第4回 聖剣のサブスク解約
魔王城の法務部には、たまに「静かすぎて不安になる静けさ」が訪れる。
だいたい、ろくでもない発見の前触れである。
その日もそうだった。
私はエクスカリバー社の利用規約を読んでいた。机の上には羊皮紙の束、横には冷めた魔界茶、窓の外では小鬼が書類棚にぶつかって怒られている。平和だ。平和なときほど条文は牙を隠す。
「……見つけました」
「嫌な声色ね」
向かいで帳簿を眺めていたリリスが顔を上げる。
「今度は何」
「聖剣です」
「剣」
「正確には、聖剣型魔導兵装エクスカリバー・プライム」
「急に商品名がいやらしい」
「月額九千八百Gです」
「……はい?」
私は規約の該当箇所を指で叩いた。
「第十二条。利用者は本サービスの対価として、毎月九千八百Gを支払うものとする」
「本サービス」
「第七条。乙は認証済み公認勇者に対し、聖属性出力、飛行補助、眩光演出、対魔王特効エフェクトその他の機能を提供する」
「エフェクト」
「ありますね」
「エフェクト」
「あります」
「それは、必要なの?」
「配信映えには」
「また映え」
私はさらにめくる。
「第十九条。利用者が規約に違反した場合、甲は事前通知なく機能停止またはアカウント凍結を行える」
「凍結」
「俗に言うBANです」
「聖剣がBANされる世界、嫌すぎる」
「でも合法です」
「その言い方やめて。本当に嫌」
法務部の空気が、じわじわおかしくなってきた。
ゴルムンが遠くから「え、勇者って課金職?」と聞いてきたので、「そういう理解でだいたい合っています」と返すと、本気で距離を取られた。失礼な先輩である。
私は机の上に、ここ数日で集めた資料を並べた。
勇者ギルドのスポンサー契約。エクスカリバー社の株主構成。勇者配信の露出比率。第三ファンドから流れる投資金。どれも薄く繋がっていた線が、ここで一本になる。
「リリス」
「なに」
「聖剣の開発元、エクスカリバー社の株、取れます」
「取れます、とは」
「市場に出ています」
「嫌な予感しかしない言い方ね」
「過半数まで」
「もっと嫌」
リリスが椅子から半分立ち上がり、半分座り直した。驚きと常識がせめぎ合うと人はその姿勢になるらしい。
「ちょっと待って。あなた今、何を言おうとしたの」
「聖剣の提供会社を買収します」
「やめなさい」
「まだ何もしていません」
「今からやる顔してる!」
「厳密には、公開市場における適法な株式取得です」
「それを一般には乗っ取りって呼ぶのでは?」
「用語の問題です」
「社会通念の問題よ!」
私は冷静に資料を一枚差し出す。
「見てください。エクスカリバー社の浮動株比率は高い。創業家は持株が薄まり、第三ファンドの影響下にもある。つまり、こちらが静かに買えば」
「静かに、の後に全然静かじゃないことが起きるやつね」
「株主総会が開けます」
「最悪」
だが、リリスは書類を読み進めるうちに、だんだん眉を寄せ始めた。
「……ほんとに可能なの?」
「可能です」
「ほんとに合法なの?」
「厳密には利用規約と会社法の範囲内です」
「厳密には、っていう言い方をする時点でかなり危ないのよ」
そのとき、扉が勢いよく開いた。
公認勇者だ。
ここ数回で、彼はもう法務部に来るだけで面白い存在になっていた。今日も今日とて金ぴかで、胸のスポンサー表示が増えている。肩当てに「EXCALIBUR PRIME」、腰に「聖水メーカー」、マントに「栄養補助ゼリー」。歩く広告塔である。
「魔王ー! 出てこい!」
「法務部です」
私は言った。
「窓口はこちらです」
「うわ出た、紙の人」
「本日は何用です」
「決まってるだろ! 討伐!」
「事前通知は」
「してない!」
「規約違反です」
「なんで!?」
リリスが横で額を押さえる。
「ねえ、勇者ってもっとこう、神々しい存在じゃなかった?」
「今はだいぶカスタマー寄りです」
「いやな現代化」
勇者は剣を抜いた。抜いた瞬間、剣身がやたらと眩しく光り、「プレミアム認証済みユーザー」という文字が一瞬だけ浮かんで消えた。
「ほんとに出るのね……」
