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第二章 情報屋は戦わない(戦えない)

 翌朝、零は早起きした。

 宿泊棟に用意された小さな部屋——簡素なベッドと机だけの、それでも清潔な個室——で、彼は夜明け前から設定書を読んでいた。

 ランプの灯りの下、ページを繰る手が止まる。


【イベント:魔族先遣隊のセルダム市奇襲】

発生日時:本日より四十二日後、深夜零時頃

侵入経路:西区の地下水路(地図No.S-7参照)

規模:先遣隊十二名。指揮官・ガルム(魔族・人物No.9042)

目的:食料と物資の強奪、および住民への恐怖の植え付け

被害予測:住民死者数百名、ガイン交易本社建物の半壊

────勇者への波及────

この事件を聞いた勇者パーティが三週間後にセルダムを訪問。

「被害を出した街」として感情的なルートを辿り、魔族討伐の士気が高まる。

備考:世界の設定上、この奇襲は「勇者を動機づけるための布石」として機能している。


 零はランプの火を見つめた。

 世界の設定上、この奇襲は必要なイベントだ。

 勇者が怒り、奮起し、魔王討伐に向かうための「感情的なトリガー」として設計されている。

 ということは——防いだら、どうなる?

 ページをめくった。


【分岐フラグ:奇襲が防がれた場合】

勇者パーティはセルダムを訪問するが、被害のない街に特に感情的な反応を示さない。

討伐の動機が弱まり、出発が六十日遅延する可能性がある。

ただし、世界の均衡への影響度:低(許容範囲内)。

世界修正力の発動:なし。


 ……よかった。防いでも世界が終わるわけではない。

 零は長い息をついた。

 別に、街を救いたいという正義感があるわけではない。ただ、数百人が死ぬと知りながら何もしないのは、どうにも寝覚めが悪い。前の世界で社畜として消耗し続けた自分を、誰も助けてくれなかった。それと、これは違う。知っていて黙っているのとは。

 問題は方法だ。

 設定書には「現時点で対応できる人物:なし」と書いてあった。

 騎士団はいないのか、と思って調べると——


【セルダム市・警備体制】

市内警備隊:三十名(主に治安維持・盗賊対応)

戦闘能力:対人戦には対応できるが、魔族との交戦経験なし

最寄りの騎士団:王都騎士団第四部隊(距離:三日行程)

現在の派遣状況:北方戦線に全部隊が出払っている


 騎士団は使えない。市の警備隊では戦力不足。勇者は四十二日後にここを訪れるが、それは奇襲の「後」だ。

 正面から戦う選択肢が、ほぼない。

 零は机に頬杖をついた。

 ならば——戦う前に、終わらせればいい。

 情報屋のやり方で。


 朝食の時間、食堂でエリナ・ヴォルトと向かい合って粥を食べながら、零は話を切り出した。

「一つ聞いていいですか」

「仕事の話ですか」

「広い意味では」

 エリナは匙を置いた。「どうぞ」

「この街に、地下水路はありますか」

 わずかな間があった。「あります。西区に古い排水路が通っています。建設は二百年前。今は使われていませんが、老朽化で閉鎖されているだけで、構造は残っています」

「その水路の管理者は誰ですか」

「市の土木部門が形式上は管理していますが、実態は放置状態です。なぜそんなことを」

「調査したいんです。仕事として」

 エリナは細い目になった。「依頼主は?」

「いません。自己投資です」零は粥を一口食べた。「情報屋として、街のインフラを把握しておきたい。それだけです」

 本当のことを言うわけにはいかない。「四十二日後に魔族が攻めてくる」などと言えば、確認手段のない情報として一蹴されるか、最悪、デマを流す危険人物として追い出される。

