第47話 王都からの来訪者
「……この国はね、巨大な“幽霊”の上に建ってるの」
エルドレッサ商会の応接室。
午後の陽が差し込む上等なソファに、その女性は深く身を預け、長い脚を組んでいる。
仕立てのいい旅装束は地味なのに、妙に目を引いた。
銀縁眼鏡の奥にある瞳は、冷ややかな知性を湛えた氷河色。黙っていれば彫像のように美しいが、口元にはいつも誰かを値踏みするような薄い笑みが浮かんでいる。
――すごい美人だな、と率直に思う。
もっとも、その美しさには、触れた指を切りそうな鋭さがあった。
セラフィナが太陽の下で咲き誇る大輪の薔薇だとしたら、彼女は月明かりの下で静かに、しかし鋭く輝く氷の華だ。
レティシア・ファルステッド。
王都財務局の次席補佐官。この王国で最も巨大で、最も錆びついた「国家台帳」を握る役人の一人だ。
「幽霊、ですか?」
僕が聞き返すと、レティシアは汚いものでも見るみたいに宙を睨んだ。
「国家台帳よ。土地、鉱山、牧草地――本来なら、どこで誰が富を生んでいて、どれだけ税を取れるかを決めるための国の心臓部。
でも、その心臓はもう何十年も止まったまま」
指先が、カップの縁を神経質になぞる。
「枯れた鉱山が、いまだに“現役”のまま地代を取られている。
逆に、新しく拓かれた豊かな土地は、台帳に載っていないから“存在しない土地”として見逃される。
帳面の数字と、目の前の土地と人の暮らしが、どんどん離れていくのに……それを怖いと思う人間が、王都にはいないのよ」
――国家台帳の形骸化。
以前ロアンから聞いた話を思い出す。この国の税は、取引ごとにかかるイベント税と、古い台帳に基づく固定税の二本柱だ。
商品を運んだら税。門や街道を通ったら税。
台帳が更新されないということは、国が「今、どこでどれだけ富が生まれているか」を把握できていないということになる。
過去の亡霊みたいな数字を相手に税を取り、新しい富を見逃し続ける。そんなやり方が、いつまでももつはずがない。
――そう考えていたところに、セラフィナの声が割り込んだ。
「相変わらず辛辣ね、レティ」
「だって本当のことだもの。
王都の“生きた化石”たちは、前例と保身と晩餐のことしか考えてないわ」
向かいのソファで、セラフィナがくすりと笑った。
その声は、普段の商会長のそれより柔らかい。
この世界に来てから、セラフィナがこんなふうに肩の力を抜いて話す相手を見たのは初めてだった。
「……意外そうな顔をしてるわね、アラタ」
不意に話を振られ、僕は背筋を伸ばした。
「い、いえ。ただ、セラフィナがそんなふうに……その、砕けた感じで話せる相手がいるんだな、と」
「失礼ね」
セラフィナは微笑んだまま、楽しそうに目を細める。
「彼女とは、王都の式典で知り合ったのよ。
誰も彼もが私のドレスや父の商売の話しかしない中で、この人だけはいきなり『あの燭台の蜜蝋、関税込みで単価いくらか分かる?』って聞いてきたの」
「だって勿体ないじゃない」
レティシアは悪びれもせず言う。
「最高級の予算で計上してるのに、現物は明らかに質が落ちたB級品。
その灰になる金貨の数を計算したら、吐き気がして会場に戻れなかっただけよ」
なるほど。
ドレスでも宝石でもなく、燃えて消える蝋燭の原価と不正の気配に目が行く人間。
――この人は、僕たちと同じ側の人間だ。
「それで、回廊の隅で夜明けまで“王国の無駄遣い”について語り明かしたの」
セラフィナの横顔は、どこか懐かしそうだった。
ただ話が通じる相手として扱われた夜。それが彼女にとって特別だったのだと、今の表情で分かる。
レティシアはそこでふっと僕に視線を向けた。
氷河色の瞳が、値踏みするように細まる。
僕は促されるように口を開いた。
「さっきの国家台帳の話ですけど……そんな状態で、王都はどうやって税を取っているんですか?」
一瞬、応接室の空気が止まった。
レティシアの唇が、薄く歪む。
それは、獲物を見つけた猫みたいな笑みだった。
「いい質問ね」
彼女はカップをソーサーに戻し、静かに言った。
「――王が税を取っているように見えて、実際にはそうじゃないのよ」
王宮がすべてを握っているように見えて、そうではない。
もし本当にそうなら――そこにある“数字”は、ただの帳面なんかじゃない。
この国の金と権力、その流れそのものだ。
――この国で、本当に税を握っているのは誰なんだ。




