第67話 商会長の長い朝
◆セラフィナ視点
翌朝。エルドレッサ商会の執務室には、重苦しい沈黙が満ちていた。
窓から差し込む秋の陽射しは明るいのに、私の手元だけが、まるで冬の夜のように冷え込んでいる気がした。
机の上には、二冊の帳面が開かれている。
一冊は、倉庫に保管されている在庫を記録した『倉庫在庫一覧』。
もう一冊は、過去の金庫の中身の動きを記録した『出納帳』。
羽ペンを握ったまま、私はその二つを交互に見つめ、小さく息を吐いた。
「……たしかに、この時期はいつも金庫の現金が薄くなるわね」
出納帳の数字は正直だ。
冬支度のための大量仕入れ。前払い金。倉庫の修繕費。
それらの出費が重なり、この季節の商会の現金残高は、一年で最も低くなる。
もちろん、冬を越せば、在庫が売れて現金が戻ってくる。そう信じて疑わなかった。
けれど、昨日のアラタの言葉が、耳の奥で棘のように疼く。
『現金を倉庫に閉じ込めてしまう』
『在庫は罪』
ふと、在庫一覧の数字に目を落とす。奥の備蓄区画の金額が、ひどく大きい。
……本当にあの金額通りの価値が、今もあるのかしら。
――いいえ。今はそれどころじゃない。
カッとなって追い返してしまったけれど……彼が言いたかったことの全部が間違いだったわけじゃない。
むしろ、図星だったからこそ、私はあんなに過剰に反応してしまったのだ。
(……見せたいだけだったのに)
私はペンを置き、眉間を押さえた。
アラタに、私の誇りを見てほしかった。
父から受け継いだ、この街を守るための“盾”。それを彼に認めてもらって、「これなら安心ですね」と笑ってほしかっただけなのに。
それなのに、結果はどうだ。
彼の言葉を遮り、感情的に怒鳴りつけ、挙句の果てに「帰って」と突き放した。
(……ひどいことを言ってしまった)
彼が、親身になって商会のことを考えてくれた言葉を、“数字でしか知らない”のだと断じて切り捨てた。
もし、彼がこのまま戻ってこなかったら?
「話の通じない頑固な女だ」と呆れ果てて、ギルドの奥へ引っ込んでしまったら?
胸の奥が、冷たい手で掴まれたようにきしむ。
商会の損得じゃない。もっと個人的な、喪失の予感に震える。
その時だった。
コンコン、と控えめなノックの音が響いた。
「姉さん。……いや、商会長」
弟のレオニスの声だ。
私は慌てて表情を作り直し、「入りなさい」と声をかけた。
扉が開き、レオニスが顔を覗かせる。
その表情は、どこか安堵したような、それでいて気遣わしげなものだった。
「お客様です。……アラタ・トマツ殿が、お見えです」
その名前を聞いた瞬間、鼓動が跳ね上がった。
私は弾かれたように椅子から立ち上がった。




