第24話 出席番号十三
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『お兄ちゃん』
校内放送から。
九百万人の声が響いていた。
『やっと、忘れてくれたね』
深町第二小学校。
二階の窓際。
黒髪の少女が笑っている。
七歳ほど。
白い服。
胸元から伸びた何十本もの白い腕が、机や椅子の脚へ絡みついていた。
白髪の男は。
少女を見上げたまま動かない。
「小春」
自分の名前も。
少女との思い出もない。
それでも。
その二文字だけが口から出た。
『うん』
小春は嬉しそうに頷く。
『今度はちゃんと、迎えに来てくれた』
校庭に並んだ児童たちが。
一斉に拍手した。
乾いた音。
同じ速さ。
同じ強さ。
教師も。
校舎の窓から見ている児童たちも。
全員が笑っていた。
「門をくぐるな」
散弾銃を背負った男が言った。
「中へ入れば、何かを割り当てられる」
「でも、中枢は地下です」
端末を持った少女が答える。
「別の入口を探す時間は」
端末を見る。
表示された残り時間。
一時間十六分。
「ありません」
黒い刀の青年は。
自分の胸へ手を当てた。
鼓動はない。
先ほど適用された《死亡済》の記録が残っている。
息をして。
歩ける。
だが。
身体は自分を死者として扱っていた。
「入る」
長い銃を持った少女が、青年の右へ立つ。
「罠だよ」
「ああ」
「分かってて?」
「正門しか開いていない」
「だからって」
「外で待つか」
少女は校舎を見る。
二階の小春。
校庭に並ぶ何百人もの児童。
その向こう。
地下へ続く時象反応。
「行く」
「なら決まりだ」
「決めるの早いね」
「時間がない」
「その言葉、便利に使ってない?」
青年は答えず。
正門へ向かった。
少女も隣を歩く。
白髪の男が続こうとする。
散弾銃の男が肩を掴んだ。
「お前は最後だ」
「小春がいる」
「だからだ」
「放してください」
「今のお前は、自分が兄だったことすら覚えていない」
白髪の男は。
掴まれた肩を振り払わなかった。
「それでも」
校舎の窓から。
小春が見ている。
「置いていったことだけは分かる」
◇
正門をくぐった瞬間。
チャイムが鳴った。
校庭。
校舎。
空。
すべての音が止まる。
児童たちが。
一斉に黒い刀の青年へ顔を向けた。
『転入処理を開始します』
校内放送。
『所属不明個体、五名』
『保護者不明個体、十二名』
後方の護衛隊員たち。
名前を失い。
人数も減り。
十二人だけが残っている。
『空席照合』
校舎の窓へ。
赤い文字が浮かんだ。
一年一組。
欠員、三。
二年二組。
欠員、七。
五年三組。
欠員、二。
『適合する人生を割り当てます』
長銃の少女の前に。
一枚の名札が現れた。
――二年二組。
――相原美紀。
「またそれ」
名札が胸へ張りつこうとする。
少女は左手で掴んだ。
紙とは思えない力で。
指へ食い込む。
「私は違う」
『訂正を拒否』
校庭の児童たちが。
少女へ向かって一歩進む。
『美紀ちゃん』
『授業へ戻ろう』
『お母さんが待っている』
少女の視界へ。
見知らぬ家。
朝食。
学校。
友人。
十八年分の人生が流れ込む。
膝が揺れた。
隣。
黒い刀の青年が。
名札へ刃を入れる。
相原美紀。
文字だけが裂けた。
少女の呼吸が戻る。
「ありがとう」
「右を頼む」
「それしか言わないね」
「覚えているのが、それくらいだ」
少女は一瞬だけ。
寂しそうな表情をした。
「じゃあ増やさないとね」
「何を」
「私のこと」
答える前に。
青年の前にも名札が現れた。
だが。
白紙。
『個体照合』
『死亡記録を確認』
『在籍不能』
名札が。
その場で灰になった。
校庭の児童たちが。