 エリナはしばらく零を観察してから、「土木部門の担当者に紹介状を書きます」と言った。「ただし、ガイン交易の名前を使う以上、問題を起こさないでください」

「もちろんです」

 食堂を出ながら、零は設定書の地図ページを脳内に展開した。


【地下水路・西区S-7区間】

全長:約四百メートル

幅:成人二名が並べる程度

状態:老朽化しているが通行可能

魔族侵入予定ルート:南端の排水口から北上、西区広場の地下で地上に出る

南端排水口の現状:錆びた格子が設置されているが、魔族の力で破壊可能


 錆びた格子、か。

 零は考えた。

 格子を新しいものに交換するだけでは意味がない。魔族が力で破壊できるなら、物理的な障害は突破される。

 では——格子に来る前に、排水口の「存在自体」を消してしまえばどうか。


 その日の午後、零は西区を歩いた。

 地図と設定書を照らし合わせながら、南端の排水口を探す。雑草が生い茂った石壁の隙間に、それはあった。直径一メートルほどの古い排水口。内側に錆びた鉄格子。

 膝をついて観察する。

 格子の錆具合は本物だ。これなら魔族でなくても、力のある人間なら蹴破れそうだ。

「何してるんですか、あなた」

 声に振り向くと、泥だらけのエプロンをした初老の男性が立っていた。土木部門の担当者——紹介状を持参して、先ほど挨拶を終えたばかりの人物だ。

「ケイン・ドルフさんですよね。ガイン交易の桐島です。実は、この排水口について相談がありまして」

 ケインは怪訝な顔をした。「なんだ、また来たのか。あんた、さっきも変なことを聞いてきたな。排水口の強度がどうとか」

「はい」零は立ち上がった。「この水路、まとめて補修しませんか」

「……補修?」

「街のインフラ調査として、ガイン交易が資金を出す形で。老朽化した排水口を塞いで、新しい換気口に作り直す。工事は一ヶ月で終わりますよね」

 ケインが目を丸くした。「なんでそんなことを商会が……」

「街の安全は、商業の基盤です」零は淡々と言った。「治安が悪くなれば、商売もできない。投資として見れば、悪くない話のはずです」

 これは嘘ではない。ただ、伝えない理由が一つあるだけで。

 ケインは首を傾けた。「……金は、本当にガイン交易が出すのか」

「ルドルフ・ガイン会頭と話をつけてきます。承認が取れたら、正式に依頼を出します。まず見積もりを出していただけますか」


 夕方、零はルドルフの執務室を訪ねた。

「西区の地下水路の補修工事に、出資していただけませんか」

 ルドルフは驚いた顔をした。「いきなりだな。理由を聞いていいか」

「街のインフラ投資です。老朽化した水路が原因で、地盤沈下や浸水が起きれば、西区の倉庫にも影響が出ます。ガイン交易の倉庫は西区にありますよね」

「……確かに、そうだな」

「費用はケイン・ドルフさんに見積もりを出してもらいます。おそらく金貨五十枚から百枚の間に収まります。見返りとして、工事後は市から『インフラ整備協力商会』の認定をもらえると思います。信頼の積み重ねは、長期的に見て商売の資産になります」

 ルドルフは顎を撫でた。「お前、まだ二日目だぞ。なんでそこまで考えてるんだ」

「前の職場で、投資判断の補助をしていましたので」

 それは本当のことだ。前の世界での話だが。

「……エリナはなんと言ってる」

「まだ話していません。まず会頭の感触を聞いてから、と思いまして」

 ルドルフは大きく笑った。「根回しが上手いな。エリナを先に通すと止められると思ったんだろう」

 零は何も言わなかった。

 ルドルフはしばらく考えてから、「分かった、見積もりが出たら話を持ってこい」と言った。「ただし、エリナの承認も必要だ。そちらは自分で説得しろ」

「了解です」

 執務室を出て、廊下を歩きながら、零は設定書を開いた。


【工事フラグ確認】

地下水路補修工事が発注された場合:

└ 南端排水口が閉鎖・新設換気口に変更される(工期:三十五日)

