第7話 未来の俺を殺せ
「今度のお前は、何人殺してここまで来た?」
二十七年後の瀬名冬真は、笑っていた。
椅子へ縫い止められた身体。
胸を貫く金属杭。
焼け焦げた右半身。
唇の端からは黒ずんだ血が流れている。
どう見ても瀕死だった。
それでも。
部屋へ入った誰よりも、危険だった。
現在の冬真は刀から手を離さない。
「誰も殺していない」
「そうか」
未来の冬真が小さく頷く。
「なら、まだ間に合う」
「何に」
「俺になるまでに」
真白が狙撃銃を構えた。
「質問に答えて。あなたは本当に冬真なの?」
未来の冬真は、真白を見た。
その目が、わずかに細くなる。
「その銃」
「何」
「まだ旧式なんだな」
「答えになってない」
「右手の握りが浅い。腹を刺された傷を庇ってる」
真白の表情が固まった。
血まみれの少女。
未来の自分が腹を貫かれ、腕の中で灰になった。
その感触が、まだ残っている。
「お前は動揺すると、引き金へ指を深くかける」
未来の冬真が続けた。
「二発目が右へ流れる。今の距離なら俺の頭ではなく、壁の端末を撃つ」
真白の銃口が僅かに揺れた。
「……知ったようなことを」
「知ってる」
未来の冬真は荒牧を見る。
「岳」
荒牧の眉が動く。
「その呼び方をすんな」
「肩はまだ動くか」
「誰に聞いてる」
「十二年後に失う。右腕ごと」
続いて澪へ。
「水城」
「はい」
「返事をするな」
澪が黙る。
「お前は、俺の命令なら何でも聞くようになる」
最後に久世。
二人の視線がぶつかる。
「久しぶりだな」
未来の冬真が言った。
「久世さん」
「俺はお前を知らない」
「知ってるさ」
「記憶にない」
「それは俺も同じだった」
未来の冬真の左目が、現在の冬真へ戻る。
「最初はな」
◇
部屋の壁一面を覆う記録端末には、何も表示されていない。
床には灰が入り込み。
その中に、二百を超える認識票が埋もれていた。
名前。
番号。
血。
噛み痕。
爪で掻き続けた跡。
帰れなかった者たちが、最期まで握っていた証拠。
「三日後に何が起きる」
冬真が尋ねた。
未来の冬真は答えない。
「俺たちは、どこへ送られる」
「未来じゃない」
ようやく返ってきた言葉。
「過去でもない」
「なら、どこだ」
「切除された時間だ」
榊が息を呑む。
「喋るな」
「お前はまだ生きてたのか、榊」
未来の冬真が笑う。
「今回は長持ちしたな」
「黙れ」
「一度目は地下八階で死んだ。二度目は自分で舌を噛み切った。三度目は俺を売ったあと、監理室に解体された」
「黙れ!」
榊が床に落ちていた拳銃へ手を伸ばす。
冬真が踏みつけた。
榊の指先と拳銃の間へ、刀の切っ先を差し込む。
「勝手に動くな」
「そいつの言葉を信じるな!」
「なら、お前が説明しろ」
「……」
「できないなら黙っていろ」
榊は歯を食いしばった。
未来の冬真は、楽しげにそれを眺めている。
「変わらないな」
「何が」
「俺はいつも、榊が嫌いだった」
現在の冬真は答えず、未来の自分へ近づいた。
胸の杭。
黒い金属。
直径は腕ほどもある。
肉を潰し。
肋骨を砕き。
椅子と床を貫通している。
それなのに、未来の冬真は生きている。
「誰にやられた」
「俺だ」
「自分で?」
「俺を止められるのは、俺しかいなかった」
未来の冬真の左手は、椅子の肘掛けへ固定されている。
手の甲から何本もの管が伸び、背後の端末へ接続されていた。
「この杭を抜けばどうなる」
「死ぬ」
「抜かなくても死ぬ」
「そう見えるか」
未来の冬真の口元が歪む。
胸部の傷から垂れていた血が、床へ落ちる寸前で止まった。
一滴。
空中に浮かぶ。
黒い血が細い糸となり、胸の中へ戻っていく。
裂けた皮膚が蠢いた。
金属杭を呑み込むように、肉が盛り上がる。
「全員下がれ」
久世が言った。
「冬真、そいつから離れろ」
現在の冬真が一歩退く。
未来の冬真は笑ったまま、首を傾けた。
「遅い」
金属杭に、亀裂が走った。
一本。
蜘蛛の巣のように広がる。
直後。
杭が内側から砕け散った。
黒い破片が部屋中へ飛ぶ。
「伏せろ!」
荒牧が小型盾を前へ構えた。
破片が盾へ突き刺さる。