初めて動きを止める。
『死者は、出席できません』
「そうか」
青年は校舎へ歩く。
児童の列が。
左右へ割れた。
「待って」
長銃の少女が追う。
「どうしてあなただけ」
「死んでいるからだ」
「普通に言わないで」
「便利だった」
「良くないよ」
「今は使える」
校舎の入口。
教師が一人立っていた。
白いシャツ。
黒いスカート。
穏やかな笑顔。
「死者の校内立ち入りは禁止です」
女教師が両手を広げる。
「保健室も、職員室も、あなたを受け入れません」
「地下へ行く」
「地下は生徒と職員のみです」
「なら止めろ」
教師の笑みが深くなる。
「不審者対応を開始します」
校舎の天井から。
防火扉が落ちた。
黒い刀の青年の頭上。
長銃の少女が叫ぶ。
「上!」
青年が一歩退く。
鋼鉄の扉が床へ衝突。
すぐ横。
壁の消火栓が開く。
中から。
赤いホースではなく。
筋肉と血管でできた長い管が飛び出した。
青年の首へ巻きつく。
「っ……!」
床へ引き倒される。
女教師が。
出席簿を開いた。
「不審者一名を排除します」
出席簿の紙面。
黒い文字。
――校内侵入者、午前十時四十六分に死亡。
青年の左腕が。
肘から先だけ腐り始めた。
すでに死亡している記録へ。
新しい死が重ねられていく。
長銃の少女が撃つ。
女教師の額。
弾丸は命中する直前。
小さな白い手に掴まれた。
教師の口から。
子供の腕が一本生えている。
小さな指が。
銃弾を握り潰した。
「銃器の持ち込みは禁止です」
少女の長銃へ。
赤い札が張りつく。
――没収。
銃が。
少女の手から勝手に離れる。
校舎の奥へ引かれていく。
「返して!」
少女が追おうとする。
児童たちが。
入口を塞いだ。
殴れない。
撃てない。
目の前にいるのは。
普通の子供と同じ姿をした記録。
「どいて」
児童たちは笑う。
「授業が始まるよ」
「一緒に行こう」
「先生に怒られるよ」
少女の手を。
何人もの子供が掴んだ。
小さな指。
体温もある。
爪が。
少女の皮膚へ沈む。
「痛っ……!」
子供たちの口が。
耳元で開く。
「美紀ちゃん」
「名前を思い出して」
「あなたは相原美紀」
制服が。
再び少女の身体を覆い始める。
◇
「名前が消えてるのに」
端末を持った少女が。
自分の胸へ張りついた名札を見ていた。
――一年一組。
――水城美緒。
「新しい名前は入るんですね」
児童用の黄色い帽子。
小さな鞄。
身体まで。
七歳ほどへ縮み始める。
散弾銃の男が名札を剥がそうとする。
紙は皮膚へ溶け込んでいる。
「触ると、俺にも入る」
男の右手。
皺が消え。
子供の手へ変わりかける。
離す。
「自分で拒め」
「方法が分かりません」
「お前は子供じゃない」
「根拠は」
「俺より頭がいい」
「比較対象として不適切です」
「その言い方だ」
端末の少女が瞬きをする。
「何がですか」
「以前も、俺を馬鹿にしていた」
「事実を述べただけです」
身体の縮小が止まる。
「戻ったら、もう一度言え」
「何を」
「今の言葉を」
「分かりました」
名札に。
細い亀裂が入った。
散弾銃の男が笑う。
「覚えてなくても、腹の立つ奴は同じらしい」
背後。
護衛隊員の一人が。
突然走り出した。
「授業に遅れる!」
防護服が。
小学校の制服へ変わっている。
銃を捨て。
校舎へ。
散弾銃の男が腕を掴む。
「止まれ!」
「離せ!」
「名前は」
「六年三組、佐藤浩司!」
「違う!」
「先生が呼んでる!」
男は泣き叫びながら暴れる。
「行かなきゃ、また家に帰れない!」
何の記憶を入れられたのか。
母親。
父親。
夕食。
現在にはなかった家庭。
「俺の名前だ!」
「お前は護衛隊員だ!」
「護衛って何だ!」
腕へ書かれていた文字は。
