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第21話 正午までの東京

 午前九時十三分。


 東京には、朝が残っていた。


 道路の一部は崩れ。


 高層ビルには未来の巨大樹木が絡みつき。


 空には、切除世界から突き出した防壁が浮かんでいる。


 それでも。


 コンビニは開いていた。


 品物の半分が消えた棚へ、店員が水と保存食を並べている。


 店の外には行列。


 避難民。


 警察官。


 血の乾いていない防護服を着た局員。


 その間で。


 瀬名冬真は、紙カップを受け取った。


「百八十円です」


 店員は冬真の包帯を見ないようにしていた。


 だが。


 視線は何度も、失われた右目へ戻ってくる。


「砂糖は」


「二本まで無料です」


「二本」


 隣にいた柊真白が、驚いたように冬真を見る。


「入れるんだ」


「悪いか」


「昨日はいらないって」


「なかったからだ」


「強がってたんだ」


「違う」


 冬真は砂糖を二本入れた。


 真白が自分のカップを差し出す。


「一本ちょうだい」


「二本まで無料だ」


「取りに戻るの面倒」


「二歩だ」


「負傷者に優しくして」


「お前は歩ける」


「冬真よりはね」


 冬真は砂糖を一本渡した。


 真白が少し笑う。


「優しい」


「返せ」


「もう入れた」


 二人の後ろ。


 久世玲司が店の時計を見ていた。


 午前九時十四分。


「行くぞ」


「班長、何か買わないの?」


「水はある」


「甘いもの食べないと頭回らないよ」


「お前と同じにするな」


 水城澪が。


 棚からレトルトカレーを三つ持ってくる。


「購入します」


「誰の分?」


 真白が尋ねる。


「私と、荒牧さんと、予備です」


「岳さん、まだ固形物駄目だよ」


「回復後に食べます」


「いつまで保存する気?」


「賞味期限は二年あります」


 冬真が一箱取る。


 澪が彼を見る。


「これは荒牧さんの分です」


「見ているだけだ」


「触りました」


「戻す」


「棚の順序が変わりました」


「細かい」


「商品管理です」


 久世が先に店を出る。


「五分で済ませる話だった」


 真白が時計を見る。


「まだ三分」


「なら残り二分で車へ戻れ」


 店の外。


 現在の東京を走る車の向こうに。


 海底都市の透明な塔が立っていた。


 内部では魚が泳いでいる。


 現在の道路から見上げる人々。


 端末で撮影する若者。


 立ち止まって泣く女。


 塔の中に。


 未来で死んだ家族を見つけたのかもしれない。


 普通の朝。


 異常な景色。


 その二つが。


 同じ日差しの下にあった。


 ◇


 内閣時象統合本部は。


 都庁の地下防災区画へ移されていた。


 地上の庁舎は。


 昨夜の攻撃で上層階を失っている。


 巨大な窓には板が打ちつけられ。


 正面玄関には、武装した統合部隊が並んでいた。


 冬真たちは。


 武器を預けるよう求められた。


「刀を」


 受付の隊員が手を出す。


「断る」


「庁舎内への武装持ち込みは禁止です」


「帰還連合が侵入した場合は」


「統合部隊が対応します」


「昨夜、一人に二班を半壊させられた」


 隊員の表情が固くなる。


「規則です」


「冬真」


 久世が呼ぶ。


「預けろ」


 冬真は数秒黙り。


 刀を外した。


 隊員へ渡す直前。


 真白が鞘を掴む。


「丁寧に扱ってください」


「分かっています」


「刃が欠けてるけど、壊したのは冬真だから」


「余計なことを言うな」


「ほかの人が壊したみたいに思われたら困るでしょ」


 隊員は。


 刀と二人を交互に見た。


「……保管庫へ入れます」


「変な人たちだと思われたね」


「お前のせいだ」


「半分は冬真」


 会議室には。


 現在側の主要組織が集まっていた。


 統合本部。


 時象災害対策局。