一つが荒牧の頬を裂き、耳の一部を持っていった。
「っ……!」
床へ血が飛ぶ。
椅子から解放された未来の冬真が、立ち上がった。
胸には人の頭ほどの穴が開いている。
穴の向こうに、白い壁が見えた。
心臓も肺もない。
代わりに。
胸腔の奥で、赤い時計が動いていた。
02:13。
数字が脈打つたび、傷口から黒い筋が全身へ広がっていく。
「欠落体反応!」
澪が叫ぶ。
「違う」
榊が後ずさる。
「あれは欠落体じゃない」
「じゃあ何だ」
荒牧が頬を押さえながら問う。
榊の唇が震えた。
「切除核だ」
未来の冬真が床に立つ。
右半身の炭化した皮膚が剥がれ落ちた。
下から現れたのは。
黒い肉でも。
骨でもない。
夜のように暗い、金属質の身体。
「刀を抜け」
未来の冬真が言った。
現在の冬真は動かない。
「何のために」
「俺を殺すためだ」
「理由は」
「三日後、お前たちは地下二十三階へ送られる」
部屋の空気が凍った。
「そこで何がある」
「答えが欲しいなら」
未来の冬真は、壁へ立てかけられていた長刀へ手を伸ばした。
「奪え」
柄を握る。
次の瞬間。
姿が消えた。
「冬真!」
久世の声。
現在の冬真は刀を抜く。
振り返らない。
背後へ刃を立てる。
激突。
長刀が黒い刃へ食い込んだ。
両腕の骨が軋む。
足元が沈み、床へ放射状の亀裂が走る。
「遅い」
耳元で未来の自分が囁く。
現在の冬真は刃を滑らせる。
正面から受けない。
長刀の軌道を外へ逃がし、身体を反転する。
肘を未来の冬真の顎へ。
当たらない。
首を僅かに傾けただけでかわされる。
未来の冬真の膝が、腹部へ入った。
「がっ……!」
身体が浮く。
肋骨が折れた。
冬真は十メートル以上吹き飛び、壁へ背中から叩きつけられる。
肺から空気が抜ける。
「冬真!」
真白が発砲した。
一発。
二発。
三発。
未来の冬真は長刀を振る。
弾丸が三つとも、縦に割れた。
破片が左右の壁へ突き刺さる。
「狙撃手が感情で撃つな」
未来の冬真が床を蹴る。
真白へ迫る。
「荒牧!」
小型盾が間へ入った。
長刀が盾へ当たる。
金属が紙のように裂ける。
刃は荒牧の左肩まで達した。
防護服。
筋肉。
鎖骨。
すべてをまとめて抉る。
血が噴き上がった。
「岳!」
荒牧の身体が膝をつく。
未来の冬真は、長刀を引かない。
「盾で受ける癖を捨てろ」
「てめえ……!」
「そのせいで妻子を二度死なせる」
荒牧の目が見開かれる。
未来の冬真が刃を捻ろうとする。
久世の散弾銃が火を噴いた。
頭部へ直撃。
未来の冬真の顔が半分吹き飛ぶ。
血は出ない。
黒い内部組織が露出する。
「班員へ余計なことを言うな」
久世は二発目を撃つ。
未来の冬真が長刀を引き抜く。
刃に荒牧の肉と骨片がこびりついていた。
荒牧が床へ倒れる。
真白が引きずって後退する。
「澪、止血!」
「はい」
未来の冬真は、久世の銃撃を長刀で受け流す。
「久世さん」
「何だ」
「また俺を殺すのか」
久世の指が止まった。
僅か一瞬。
その隙を。
未来の冬真は見逃さなかった。
懐へ入る。
長刀の柄頭が久世の胸部へ叩き込まれる。
防護板が陥没した。
久世が血を吐き、床を転がる。
「班長!」
真白が振り向く。
「見るな!」
久世が叫ぶ。
「前を見ろ!」
真白の正面へ、未来の冬真が現れる。
銃口よりも内側。
狙撃銃を持つ人間が、最も弱くなる距離。
「次はお前だ」
長刀が持ち上がる。
真白は銃を捨てた。
後退しない。
腰の短銃を抜き、未来の冬真の胸へ押しつける。
「近いなら」
引き金を引く。
「外さない!」
連続する銃声。
胸の時計へ弾丸が叩き込まれる。
赤い数字に罅が入った。
未来の冬真の動きが止まる。
真白はさらに撃つ。
だが。
未来の冬真の左手が、真白の首を掴んだ。
「それでいい」
指に力が入る。
骨が軋む。
真白の足が床から離れた。
「でも、足りない」
冬真が背後から斬りかかった。
未来の冬真は真白を放り投げる。
長刀を返す。
二本の刃がぶつかる。
現在の冬真は押し返されない。
折れた肋骨が肺へ刺さる痛みを無視し、前へ出る。
一撃。
二撃。
三撃。