すでに読めない。
散弾銃の男は。
何も言えなくなった。
自分も。
隊員の本当の名前を思い出せない。
「俺が……」
護衛隊員が。
腰の短銃を抜いた。
自分の側頭部へ当てる。
「俺が誰か決めろ!」
散弾銃の男が銃身を掴む。
発砲。
弾丸が手のひらを貫いた。
血が飛ぶ。
それでも。
銃口を逸らさなかった。
「後で確認する」
「誰に!」
「生きてる奴全員にだ!」
護衛隊員の顔が歪む。
「誰も覚えてなかったら」
「そのときは」
散弾銃の男は。
血の流れる手で、相手の胸を殴った。
「俺がお前の上官だったことにする」
「横暴だろ……」
「今さらだ」
護衛隊員の力が抜けた。
制服への変化が止まる。
◇
白髪の男は。
誰にも人生を割り当てられなかった。
『既存記録なし』
『存在の照合に失敗』
児童たちも。
教師も。
彼の前だけは避けて通る。
雨宮律。
その名前を。
本人は思い出せない。
何度も記録から外れ。
何度も記憶を失った結果。
原都市にも。
当てはめられる人生が存在しなかった。
「小春」
二階。
少女は窓際から。
白髪の男を見ている。
『お兄ちゃん』
「迎えに来た」
『うん』
「一緒に戻ろう」
小春の笑みが。
僅かに薄くなる。
『どこへ?』
「外へ」
『外って、どこ?』
男の口が止まる。
現在の東京。
所属。
立川収容壕。
自分がどこから来たのか。
覚えていない。
「……分からない」
『お兄ちゃんは、帰る場所を忘れたんだよ』
小春の胸から伸びる白い腕が。
窓枠を撫でる。
『だから、ここで暮らせる』
「ここは」
『小春の家』
「九百万人は」
『家族』
校庭の児童たち。
校舎の教師。
街で暮らす人々。
全員が。
窓際の小春へ顔を向けた。
『みんな、小春を覚えてくれてる』
「お前は」
白髪の男の声が震える。
「これを望んだのか」
『うん』
答えは早い。
だが。
小春の背後。
教室の黒板へ。
細い爪痕があった。
――たすけて。
何度も。
何度も。
消されては書き直された痕。
『ずっと一人だったから』
「嘘だ」
小春の笑顔が固まる。
「お前は、助けを求めた」
『求めてない』
「書いてある」
小春は振り返らない。
『あれは小春じゃない』
「誰だ」
『覚えているほう』
白い腕が。
一斉に黒板を覆った。
爪で削る。
文字を消す。
『小春は、忘れてもらったほう』
◇
黒い刀の青年は。
廊下の床へ引きずられていた。
首に巻きついた肉のホース。
左腕の腐敗は。
肩まで進んでいる。
心臓は動かない。
痛みだけはある。
女教師が出席簿へ新しい記録を書く。
「侵入者は、校内設備の故障により死亡」
天井の蛍光灯が落ちる。
尖った金属枠。
青年の頭部へ。
「右上!」
長銃の少女の声。
銃を奪われ。
子供たちに腕を掴まれたまま。
それでも。
彼女は青年の死角を見ている。
青年は首のホースを。
腐りかけた左腕へ巻きつけた。
蛍光灯が落ちる。
刃のような金属が。
左腕を肩から切断した。
肉のホースも同時に断たれる。
自由になる。
青年は転がり。
女教師の足元へ滑り込んだ。
右手。
刀。
下から振り上げる。
教師の左脚が、膝から飛んだ。
白い紙が噴き出す。
「校内暴力は禁止されています」
女教師は倒れない。
切断面から。
何人もの児童の腕が伸び。
床へ指をつく。
新しい脚の代わりに。
無数の手で身体を支える。
出席簿へ。
赤い文字。
――右腕骨折。
青年の右腕が。
内側から折れた。
刀を落とす。
――両脚麻痺。
膝から下の感覚が消える。
床へ倒れる。
「今度こそ」
女教師の口が。
耳元まで裂けた。
中から。
白い腕と。
何百本もの赤鉛筆が伸びる。
「訂正します」
青年は。
落とした刀へ手を伸ばさない。