 自衛隊。


 警察。


 消防。


 政府関係者。


 大型画面には、東京全域が映っている。


 十二の消失区。


 それぞれに。


 推定人口。


 時象密度。


 武装勢力。


 現在側への侵食範囲。


 数字が並んでいた。


 一番大きな表示。


 午後二時十三分。


 全消失区同時切除作戦。


 残り、五時間。


「瀬名冬真」


 柴崎塔子が会議卓の向こうへ座っていた。


「出頭命令への対応を確認しました」


「作戦を止めろ」


 挨拶もなく。


 冬真が言った。


 会議室の空気が冷える。


 自衛隊の制服を着た男が眉を寄せる。


「発言許可を得てから――」


「時間がない」


「それはこちらも同じだ」


 男の胸元。


 陸将補。


 名札には《斎賀》。


「現在までに、都内の死者は推定三万を超えている。行方不明は十万以上。十二の区域は今も拡大中だ」


「同時に撃てば十三番目が開く」


「根拠は鐘の文字か」


「それだけじゃない」


 冬真は画面を見る。


「十二の消失区は、現在へ侵入しているように見える」


「実際に侵食している」


「違う」


 澪が端末を会議卓へ接続した。


 十二の黒い円。


 出現地点。


 侵食方向。


 時間密度。


 重ねる。


「すべての消失区は、深町二丁目を中心として外側へ広がっています」


「発生源は各区域だろう」


 斎賀が言う。


「観測上は」


 澪が地図を回転させる。


 平面ではなく。


 地下方向を含む立体表示。


 十二の区域から伸びる時象経路。


 すべて。


 深町の地下へ繋がっていた。


「現在へ来ているのではありません」


 澪が言う。


「深町の十三番目から、引き出されています」


 会議室が静かになる。


「十三番目が先に存在する?」


 柴崎が尋ねる。


「はい」


「だが観測できない」


「現在と完全に重なっているためです」


 榊宗一郎が。


 背中を固定された状態で椅子へ座っていた。


「十三番目は、消失区じゃない」


 全員が榊を見る。


「二十年前の記録に、地下施設の別称がある」


「何だ」


 久世が問う。


「《原都市母床》」


 画面へ。


 古い設計図が表示される。


 二〇〇五年。


 時象災害対策局の設立前。


 深町二丁目地下。


 巨大な円形構造。


 地下施設というより。


 一つの都市に近い。


 居住区。


 医療区。


 学校。


 発電施設。


 農業設備。


 人口想定。


 九百八十二万六千四百十一名。


 冬真の記憶にあった。


 第一切除の対象人口と同じ。


「九百万人を地下へ収容する施設?」


 真白が設計図を見る。


「そんな大きさじゃない」


「物理空間ではない」


 榊が答える。


「第一切除のとき、東京全体の人間記録を一つの時象区画へ保存した」


「切り捨てたんじゃなかったのか」


「身体と時間は切り捨てた」


「では何を残した」


「東京そのものが」


 榊の声が低くなる。


「九百万人を覚えている」


 現在の街。


 道路。


 建物。


 駅。


 家。


 人間が暮らした場所へ。


 生活の記録が残る。


 誰が歩いたか。


 どこで眠ったか。


 何を食べたか。


 誰を愛したか。


 第一切除で捨てられた東京は。


 人々の記録だけを。


 深町の地下へ押し込まれていた。


「十三番目は」


 冬真が言う。


「世界じゃない」


 榊が頷く。


「最初の東京だ」


「作戦で十二の世界を切除すれば」


 澪が計算を表示する。


「接続先を失った時象質量が、十三番目へ流入します」


「九百万人の記録が起動する」


「記録だけなら脅威ではない」


 斎賀が言う。


「記憶返還を見ただろ」


 久世が返す。


「十八万人で、千人以上が死んだ」


「それでも九百万の死者と、現在の千四百万人なら選択は明白だ」


「違う」


 冬真が斎賀を見る。


「起きるのは死者じゃない」


