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第2回 反訴、一本目の矢


 翌朝の魔王城は、朝というより通夜の空気だった。


 廊下を歩く魔族たちが、私の顔を見るたびに道を開ける。期待しているのではない。巻き込まれたくないのだ。法務部に届いた分厚い封筒の噂は、恐ろしい速度で城内を回っていた。


 封筒は机の上に置かれている。


 上質紙。金箔押し。香水の匂いまでした。訴状に香水を振るな。勝訴率が上がると思っているのか。


 私は封を切った。


 羊皮紙が七枚、添付資料が十四枚、最後に「貴殿らの悪質な営業妨害行為により、公認勇者の名誉と事業価値が著しく毀損された」とある。


「営業妨害……」

 リリスが机越しに青ざめる。

「こっちが壊された側なのだけど」

「相手方の理屈では、破壊した勇者に冷たい紙を渡したことで、配信映えが損なわれたそうです」

「配信映え」

「新しい損害概念ですね」

「認められるの?」

「認めたくありません」


 ゴルムンが書類の束を遠巻きに見ながら、ぼそりと言った。

「燃やしちゃ駄目?」

「駄目です」

「じゃあ食う?」

「もっと駄目です」


 法務部の空気は重い。重いが、私は少しだけ気分が良かった。


 雑だ。


 相手の請求は派手だが雑だった。被害額の算定が感情論に寄りすぎている。証拠も薄い。怒鳴れば通ると思っている文書だ。


 つまり、倒せる。


「迎え撃ちます」

「え」

「損害賠償請求に対し、こちらも反訴を準備します」

 私は封筒を机に置いた。

「宝箱の復元費用、逸失利益、侵入による営業阻害、魔物の労務混乱、修繕期間中の来場者減少見込み。積めるものは全部積みます」

「全部?」

「全部です」

 リリスが目を瞬いた。

「……昨日来たばかりよね?」

「はい。なので遠慮がありません」


 私は砕けた宝箱の破片を机に並べた。蝶番、鍵穴、魔封石の欠片。昨夜のうちに小鬼たちが拾い集め、泣きながら袋分けした戦果である。


「まず時価評価額」

「時価って、その、宝箱に値段つくの?」

「つきます」

「箱よ?」

「箱です」

「夢がない」

「法務に夢を求めないでください」


 羊皮紙に数字を書き込んでいく。木材費、魔封術式の再刻印費、人件費、代替宝箱設置までの機会損失。横でゴルムンが目を回していた。


「なんで箱が三百万Gになるんだよ……」

「箱だからです」

「意味がわからん」

「わからなくて結構です。わかる相手に突きつけます」


 昼前、来客があった。


 いや、来客というより圧力そのものが人の形を取って歩いてきた感じだった。


 長い金髪を油で撫でつけた男。漆黒のスーツ。細い口髭。革の鞄。靴だけが妙に尖っている。名刺にはこうある。


 勇者株式会社 首席代理人

 カーロス・ベルンシュタイン


「お初にお目にかかります、魔王陛下」

 男は完璧な角度で一礼した。

「本日は穏便なお話を」

「昨日の封筒は穏便の概念に喧嘩を売っていたけれど」

 リリスが言うと、カーロスは微笑んだ。

「法とは、強者が秩序を与えるための道具ですので」

「すばらしい」

 私は名刺を受け取りながら答えた。

「その傲慢さ、記録に残しておきたいくらいです」

「おや」

「昨日の侵入行為について、まず謝罪を」

「公認勇者の活動は公益性を有します」

「私有地への無断侵入と器物損壊の免責根拠にはなりません」

「魔王城でしょう?」

「だからといって無法地帯ではありません」

「ははあ。では、新任の法務官殿は、紙で勇者を止めると?」

「ええ」

「面白い冗談だ」


 冗談ではない。


 私は書類を一枚ずつ机に並べた。被害写真。破片目録。修繕見積。宝箱の回遊導線図。勇者の侵入時刻と滞在時間。スポンサー露出位置の見取り図。