右腕は折れ。
左腕はない。
脚も動かない。
未来も見えない。
それでも。
女教師を見ていた。
「何を笑っているんですか」
青年自身も。
僅かに口元が上がっていることに気づいていなかった。
「分かった」
「何が」
「お前は」
女教師の胸。
出席簿。
何度も文字を書き。
人間へ人生を押しつける。
だが。
黒い刀の青年には。
死の記録しか入らない。
「俺を、生徒にできない」
女教師の笑みが消える。
「だから殺そうとしている」
「死者は排除対象です」
「違う」
青年の右眼窩。
失われた目の奥で。
現在の糸が動く。
刀は床。
自分から一・八メートル。
持つ手はない。
だが。
刀を見ている目がある。
長銃の少女。
端末の少女。
指揮官。
白髪の男。
校庭の子供。
窓際の小春。
無数の現在が。
黒い刃の位置を捉えている。
「怖いんだ」
青年は。
自分の右手ではなく。
離れた刀そのものを手繰った。
刃が床から跳ねる。
空中を走る。
女教師の背後へ。
「学校に」
刃が。
教師の胸を貫いた。
出席簿ごと。
「死人が入るのが」
黒い刃が。
自ら横へ動いた。
女教師の身体を。
内側から二つに断つ。
大量の紙。
赤鉛筆。
子供の腕。
教員名簿。
それらが廊下へ溢れた。
女教師の上半身が床へ落ちる。
顔だけが青年を見る。
「あなたは、誰ですか」
青年は。
自分の名を思い出せない。
答えられない。
だが。
右側。
子供たちを振り払い。
長銃の少女が走ってくる。
彼女が叫んだ。
「冬真!」
何の意味か。
分からない。
それでも。
胸の奥。
止まった心臓の位置へ。
熱が戻った。
「瀬名冬真!」
少女がもう一度呼ぶ。
手袋に書かれていた。
読めなかった文字。
黒い線が。
意味を取り戻す。
瀬名冬真。
「そうか」
青年は。
床に倒れたまま。
自分の名前を見た。
「俺は冬真だ」
心臓が。
一度だけ。
強く脈打った。
《死亡済》の赤い記録に。
亀裂が入る。
◇
女教師が崩れたことで。
校舎の入口が開いた。
奪われていた狙撃銃が。
廊下の床へ落ちる。
真白が拾う。
「腕」
冬真の左肩を見る。
切断面。
血は出ていない。
死体として固定されているため。
出血すら止まっている。
「後で戻す」
「戻せるの?」
「分からない」
「また」
「だが」
冬真は右手で刀を拾った。
折れた腕。
動かない脚。
少しずつ。
現在の身体へ引き戻されている。
「名前は戻った」
真白が。
冬真の右側へ立つ。
「私のは?」
冬真は彼女を見る。
思い出せない。
柊。
その先が出ない。
少女の表情が。
僅かに曇る。
「右を頼む」
「それだけ?」
「違う」
冬真は。
彼女の手袋へ残った文字を。
指先でなぞる。
柊真白。
「真白」
少女の目が揺れた。
「柊真白」
制服が消える。
戦闘装備。
銃を扱う指。
肩に残った傷。
現在の身体が戻る。
「遅い」
「悪い」
「忘れた罰として」
「何だ」
「砂糖、三本」
「甘すぎる」
「覚えてるじゃん」
真白は笑った。
校舎の奥。
非常階段の扉が開く。
地下から。
冷たい空気が流れてきた。
同時に。
全校放送が鳴る。
『出席番号十三番』
女教師ではない。
低い男の声。
現在の冬真と。
よく似ている。
『瀬名冬真』
校舎全体が。
冬真の名を呼ぶ。
『管理室へ来い』
二階の窓際。
小春の背後。
教室の扉が開いた。
両目を持つ男が立っている。
帰還前の瀬名冬真。
その右手には。
緑葬圏にあったはずの。
赤い眼球が握られていた。
『正午まで、あと一時間』
両目のある冬真は。
赤い眼を自分の右眼窩へ押し当てる。
『九百万人を眠らせたいなら』
透明な糸が。
校舎。
街。
十二の消失区へ伸びていく。
『まず、俺を殺せ』




