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第27話 帰宅時刻

 九百万人分の足音が、地下へ向かっていた。


 駅。


 学校。


 病院。


 住宅街。


 原都市のあらゆる場所から、人々が深町第二小学校へ集まってくる。


 走る者はいない。


 叫ぶ者もいない。


 ただ。


 帰宅するような足取りで。


 母床中枢の時計を、二時十三分へ戻すために。


「誰も斬るな」


 冬真が言った。


 巨大な円形時計。


 現在時刻、二時十五分。


 二時二十六分まで。


 残り十一分。


「九百万人を相手に?」


 久世玲司が、半ば杖へ変わった散弾銃を構える。


「ああ」


「では、どうやって止める」


「止めない」


 冬真は時計の下に重なる東京を見る。


「帰す」


 水城澪が端末を動かす。


「住民記録の最終目的地を検索します」


 無数の光点。


 九百万人。


 その一人ずつに。


 住所。


 勤務先。


 家族。


 最後に向かおうとしていた場所が残っている。


「帰宅先が登録されている個体、六百八十一万」


「残りは」


「帰宅途中ではありません」


 病院。


 学校。


 職場。


 事故現場。


 誰かを迎えに行く途中。


 戻る場所は家だけではない。


「最終行動を使え」


 冬真が言う。


「最後に行こうとした場所へ送る」


「母床中枢が、すべての目的地をここへ上書きしています」


「上書きを消せる人間がいる」


 雨宮律が顔を上げた。


 腕の中には小春。


 律自身の輪郭はまだ薄い。


「九百万人は無理です」


「一度に消すな」


「では」


「路線ごとに切れ」


 冬真は地下駅の案内板を見る。


 赤。


 青。


 緑。


 複雑に交差する路線図。


 原都市の東京は。


 人の移動を記録している。


「街に運ばせる」


 ◇


 最初に母床へ到達したのは。


 スーツ姿の男だった。


 改札の奥。


 群衆の先頭。


 片手に鞄。


 もう一方に携帯端末を握っている。


「帰らないと」


 男は時計へ手を伸ばす。


「娘の誕生日なんだ」


 真白が男の足元へ撃つ。


 床が抉れる。


 男は止まらない。


「邪魔をしないでくれ」


 穏やかな声。


 次の瞬間。


 男の鞄が開いた。


 中から。


 何十本もの腕が飛び出す。


 真白の狙撃銃へ絡みつき。


 銃身をねじ曲げる。


「っ……!」


 冬真の刀が飛ぶ。


 腕だけを断つ。


 男の身体には触れない。


「娘の名前は」


 冬真が尋ねる。


「真希」


「住所は」


「杉並区――」


 男の口が止まる。


 母床が。


 住所を消そうとしている。


「澪」


「経路を検索」


 端末へ。


 男の通勤記録。


 駅。


 改札。


 定期券。


 携帯端末の位置情報。


 消える直前。


 午後二時十三分。


 男は会社から駅へ向かっていた。


「中央線。新宿から荻窪」


 澪が言う。


「律」


「七秒だけです」


 雨宮律が男へ手を向ける。


「目的地を忘れてください」


 銀色の光。


 一秒。


 男の視線が。


 母床の時計から外れる。


「俺は……どこへ」


「娘のところだ」


 冬真が言う。


 二秒。


 澪が駅の放送設備へ接続。


 三秒。


 原都市全域のスピーカーが鳴る。


『中央線快速、運転を再開します』


 存在しない電車の到着音。


 男が振り返る。


 四秒。


 暗いホームへ。


 黄色い光が現れる。


 五秒。


 電車の扉が開く。


 車内には。


 娘の誕生日ケーキを抱えた男の記録。


 六秒。


「真希」


 男が名前を呼ぶ。


 七秒。


 雨宮の抹消が切れる。


 母床の力が戻る。


 だが。


 男はすでに電車へ乗っていた。


 扉が閉じる。


 車両が走り出す。


 男の姿と。


 電車が。


 光の粒へ変わった。


 時計の針が。


 僅かに動く。


 二時十六分。


「一人」


 真白が呟く。


「あと九百万弱」


「一人ずつはやらない」


 冬真は。


 男が残した移動の糸を掴む。


 駅。


 線路。


