表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

43/95

第43話 夕焼けの呼び捨て

トクレンはまだ腕を組んだまま、短く顎をしゃくった。


「……続けろ」


胸の奥で凍っていた息が、少しだけほどける。


「そうすると、通常ポーションは――」


僕は左側に戻り、線を引いた。


「通常は、月に550本。これが“絶対に沈まないライン”です。

 でも、いきなり550本を目指すのは苦しい。だから今月はまず、500本。金貨50枚分」


500本のラインにもう1本、太い線を引く。


職人の一人が口を尖らせた。


「金貨50枚じゃ、足りねぇじゃねぇか」


「足りない分を、高級の“予約分”で埋めます」


僕は右側に、数字を書き足す。


「医師団向けの予約分が今週は10本。街向けの分が5本。合わせて15本。

 いまの“5時間で4本”は、割り込みで洗浄も魔方陣も何度もやり直す最悪の場合です。

 これを毎週1回まとめて作れば、段取り替えは増えません。同じペースで月4回作れば60本です。

 足りない金貨5枚分はこれで十分カバーできますし、失敗も、疲労も、今より減るはずです」


トクレンが、鼻で笑った。


「失敗が減るって、簡単に言うな」


「簡単じゃないです。でも、“毎日あわてて割り込んで釜を殺す”より、ずっとましです」


僕は一拍置いて、続けた。


「高級ポーションは看板です。品格、誇りです。だからこそ、ぐちゃぐちゃに作って品質を落とすのが一番怖い。

 まとめて作ることで、誇りを守りながら、工房の手元も守れます」


セラフィナが、静かに言葉を重ねた。


「高級を“減らす”んじゃない。“約束で守る”のよ。

 予約分は必ず出す。締め切りまでの分は必ず載せる。

 代わりに王都にも約束を守らせる――その責任をエルドレッサが背負う」


トクレンは黙ったまま、板を睨んでいる。

その沈黙が永遠のように長く感じた。


やがて、ぽつりと低い声が落ちる。


「……“約束のライン”ってやつ、悪くはねぇかもな」


職人たちが、顔を見合わせた。

誰かが小声で言う。


「ここまで作れりゃ、今日は上がっていい、ってことだよな」

「明日も急な割り込みで全部ひっくり返る、って不安が減るなら……」


その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなる。

僕が見たかったのは、こういう反応だ。数字に追われて怯える顔じゃなくて、数字があることで肩の力が抜ける顔。


トクレンが顎で一番弟子のハインをしゃくった。


「ハイン。板、入口に貼っとけ。今月の分な」


ハインが一瞬目を見開き、すぐに真面目に頷いた。


「……はい、親方」


彼は板を抱え、入口近くの柱に縄で固定し始めた。

“約束のライン”が、工房の中心に掲げられていく。


* * *


その光景を見ながら、僕はもう一つの気がかりを思い出していた。

封印工程。トクレンだけが握っている技術。

(属人化――ここが、この工房の最大のリスクかもしれない)


言うべきか、迷う。昨日はそれで怒らせた。

でも、このタイミングなら、“押し付け”じゃなく“備え”として言えるかもしれない。


「トクレン親方」


「なんだ」


「封印のことなんですが……」


トクレンの目がすっと細くなる。

僕は慎重に言葉を選んだ。


「今すぐ任せろって話じゃありません。

 ただ……親方が倒れたとき、工房が一晩で止まるのはあまりに危険です。

 少しずつでも――ハインさんに、できる範囲を増やしていくのが、いざという時の備えになります」


板を固定していたハインの手が、ぴたりと止まった。

視線が落ちる。期待と、そして責任の重さへの恐怖が混ざった横顔。


トクレンは、しばらく黙ってから、吐き捨てるように言った。


「馬鹿を言え。あれはワシの仕事だ。封印でポーションの質が決まる」


――やっぱり、そう来るか。

でも次の言葉は、少しだけ柔らかかった。


「……型は見せてきた。頭には入ってるだろう。だが任せるのは、まだ早い」


ハインが小さく頷いた。何も言えない。でも、逃げもしない。

「まだ早い」ということは、「いつかは任せる」という意味でもある。


(今はこれでいい)


僕はそれ以上踏み込まず、頷いた。


「はい。まずは“無茶な割り込み”を減らして、失敗と疲労を減らす。そこからです」


トクレンが、ふっと息を吐いた。


「……やれるもんなら、やってみろ。

 ワシは釜を回す。セラは王都を黙らせろ。お前は――正しい線を引け」


胸の奥が、どくんと鳴った。

“認めた”とは言わない。けれど、拒絶でもない。


セラフィナが笑った。昨日の夜より、少しだけ明るい、晴れやかな笑み。


「任せて。矢面は私が立つわ」


僕も、同じように頷く。


「……はい。正しい線を引きます」


* * *


工房を出ると、空が少しだけ橙色に染まり始めていた。

干し棚の薬草が風に揺れ、入口の柱には“約束のライン”が貼られている。

休憩に入った職人たちがそれを見上げながら、今までより軽い足取りで戻っていくのが見えた。


歩き出した僕の横で、セラフィナが不意に言った。


「アラタ」


「はい、セラフィナさん――」


セラフィナが、くすりと笑う。悪戯っぽい、少女のような響き。


「ねえ。“セラフィナさん”はそろそろやめて。

 一緒に同じ板の前で頭を抱えた仲間でしょう?“セラフィナ”って呼んでちょうだい」


心臓が、変な跳ね方をした。

夕日のせいか、彼女の横顔が淡く染まって見える。


僕は視線を泳がせながら、ようやく口を開いた。


「……じゃあ、その……セラフィナ」


一瞬だけ、彼女の耳たぶが赤くなった気がした。

でも、彼女は目を逸らさない。


「うん。……それでいいわ」


夕暮れの風が吹き抜け、薬草の甘苦い匂いが遠ざかっていく。

背後で、工房の釜が泡立つ音が、力強いリズムで続いていた。


(セラフィナとなら、この街を――数字で守ることだって、本当にできるかもしれない)


僕は握りしめた紙束を、来る時よりもずっと軽く感じながら、商会へ続く道を歩いた。


並んで歩く二人の影が、石畳の上で一つに重なるように伸びていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