表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

93/95

第93話 罪と罰

特効薬の生産ラインが“一本の流れ”として回り始めてから、三週間が過ぎた。


その間、ローレンツァの街には途切れることなくアッシュ・キュアが供給され続けた。

ハインを中心とした職人たちは、走らない。怒鳴らない。慌てない。

ただ、同じ手順を、同じ呼吸で、同じリズムで繰り返す。


――カチン。

――カチン。


あの硬質な音が鳴るたびに、診療所の列は短くなっていった。

咳の音が減り、泣き声が減り、代わりに子どもたちの笑い声が戻ってきた。


鉛色の雲は切れて、本当の青空が覗くようになった。


そして今日。

領主代行を務める市長と医師団の連名で、正式に“灰熱病の終息”が宣言された。


長い冬が――終わったのだ。


* * *


終息宣言の直後、市議会の大会議室で評議会が開かれた。


集まったのは、この騒動の対策本部の顔ぶれだ。

商会長セラフィナ。ギルド支部長ロアン。医師団代表。教会の司祭。

そして市議会代表のメルツ。


窓の外からは、終息を祝う歓声が微かに流れ込んでくる。

しかし会議室の中は冷たい。

危機の最中に棚上げにされていた“責任”を問う――“罰”の時間だった。


「――報告書は読ませてもらった」


メルツが、分厚い羊皮紙の束を机に叩きつけた。


「死者数は当初の想定を大幅に下回った。近隣の都市と比べても、ローレンツァの被害は奇跡的に少ない。……結果だけ見れば、大成功だ」


メルツはそこで言葉を切り、僕を睨みつける。


「だが、その過程には看過できない問題がある。

 ここに記されている“廃棄の損失”の金額だ」


指が数字を叩く。


「大量の薬草と加工済みの中間素材が、廃棄された。

 その総額は、街の税収の一割にも相当する。……莫大な損失だ」


部屋が静まり返った。

事実だ。僕が“全量投入”を指示し、その後“九割停止”を指示したことで、山のような半製品がゴミになった。


「アラタ・トマツ。君の初動の判断ミスが、この損失を生んだ」


メルツは立ち上がり、糾弾を始める。


「君が現場を煽り、無駄な在庫を積み上げさせたせいで、貴重な資源が溝に捨てられた。

 さらに、その失策がトクレンという希少な職人を倒れさせ、一時的に供給を止めた。……違うか?」


喉が乾いた。

でも、ここで言い逃れをするつもりはなかった。


「……違いません」


僕は席を立ち、深く頭を下げた。


「僕の読みが甘かった。恐怖に負けて、現場に混乱を招きました。責任は、すべて僕にあります」


どれだけ結果が良くなっても、トクレンを倒れさせた事実は消えない。

廃棄の山を作った罪も消えない。


「認めるのだな!」


メルツは勝ち誇ったように声を張る。


「聞きましたね! 彼は自分の誤りを認めた!

 ならば相応の罰が必要だ。今後一切この街の運営に関わらせるべきではない!」


言葉に、私情が滲む。

外部の人間が危機の中で主導権を握ったのが気に入らない――そんな匂いがした。


ロアンが椅子を軋ませ、何か言い返そうとした、その時。


「――お待ちください」


凛とした声が、男の言葉を遮った。

セラフィナが、静かに立ち上がっていた。


「確かに、彼の初動判断に誤りがあったのは事実です。彼自身もそれを認め、反省しています」


紫水晶の瞳が、まっすぐにメルツを射抜く。


「ですが、彼だけの責任ではありません。あの時、彼の提案にその場の全員が合意しました。

 ――メルツ市議。あなたもそう仰っていたはずです」


「言っていない! 私は慎重にやれと――」


「……失礼」


静かな声が、部屋の隅から上がった。

全員が振り向く。記録席の書記官が、帳面を開いたまま立ち上がっていた。


「議事録の正確性に関わりますので、該当箇所を確認いたします」


書記官は帳面に目を落とし、抑揚のない声で読んだ。


「メルツ市議の発言。『金に糸目はつけん。冒険者も薬師も総動員だ。市民を救うために――全員で汗をかけ』。以上です」


書記官の声には感情がない。ただ記録を読んだだけだ。

だからこそ、逃げ場がなかった。


メルツの顔から血の気が引く。


「そ、それは……周りがそう言うから――」


「ええ。あなたも、ご自分の意志でそう仰ったのです」


セラフィナの声は穏やかだった。責めてすらいない。

ただ事実を、事実として口にしただけだった。


「誰も正解を知らなかった。だから全員で間違えたのです」


セラフィナは視線を巡らせ、会議室全体に言い聞かせるように続けた。


「それに――彼がいなければ、私たちはどうなっていたでしょう。

 “善意の在庫”に埋もれ、トクレンが倒れた時点で、私たちは全滅していました」


医師団代表が、はっとしたように顔を上げた。

司祭が祈るように手を組む。


「彼は逃げませんでした。自分のミスを認め、批判を恐れずに“止める”決断を下した。その勇気が、この街の命を救ったのです」


セラフィナは僕の方へ向き、静かに宣言した。


「エルドレッサ商会は、彼の働きを正式に認めます。

 損失の責任は商会が持ちます。――ですが、彼を手放すつもりはありません」


「な……商会長、正気か!?」


「正気です」


彼女は微笑んだ。宝石みたいに冷たい笑みじゃない。強く、温かい笑みだった。


「私は、これからも彼と共に、この街を守っていくつもりですから」


胸が熱くなって、言葉が出なかった。

守られている。信じられている。

その事実が、遅れて痛みのように胸に落ちる。


コツン、と小さな音がした。

医師団代表がペンを置き、立ち上がって深く一礼したのだ。


「……私の患者たちが助かったのは、あなたが特効薬の“流れ”を戻してくれたからです。医師団は、商会長の言葉を支持します」


続いて、ルミナ薬工房の親方代理として来ていたハインが立ち上がった。

言葉はない。ただ拳を胸に当てて僕を見る――それが、承認だった。


ロアンが、けだるげに、しかし力強く手を叩き始める。

その音が合図のように、司祭も書記官も静かに拍手を重ねた。


喝采じゃない。

温かく、静かな“許可”の音。


メルツは口をぱくぱくとさせ、やがて黙り込んだ。

空気が、僕を“仲間”として受け入れてしまったからだ。


僕は震える手で、何度も頭を下げた。


罪は消えない。

でも――背負って歩け、と言われた気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