リリスが引く。
「演出機能です」
「いる?」
「本人には必要なんでしょう」
その勇者を見ながら、私はふっと気づいた。
ああ、これは今日だ。
やるべき日が来た顔をしている。勇者が、ではない。私が。
「リリス」
「嫌」
「まだ何も言っていません」
「言う前から嫌」
「作戦に移ります」
「ほら言った!」
法務部の机上会議は、いつもより三倍くらい早口で進んだ。
「まず、当方は市場で取得したエクスカリバー社株式に基づき、臨時株主総会の招集を請求済みです」
「済みなの!?」
「昨日」
「昨日!?」
「ついでに取締役会へ問い合わせも」
「何を」
「勇者向け聖剣サービスの不正利用対策について」
「待って、待って、怖い」
「安心してください。極めて事務的です」
「事務的な怖さが一番だめなの!」
その日の午後、魔王城の応接室には、エクスカリバー社の担当者が来ていた。
細身の男で、上等なスーツを着ているが、目の下の隈がすごい。たぶん昨日から寝ていない。いきなり過半数株主が魔王軍になった会社の法務担当は、たいていそういう顔になる。
「本日は……その……」
担当者は喉を鳴らした。
「株主としてのご要望を、伺いに」
「ありがとうございます」
私はにこやかに答えた。
「では、サービス健全化のため、規約の適正運用を」
「適正運用」
「はい」
「それは、具体的には」
「違反ユーザーへの機能停止です」
「どの違反を」
「第十九条一号。提供会社または関連会社の利益を害する行為」
「はい」
「公認勇者による、当社グループ資産たる魔王城への継続的侵入、設備破壊、信用毀損」
「……当社グループ資産」
「現在、エクスカリバー社は当方の連結対象です」
「言い方が強い」
担当者の胃が死ぬ音がした。聞こえないだけで、たぶんした。
リリスが横で小声になる。
「これ、本当に合法なの?」
「厳密には」
「それ以上言わなくていい!」
私はさらに淡々と書類を出す。
「利用規約第十九条二号。反社会的、暴力的または運営妨害的行為」
「はい」
「城壁を壊し、宝箱を割り、配信コメント欄で『今日の魔王城、しょぼ』と発言」
「……コメント欄も見るんですか」
「証拠です」
「法務ってすごいですね」
「怖い、の間違いです」
担当者は最終的に、完全に乾いた顔で頷いた。
「規約上、機能停止の余地は……あります」
「ありがとうございます」
「ただし、ユーザーからの反発が」
「問い合わせ窓口は?」
「当社サポートセンターです」
「結構」
「結構?」
私は微笑んだ。
応接室の空気が、そこだけ冬になった気がした。
夕刻。
勇者はいつものように、魔王城前の広場で剣を振り上げていた。
「今日こそ決着だ!」
「その前に本人確認です」
私は城壁の上から声をかける。
「氏名、生年月日、登録勇者番号」
「なんで!?」
「サポート対応です」
「サポート!?」
勇者は困惑しつつも名乗った。偉い。カスタマーサポートはまず本人確認から始まる。たとえ相手が今から討伐しようとしている勇者でもだ。
私は手元の水晶端末を確認した。エクスカリバー社から共有された管理画面が光っている。嫌な未来技術だ。
「確認できました」
「何の」
「ではお知らせします。ご利用規約第十九条に基づき、アカウントを停止しました」
「は?」
その瞬間だった。
勇者の聖剣から、ぴこん、と間抜けな音がした。
眩しいエフェクトが消える。刃の輝きが弱くなる。飛行補助の風が止まり、肩のマントがしょんぼり垂れた。剣身に赤い文字が走る。
サービスは現在ご利用いただけません
「えっ」
勇者が固まる。
「えっ」
リリスも固まる。
「えっ」
門番まで言った。
勇者が慌てて剣を振る。何も起きない。もう一度振る。今度は柄から「再起動しますか?」とだけ表示され、数秒後に「失敗しました」と出た。
「ちょっ、ちょっと待って!」
勇者が叫ぶ。
「なんで!? 戦闘中なんだけど!?」
「利用規約に戦闘中例外条項はありません」
「そんな馬鹿な!」
「規約はいつも馬鹿みたいに分厚いですが、そういうものです」
