切っ先の向こう側 2
父の宮廷には武術指南役がいた。
クララが初めて木剣を握ったとき、彼は手の位置を直し、足を置く場所を床に描いた。
何度も動き、何度も同じ動きをさせられた。舞踏の稽古によく似ていると思ったが、こちらは間違えると腕を打たれた。
小さい頃は、男の子も女の子も大して変わらなかった。
クララは覚えが良く、負けるのが嫌いだった。できない動きがあると、できるまで繰り返した。
それがいつからか、男の子に勝てなくなった。
昨日まで受けられた打ち込みに、剣が押し込まれる。先に動いたつもりなのに、相手の切っ先が届いている。
背丈の伸びた少年たちを相手に、床へ尻餅をつくことが増えた。
もっと早く、もっと強く。
そう考えるほど肩に力が入り、終わる頃には指が開かなくなった。
ある日、逗留中の客人がそれを見ていた。
小柄で、片膝の悪い男だった。戦場で痛めたと聞いていた。
「姫様は、あれと力比べをなさりたいので?」
彼の視線の先には、汗を拭く少年がいた。クララより頭半分ほど背が高くなっていた。
「勝ちたいのです」
「では、なぜあれの得意なことで?」
腹が立った。
できないから悔しいのに、できないと言われた気がした。
男は木剣を借りると、少年を呼んだ。
足を引きずるように立ち、打ち込ませた。
剣が来たときには、もうそこにいなかった。
少年が剣を戻す前に、肩へ軽く触れる。
クララは黙って見ていた。
「教えてください」
終わると、そう言った。
宮廷には、他にも剣を使う客人がいた。
指南役と同じ構えの者ばかりではない。大きな盾を好む者も、短い剣を両手に持つ者もいた。
クララは彼らに教えを請うた。
教えが食い違えば、両方試した。
一度負かされた相手に翌日も挑むので、ついには食客の方がため息をついた。
「姫様、昨日も申し上げましたが」
「ええ。ですから今日は違うやり方で参りました」
負けたまま終わりたくなかった。
けれど、いつの間にか勝ったときよりも、相手の意図が見えて、誘導できたときの方が嬉しくなっていた。
宴席では言葉を選ばなければいけなかった。
相手の家、父との関係、その場で耳を傾けている人々。
笑って返すべき言葉と、聞こえなかったことにすべき言葉があった。
けれども、稽古場はシンプルだった。
相手が誰でも、クララの剣が届けば一本になった。
指南役は彼女の失敗を遠慮なく指摘し、食客たちは上達を喜んだ。
父の娘としてではなく、昨日より少し厄介になった稽古相手として。
そういう雰囲気が好きだったのかもしれない。
礼装の袖口からのぞく手首にあざを見つけ、母が眉を寄せたことがある。
クララは袖を下ろした。
「次は、同じところは打たれません」
母は少し黙ってから、自分も若い頃にそう言ったと笑った。
女だからという理由で、木剣を取り上げられた記憶はない。
母も剣を持った。
得手不得手はあっても、女が剣を学ぶこと自体は不思議ではなかった。
こちらの世界の歴史ではそうではなかったと知って、久良羅はなぜだろうと疑問に思った。
他にも前世と今世で異なっていることはそれなりにあり、それらが複雑に絡み合っているのだろう。
はっきりとこれが原因だと久良羅が言えることは、ほとんどなかった。
「社会人の集まりなので」
黒瀬の声で、久良羅は顔を上げた。
「学生みたいに、まとまった時間は取れないんです。反復練習は各自でやるしかないし、経験も習熟度もバラバラです。誰に何をどこまで教えたか、きちんと管理できているわけでもありません。その日に集まった顔ぶれを見て、全員に役立ちそうなことを教える。どうしても、そういうやり方になります」
彼は足元の剣へ目を落とした。
「そもそも資料や他の団体の研究成果を参考にして、再現している途中です。今の解釈が正しいとも限らない。俺の解釈だけを正解にして、全員にやらせるのは違うと思ってます」
「はい」
「それに、西洋剣術といっても、みんなやりたいことが違いますし、体格によって向き不向きもあります。正直、仲間もそう多くありません。怪我なく、互いに気持ちよく練習できる相手がいるだけでも貴重なんです。俺自身、研究を進めるうちに考えが変わることもあるし、戦い方だって少しずつ変わっています。だから、細かい技術まで俺のやり方を押し付けるのは、ちょっと……」
そこで言葉が切れた。
久良羅はようやく、自分が何かを批判したことになっていると気づいた。
「あの、私、悪いことだと申し上げたつもりは」
黒瀬がこちらを見た。
「もちろん、土台は必要でしょうけど、その上で、いろんなことを仕掛けてくださる方々がいるのは、いいな、と」
彼は黙っていた。
言い方がまずかっただろうか。
「違う戦い方をする相手が大勢いるのは、良いことだと思います。同じ型とばかり稽古して、その型にだけ勝つ名人になっても困りますし」
黒瀬の目が見開かれた。
「そうか……うん、なるほど。うん、うん」
黒瀬は口元を手で覆い、視線をそらして独りごちた。
声に喜色が混じっているのが分かった。
それから、久良羅に視線を戻した。
「失礼しました。勝手に言い訳を」
「いえ、こちらこそ説明不足でした。今の会話、最初からやり直したいくらいですわ」
彼は小さく笑った。
「久世さん、なんかやってましたよね? じゃなきゃ、今の言葉は出てこないですよ」
久良羅は一瞬、答えに詰まった。
「昔、少々」
黒瀬の視線が、ちらりと彼女の手のひらを見た。