 車両。


 同じ路線を使っていた人間。


 数十万。


「この道を」


 透明な糸を。


 地下から原都市全域へ引き伸ばす。


「全員に繋げる」


 ◇


 東京中で。


 止まっていた電車が動き始めた。


 駅のホーム。


 帰宅しようとしていた人々が。


 一斉に振り返る。


『山手線、運転を再開します』


『総武線各駅停車、まもなく発車します』


『地下鉄各線、通常運転です』


 嘘だった。


 車両も。


 線路も。


 すべて死者の記録。


 それでも。


 人々が生きていた最後の日常には。


 電車があった。


 駅員が笛を吹く。


 会社員が駆け込む。


 学生が友人と並んで座る。


 母親が子供の手を引く。


 冬真は。


 一つずつの現在を。


 帰宅記録へ繋ぎ直す。


「中央線、固定!」


 澪が叫ぶ。


「七十三万個体、母床接続を解除!」


「律、次!」


「山手線を消します!」


 雨宮の顔から。


 何かが抜け落ちる。


 目の焦点が一瞬消えた。


「何を失った」


 冬真が問う。


「……飴の味」


「まだ使えるか」


「はい」


「無理なら言え」


「言ったら止めますか」


「ああ」


「では言いません」


「面倒な奴だな」


 真白が。


 曲がった銃身を足で踏み戻しながら言う。


「冬真に似てきたね」


「不本意です」


「俺もだ」


「そこで意気投合しないで」


 ◇


 母床は。


 簡単には住民を手放さなかった。


 駅へ向かう人々の足元から。


 道路標識が生えた。


 ――深町第二小学校。


 ――母床中枢。


 ――帰宅口。


 すべての矢印が。


 時計へ向いている。


「経路が再上書きされます!」


 澪の端末。


 解除したはずの七十三万人が。


 再び母床へ繋がる。


 発車した電車が。


 線路上で急停止した。


 車両の先頭が。


 人間の顔へ変わる。


「帰さない」


 巨大な口が開く。


「まだ終わっていない」


 線路から。


 何百両もの列車が母床へ突入してくる。


 帰宅するためではない。


 乗せた人々ごと。


 時計へぶつけるために。


「来る!」


 真白が叫ぶ。


 一編成目。


 速度を落とさない。


 母床中枢の壁を破り。


 人間ごと突っ込んでくる。


「全員、伏せろ!」


 久世が散弾銃を撃つ。


 先頭車両の窓。


 車内にいた人々へは当てない。


 運転席だけを砕く。


 列車は止まらない。


「右へ逸らす!」


 冬真が。


 列車を見ている視界を集める。


 乗客。


 駅員。


 ホーム。


 原都市の監視装置。


 何万もの現在。


 車両が存在する位置を掴む。


「冬真、重すぎる!」


 真白が叫ぶ。


「見れば分かる」


「そういうのいいから!」


 冬真の右腕。


 折れた骨が。


 皮膚の内側から飛び出した。


 それでも。


 手を離さない。


「曲がれ」


 線路のない右側へ。


 列車の現在を手繰る。


 先頭車両が。


 空中で横を向いた。


 後続車両が折れ曲がる。


 窓。


 扉。


 連結部が引き千切れる。


 乗客たちは。


 悲鳴を上げない。


 座席へ座ったまま。


 列車ごと。


 別のホームへ着地した。


 駅名。


 荻窪。


 扉が開く。


 男たちが降りていく。


「次!」


 二編成目。


 三編成目。


 同時に来る。


 冬真の右腕は。


 もう指先しか動かない。


「真白」


「右?」


「違う」


 冬真は刀を見る。


「俺の手になれ」


「急に言い方が格好よくない?」


「刀を撃て」


「そっち?」


 真白が。


 宙へ浮く黒い刀の鍔を撃った。


 衝撃。


 刃が回転する。


 冬真は。


 銃弾の力ごと手繰る。


 刀が。


 二編成の間へ入る。


 線路を断つのではない。


 分岐器。


 進路を決める接続だけを斬る。


 列車が。


 左右へ分かれた。


 それぞれ。


 異なる帰宅駅へ向かう。


 時計。


 二時十七分。


 二時十八分。


 針が進む。


「三分進みました!」


「止まるな!」


 久世が護衛隊員へ命じる。


