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第一章 情報は最強の武器である

 目を開けたら、馬車の中にいた。

 干し草の匂い。板張りの床の硬さ。外から聞こえる蹄の音と、車輪が石畳を叩くリズム。

 零はゆっくりと起き上がり、周囲を確認した。荷台には自分の他に、旅商人らしき中年男性が一人。男は零の目覚めに気づいて、柔らかく頷いた。

「起きたか。気分はどうだい? 街道で倒れているのを拾ってやったんだが、どこか怪我でもしているか?」

「いえ……大丈夫です。ありがとうございます」

 零は手元に視線を落とした。厚い本が、ちゃんとそこにある。ページを開こうとして——自然と読めた。これは転生者への配慮なのか、それとも神様の仕様なのかは分からないが、文字は日本語として脳に届く。

『第七三四七区画「アルステリア大陸」基本設定書』

 目次を流し見する。地理、歴史、主要人物、イベントフラグ、経済……項目は無数にある。

 零はひとつ目のページを開いた。


【現在地:ファルク商業連合 街道A-7区間】

【最寄り都市:セルダム市(商業都市・人口約八万人)】

【馬車の御者:ルドルフ・ガイン(商人・人物No.4821)】

└ 隠し設定:妻への土産として「青薔薇の香水」を探している。

 現在市場には流通していないが、東区の骨董商「ハイン堂」に在庫あり(No.4821-B参照)


 零は目を細めた。

 ……使える。

「あの」と彼は商人に声をかけた。「セルダム市に行かれるんですか」

「ああ、そうだ。お前さんは?」

「同じくです。ちょっとお礼に、情報を一つ」

 商人が怪訝な顔をする。零は構わず続けた。

「奥様へのお土産を探してませんか。青薔薇の香水、東区のハイン堂という骨董商に在庫があります。最近市場では見なくなりましたが、あそこは仕入れルートが違うので」

 商人の顔が、みるみる変わった。

「……なんで知ってるんだ、それを」

「僕の職業は情報屋です。でも、助けていただいたお礼に、これは無料で」

 ルドルフ・ガインは長い沈黙の後、大きく笑い出した。

「ははは! 気に入った! セルダムに着くまで、もう少し話を聞かせてくれないか、若いの!」

 零は静かに微笑んだ。

 この世界のことが全て書いてある本を持っているなら、情報屋が一番合理的だ。前線には出なくていい。剣を振る必要もない。魔法だって別に覚えなくていい。

 ただ、知っていることを売ればいい。

 それだけで、この世界で最も安全で豊かな生活が手に入る——はずだ。

 もちろん、設定書には一つ、気になる記述があった。


【重要フラグ・警告】

本区画には「世界の均衡を崩す情報の流出」に関するロック機構が存在する。

設定書の内容を無制限に公開した場合、世界修正力が発動し、情報屋本人が「事故死」する可能性がある。

情報の取り扱いには最大限の注意を払うこと。


 ……まあ、そこは気をつければいい。

「何か考えごとか?」とルドルフが尋ねた。

「少し、段取りを考えていました」

「頼もしいな。なあ、セルダムで仕事を探しているなら、うちの商会に顔を出してみないか。情報屋なら、喜んで雇うぞ」

 零はページをめくった。


【ルドルフ・ガイン(No.4821)イベントフラグ】

 A:商会への就職を受諾→信頼ルート(Good End)

 B:断る→独立ルート(Hard Mode)

 C:情報を売りつけて関係を断つ→孤立ルート(Bad End)


 答えは、すぐ決まった。

「ぜひ、お願いします」

 ルドルフは満面の笑みを浮かべた。

 窓の外、地平線の向こうに、セルダム市の尖塔が見え始めていた。


 セルダム市は、想像以上に活気のある街だった。

 石畳の大通りを行き交う人々。色とりどりの屋台。鍛冶屋の音、香辛料の匂い、どこかで演奏される弦楽器の音色。

 零は設定書を胸の内ポケット——いつの間にか異世界仕様の服を着ていた——にしまいながら、街の様子を観察した。

 ルドルフの商会「ガイン交易」は、東区と西区の境目にある中規模の建物だった。倉庫、事務所、小さな宿泊棟が一体になった造りで、使用人が十数人いる。

「うちの副会頭に紹介してやる。エリナといって、少し口が悪いが腕は確かだ。よろしく頼む」

 ルドルフに連れられて応接室に入ると、一人の女性が書類の山と格闘していた。

 齢は三十前後。黒髪を後ろで束ね、眼鏡をかけた、知的な印象の女性だ。

「ガイン様、今日の報告書はまだ出来上がっておりません。後にしてください」

「そういうな。面白い若者を連れてきた」

 エリナ・ヴォルトはちらと零を見て、また書類に目を戻した。

「……何歳ですか」

「二十八です」

「職歴は」

 零は一瞬考えた。「情報収集と分析を七年」

「前の職場は」

「遠い国の会社です。もう存在しませんが」

 エリナは眼鏡を押し上げた。「試用期間は一ヶ月。給与は月に銀貨三十枚。宿泊棟の一室を使っていい。仕事の内容は、流通する情報の真偽判別と、有益情報の収集分析。できますか」

「できます」

「では今すぐ始めてください。この書類の中に、偽の仕入れ情報が混ざっています。どれか分かりますか」

 零は差し出された書類の束を受け取り、設定書を脳内で参照した。


【セルダム市・偽造情報フラグ・現在進行中】

商会「ガイン交易」に潜入した情報工作員(人物No.7703:スパイ・偽名ベルト)が偽の南方産香辛料の仕入れ情報を流している。

書類番号:SV-2241が該当。作成者名「ベルト・クライン」。


「これ」零は一枚を抜き取った。「SV-2241。南方産シナモンの仕入れルートとして記載されていますが、ここに書かれた中継港は昨年廃港になっています。意図的な偽情報か、あるいは情報が古いかのどちらかです」

 沈黙。

 エリナが初めて、ちゃんと零を見た。

「……正解です」彼女は静かに言った。「それだけ分かるなら、試用期間は不要です。明日から本採用にします」

 ルドルフが嬉しそうに手を叩いた。「ほら、言ったとおりだろう、エリナ。どうだ、零とやら、うちは悪くないだろう」

 零は小さく頭を下げた。

 これでいい。

 目立たず、安全なポジションから、世界の全てを俯瞰する。

 勇者が魔王と戦っている間、自分は暖かい部屋で書類を整理して、銀貨を稼いでいればいい。

 そのはずだった——設定書の次のページを開いてしまうまでは。


【重要イベント・四十二日後に発生予定】

セルダム市が「魔族先遣隊」の奇襲を受ける。被害予測:死者数百名。

現時点で対応できる人物:なし。

備考:この事件が発端となり、勇者がセルダムを訪れる。


 ……四十二日後。

 零はページをそっと閉じた。

 今日から、ちょうど六週間後のことだった。


▼ 次章予告

 安全地帯で情報を売るだけのはずが、街の危機を知ってしまった男の苦悩。

 「俺には関係ない」と言い切れるほど、桐島零は薄情ではなかった。

 だが、正面から戦えるほど、強くもない。

 ならば——情報屋が、戦わずに街を救う方法を考えるしかない。

第二章「情報屋は戦わない(戦えない)」——近日掲載。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。主人公はチートで戦う気がまったくない系ですが、頭は使います。のんびり更新予定ですので、お気に入り登録していただけますと励みになります。感想・評価お待ちしております。

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