第93話 罪と罰
特効薬の生産ラインが“一本の流れ”として回り始めてから、三週間が過ぎた。
その間、ローレンツァの街には途切れることなくアッシュ・キュアが供給され続けた。
ハインを中心とした職人たちは、走らない。怒鳴らない。慌てない。
ただ、同じ手順を、同じ呼吸で、同じリズムで繰り返す。
――カチン。
――カチン。
あの硬質な音が鳴るたびに、診療所の列は短くなっていった。
咳の音が減り、泣き声が減り、代わりに子どもたちの笑い声が戻ってきた。
鉛色の雲は切れて、本当の青空が覗くようになった。
そして今日。
領主代行を務める市長と医師団の連名で、正式に“灰熱病の終息”が宣言された。
長い冬が――終わったのだ。
* * *
終息宣言の直後、市議会の大会議室で評議会が開かれた。
集まったのは、この騒動の対策本部の顔ぶれだ。
商会長セラフィナ。ギルド支部長ロアン。医師団代表。教会の司祭。
そして市議会代表のメルツ。
窓の外からは、終息を祝う歓声が微かに流れ込んでくる。
しかし会議室の中は冷たい。
危機の最中に棚上げにされていた“責任”を問う――“罰”の時間だった。
「――報告書は読ませてもらった」
メルツが、分厚い羊皮紙の束を机に叩きつけた。
「死者数は当初の想定を大幅に下回った。近隣の都市と比べても、ローレンツァの被害は奇跡的に少ない。……結果だけ見れば、大成功だ」
メルツはそこで言葉を切り、僕を睨みつける。
「だが、その過程には看過できない問題がある。
ここに記されている“廃棄の損失”の金額だ」
指が数字を叩く。
「大量の薬草と加工済みの中間素材が、廃棄された。
その総額は、街の税収の一割にも相当する。……莫大な損失だ」
部屋が静まり返った。
事実だ。僕が“全量投入”を指示し、その後“九割停止”を指示したことで、山のような半製品がゴミになった。
「アラタ・トマツ。君の初動の判断ミスが、この損失を生んだ」
メルツは立ち上がり、糾弾を始める。
「君が現場を煽り、無駄な在庫を積み上げさせたせいで、貴重な資源が溝に捨てられた。
さらに、その失策がトクレンという希少な職人を倒れさせ、一時的に供給を止めた。……違うか?」
喉が乾いた。
でも、ここで言い逃れをするつもりはなかった。
「……違いません」
僕は席を立ち、深く頭を下げた。
「僕の読みが甘かった。恐怖に負けて、現場に混乱を招きました。責任は、すべて僕にあります」
どれだけ結果が良くなっても、トクレンを倒れさせた事実は消えない。
廃棄の山を作った罪も消えない。
「認めるのだな!」
メルツは勝ち誇ったように声を張る。
「聞きましたね! 彼は自分の誤りを認めた!
ならば相応の罰が必要だ。今後一切この街の運営に関わらせるべきではない!」
言葉に、私情が滲む。
外部の人間が危機の中で主導権を握ったのが気に入らない――そんな匂いがした。
ロアンが椅子を軋ませ、何か言い返そうとした、その時。
「――お待ちください」
凛とした声が、男の言葉を遮った。
セラフィナが、静かに立ち上がっていた。
「確かに、彼の初動判断に誤りがあったのは事実です。彼自身もそれを認め、反省しています」
紫水晶の瞳が、まっすぐにメルツを射抜く。
「ですが、彼だけの責任ではありません。あの時、彼の提案にその場の全員が合意しました。
――メルツ市議。あなたもそう仰っていたはずです」
「言っていない! 私は慎重にやれと――」
「……失礼」
静かな声が、部屋の隅から上がった。
全員が振り向く。記録席の書記官が、帳面を開いたまま立ち上がっていた。
「議事録の正確性に関わりますので、該当箇所を確認いたします」
書記官は帳面に目を落とし、抑揚のない声で読んだ。
「メルツ市議の発言。『金に糸目はつけん。冒険者も薬師も総動員だ。市民を救うために――全員で汗をかけ』。以上です」
書記官の声には感情がない。ただ記録を読んだだけだ。
だからこそ、逃げ場がなかった。
メルツの顔から血の気が引く。
「そ、それは……周りがそう言うから――」
「ええ。あなたも、ご自分の意志でそう仰ったのです」
セラフィナの声は穏やかだった。責めてすらいない。
ただ事実を、事実として口にしただけだった。
「誰も正解を知らなかった。だから全員で間違えたのです」
セラフィナは視線を巡らせ、会議室全体に言い聞かせるように続けた。
「それに――彼がいなければ、私たちはどうなっていたでしょう。
“善意の在庫”に埋もれ、トクレンが倒れた時点で、私たちは全滅していました」
医師団代表が、はっとしたように顔を上げた。
司祭が祈るように手を組む。
「彼は逃げませんでした。自分のミスを認め、批判を恐れずに“止める”決断を下した。その勇気が、この街の命を救ったのです」
セラフィナは僕の方へ向き、静かに宣言した。
「エルドレッサ商会は、彼の働きを正式に認めます。
損失の責任は商会が持ちます。――ですが、彼を手放すつもりはありません」
「な……商会長、正気か!?」
「正気です」
彼女は微笑んだ。宝石みたいに冷たい笑みじゃない。強く、温かい笑みだった。
「私は、これからも彼と共に、この街を守っていくつもりですから」
胸が熱くなって、言葉が出なかった。
守られている。信じられている。
その事実が、遅れて痛みのように胸に落ちる。
コツン、と小さな音がした。
医師団代表がペンを置き、立ち上がって深く一礼したのだ。
「……私の患者たちが助かったのは、あなたが特効薬の“流れ”を戻してくれたからです。医師団は、商会長の言葉を支持します」
続いて、ルミナ薬工房の親方代理として来ていたハインが立ち上がった。
言葉はない。ただ拳を胸に当てて僕を見る――それが、承認だった。
ロアンが、けだるげに、しかし力強く手を叩き始める。
その音が合図のように、司祭も書記官も静かに拍手を重ねた。
喝采じゃない。
温かく、静かな“許可”の音。
メルツは口をぱくぱくとさせ、やがて黙り込んだ。
空気が、僕を“仲間”として受け入れてしまったからだ。
僕は震える手で、何度も頭を下げた。
罪は消えない。
でも――背負って歩け、と言われた気がした。




