第15話 八秒の現在
六万九百八十二人は、三台の車両に収められていた。
人間が乗っているようには見えない。
荷台を占めているのは、黒い金属容器。
長さ三メートル。
高さ二メートル。
表面を覆う透明な管の中では、緑色の液体が脈打っている。
切除歴百八十八号。
乾ききった世界《緑葬圏》の生存者たちは、肉体の大部分を根へ変え、一つの時象空間に折り重なって眠っていた。
三台。
一台につき約二万人。
わずかな固定誤差でも、数百人が現在から滑り落ちる。
「離れないでください」
水城澪が、瀬名冬真の認識票へ接続線を差し込んだ。
「冬真を仮設区画の固定点として使用しています。車列から三十メートル以上離れた場合、収容空間が崩れる可能性があります」
「俺が車から落ちたら?」
「三台とも停止してください」
「止まれない状況なら」
「六万九百八十二人のうち、何人かが死にます」
運転席に座っていた柊真白が振り返った。
「落ちないでね」
「落とすな」
「運転するの初めてなんだけど」
「交代しろ」
「運転できるの?」
「教習所には行った」
「免許は?」
「取る前に局へ入った」
「私より駄目じゃん」
助手席の久世玲司が額を押さえた。
「二人とも後ろへ行け。運転は第一班から借りる」
「最初からそうして」
真白が席を立つ。
「お前が座ったんだろ」
「一回、装甲車を運転してみたかった」
「今じゃない」
冬真が荷台へ移ろうとしたとき。
外から、杖で車体を叩くような音がした。
「出発前に漫才を始めないで」
開いた後部扉の前に、一人の女が立っていた。
灰色の防護外套。
背は高くない。
年齢は二十代後半ほど。
黒髪を首元で切り揃え、両目へ透明な保護板を装着している。
左目の白目は、ほとんど赤く染まっていた。
「第四封鎖班副班長、御影千景」
女が名乗る。
「この車列の護衛を引き継ぐ」
久世が車外へ出る。
「第四班の班長は」
「渋谷区で建物と融合した。まだ生きてるけど、指揮は無理」
「融合?」
「腰から下が駅の改札になった」
御影は平坦に答えた。
「切り離せない。本人は切れって言ってる」
「医療班は」
「説得中」
「何を説得する」
「麻酔なしで腰を切る許可」
真白の顔が僅かに引きつった。
「それ、説得する必要ある?」
「医療班のほうが嫌がってる」
御影は冬真を見る。
右目を覆う包帯。
顔色。
血の染みた固定帯。
「瀬名冬真」
「ああ」
「未来視を捨てたって?」
「誰から聞いた」
「地下二十三階の監視記録が、全班へ流出してる」
冬真が榊宗一郎を見る。
榊は視線を逸らした。
「俺じゃない」
「まだ何も言っていない」
「顔に書いてある」
御影が冬真の正面へ立った。
「何本?」
「何が」
「指」
冬真が左手を上げる。
「五本」
「見えてるね」
「左目は残っている」
「私の左目も残ってる」
御影は赤く染まった自分の目を指した。
「見える範囲は、もう半分以下だけど」
真白が保護板の奥を覗き込む。
「傷?」
「代償」
御影の目が真白へ動いた。
「近い」
「ごめんなさい」
「謝りながら覗かないで」
真白が一歩下がる。
「能力者なの?」
御影は答えず、榊を見る。
「説明してなかったの?」
「瀬名の分類を優先していた」
「それで現場へ出してたのか。監理室は相変わらず人を武器だと思ってる」
「違う」
「違わない」
御影は保護板を指で押し上げた。
「《時象適応者》。消失区から生身で戻って、向こう側の法則を身体へ残した人間」
彼女の赤い左目が、冬真を捉える。
「二十年間の確認数は八十二人。現在も人間の姿を維持しているのは二十七人。封鎖班で動けるのは十一人」
「少ないね」
真白が言う。
「適応しなかった人間は死ぬ。適応しすぎた人間は欠落体になる」
「あなたは、どっち寄り?」