 カーロスの笑みが、ほんの少しだけ薄くなる。


「こちらが当方の請求案です」

「請求案?」

「はい。貴社勇者の不法行為に基づく損害賠償」

 私は静かに紙を押し出した。

「原状回復費用三百万G、営業損害四百八十万G、ブランド毀損評価額二百万G、再発防止措置費用九十万G、その他付随損害」

「……高いですね」

「昨日のそちらの請求書に比べれば控えめです」

「宝箱一つで?」

「宝箱一つではありません。壊したのは信用です」


 リリスが横で「今の台詞、ちょっと額装したい」と小声で言った。後で却下する。


 カーロスは書類をめくり、鼻で笑い、まためくり、三枚目で黙った。


「この金額算定、誰が?」

「私です」

「根拠は?」

「記載の通りです」

「営業損害四百八十万Gの基礎は」

「第三ダンジョンの月次来場数、平均単価、宝箱目当ての周回率、破損による満足度低下推計」

「推計は恣意的だ」

「では、そちらの『配信映え損失二千万G』は何を基礎に?」

「それは」

「感想ですか?」


 法務部が静まり返った。


 ゴルムンが後ろで、なぜか「おお……」と舞台を見る観客みたいな声を漏らした。やめなさい。調子に乗る。


 カーロスは咳払いをした。

「強気に出ればよいというものではない」

「その通りです」

「勇者株式会社の背後には、巨大な支援網があります」

「名刺の右下ですか」

「……何?」

「小さく印字されていますね。監修、グランドマスター室」

 私が言うと、カーロスの指が止まった。

「見落とすには惜しい文字でした」

「観察力を誇る場面ではありませんよ」

「いえ。法務は、相手が小さく書いたものを読む仕事ですので」


 そこで、扉が勢いよく開いた。


 昨日の公認勇者だ。今日も鎧がやたら光っている。たぶん磨いてきたのだろう。中身は曇っているのに外装だけは熱心だ。


「カーロス先生! 俺、来ました!」

「来なくてよかったのですが」

「えっ」

「えっ、ではありません」


 勇者は私を見るなり露骨に嫌な顔をした。

「うわ、紙の人」

「その呼び方、意外と嫌いではありません」

「昨日のやつ、読んだけど難しくて全然わかんなかったんだけど!」

「読めたのですね」

「僧侶に読んでもらった!」

「偉い」


 カーロスがこめかみを押さえる。胃痛が始まった顔だ。よい兆候である。


「では、本人にも確認しましょう」

 私は勇者に向き直った。

「あなたは昨日、無断でダンジョンに侵入しましたね」

「勇者だから」

「はいかいいえで」

「……はい」

「宝箱を破壊しましたね」

「演出で」

「はいかいいえで」

「はい」

「胸部にスポンサーを掲示していましたね」

「それは契約で」

「商行為ですね」

「うっ」


 沈んだ。


 本当に、目に見えて沈んだ。椅子に座ってもいないのに、精神だけが床下二階くらいまで落ちた。


 私は最後の書類を出した。和解提案書だ。


「当方は訴訟提起の準備がありますが、和解の余地もあります」

 カーロスが顔を上げる。

「条件は」

「損害賠償金の支払い。再発防止誓約。以後の立入時は事前通知」

「ふざけている」

「そちらの請求を維持するなら、こちらは三倍で反訴します」

「三倍?」

 勇者が素っ頓狂な声を上げた。

「なんで増えるの!?」

「今日、あなた方代理人が圧力交渉に来たからです」

「増える理由になるのそれ!?」

「私の気分ではなく、交渉コストです」


 カーロスの目が細くなった。ここで初めて、彼は私を新人扱いするのをやめた。


「……本気でやるつもりか」

「もちろん」

「勝てると思って?」

「勝てると思ったから、もう計算を終えています」


 沈黙。


 法務部の窓の外で、使い魔のカラスが一羽鳴いた。妙に間がいい。