未来の自分と同じ軌道。
未来残響で読み取った剣技ではない。
目の前にいる自分の動きを、その場で奪っている。
「真似か」
未来の冬真が笑う。
「違う」
現在の冬真は刃を擦り合わせながら踏み込む。
「元々、俺の動きだ」
肩をぶつける。
未来の冬真の体勢が僅かに崩れた。
腹部を蹴る。
一歩下がる。
「悪くない」
長刀が横薙ぎに振るわれる。
冬真は屈む。
髪が数本、宙を舞う。
下から斬り上げる。
未来の冬真の胸部を掠める。
時計の外縁が削れた。
「でも、まだ遅い」
未来の冬真が姿勢を変える。
刀を正面ではなく、身体の後ろへ隠した。
冬真の記憶にない構え。
次の攻撃が見えない。
未来残響が乱れる。
一秒先。
冬真の首が飛ぶ。
別の未来。
腹を両断される。
別の未来。
刀ごと腕を落とされる。
どの未来も死ぬ。
「冬真!」
澪の声が飛ぶ。
「右足を半歩後方へ!」
冬真は考えず、従った。
未来の冬真の刃が、喉元を紙一重で通過する。
「次、左肩を下げて!」
長刀が左から戻る。
肩を落とす。
刃が防護服を裂く。
肉には届かない。
「どうして見える」
未来の冬真が澪を見る。
「観測しています」
「お前に俺の未来は見えない」
「未来ではありません」
澪の端末には、部屋中の映像。
床の亀裂。
灰の動き。
筋肉の収縮。
長刀が生む空気の流れ。
「過去です」
「何?」
「あなたが動いた直後に生まれる痕跡を、冬真へ送っています」
未来を見る冬真。
過去を拾う澪。
二つの情報が重なる。
「真白!」
冬真が叫ぶ。
「胸の時計を狙え!」
「射線にいる!」
「俺ごと撃て!」
「それ禁止にしたいんだけど!」
真白は床へ落ちた狙撃銃を拾う。
肩づける。
冬真と未来の冬真が高速で刃を交える。
距離は近い。
常に重なっている。
「撃て!」
「外しても知らないよ!」
銃声。
冬真は弾丸が放たれる前に、身体を右へずらした。
未来の冬真も避ける。
同じ判断。
だが。
床に倒れていた荒牧の右手が、未来の冬真の足首を掴んだ。
「捕まえたぞ」
血を吐きながら笑う。
未来の冬真の身体が一瞬遅れる。
弾丸が胸の時計へ直撃した。
赤い表示が大きく割れる。
02:13。
数字の二が欠ける。
未来の冬真が荒牧の腕を蹴り払おうとする。
久世が背後から肩を掴んだ。
「お前一人で戦ってるつもりか」
「久世さん」
「今の冬真には、俺たちがいる」
久世が未来の冬真を羽交い締めにする。
「やれ!」
現在の冬真が踏み込む。
黒い刀を、胸の時計へ突き立てた。
硬い。
刃が途中で止まる。
未来の冬真は、久世ごと冬真へ長刀を振るおうとする。
「押し込め!」
荒牧が叫ぶ。
真白が狙撃銃を捨て、冬真の背中へ両手を当てる。
「澪!」
「刀身角度を二度右へ!」
冬真が柄を僅かに捻る。
罅へ刃が噛み合った。
「今!」
全員の力が重なる。
黒い刃が。
赤い時計を貫いた。
音が消えた。
未来の冬真の身体が止まる。
長刀が手から落ちる。
久世が拘束を解く。
未来の冬真は、その場に立ったまま現在の冬真を見ていた。
「そうだ」
胸から黒い液体が流れ出す。
「それを忘れるな」
口元が、僅かに笑った。
「お前が俺より強い理由は、そこにある」
未来の冬真の身体へ、細い亀裂が走る。
額。
頬。
首。
胸。
黒い肉体が灰へ変わり始める。
「待て」
冬真が刀を抜く。
「三日後、何が起きる」
「地下二十三階で、時象切除が始まる」
「誰が俺たちを送る」
「お前だ」
「またそれか」
「正確には」
未来の冬真の左目が、榊へ向く。
「お前の身体を使う、管理者だ」
榊が後退する。
「管理者は誰だ」
「名前はない」
「仮面の女か」
「違う」
未来の冬真の下半身が崩れる。
灰が床へ広がる。
「あいつは、最後までお前を止めようとした」
「なら、誰だ」
「最初に消えたもの」
未来の冬真は、自分の頭へ指を当てた。
「お前の中にいる」
冬真の右目が疼く。
燃える東京。
赤い制御盤。
自分の手。
背後から伸びる、白い腕。
手首を掴まれる。
――押して。
知らない声。
男でも、女でもない。
――もう一度なら、全員を救える。
記憶が途切れる。