「日に日に後者」
御影は何でもないことのように答えた。
「だから急ぐよ。新宿から立川の時象収容壕まで、通常なら四十分。今の道路なら、死者が少なくて二時間」
「少なくて?」
真白が聞き返す。
「全員生還を前提にするほど、第四班は楽観的じゃない」
◇
車列は十二台。
三台の時象収容車。
護衛装甲車が六台。
救護車両が二台。
最後尾に観測車。
第四封鎖班の生存者、十八名。
第六封鎖班、四名。
荒牧岳は手術中。
東堂静夏率いる第一班は、都心部の避難路へ残った。
冬真は一台目の収容車へ乗り。
真白と澪が同乗する。
久世は先頭の指揮車。
御影は車外だった。
装甲車の屋根へ立ち。
透明な保護板越しに、道路の先を見ている。
「落ちないのかな」
真白が小窓から御影を見上げた。
「落ちても止まるんじゃないか」
冬真が答える。
「能力を何だと思ってるの」
「まだ説明されていない」
澪が端末を操作しながら言った。
「御影副班長は、八年前に《静止駅区》から帰還しています」
「静止駅区?」
「内部の物体は、観測されている間だけ状態が変化しない消失区です」
「分かりにくい」
「御影副班長が見続ける限り、対象の変化を一時的に固定できます」
真白が目を瞬く。
「建物が崩れるのを止めたり?」
「可能です」
「銃弾は?」
「止められます」
「人間は?」
「可能です。ただし心臓や血流も固定されます」
「それって」
「長時間使用すれば死にます」
冬真は車外の御影を見る。
「限界は」
「一度に一対象。最大八秒」
「短いね」
「八秒あれば、人は殺せる」
冬真が言った。
真白が横を見る。
「さらっと怖いこと言わないで」
「事実だ」
「それに」
澪が続ける。
「固定した変化は消滅しません。解除と同時に、すべて発生します」
「崩れる建物を止めても」
「八秒後には崩れます」
「防いでるわけじゃないんだ」
「猶予を作る能力です」
車列は、現在と未来が混ざった新宿の街を進んでいた。
左側には、見慣れた商業ビル。
右側には、百八十八号から重なった緑色の塔。
道路の中央を境に。
空の色まで違っている。
現在側は深夜の黒。
切除世界側は、濁った緑。
塔の内部。
ガラスのない窓へ、人間のようなものが立っている。
全員が根で天井から吊られ。
顔だけを車列へ向けていた。
「見られてる」
真白が呟く。
「百八十八号の残留住民です」
「収容した六万人とは別?」
「移送に間に合わなかった者です」
男。
女。
子供。
建物の壁と一体化し。
身体の中を樹液に置き換えられた人々。
助けを求めない。
手も振らない。
ただ。
通り過ぎる六万人を見送っていた。
冬真の右眼窩が疼いた。
透明な膜。
六万人が共有していた感覚器官の一部が、まだ奥に残っている。
一瞬。
車内とは違う景色が重なった。
高い場所から見下ろす車列。
根の隙間から。
道路の下から。
収容車の内部から。
無数の現在。
「冬真?」
真白が顔を覗き込む。
「何か見えた?」
「今だけだ」
「未来?」
「違う」
答えた瞬間。
御影が車列の上で右腕を上げた。
停止信号。
十二台が一斉に速度を落とす。
「前方に障害?」
真白が銃を取る。
澪の端末には反応がない。
「何も――」
道路が消えた。
車列の中央。
六台目と七台目の間。
アスファルトが音もなく灰色の砂へ変わる。
建物。
信号。
街灯。
半径百メートルの現在が、一瞬で別の世界へ置き換わった。
「時象侵食!」
澪が叫ぶ。
「切除歴四十七号!」
乾いた地面。
白く濁った空。
地平線まで続く、灰の海。
街のあった場所に。
何千もの人間の石像が立っていた。
泣く姿。
逃げる姿。
子供を抱く姿。
全員が灰へ固まり。
風に削られている。
後続車両が急停止する。
