仕立てられた距離 2
水城は机に画集を置いた。
開かれたページには、寄り添う男女が描かれている。女性は青緑の服を着て、白と金の大きな頭飾りをつけていた。
「『ゴータの恋人たち』。一四八〇年ごろの絵です。絵に描かれていない部分は、ほかの絵画も参考にしています」
「絵を見て、型紙を作るんですか」
春奈がドレスと画集を見比べた。
「そうなんです。絵に描かれるときに誇張されたり省略されたりするから、なかなか整合がとれなくて……。悩ましいところです」
水城は長い袖を持ち上げた。
「これはまだ試作品です。前に合わせていた人が参加できなくなって、久世さんなら寸法が近いと聞きました」
久良羅は縫い目を見た。着ると見えなくなるところまで丁寧に縫われている。
「こちらもご自分で?」
「うん」
この人の指が、ひと針ずつ運んだ糸なのだ。
久良羅は布から手を離し、改めて水城を見た。
「見えないところまで、手間暇をかけていらっしゃるんですね」
「裏も、着る人には見えるから」
久良羅はドレスの内側を返した。肌に当たるところの糸の始末まで整っていた。
クララの部屋へ届いた衣服にも、こんな仕事があったのだろう。あのころは、届けられた服の色や形ばかり見ていた。
水城の指先に小さな傷がある。久良羅は、その指をもう一度見た。
「慎重に着させていただきます」
「試作品だから、遠慮しすぎないで。動きにくかったら言ってください」
声は淡々としていたが、服を渡す手つきは丁寧だった。
間仕切りの内側で、岩崎に手伝ってもらい、肌着の上に衣装を着た。胴回りを整えられる。
その手順を、久良羅はよく見ていた。前世の服とは素材も構造も違う。むやみに手は出せない。
外へ出ると、春奈が小さく声を上げた。
「わ、本当にお姫様みたい」
久良羅は微笑んだ。否定しようとして、やめた。
姿見の中で、青緑のスカートが床近くまで落ちている。白い胸元を細い金糸が縁取り、首がいつもより長く見えた。
水城は正面と横から確かめ、ノートに何かを書いた。
「少し動いてみてください。座ったり、物を受け取ったり」
春奈が机の紙コップを差し出した。久良羅が両手を伸ばすと、肩の後ろが張った。脇の下から布が引かれ、胸元まで持ち上がる。腕を戻しても、白い部分が少し浮いていた。
「ああ、やっぱり」
水城がつぶやいた。
「立っている間はいいんだけど、これが戻らないんだよな」
「ここはもっと……」
言いかけた久良羅は口を閉じた。
服の縫い目はどこまでも丁寧だった。
その細かな縫い目に、別の衣服の記憶が重なった。
前世で、まだ父に連れられて宮廷へ出ることの多かったころ、クララには訪問を心待ちにする若い貴族がいた。
明るい髪と、目元の優しい人だった。子供扱いせず、話を聞いてくれることがうれしかった。
ある宴の前、彼の礼装の襟が片側だけ浮いていた。
若い仕立て職人が直そうとしているところへ、クララは口を挟んだ。
「それでは肩が引かれてしまいますわ。仕立てが良くないのでは?」
彼に感心してほしかった。
職人は何か言いかけ、頭を下げた。クララが説明する間、ずっと下を向いていた。
後になって、内側の衣服が引っかかっていたと分かった。服を脱がせて確かめれば、すぐに分かることだった。
襟を直してもらった若者は、クララを廊下へ呼んだ。
「先に彼に確かめてくださればよかったのに」
「私はただ……」
「あの場で、彼はあなたに言い返せません」
穏やかな声だった。
その穏やかさが、かえって苦しかった。
職人には謝った。彼は深く頭を下げ、
「もったいないお言葉です」
と答えた。
それ以上、何も言ってくれなかった。
若者はその後も礼儀正しかった。
しかし、クララを見つけて歩みを緩めることはなくなった。以前は立ち止まって話した庭の小道を、挨拶だけして通り過ぎていった。
何を失ったのか分かったときには、取り戻す言葉が見つからなかった。
「久世さん」
水城の声に、久良羅は顔を上げた。
昨日、説明を聞いてもらえずに握りつぶしたメモを思い出した。
あのときの職人も、伝えたいことがあったはずだ。
「すみません。まず、どういう形を目指してお作りになったのか、教えていただけますか」
水城は画集に目を落とし、それから久良羅を見た。
「動いたときの形も、ということ?」
「はい。私の思い違いかもしれませんから」
彼は椅子を引き寄せた。久良羅にも座るよう勧め、別のページを開いた。