└ 魔族侵入予定ルートが消滅する

└ ガルム(No.9042)は代替ルートを模索するが、発見に要する時間は四十日以上

→ 四十二日後の奇襲は、「ルートが見つからない」という理由で延期される


 延期、か。なくなるわけではない。

 でも——それでいい。

 時間を稼げれば、その間に勇者がセルダムを訪れる。勇者パーティには、魔族と戦える戦力がある。情報を渡せば、あとは向こうが何とかする。

 零が直接戦う必要は、どこにもない。


 三週間後、工事は順調に進んでいた。

 西区の地下水路には毎日職人が入り、老朽化した排水口が次々と閉鎖されていく。ケイン・ドルフは当初渋っていたが、実際に工事が始まると水を得た魚のように動き回り、「二十年越しの夢だ」と涙目になっていた。

 零はその様子をエリナと並んで眺めていた。

「なぜ本当のことを言わないんですか」

 不意に、エリナが言った。

 零は横を向いた。「何のことですか」

「あなたが工事を急がせている理由です」エリナは前を向いたまま続けた。「初日に私の書類から偽情報を当てた。情報収集の精度が異常に高い。そしてインフラ補修を、采配したようにちょうど一ヶ月で終わるスケジュールで動かしている。……何かを知っていますね」

 零は答えなかった。

「教えてもらえないのは分かりました」エリナは言った。「でも一つだけ聞かせてください。この工事が終われば、この街は安全になりますか」

 少しの間があった。

「……今より、ずっと安全になります」

 エリナはそれ以上何も聞かなかった。ただ、「では引き続き予算を通します」とだけ言って、書類を抱えて歩き去った。

 零は工事現場を見つめた。

 職人たちが古い排水口に石灰を流し込んでいる。数百年前に作られた穴が、少しずつ塞がれていく。

 これでいい、と彼は思った。

 戦わなくていい。剣を持たなくていい。

 ただ、知っていることを、適切な場所に適切なタイミングで使う。

 それが、情報屋の仕事だ。


 四十一日目の夜。

 工事は二日前に完了し、西区の地下水路は全区間が封鎖された。新しい換気口が石畳の隙間に整然と並んでいる。

 零は設定書を開いた。


【現在状況確認】

魔族先遣隊・ガルム(No.9042):代替侵入ルートの捜索中

現在地:セルダム市南方・森林地帯

状態:「予定ルートが消滅しており、作戦の延期を検討している」

奇襲実行の可否:不可(ルート未確定)


 よし。

 零は本を閉じ、ベッドに横になった。

 天井を見上げながら、深く息をついた。

 戦わずに、街を守った。

 誰も死ななかった。

 それだけで、十分だった。

 ────

 翌日、セルダム市の東門に、見慣れない一行が到着したという報告が入った。

 剣を帯びた青年が一人、魔法使いらしき女性が一人、それから弓を背負った少女が一人。

 旅人の格好をしているが、纏う気配が明らかに常人と違う。

 ルドルフが嬉しそうに事務所に飛び込んできた。

「零! 勇者パーティが来たらしいぞ!」

 零は設定書をポケットにしまいながら、静かに立ち上がった。


【勇者パーティ到着・セルダム市】

勇者:アルト・シルヴァ(人物No.0001)

魔法使い:セリア・ローウェン(人物No.0002)

弓使い:リン・カゲロウ(人物No.0003)

到着目的:情報収集と補給。被害のある街として聞いていたが、「思ったより穏やかだ」と困惑している模様。

備考:勇者アルトは「なぜ魔族の奇襲が防がれたのか」に強い興味を示している。


 ……困惑しているのか。

 零は苦笑した。

 向こうの予定では、血と涙の惨状があるはずだった街が、どこにでもある普通の商業都市だった。そりゃ困惑する。

「出迎えに行きますか?」とルドルフが聞いた。

「行きます」零は答えた。「ただ、情報を売る相手として、ですが」


▼ 次章予告

「あなたが情報屋? じゃあ教えてくれ。なんで魔族がここに来なかったのか、知ってるか?」

 勇者アルト・シルヴァは、まっすぐな目で零を見た。

 情報屋と勇者の、奇妙な取引が始まる。

第三章「勇者に情報を売る値段」——近日掲載。

第二章、最後まで読んでいただきありがとうございます。零は戦いません。でも無力でもありません。そういうキャラクターを書いていきたいと思っています。感想・評価いただけると、更新の燃料になります。よろしくお願いします!

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