勇者はパニックになった。
剣を叩く。振る。空に掲げる。息を吹きかける。最終的に一度地面に置いてから持ち直した。家電かなにかだと思っている節がある。
「直らない!」
「お問い合わせはサポートセンターへ」
「お前だろサポート!」
「ただいま大変混み合っております」
リリスが城壁の上で膝から崩れ落ちた。
「だ、駄目……笑っちゃいけない場面なのに……」
「笑っていいと思います」
「本当に!?」
「本件はかなり特殊なので」
勇者は涙目で食い下がる。
「俺、何が規約違反なの!?」
「複数あります」
「どれ!?」
「関連会社資産への侵害行為」
「関連会社って何!?」
「世界は繋がっています」
「急に経済の授業するな!」
私はさらに丁寧に続けた。
「加えて、規約第十七条。ブランド価値を損なう不適切利用」
「してない!」
「聖剣を持ったまま城門前で三回転んだ件」
「足場が悪かったんだよ!」
「配信で切り抜かれていました」
「それも駄目なの!?」
「ブランドは繊細です」
「聖剣しんど!」
勇者はついにその場に膝をついた。金ぴかの鎧が、今日は妙にくたびれて見える。英雄の象徴が、月額サービス停止でこうも弱るのかと思うと、神話というものの耐久性に少し不安が出る。
「解除してくれよぉ……」
「手続きが必要です」
「する! 何でもする!」
「まず未払料金の確認」
「払ってる!」
「次に規約違反是正誓約書」
「書く!」
「再発防止研修の受講」
「あるの!?」
「本日新設されました」
「最悪だ!」
城壁の下で、勇者は本気で崩壊していた。
その姿を見ながら、門番たちは顔を見合わせ、小鬼は腹を抱え、ゴルムンはなぜか真顔でメモを取っていた。たぶん後で誰かに話す気だ。話すだろう。止めない。
騒ぎがひと段落したあと、法務部に戻ると、リリスがまだ少し笑いの余韻を引きずっていた。
「……ひどい」
「合法です」
「ひどい上に合法なのが一番ひどい」
「褒め言葉として受け取っておきます」
私は机に戻り、エクスカリバー社から送られてきた旧帳簿の箱を開けた。買収後の精査資料だ。笑いの次には、たいてい数字が来る。数字は笑ってくれない。
古い革表紙の帳簿。黄ばんだ納品書。創業期の契約書控え。埃が舞い、インクがにおい、過去の事務仕事が箱いっぱいに詰まっている。
私は一枚ずつめくった。
魔導核の仕入先。鍛造費。試作品の返品。そこまでは普通だ。普通の企業の、少しだけ神話に寄った経理である。
だが、一番古い発注書の差出人名を見た瞬間、指が止まった。
「……リリス」
「なに。まだ嫌な予感が続くの?」
「続きます」
「でしょうね」
私は紙を差し出した。
発注者欄には、はっきりと書かれている。
魔王家
さらにその下、共同開発契約書。連帯保証人欄。
「M・リリアーテ」
リリスが読み上げる。
「……これ」
「ご尊父のお名前ですね」
「そう、だけど」
部屋の空気が、一気に冷えた。
さっきまでの笑いが、まるで別の部屋の出来事みたいに遠ざかる。
聖剣の最初の発注者は、二百年前の魔王家だった。
英雄の象徴。勇者の商売道具。討伐配信の主役。その起点に、魔王家の名がある。
おかしい。
いや、おかしいどころではない。物語の骨組みごと、音を立てて軋む類の事実だ。
リリスはしばらく紙を見つめ、それからゆっくり椅子に座った。
「……なに、それ」
「こちらが聞きたい」
「父上、聖剣作ってたの?」
「少なくとも発注し、保証人になっている」
「なんで」
「まだわかりません」
私は帳簿を閉じた。
コメディで息を継がせた回の終わりに、きっちり嫌な真実が顔を出す。構造としては正しい。体感としては、あまり優しくない。
窓の外では、BANされた勇者がまだ城門前でサポート再申請書を書かされている。紙に泣かされる者がまた一人増えたわけだが、こちらはそれどころではなかった。
共同開発契約書。
連帯保証人、M・リリアーテ。
私はその名をもう一度見た。
笑えるはずの聖剣の正体が、ここで急に笑えなくなる。
いいだろう。
なら次は、起源そのものをめくってやる。