 鐘の文字。


 ――起きるのは、俺ではない。


 帰還前の冬真ではない。


 外側の存在でもない。


 九百万人を記録した。


 最初の東京そのもの。


「現在の東京を」


 冬真は窓のない会議室を見回した。


「最初の東京が上書きする」


 現在にいる人間。


 建物。


 家族。


 人生。


 同じ位置にあった。


 二十七年後の人間記録へ置き換えられる。


「推定被害は」


 柴崎が澪へ尋ねる。


「計算不能です」


「概算でいい」


「現在の東京都市圏、全人口」


 会議室の誰かが。


 小さく息を呑んだ。


「それでも」


 斎賀は地図を見る。


「何もしなければ、十二の消失区が定着する」


「ああ」


 冬真は否定しない。


「だから正午までに十三番目を眠らせる」


「方法は」


「分からない」


 何人かが苛立った表情を見せる。


 柴崎だけは変わらない。


「不明な方法へ国家の全戦力を預けることはできません」


「なら時間をくれ」


「午後二時十三分までの五時間を?」


「正午までだ」


「残り二時間半」


「十分だ」


 真白が横から冬真を見る。


「それ言うとき、大体十分じゃないよね」


「今は黙っていろ」


「確認しただけ」


 斎賀が机を叩いた。


「遊びではない!」


「知っている」


 冬真の左目が斎賀を捉える。


「だから、撃つ前に確かめろと言っている」


「深町は現在、帰還連合、統合部隊、欠落体の三勢力が衝突している」


「行く」


「第六班だけで?」


「人員を出せ」


「命令する立場ではない」


 柴崎が右手を上げた。


 斎賀が言葉を止める。


「正午まで」


 柴崎が言った。


「同時切除作戦を保留します」


 会議室がざわめく。


「執行官」


 斎賀が彼女を見る。


「深町への調査部隊を編成。第六封鎖班を先導に使用します」


「先導?」


「失敗した場合」


 柴崎は冬真を見る。


「正午の時点で、瀬名冬真を切除対象へ指定します」


 真白の手が僅かに動く。


 久世が視線だけで止めた。


「俺を消せば何が変わる」


「十三番目との管理者接続が切れる可能性があります」


「成功率は」


「四十一パーセント」


「残りは」


「東京が消えます」


「合理的だな」


 柴崎は冬真の皮肉を受け流した。


「国家は、可能性の高い選択肢から実行します」


「一つだけ条件がある」


「聞きます」


「雨宮律を連れていく」


 柴崎の表情が僅かに硬くなる。


「彼は統合本部の管理対象です」


「十三番目が最初の東京なら、記録を消せる人間が必要になる」


「使用限界を超えています」


「本人に聞く」


「兵器へ意思確認は不要です」


 会議室の空気が。


 さらに冷たくなった。


 冬真は立ち上がる。


「人間だ」


「法的分類は――」


「何度でも言う」


 声は低い。


 大きくもない。


 だが。


 会議室にいた全員へ届いた。


「名前を持つものを、物として数えるな」


 柴崎と冬真。


 二人の視線がぶつかる。


 先に逸らしたのは。


 柴崎ではなかった。


 会議室の後方。


 銀色の棺を管理していた女性隊員。


 彼女が。


 口を開いた。


「雨宮律は」


 声が震えている。


「深町への同行を希望しています」


「許可していない」


「本人からの申請です」


「却下します」


「雨宮小春を探したいと」


 雨宮が失った。


 妹の声。


 残った名前。


 小春。


「小春はどこにいる」


 冬真が尋ねる。


 女性隊員は端末を開く。


「二十年前」


 古い帰還者記録。


 第一帰還者。


 瀬名冬真。


 同伴者。


 名前なし。


 妹。


 その下。


 別の収容記録。


 番号、二。


 帰還者。


 雨宮小春。


 帰還時年齢。


 七歳。


 帰還場所。


 深町《原都市母床》。


「雨宮の妹は」


 真白が画面を見る。


