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第87話 止める勇気、進む勇気

九割を止める。

その一言を伝えるために、僕は街中の関係者を叩き起こした。


緊急招集の場所は、冒険者ギルドの二階――大会議室だった。


いつもならギルドの運営会議や、揉め事の仲裁に使われる部屋。

今はそこに、人が溢れている。


ギルドマスターのロアン。医師団代表。教会の神官。市議会代表のメルツ。

そして――壁際に、武装した冒険者たちがずらりと立っていた。


湯気のような怒気が、部屋の隅に溜まっている。

彼らの多くは、今朝も森へ行くつもりだった。あるいは、行ったばかりだ。

それを呼び止められた理由が分からないまま、ここにいる。


「……こんな早朝に何だ」


メルツが机を叩いた。苛立ちが声に滲む。


「トクレンが倒れて市民は爆発寸前だ。会議してる暇があるなら、代わりの職人を連れてこい!」


ロアンが低く唸る。


「代わりなんざ、いねえ。だからこそ集まってるんだろ」


冒険者の列から、ざわりと音が立った。

誰かが小さく舌打ちをし、誰かが床を鳴らす。


僕は立ち上がり、深く一礼した。

膝が崩れそうになる。けれど、背後にセラフィナがいる。その気配が背骨を支えた。


「代わりはいません。ですが――生産を再開する方法は見つかりました」


冒険者たちの目が、一斉にこちらへ向く。

期待と疑いが混ざった目だ。


「ただし」


僕は、息を吸った。


「皆さんにお願いがあります。今動いている灰熱病対策の工程を――九割、止めてください」


一瞬、空気が凍った。

理解が追いつかず、誰も声が出ない。


次の瞬間、怒号が飛んだ。


「……は? 止めるだと!?」

「ふざけんな! 今、薬が足りねえから死んでんだろ!」

「俺らの仕事を、無駄だって言うのか!」


メルツも立ち上がり、机を叩く。


「正気か!? 患者は待ってくれないんだぞ!」


――正しい反応だ。

足りないなら、もっと集めろ。もっと回せ。普通の感覚なら、それが正義だ。


でも、その“正義”が、最後の砦を倒した。


「文字通りです」


僕は声を張った。


「採取依頼を一時的に九割削減します。前処理も、指定量以上は行いません。搬入も止めてもらいます」


冒険者の列がざわめき、空気がさらに険しくなる。

ロアンが眉間に皺を寄せたまま、こちらを見た。


――お前、本気か。

その目がそう言っている。


「昨日まで、工房に入った材料のうち、製品になったのは一割以下でした」


僕は帳面を開き、数字を置いた。


「残り九割はどうなりました? 通路を塞ぎ、検品と手直しの時間を奪い、腐ってゴミになっただけです!」


「だからもっと急げって言ってんだ!」


冒険者の一人が叫ぶ。


僕は首を振った。


「急げば急ぐほど、質が乱れて詰まります。詰まればゼロになる。昨日がそうでした。

 今のルミナ薬工房は、一番弟子のハインさんが“封印だけ”に集中して、まずは一日20本が限界です。そこに200本分の材料を流し込めば、20本ができるどころか――またゼロになります」


部屋がざわつく。

“20本”という小さな数字が、怒りに油を注ぐ。


「出口が細いなら、入口も合わせるしかないんです」


僕は机の上の工程図を指差した。


「太い水を無理やり流し込めば、あふれて周りを壊すだけ。

 今必要なのは、九割の“無駄になる努力”を捨てて、一割の“確実な成果”を守ることです!」


「机上の空論だ!」


メルツが吐き捨てる。


「そんな理屈、市民に通用すると思っているのか! 暴動が起きるぞ!」


教会の神官が祈るように手を組み、医師団代表は苦渋の表情で目を閉じた。

分かっている。今のままでは破綻する。

でも、止める恐怖に勝てない。


冒険者の列が、一歩、前へ出た。

硬い視線が僕に刺さる。


「責任はどう取る」


メルツが低い声で言った。


「失敗して死者が増えたら――この街は、お前を許さないぞ」


背筋が冷える。

「分かりました。やっぱり全員で頑張りましょう」と言えば楽になる。

失敗しても“みんなで頑張った”と言い訳できる。


でも、それをやれば――ミーナは助からない。

診療所の列の子どもたちも助からない。


止める勇気。進む勇気。

どちらも、ここで折れたら終わる。


窓の外で、雪交じりの風がガラスを叩いた。

その音が、会議室の外で膨らみ続ける不安と苛立ち――街のざわめきそのものに重なって聞こえた。


僕はゆっくり視線を上げ、腹の底から言い切った。


「……それでも止めないといけない。

 ルミナ薬工房に届く材料は、ほとんどもう“ゴミ”になっています」


言い終えた瞬間、会議室の空気が凍りつくのを感じた。

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