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第94話 揺れる世界光

その夜。エルドレッサ商会の最上階のバルコニー。


眼下にはローレンツァの夜景が広がっている。

一ヶ月前は沈黙していた街に、今は無数の灯りがともっていた。

酒場の賑わい。家の窓から漏れる暖かな光。祝いの歌声と笑い声が風に乗る。


「……きれいですね」


僕が呟くと、セラフィナが頷く。

夜風が、彼女の豊かな金髪を揺らした。


「ええ。……戻ったのね、日常が」


彼女は二つのグラスを差し出した。

赤い液体が、星明かりを映して揺れる。


「お疲れ様でした、アラタ。……本当によく頑張ってくれました」


「……セラフィナがいなかったら、僕は途中で折れていました」


正直な気持ちが、口を突いて出た。

トクレンが倒れ、ミーナが倒れ、廃棄の山を見た時。ひとりだったら確実に逃げていた。


「隣にいてくれたから。信じてくれたから、僕はまた考えられた」


僕はグラスを握りしめ、彼女の横顔を見る。

月明かりに照らされた彼女は、強くて、脆くて、ひどく美しかった。


「あなたと一緒なら……どんな相手にだって、数字で立ち向かえる気がします」


セラフィナは少し驚いたように目を見開き、それから、とろけるように微笑んだ。


「それは、私も同じよ」


彼女が一歩近づく。ドレスの裾が触れる距離。

香りが鼻をくすぐる。


「ねえ、アラタ。この先も、一緒に見に行きましょう」


「……どこへ?」


「ギルドの先も、商会の先も。……そのまた先にある景色も」


至近距離で、紫水晶の瞳が僕を捉えた。

そこに映っているのは、商会長としての仮面じゃない。

ただ一人の女性としての信頼と、熱っぽい光だった。


彼女の指先が、僕の手元――グラスを持つ手に、そっと触れた。

ためらいを確かめるみたいに、指が一度だけ震える。


僕が視線を返すと、セラフィナは小さく頷いた。

だから僕は、空いた方の手でその指先を包んで握り返す。

ただ、それだけで胸の奥が静かに熱くなった。


――言葉はいらない。

そう思った、その時。


ヒュオオオ、と空気が震えるような風が吹き抜けた。

二人の間の静寂を、鋭く切り裂く。


夜空を見上げると、世界光が嵐の海みたいに激しく波打っていた。

翠、紅、紫。色が混ざり合い、巨大なカーテンとなって頭上を覆い尽くす。


「……こんなに激しいのは初めて」


セラフィナの瞳に、揺れる光が映り込んでいた。


灰熱病の危機は終わった。

でも、世界そのものが――軋み始めている。そんな予感がした。

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