第49話 金貨360枚の壁
エルドレッサ商会お抱えの魔石加工工房。
街の外れ、川沿いに建つその煉瓦造りの建物に近づくと、外にまで低い振動音が響いてくるのが分かった。
ガガガガガ、ギィ……ッ、ガガガ……。
不規則で、どこか苦しげな金属音。
中に入ると、その音はさらに大きくなり、石の粉塵と焦げた匂いが鼻を突いた。
「ひどい音ね」
レティシアが顔をしかめ、ハンカチで口元を覆う。
セラフィナも痛ましげに眉を寄せた。
「……ええ。騙し騙し使ってきたけれど、もう限界が近いのよ」
広い工房の中央に鎮座しているのは、巨大な鉄の塊だ。
魔力を動力として動く、魔石粉砕機。
鉱山から運ばれてきた魔石の原石を砕き、均一な大きさに揃えるための機械だ。
これがなければ、魔道具の部品も、薬の触媒も作れない。
「おい、止まるぞ! 魔力を絞れ!」
職人の怒声が飛ぶ。
粉砕機のピストンが、嫌な音を立てて停止した。
投入口に石が詰まったのだ。
「クソッ、またかよ! おい、レンチを持ってこい! 詰まった石を掻き出すぞ!」
現場責任者のガルド親方が、油まみれの手で機械を叩く。
職人たちが総出で機械のカバーを開け、作業に取り掛かる。
その間、他の工程の作業員たちは手持ち無沙汰に立ち尽くすしかない。
僕は、その光景を見ながら、頭の中でチリチリと数字が焦げる音を聞いていた。
(……稼働が止まっている間も、固定費は出続けている)
職人の給金。工房の家賃。照明代。
彼らが休んでいるわけではないことは分かっている。必死に修理している。
けれど、経営の視点で見れば、機械が止まっている時間は“何も生み出さずに、固定費を垂れ流している時間”だ。
これが毎日のように続けば、工房の利益なんて簡単に食いつぶされてしまう。
「……見ていられないわね」
レティシアがつぶやく。
「現場の人間が汗水垂らして働いているのに、生み出されるのは石の粉と騒音だけ。これじゃあ、いくら働いても楽にならないはずよ」
「だからこそ、今日決めるの」
セラフィナが、強い眼差しで機械を見上げた。
「この現状を変えるための、買い物をね」
* * *
工房の二階にある会議室。
窓からは、眼下の作業場が一望できる。時折響く「ガガガ」という異音を聞きながら、重苦しい空気がテーブルを支配していた。
出席者は、商会長のセラフィナ。工房長のガルド親方。
長年、エルドレッサ商会の金庫番としてこの工房を見てきた古参の番頭、モルガン。
そして、帳簿係のルカと僕、見学者のレティシアだ。
テーブルの中央には、一枚の羊皮紙が置かれている。
王都の魔道具ギルドから取り寄せた、最新型の魔石粉砕機の見積書だ。
「……金貨360枚」
番頭のモルガンが、呻くような声を出した。
白髪交じりの頭を抱え、見積書の数字を睨みつけている。
「ミスリル製の刃に、最新の魔力制御回路。処理能力は今の倍で、魔力消費は半分。故障も少ない……素晴らしい機械です。それは分かります。
ですが、金貨360枚ですぞ!?」
金貨360枚。
地方都市の一工房にとっては、屋台骨が揺らぎかねない金額である。
「今の工房の稼ぎで言えば、半年分の売上が丸ごと吹っ飛びます!」
会議室の空気が止まった。
買わなければいつか取り返しがつかなくなる。けれど、買えば“取り分”が全て消える。
――出口が、見えなかった。




