせず脚を進めた。
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