ep.57 記憶の向こう側
音もなくあかねの前に現れた碧。
その手に握られているのは、瞑想の間に置かれていた観音像に合わせた
ミニチュアの矛ではなく、人間サイズのものだ。
(あんなのあったんだ……)
あの日禁止されて入れなくなった瞑想の間の中の隠し部屋に置いてあるもの
かもしれない。
(まさかそれで刺し殺すの?!)
意生身x持物なら、死因不詳かつ容疑者不在で、不自然死扱いで事件にすらならないかもしれない。
不安げな表情のあかねを、不思議そうに見つめる碧。
「あかねちゃんはもう家に帰って。またお母さんが騒ぎ出すわよ」
そう言われてもこんなレアシーンを見逃すわけにはいかない。
リコを救うためには神通力に関する情報は出来るだけ多く集めたいから。
帰ったふりをしながら、途中千里眼で観察しなければ。
「能力を使うのは、お母さんに見つからないとこまでね」
あかねの背中がぴくりと小さく反応した。
やはり碧には行動がバレている。でもあかねにとってそれは想定内だ。
あの時のように、ある一線を越えなければ碧が比較的寛容なことも。
(あー、しつこい……)
まだ神通力切れの脱力感は感じないが、何度跳ね返しても襲ってくる
異常な男のしつこさに心が疲弊してきた。
この執着心を別のプラスの方向に活かせば、相当なことが達成できる
のではないだろうか。
そう考えてしまうと今のやり取りがますます虚しく感じる。
でも、今友梨奈は麻由と女性の命を守ってるってことを忘れてはいけない。
無意味でも最大限の集中をしなくては。
左手の宝鏡を握り直し、相手の挙動を紅い瞳で追いかける友梨奈。
その時、見慣れた後ろ姿が友梨奈の視界の前に突然入ってきた。
「み、…碧さん?」
手に持っているのは長い棒の先に三又の刃がついた昔の武器のようなものだ。
うちの床の間の観音菩薩像が持っていたやつに似ている。
(まさかそれで刺すんじゃ……)
碧の姿がぶれて視えた。
次の瞬間、矛の刃は男の胸を深々と貫いていた。
「おばあちゃん!!」
「碧さんって呼べって言ってるのに」
いつものように返す碧。
刃を引き抜くと男は前のめりに倒れていく。
「殺し…ちゃった…の?」
倒れたままピクリともしない男の体を見つめて呆然と立ち尽くす友梨奈。
「あのねぇ……」
呆れ顔で友梨奈を見る碧。
その手が握っている矛の刃先には血がついておらず、金属とは違う金色の輝きを纏っている。
「観音菩薩の持物でそんな物騒なこと出来るわけないでしょ」
「でも……この人倒れたまま動かないし……」
「過去に心が歪んだ時の記憶を浄化したのよ。今は記憶が途中で断絶したから脳が再構築してるんじゃない?」
「じゃあ、その後は良い人に生まれ変わるとか?」
「それはわからないわ。きっかけが何であれ、それがその人の本性かもしれないし、たまたま踏み外しただけかもしれない」
「……本人の魂次第ね」
その時パトカーのサイレン音が近づいてくるのが遠くから聴こえた。
「後は本人たちと警察に任せるわよ」
碧が友梨奈の背中をトンと軽く押した瞬間、友梨奈の意生身が消滅した。
麻由の視界の中で、ナイフ男が急に大きく後ろにのけ反った後、前のめりに倒れて動かなくなる。
しばらく経っても何の反応も無い。
「梨奈? ……何が起こって…る…の?……」
宝鏡にぶつかっていた時とは明らかに違う男の動き。
しかもあれだけしつこく攻撃してきていたのに、まるで死んだように全く動かなくなってしまった。
「麻由!」
背後からの聞き慣れた声に素早く振り返ると、友梨奈の紅い瞳に生気が戻っていた。
「パトカーが近づいて来てるから、後はそっちに任せてわたしたちは帰ろう」
友梨奈がそう言った直後、遠くでサイレンの音が聴こえてきた。
「あの人、大丈夫なの?」
「多分……大丈夫。心がどうなってるかはわからないけど」
麻由にとっては、見えない中で急に事件が収束した感じで、心にもやもやが残っている。
何より一応解決したようなのに、友梨奈の表情が暗いのが一番気になっていた。
友梨奈は事件現場から足早に離れていく。
慌てて麻由はその背中を追いかける。
見えない中で一体何が起こっていたのか、詳しく聞きたいのに、
友梨奈の背中がそれを拒否しているような気がした。
現場から大分離れた後、友梨奈は歩みのスピードを落とし始める。
友梨奈と並んだ麻由が声をかけようとした時、友梨奈の独り言が麻由の耳に届いた。
「わたしも……記憶が無いんだよね……」