「冬真!」
真白の声で戻る。
未来の冬真は、胸から上しか残っていない。
「二百十三番の名簿を開け」
「どこにある」
「俺の椅子の下」
冬真が振り返る。
破壊された椅子。
床に、赤い認証板が埋め込まれている。
「そこに、最初の帰還者の名前がある」
「誰だ」
未来の冬真は答えなかった。
顔の半分が灰になる。
「教えろ」
「自分で見ろ」
「なぜ」
「俺が言えば」
残った左目が細くなる。
「お前は、また俺と同じ選択をする」
最後に。
未来の冬真は、現在の自分へ手を伸ばした。
指先が胸元へ触れる寸前。
灰となって崩れた。
床には。
長刀と。
赤黒い認識票だけが残った。
◇
荒牧の傷は深かった。
左肩の骨は砕け、筋肉の一部が失われている。
澪が止血帯を締める。
「局内医療班へ連絡できません」
「地下十三階が遮断されたままか」
久世が尋ねる。
「はい」
「動けるか、荒牧」
「誰に聞いてる」
荒牧は青ざめた顔で立ち上がろうとする。
左腕は動かない。
「盾もねえ。腕も片方死んでる。ちょうど軽くなった」
「強がるな」
「ここに置いていかれるよりマシだ」
真白が荒牧の右側へ入り、身体を支える。
「私が持つ」
「細い腕で?」
「そのまま倒してもいいけど」
「頼む」
冬真は未来の自分が座っていた椅子へ近づいた。
座面は血と灰で汚れている。
床へ埋め込まれた認証板。
中心に、掌を置く窪みがある。
「触れるな」
榊が言った。
冬真は振り返らない。
「今度は何が起きる」
「名簿が開く」
「それだけか」
「そこに記録された人間は、現在へ固定される」
「意味が分からない」
「名前を知るということは、その存在を観測することだ」
榊が掠れた声で続ける。
「観測された帰還者は、消えられなくなる」
真白が床の灰を見る。
「さっきの人たちみたいに?」
「あれは、帰還できなかった時間の残骸だ」
「名簿を開けばどうなる」
「最初の帰還者が、現在へ戻る」
「人間なのか」
「分からない」
榊は本気で怯えていた。
「二十年間、誰も名簿を開けなかった」
「俺なら開けられる」
「だから危険なんだ」
冬真は認証板へ手を置いた。
「冬真」
久世が呼ぶ。
「三日後まで時間はある」
「ない」
「何?」
「未来の俺は、三日後のことを知っていた」
冬真は床へ残された灰を見る。
「それでも、ここへ縫い止められていた」
「罠の可能性もある」
「ああ」
「なら」
「だから確かめる」
久世は何も言わなかった。
最後に、小さく息を吐く。
「全員、構えろ」
真白が銃を持ち上げる。
荒牧は動く右腕で拳銃を抜く。
澪が端末を接続する。
冬真は認証板へ指を押し込んだ。
『管理者権限を確認』
赤い光が部屋を満たす。
『帰還者名簿を開示します』
壁一面の記録端末が起動した。
黒い画面へ。
一人目の名前が表示される。
帰還番号、一。
瀬名冬真。
現在の冬真と同じ名前。
その下。
帰還時年齢。
八歳。
「八歳……?」
真白が呟く。
冬真には、八歳以前の記憶がない。
家族の顔も。
暮らしていた家も。
学校へ通った記憶も。
何一つ。
続いて、帰還日時が表示される。
二〇〇六年七月二十四日。
二十年前。
時象災害対策局が建設されるよりも前。
「そんな」
澪の声が僅かに揺れた。
「冬真は現在十九歳です。二十年前には生まれていない」
「だから言っただろ」
榊が後退する。
「そいつは現在の人間じゃない」
記録端末へ、新たな文字が浮かぶ。
帰還時所持品。
黒色片刃刀。
管理者認識票。
切除核。
そして。
同伴者、一名。
氏名。
記録なし。
関係。
妹。
冬真の呼吸が止まる。
画面に。
古い監視映像が再生された。
暗い収容室。
床へ横たわる、八歳ほどの少年。
現在の冬真と同じ顔。
その隣に。
白い防護服を着た、小さな少女が座っている。
少女は黒い仮面を抱え。
眠る少年の髪を撫でていた。
映像の中の少女が顔を上げる。
監視カメラを見た。
口が動く。
音声はない。
それでも。
冬真には何と言ったのか分かった。
――この子が全部忘れたら。
少女は泣きながら笑った。
――今度は、私がお兄ちゃんを守る。