間に灰の海が入り込み。
車列が二つに分断された。
「久世班長!」
通信は雑音だけ。
「先頭と繋がりません!」
灰の地面から。
銃口が現れた。
一つ。
十。
百。
「伏せろ!」
冬真が叫ぶ。
銃声。
灰の下から放たれた弾丸が、護衛車の底部を貫いた。
運転席。
助手席。
隊員たちの身体が座席ごと跳ねる。
一台が制御を失い、収容車へ激突した。
黒い容器が大きく傾く。
「固定誤差発生!」
澪の端末に数字が並ぶ。
六万九百八十二。
六万九百七十一。
六万九百四十三。
「減ってる!」
真白が容器へ駆け寄る。
「衝撃で仮設区画から脱落しています!」
「車体を安定させろ!」
「外から支える必要があります!」
冬真が後部扉を開く。
灰の弾丸が扉を貫いた。
金属片が頬を裂く。
「冬真!」
「車を止めれば、もっと狙われる」
外を見る。
灰の海。
敵の姿はない。
すべて地面の下。
銃口だけを出し。
こちらの底部とタイヤを正確に撃っている。
「現在の装甲配置を知ってる」
真白が短銃を構える。
「帰還連合?」
「違います」
澪が信号を解析する。
「切除歴四十七号《灰海》の独立軍。帰還連合と交戦記録があります」
「敵の敵は味方じゃないんだ」
「現在側も含め、すべての生存圏を敵と認識しています」
地面が膨らむ。
灰を纏った兵士が現れた。
人間の形。
皮膚は石灰化し。
目と口を布で塞いでいる。
銃を構えたまま。
音もなく車列へ走ってくる。
真白が撃つ。
頭部へ命中。
灰の外殻が砕ける。
内部には。
脳がなかった。
空洞。
代わりに、小さな鐘が吊られている。
兵士が倒れると。
頭の中で鐘が鳴った。
澄んだ音。
周囲の灰が人の形へ集まり始める。
「倒すと増える!」
「鐘を鳴らすな!」
「撃つ前に言って!」
二体目が後部扉へ飛びつく。
冬真が刀を振るう。
首ではなく。
銃を持つ手首を断つ。
身体を蹴り落とす。
兵士は転がったが、鐘は鳴らない。
「切断は手足だけ!」
真白が膝を撃つ。
兵士の脚が崩れ。
地面へ倒れる前に、冬真が胸を掴んで支えた。
「重い」
「頑張って」
「撃ったのはお前だ」
「役割分担」
冬真は兵士を車外へ放り投げる。
容器の数字がまた減る。
六万八百九十七。
「澪!」
「一台目の右固定具が外れています!」
「何秒持つ」
「二十秒以内に復旧しなければ、収容区画が裂けます!」
冬真が車外へ出ようとする。
真白が腕を掴んだ。
「固定点が離れたら同じでしょ!」
「十メートルだ」
「外に何人いると思ってるの」
「数えられない」
「未来視ないんだから、少しは怖がって!」
「怖い」
真白の手が止まった。
冬真は左目で彼女を見る。
「だから急ぐ」
腕を外し。
車外へ飛び降りた。
◇
灰の海へ着地した瞬間。
足首まで沈んだ。
灰は砂ではない。
人骨を細かく砕いたものだった。
靴の下で。
歯。
指の骨。
頭蓋の欠片が擦れ合う。
地面から灰兵が現れる。
四体。
冬真は収容車から離れない。
一体目の銃身を刀で払う。
二体目の膝を断つ。
三体目の腕が、死角から伸びる。
「右後ろ!」
真白の声。
屈む。
灰兵の刃が頭上を通る。
真白の弾丸が、その肩を砕く。
四体目。
鐘のない兵士。
ほかより細い。
両腕の代わりに、長い銃身が生えている。
銃口が冬真の胸へ向いた。
発砲。
避けた。
はずだった。
弾丸は冬真の左を通過する。
次の瞬間。
存在しなかった穴が胸の防護服へ開いた。
衝撃。
冬真の身体が後ろへ飛ぶ。
「冬真!」
弾丸が遅れて現れた。
撃たれた位置ではなく。
敵が登録した座標へ、三秒後に着弾する。
左肩。
血が噴き出す。
「時差弾です!」
澪の声が通信から響く。
「発射時ではなく、三秒後の対象位置へ出現します!」
「どう避けるの!」