 リリスが小さく息を吸うのが聞こえる。


 カーロスはしばらく無言で書類を見つめ、それから勇者を見た。勇者は目をそらした。剣では勝てても、書面の前では完全に初心者だ。


「……和解でいきます」

「先生!?」

「黙りなさい」

「でも俺、公認――」

「なお黙りなさい」


 勇者は初めて、本気でしょんぼりした。昨日の金ぴかが、今日は雨に濡れた犬みたいである。少しだけ胸がすっとする。少しだけだ。


「金額はこちらで調整を」

 カーロスが低く言う。

「ただし、全面降伏ではない」

「結構です」

「文言もこちらで確認する」

「当然です」

「今後、貴殿を窓口担当と理解してよいですね」

「はい」

「……厄介な新人だ」


 最高の褒め言葉だった。


 結局、その日の夕刻までに和解は成立した。


 勇者本人は最後まで「宝箱ってそんな高いの!?」を三回繰り返したが、署名欄の前では静かだった。剣の握り方より、署名の震え方のほうが人間性が出る。


「読んでから判を」

 私が言うと、勇者は情けない顔でリリスを見た。

「判って、どこ押すの?」

「そこからですか」

 思わず漏らすと、リリスが吹き出した。


 張りつめていた空気が、そこでやっと少しほどけた。


 勇者は和解金の支払いに同意し、再発防止条項にも署名した。最後の最後に私を睨んで、

「次は剣で勝つからな」

 と言ったので、

「次は事前通知で来てください」

 と返しておいた。


 帰ったあと、法務部は一瞬しんとして、それから突然ざわめいた。


「勝った……?」

「勝ったの?」

「紙で?」

「紙で勝った……」


 小鬼たちが拍手し、ゴルムンが感動したみたいな顔で私の肩を叩こうとして書類の山を崩した。やめてほしい。勝利の余韻に雪崩はいらない。


 リリスはしばらく何も言わなかった。


 やがて、私の机の前に来て、小さく頭を下げた。


「ありがとう」

「職務です」

「それでも。……本当に勝てるのね」

「はい」

「なんだか、まだ信じられない」

「私も少しです」


 前世では、勝っても心が軽くならない案件があった。だが今、机の上の証拠書類の束は、たしかに剣と盾の代わりになった。紙が人を倒す。その光景は滑稽で、少し恐ろしく、そしてたしかに痛快だった。


 私は和解金の振込通知書を受け取った。


 口座名義を見て、手が止まる。


 勇者株式会社 第三ファンド


「……第三ファンド?」

「どうしたの?」

 リリスが覗き込む。

「和解金の振込元です」

「変なの?」

「ええ。少なくとも、普通の運営口座ではありません」


 羊皮紙を光にかざす。資金の流れは、組織の背骨だ。ここが見えれば、相手の輪郭も見える。


 勇者株式会社。その背後の支援網。小さく印字されていたグランドマスター室。第三ファンド。


 嫌な予感が、今度は静かではなく、きわめて事務的に背筋を冷やした。


 私は帳簿棚の空きを見つけ、振込通知書を新しい案件箱にしまう。


「調べます」

「どこまで?」

「資金の出どころ、権利の流れ、支配関係」

「それ、嫌なものが出てくるやつ?」

「法務の経験上、たいてい出ます」


 魔王城の窓の外では、夕焼けが塔の先を赤く染めていた。


 初勝利の一日は終わる。だが、勝ったことでようやく見えてきたものがある。これは勇者一人の問題ではない。もっと大きい。もっと広い。もっと、金の匂いがする。


 私は振込通知書の名義をもう一度見た。


 第三ファンド。


 その先にはきっと、剣より重いものが積まれている。権利。資本。契約。国境を越えて絡み合う、巨大な知財の巣だ。


 なるほど。


 面倒で、醜くて、実に戦いがいのある相手じゃないか。


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