第76話 総動員の決議
最初の死者が出たその夜。
エルドレッサ商会の大会議室には、冬の空気よりも重たい沈黙が張りついていた。
長机を囲むのは、この街の命運を握る顔ぶれだ。
商会長セラフィナ。冒険者ギルド支部長ロアン。ルミナ薬工房の親方トクレン。
街の医師団代表に、教会の神官。
そして市議会代表――ゲルハルト・メルツ市議。
恰幅のいい男が、落ち着かない手つきで指輪をいじっている。
僕は末席で、膝の上のメモを握りしめていた。
机の中央には、淡青色の結晶が銀の輪に浮かぶ魔道具――光輪通信。
結晶の奥で、光がゆっくりと呼吸するように揺れ、そこから“文字”が滲み出る。
届いた返事は、どれも冷たかった。
「……ダメかよ」
ロアンが、吐き捨てるように言った。
セラフィナは表情を崩さず、結晶板に浮かんだ文を淡々と読み上げる。
「王都の大商会、および近隣三都市からの回答です。
『我が都市でも発熱患者が増加傾向。外部派遣は不可能』
『灰熱病の疑いがあるため、門を閉ざし移動を制限する』
『薬草および薬剤は自領防衛を最優先とする』……以上」
拒絶。
薄情だからじゃない。合理的だからだ。
四十年前の“灰色の雪”を覚えている街なら、当然こうする。
門を閉じ、物資を抱え込み、よそへ人を出さない。外からも入れない。
統治者としての最適解――少なくとも、自分の街だけを見るなら。
「王都医師団からも通達が出ています。
『疑わしい場合は移動を制限し、自領での封じ込めを最優先せよ』と。……つまり」
セラフィナは一度言葉を切り、全員を見渡した。
「つまり、援軍は来ません。物資の融通もありません。
ローレンツァにあるものだけで、この冬を越す必要があります」
会議室の空気が、さらに一段冷えた気がした。
「ふ、ふざけるな!」
メルツが机を叩いた。脂汗を浮かべた額を拭いながら、甲高い声を張り上げる。
「市民が死んでるんだぞ! 薬が必要なんだ、薬が!
金なら出す! 予備費を全部突っ込んでもいい! どこかから買ってこられないのか!?」
「買える薬がないのです」
医師団代表が、疲れた声で返した。目の下に濃い影がある。
「解熱剤や通常の回復薬は、あくまで対症療法です。肺の炎症を抑え、持ちこたえさせる“時間稼ぎ”にはなる。
ですが……灰熱病そのものを鎮める決め手にはならない」
セラフィナが、静かに頷いた。
「ええ。その“時間”は商会が買うわ」
彼女は迷いなく言い切る。
「備蓄している通常薬は、商会の倉庫から診療所に惜しみなく提供します。――特効薬が回りきるまで、この街を“持たせる”わ」
だが、“持たせる”だけでは勝てない。
必要なのは、病そのものを止める一手だ。
室内の視線が、自然とトクレンに集まった。
トクレンは腕組みしたまま、不機嫌そうに目を閉じている。
頑固で、口が悪くて、でも――この街でいちばん頼りになる職人だ。
「……特効薬の製法を知ってる薬師は他にもいる」
トクレンが重い口を開いた。
「だが、アッシュ・キュアを最終工程まで仕上げられる設備と腕が、いまこの街で揃ってるのはウチだけだ」
メルツが唾をのむ音がした。
「問題は二つ。ひとつは材料だ。灰葉草が足りねえ」
「だったら採ってこい! ギルドは何をしている!」
矛先がロアンに向く。ロアンは眉間に皺を刻んだまま、低い声で返す。
「やってるさ。だがな、灰葉草は厄介なんだよ。似た草が腐るほどある。
“魔力が生きてる本物”を見分けられなきゃ意味がねえ」
もうひとつの問題は――僕の胸を締めつけるやつだ。
トクレンが続けた。
「それと、保存が効かねえ。採ってから数日で草は死ぬ。
薬液も同じだ。封をしても、数日で“抜ける”。……作り置きができねえ」
会議室に沈黙が落ちた。
外から助けも来ない。材料は厄介で、しかも貯められない。
(供給が止まった瞬間、街は詰む)
思考が止まりかけた、その場に――僕は意を決して、声を上げた。
「……だからこそ、“合理的に”やりましょう」
全員の目がこちらを向く。
「誰だ、お前は? 部外者がなぜここにいる?」
鋭い声が飛ぶ。メルツは不快げに眉を寄せ、僕を睨みつけた。
「彼はエルドレッサ商会の信頼できる相談役です」
セラフィナが即座に、凛とした声で言葉を挟んだ。
「数字に強く、現状を打破するためには彼の知恵が必要と考えました」
「……ふん」
メルツは不承不承といった様子で黙り込む。
突き刺さるような視線の中、喉が渇いた。けれど、ここで黙れば終わる。
「いま一番のリスクは、無駄が出ることじゃない。供給切れです。
必要なときに薬がない。――それが最悪です」
「当たり前だろう!」とメルツが噛みつきかけたが、セラフィナが片手で制した。
僕は続ける。
「普段の商いなら、売れ残りは悪です。百集めて五十捨てれば損失になる。
でも、これは商売じゃない。災害対策です」
僕はメモを広げ、机の端に簡単な図を描いた。
“草(数日)→一次加工→釜→封印→薬(数日)”。
どこも猶予が短い。止まったら取り返しがつかない。
「ここで“無駄を出さないよう慎重に”やったら、間に合いません。
でも百本集めて、五十本がダメになっても――五十本は薬になる」
医師団代表が、かすかに頷いた。
教会の神官が祈るように指を組む。
「短期的な効率は捨てましょう。
全工程を、限界までフル稼働させる。無駄が出てもいい。まず“出せる本数”を最大化する」
僕は、言葉を選びながら具体策を並べた。
「ギルドは灰葉草の採取クエストを増発。報酬は上乗せし、できるだけ熟練者を動員する。
採ってきた草は――」
そこでセラフィナを見る。彼女は一瞬で意図を理解し、はっきり言った。
「灰葉草と鑑定できた草は商会が全量買い取る。たとえ使い切れず腐ることになっても。冒険者に“無駄足かもしれない”という不安を抱かせないで」
ロアンが歯を見せて笑った。
「いいねえ。そうこなくちゃな」
「次に、工房側」
僕は視線を巡らせる。
「ルミナ薬工房だけに全部を背負わせない。エルドレッサ傘下の薬師工房は、通常業務を最低限に絞って、灰葉草の選別・洗浄・刻み・一次加工を受け持つ。
ルミナには“仕上げ”だけを集中させる」
トクレンに視線を向けた。
彼は不機嫌そうなまま、けれど目だけが鋭い。
「親方にしかできない工程に、親方の時間を全部突っ込みたい。
下準備で釜が止まるのが、一番もったいない」
さらに、僕は続けた。
「……材料が山ほど来ても、捌けますか?」
僕の問いかけに、トクレンの太い眉がピクリと動いた。
職人としての矜持を刺激されたようだった。
「……舐めた口ききやがる」