「三秒後、自分がどこにいるかを読ませないでください!」
未来視を失った冬真には。
自分が三秒後に立つ場所も見えない。
細い灰兵が再び銃口を向ける。
発砲。
弾は冬真の足元を通過した。
三秒後。
どこかへ来る。
冬真は固定具へ走る。
敵はそれを読む。
修復しなければ、六万人が死ぬ。
なら三秒後の位置は限られる。
固定具の前。
冬真が手を伸ばす場所。
「読まれてる!」
真白が叫ぶ。
一秒。
冬真は走る。
二秒。
固定具へ近づく。
三秒。
胸の正面。
空間が僅かに歪む。
冬真は止まらなかった。
刀を地面へ突き立て。
柄を支点に身体を横へ投げる。
弾丸が脇腹を掠めた。
完全には避けられない。
肉が抉れ。
血が灰へ落ちる。
それでも固定具へ手が届く。
金属枠を持ち上げる。
歪んだ接続部へ押し込む。
「復旧率四十!」
澪の声。
灰兵が集まる。
十体。
二十体。
冬真一人では防ぎきれない。
真白が車内から撃つ。
手足だけを狙う。
だが。
敵も理解している。
小さな鐘を自ら鳴らした。
灰の海から、新たな兵士が立ち上がる。
「増援、三十!」
「四十!」
「第五封鎖班側も攻撃を受けています!」
通信の向こう。
銃声。
悲鳴。
誰かが泣きながら母親の名前を呼んでいる。
若い第四班員が、収容車の陰で動けなくなっていた。
目の前。
仲間の頭部が、時差弾で内側から弾けた。
顔面に脳と血を浴び。
銃を落としている。
「無理だ」
隊員が呟いた。
「見えない……撃たれた弾が、見えない……」
灰兵が迫る。
「立て!」
別の隊員が襟を掴む。
「無理だ、無理だって!」
「死ぬぞ!」
「もう死んでる! あいつ、さっきまで喋って――」
灰兵の銃口が二人へ向いた。
御影千景が間へ入った。
赤く染まった左目を見開く。
「止まれ」
発射された弾丸が。
空中で静止した。
灰兵も。
舞い上がった灰も。
倒れかけた隊員の血も。
一枚の絵のように固定される。
御影が見ている範囲だけ。
世界から変化が消えた。
「八秒」
御影が言う。
「立てないなら這え」
若い隊員は震えている。
「でも」
「七秒」
仲間が腕を引く。
隊員は地面へ手をつき。
嘔吐しながら這い始めた。
「六秒」
御影の左目から血が流れる。
白目だけではない。
瞳の内部に細い亀裂が走る。
「御影副班長!」
「止まるな」
固定された弾丸の周囲へ、行き場を失った力が溜まっていく。
空気が歪む。
「四秒」
二人が射線から外れる。
「三秒」
御影の左目が白く濁る。
「二秒」
彼女自身の足元が揺れた。
「一秒」
御影が目を閉じる。
止められていた八秒が。
一度に動いた。
弾丸が壁へ殺到する。
灰兵が前へ倒れる。
血が噴き。
空気の衝撃が車体を叩いた。
御影も吹き飛ばされる。
地面を転がり。
顔から灰へ落ちた。
「副班長!」
若い隊員が這い戻ろうとする。
御影が顔を上げる。
左目は開かない。
「戻るな」
「でも、目が」
「右がある」
「見えるんですか」
「お前が泣いてるのは見える」
「……泣いてません」
「吐いた跡もついてる」
「それは見ないでください」
「なら立て」
隊員は銃を拾った。
両脚が震えている。
それでも。
御影の前へ立った。
◇
「復旧率七十三!」
固定具は、まだ戻らない。
冬真の周囲。
灰兵が積み重なる。
手足を失っても。
地面を這い。
歯で冬真へ噛みつこうとしている。
肩。
脇腹。
左手。
傷が増える。
未来を見られない。
時差弾が次々に発射される。
三秒後。
どこに現れるか分からない。
冬真は左目で敵を見る。
右眼窩が熱を持つ。
一瞬。
違う景色。
収容車の内部。
六万人の感覚。
根の先。
透明な管。
地面へ落ちる冬真の血。
血を吸った小さな根が、灰の下へ伸びている。
そこから。