「二十年前に帰還してる?」


「現在記録には存在しません」


 女性隊員が答える。


「兄の律は、妹を探すために自ら抹消適応実験へ参加しました」


「本人が妹を忘れる能力なのに?」


「忘れれば」


 女の声が掠れた。


「外側に見つからず、近づけると考えたそうです」


 柴崎が立ち上がる。


「雨宮律の同行を許可します」


 冬真が彼女を見る。


「急に変えたな」


「深町へ投入する価値が生じたためです」


「人間としてではなく?」


「私は国家の執行官です」


「そうか」


「ただし」


 柴崎は端末へ命令を入力する。


「正午までに帰還できなければ、雨宮律を含めた調査隊全員を切除します」


 残り時間。


 二時間十九分。


 ◇


 会議室を出ると。


 冬真の刀が返却された。


 真白が鞘と刃を確認する。


「傷、増えてない」


「当然です」


 保管担当の隊員が答える。


「疑ってごめんなさい」


「いえ」


「冬真がよく壊すから」


「お前は俺を何だと思っている」


「扱いの雑な持ち主」


 久世が通信端末を確認する。


「荒牧から連絡だ」


『俺も行く』


「却下」


『まだ何も言ってねえだろ』


「聞こえた」


『歩ける』


「立てないだろ」


『車椅子なら』


「根杭へ刺された場所が開く」


『じゃあ後方支援』


「寝ろ」


『班長命令か』


「ああ」


 数秒の沈黙。


『……了解』


 珍しく。


 荒牧が素直に答えた。


 通信が切れる直前。


『冬真』


「何だ」


『戻ったらカレー温めろ』


「澪が持っている」


『お前は触るな』


「触っただけだ」


『触ったのかよ!』


 久世が通信を切った。


「元気そうだ」


「うるさかったね」


 真白が言う。


「いつも通りです」


 澪はレトルトカレーの入った袋を。


 まだ持っていた。


 地下駐車区画。


 銀色の棺が運ばれてくる。


 内部の雨宮律は。


 両腕の針を外されていた。


 代わりに。


 首の固定具から、一本だけ鎖が伸びている。


 統合部隊の女性隊員が握っていた。


「外せ」


 冬真が言う。


「管理規則です」


「歩けないのか」


「歩けます」


 雨宮本人が答えた。


 声は弱い。


 だが。


 銀色の窓越しに。


 冬真を見ている。


「鎖は」


「逃亡防止です」


「逃げるのか」


「分かりません」


「何を覚えている」


 雨宮は少し考える。


「名前」


「ほかは」


「妹を探していたこと」


「顔は」


「分からない」


「声は」


「昨日、失いました」


 冬真が女性隊員を見る。


「鎖を外せ」


「命令権がありません」


「誰ならある」


「柴崎執行官です」


 雨宮が。


 棺の内側から言った。


「そのままでいい」


「邪魔になる」


「慣れています」


「俺が慣れていない」


 冬真は刀を抜いた。


 女性隊員が武器へ手を伸ばす。


 黒い刃が。


 鎖へ落ちる。


 一閃。


 銀色の鎖が床へ落ちた。


 警報。


 統合部隊が一斉に銃を構える。


 冬真は刀を鞘へ戻す。


「逃げたら」


 雨宮を見る。


「俺が止める」


 雨宮は。


 切れた鎖を見下ろした。


「瀬名冬真」


「何だ」


「あなたは、いつもそうなんですか」


「何が」


「決めてから斬る」


「逆だと危ない」


 真白が小さく呟く。


「今のはちょっと危なかったけどね」


 統合部隊の銃口は下がらない。


 その向こう。


 駐車区画の時計。


 午前九時五十六分。


 正午まで。


 二時間四分。


 車両の扉が開く。


 外には。


 明るい東京があった。


 深町へ続く道路。


 その遠く。


 十三番目の座標から。


 誰にも聞こえない鐘が。


 ゆっくりと鳴り始めていた。


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