第77話 全員で汗をかけ
トクレンが鼻を鳴らした。
だが次の瞬間、口角がほんの少しだけ上がった。
「舐めるなよ、坊主。ワシは四十年前、三日三晩寝ずに釜を回し続けた男だ。材料さえ揃えば、あとはワシが何とかしてやる」
会議室の空気が変わった。
停滞が、熱に変わる。やるべきことが見えたときの、あの独特の高揚だ。
「それだ! そうだ、非常時なんだ!」
メルツが手を叩いた。
「金に糸目はつけん! 冒険者も薬師も総動員だ! 市民を救うために――全員で汗をかけ!」
セラフィナが立ち上がり、凛と宣言した。
「決まりです。エルドレッサ商会は全力で支援します。
ロアン支部長、冒険者の動員を。教会は看護と下働きの人手を。
医師団は、アッシュ・キュアを重症者と、悪化の兆しがある患者から優先して。軽症者は通常薬で持たせてください。基準は毎日見直して、現場が迷わないように。
それから――商会の備蓄している通常薬は、診療所へ必要量を回します」
会議が終わり、外へ出る。
廊下の窓の向こう、鉛色の空が街に覆いかぶさっている。
(やれることは、全部やった)
僕はそう思い込もうとした。
材料さえあれば。釜さえ止まらなければ。
きっと――間に合う、と。
* * *
翌朝。
冒険者ギルドの前は、異様な熱気に包まれていた。
「いいかお前ら! 報酬は特盛りだ! その代わり、葉っぱ一枚でも多く持ち帰れ!」
ロアンの檄が飛び、冒険者たちが雄叫びを上げる。
掲示板は灰熱病関連の依頼で埋まり、紙片が風で震えた。
その中に、見知った顔がいる。
C級冒険者パーティ『グラスホーク』。リーダーのアイナが、片手剣を背負って拳を突き上げた。
「任せて! 根こそぎ採ってきてやるわ!」
バルグは真剣な顔で装備を点検している。
あの大男の肩が、いつもより硬い。家族が倒れているんだ。笑っていられるはずがない。
「行くぞ。俺たちが運んだ分だけ、助かる命が増える」
冒険者たちが次々に、雪の舞い始めた森へ駆けていく。
街がひとつになって、見えない敵に立ち向かっている。
――希望の光景だった。
その希望を、僕は“正しい流れ”だと信じた。
けれど。
その頃、ルミナ薬工房の裏手では、トクレンがひとり立ち尽くしていた。
節くれ立った手。薬草汁が染みついた指先。
彼はそれを強く握りしめ――そして開く。
指先が、わずかに震えていた。
「……四十年前とは、違うか」
誰にも聞こえない声で、彼は呟いた。
「あの頃のローレンツァの人口は五千。今は、その三倍以上……」
窓の外から、冒険者たちの勇ましい声が響いてくる。
きっと、材料は山のように集まる。半製品も次々に運び込まれる。
期待も、善意も、熱も――全部が、この工房に流れ込んでくる。
トクレンは、震える手を膝で叩き、無理やり止めた。
「……やるしか、ねえんだがな」
鉛色の空が、どこまでも広がっていた。




