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序章 神様はそそっかしい

 死ぬ瞬間というのは、意外にあっけないものだ。

 桐島零がそう実感したのは、残業三百時間目を迎えた十一月の木曜日——正確には金曜日の午前二時頃のことだった。

 デスクに額を乗せ、もう何十回打鍵したか分からないエクセルのセルを眺めながら、彼は静かに意識を手放した。

 享年、二十八歳。死因、過労。

 遺言、なし。

 ──────

「あー……うん、これはまずい」

 声が聞こえたのは、深い深い暗闇の中でのことだった。

 困惑したような、だがどこか間延びした声。

 零は重い瞼を上げて、声の主を探した。

 白い空間があった。眩しくもなく、暗くもなく、ただ「白」という概念が形を持ったような場所に、一人の存在が浮いていた。

 ──神様、とでも呼ぶべきか。

 見た目は零よりいくつか年上くらいの男性に見えるが、纏う気配がどことなく「人間ではない何か」を示していた。白い装束を着て、困り眉で頭を掻いている。

「えー、まあ……率直に言うとですね」男は咳払いをした。「あなたが死んだのは、私のミスです」

 沈黙。

「……どういう意味ですか」

「本来、あなたの寿命は六十三年。まだ三十五年以上ありました。でもその……処理システムにバグがありまして。過労死の判定が三十五年分早く走ってしまって。ははは」

 ははは、ではない。

「ははは、ではないですよね。そうですよね」男は表情を改めた。「誠に申し訳ありません。補償として、本来あなたに割り当てる予定のなかったものをお渡しします」

 そう言って差し出されたのは、一冊の分厚い本だった。

 装丁は古めかしく、表紙には金文字で「世界設定原本・第七三四七区画用」と書かれている。

「これは……?」

「あなたが転生する世界のマスターデータです。地理情報、人物設定、イベントフラグ、隠しルート、レアアイテムの座標——この世界の全ての情報が記載されています。本来は私の手元にしか存在しない代物ですが、まあ……その、罰として私が没収されることになりまして。代わりにどうぞ、という次第です」

 零は黙って本を受け取った。ずっしりと重かった。

「ひとつ確認していいですか」

「はい、なんでしょう」

「この本、使って何をすればいいんですか」

「え?」

「世界を救うとか、魔王を倒すとか、そういう指令はありますか」

「……特には」

「ならいいです」

 零は本を胸に抱えた。

「俺、前の世界では死ぬまで働かされました。今度は、自分のペースで生きたいんです」

 神様はしばらく目をぱちくりさせてから、ゆっくりと微笑んだ。

「……その方が、面白い世界になりそうですね」

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