「路線表示を維持! 消された駅名は、手で書け!」


 隊員たちが。


 壁。


 床。


 自分の防護服へ。


 駅名を書き始める。


 新宿。


 池袋。


 上野。


 品川。


 東京。


 名前が消えるたび。


 もう一度書く。


 嘔吐していた隊員も。


 震える手で。


 荻窪と書いた。


「字、合ってますか」


「読めればいい!」


 隣の隊員が怒鳴る。


「なら大丈夫です!」


 ◇


 鉄道で帰れない人間は。


 道路へ流した。


 信号機。


 車。


 バス。


 自転車。


 徒歩。


 原都市の交通記録を。


 澪が分類する。


「車両移動、一百十二万!」


「道路網へ接続!」


「徒歩、二百九十万!」


「住所を表示しろ!」


 街中の案内板が。


 一斉に切り替わる。


 母床中枢ではなく。


 人々が最後に向かっていた場所へ。


 病院。


 学校。


 家。


 駅。


 公園。


 待ち合わせ場所。


 名前のない小さな店。


 九百万人の流れが。


 反転し始めた。


 小学校へ向かっていた群衆が。


 一人ずつ。


 来た道を戻る。


 原都市全体へ。


 人の波が散っていく。


 時計。


 二時十九分。


 二時二十分。


 九百万人の足音が。


 遠ざかる。


「残存接続、五十六万!」


 澪が叫ぶ。


「帰宅先がない個体です!」


「家族は」


「記録なし!」


「最終目的地」


「母床以外、存在しません!」


 動かなかった人々がいた。


 駅へ向かわない。


 道路へも出ない。


 小学校を囲み。


 こちらを見ている。


 浮浪者。


 身元不明者。


 記録を消された者。


 施設の子供。


 戸籍を持たなかった人間。


 誰にも迎えられなかった死者。


「帰る場所がない」


 小春が呟く。


 白い腕が。


 震えている。


「小春と同じ」


 五十六万人の顔が。


 徐々に消えていく。


 目。


 鼻。


 口。


 名前を持たない。


 黒い人影へ変わる。


 母床は。


 彼らを住民としてではなく。


 街を維持する部品として使っていた。


 影たちが。


 校舎の壁を登る。


 窓を埋め。


 地下へ流れ込む。


「残りは戦闘個体へ移行!」


 澪の端末が赤く染まる。


「数、五十六万!」


 真白が残弾を確認する。


「二発」


 久世の散弾銃は。


 完全に杖へ変わりかけている。


 護衛隊員。


 残り九人。


 雨宮律は。


 能力を使うたびに薄くなっている。


 冬真の右腕は折れ。


 左腕はない。


 心臓は。


 数十秒に一度しか動いていない。


「原記録の冬真は」


 真白が地下を見る。


「戻らない」


「眼を押さえている」


「じゃあ、私たちだけ?」


「ああ」


「余裕ないね」


「最初からない」


 黒い影が。


 母床中枢へ雪崩れ込んだ。


 護衛隊員が盾を構える。


 影の腕が盾へ触れる。


 金属が。


 持ち主の名前ごと消えていく。


 隊員の右半身が。


 透明になる。


「下がれ!」


 久世が男を蹴り飛ばす。


 直後。


 影の群れが久世へ覆い被さった。


「班長!」


 真白が撃つ。


 弾丸は一体を貫く。


 穴が空く。


 だが。


 後ろから別の影が埋める。


 冬真は。


 黒い刀を手繰った。


 斬るな。


 九百万人と同じ。


 彼らも。


 最初の東京で生きていた人間。


 ただ。


 帰る場所を持っていない。


「小春」


 冬真が呼ぶ。


「何」


「お前の家族にできるか」


 小春の顔が強張る。


「五十六万人を?」


「ああ」


「小春が、また母床になる」


「ならない」


「でも」


「家族にする必要はない」


 冬真は。


 押し寄せる影を見る。


「一晩だけ泊めろ」


「一晩?」


「帰る場所が見つかるまで」


 小春の目が。


 僅かに見開かれる。


「家族じゃなくていい?」


「ああ」


「忘れても?」


「名前を探す」


「見つからなかったら」


「付ける」


「五十六万人に?」


「全員でやる」


「また、できないこと言ってる」


「知ってる」


 冬真は。


 小春へ右手を伸ばす。


「それでも貸せ」


 小春は。


 少しだけ迷い。


 冬真の手を握った。


 ◇


 白い腕が。


 母床中枢全体へ広がった。


 黒い影たちが。


 一斉に小春を見る。


「家じゃないよ」


 小春が言う。


 九百万人の声ではなく。


 七歳の少女の声。


「ずっと覚えてるとも、言えない」


 白い腕が。


 影を一体ずつ包む。


「でも」


 最初の一人。


 顔のない子供。


 小春の隣へ座らせる。


「今夜は、ここにいていい」


 影の動きが止まった。


 次。


 老人。


 女。


 男。


 名前を持たない人々が。


 白い腕の中へ入っていく。


 小春の身体が。


 急速に崩れ始める。


 皮膚が裂け。


 下から何人分もの顔が浮かぶ。


「小春!」


 律が支える。


「多すぎる!」


「まだ……入る」


「やめろ!」


「お兄ちゃんも」


 小春が律を見る。


「帰る場所、なかったでしょ」


 律の口が止まる。


「だから」


 白い腕が。


 兄の背中へ回る。


「一緒にいて」


 五十六万人の影が。


 小春を中心に。


 一つの巨大な家の形を作っていく。


 屋根。


 壁。


 窓。


 人間の身体で作られた。


 歪な仮宿。


 それでも。


 影たちは暴れなくなった。


 時計の針が動く。


 二時二十一分。


「残り五分!」


 澪が叫ぶ。


「帰宅不能個体の接続、停止!」


 小春の白い腕が。


 母床の時計から離れる。


 街を止めていた九百万人の力。


 ほとんどが消えた。


 長針が。


 二十二分へ向かう。


 その瞬間。


 原都市全体が。


 激しく揺れた。


 家へ帰ったはずの人々が。


 一斉に悲鳴を上げる。


 住所。


 家族。


 駅。


 帰宅記録が。


 黒く塗り潰されていく。


「何が起きた!」


 久世が叫ぶ。


 澪の端末。


 十二の消失区から。


 原都市へ。


 新たな接続線が伸びている。


「外部から、帰宅先を消されています!」


「誰が」


 地図。


 十二箇所。


 すべてに。


 同じ紋章が浮かぶ。


 円の中央を。


 縦に貫く銀色の線。


 内閣時象統合本部。


「同時切除作戦……」


 真白の顔色が変わる。


「正午まで保留したはず」


「作戦時刻が前倒しされています!」


 澪が外部時計を表示する。


 午前十一時十三分。


 政府は。


 冬真たちの帰還を待たず。


 十二の消失区への攻撃準備を始めていた。


 切除まで。


 残り十三分。


 十二の世界が消えれば。


 人々の帰宅先も。


 もう一度、母床へ戻る。


「裏切られたね」


 真白が言う。


「想定内だ」


「それ、先に言って」


「言えば止められたか」


「腹は立てられた」


 冬真は。


 時計の長針を見る。


 二時二十一分。


 進めるべき時間。


 残り五分。


 外での切除。


 残り十三分。


「久世さん」


「何だ」


「時計は任せる」


「お前は」


「外へ繋ぐ」


「通信は切れている」


「通信じゃない」


 冬真は。


 十二の消失区へ伸びた攻撃線を見る。


 政府。


 統合本部。


 柴崎塔子。


 現在の東京。


 すべて。


 今。


 存在している。


「現在を手繰る」


 冬真の失われた右眼窩から。


 血とともに。


 透明な糸が伸びる。


 原都市。


 十二の消失区。


 統合本部。


 午前十一時十三分の東京。


 離れた二つの現在を。


 一本へ束ねる。


 冬真の前。


 地下母床の壁に。


 都庁の作戦司令室が現れた。


 何百人もの職員。


 巨大画面。


 切除開始を告げる柴崎塔子。


 冬真は。


 欠けた刀を持ち上げる。


「十三分もいらない」


 壁の向こう。


 柴崎が冬真を見る。


 驚愕。


 警備部隊が銃を向ける。


 冬真は。


 切除作戦の中央制御線へ刃を当てた。


「五分だけ」


 静かに言う。


「黙って見てろ」


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