地面の中が見えた。
銃を抱えた灰兵。
時差弾の座標を計算する装置。
灰の海に埋まった、巨大な人間の脳。
何千本もの神経が地表の兵士へ繋がっている。
「澪」
『はい』
「この視界を共有できるか」
『どの視界ですか』
「俺のじゃない」
冬真は目を閉じた。
左目まで。
「冬真?」
真白の声が強張る。
「何してるの」
「探してる」
「何を」
「今を見ている目」
収容区画。
六万九百人。
一人ずつではない。
根を通し。
同じ大地を見ていた感覚。
車輪の下。
建物の上。
灰の中。
敵の足元。
冬真の右側。
背後。
無数の現在が重なる。
未来ではない。
起こるかもしれない出来事でもない。
すでにそこにあるもの。
「接続信号を確認!」
澪が叫ぶ。
「冬真の認識票から、百八十八号の共有感覚へ接続しています!」
「切れ!」
久世の声。
『負荷が高すぎる!』
「切らなくていい」
『右目がありません! 視覚情報を受ける器官が――』
「目で見る必要はない」
細い灰兵が銃を撃つ。
三秒後の冬真を狙う。
だが。
銃身の内部。
座標を刻む指。
地中の脳が選んだ着弾点。
全部。
現在のどこかに存在している。
冬真には見えていた。
一秒。
固定具へ手をかけたまま、右脚を引く。
二秒。
身体を沈める。
三秒。
時差弾が、冬真の肩があった場所へ現れる。
空を穿つ。
「避けた……」
真白が呟く。
別の時差弾。
今度は背後。
冬真は振り返らない。
刀を後ろへ立てる。
三秒後。
現れた弾丸が、黒い刀身へぶつかった。
火花。
刃が大きく欠ける。
だが弾丸は逸れた。
「未来は見えていないはずです」
澪の声。
「見えてない」
冬真は目を閉じたまま答える。
「今なら」
灰の下。
収容車。
根。
仲間。
六万の感覚が。
敵の位置を現在へ固定している。
「六万人分ある」
冬真は固定具を押し込んだ。
「復旧率、百!」
収容空間が安定する。
減少していた数字が止まった。
六万七百十一。
二百七十一人。
間に合わなかった。
冬真は立ち上がる。
灰兵の群れではなく。
地面の下へ刀を向けた。
「真白」
「どこを撃つの」
「車両右側、九メートル」
「何がある?」
「脳へ繋がる神経」
「見えないけど」
「俺も見ていない」
「信用していい?」
「今さら聞くのか」
真白が壊れた照準器のない狙撃銃を構えた。
「一発だけね」
撃つ。
弾丸が灰へ沈む。
数秒後。
地面が脈打った。
灰兵の動きが一斉に止まる。
真白の弾丸が、地下の神経束を切断していた。
「久世さん」
『聞こえている』
「地下中枢は収容車の北、四十メートル」
『距離がある』
「御影の八秒を借りる」
御影が片目を押さえながら通信へ入る。
『もう左目は使えない』
「右目があるんだろ」
数秒の沈黙。
『さっきの聞いてたの?』
「聞こえた」
『性格悪いね』
「真白にも言われる」
『納得した』
久世の散弾銃が鳴る。
『第四班、御影を中継点へ運べ! 第六班は収容車を維持!』
灰兵が再び動き始める。
地下の脳が、別の神経へ接続した。
敵も対応が早い。
時差弾が同時に十二発。
冬真の共有視界へ、着弾座標が浮かぶ。
収容車。
御影。
真白。
澪。
久世。
すべてを守れない。
「冬真!」
真白が叫ぶ。
未来視があれば。
助かる経路を探せた。
今は違う。
見えているのは。
十二発の弾丸が、すでに登録されたという現在だけ。
冬真は認識票へ手を置いた。
六万の視界。
仲間の位置。
敵の神経。
御影の能力。
離れた現在を、一本ずつ掴む。
まだ。
未来を変えることはできない。
だが。
存在しているもの同士を。
近づけることなら。
「御影」
『何』
「中枢を見ろ」
『灰の下で見えない』
「俺が見せる」
冬真は右眼窩へ流れ込む感覚を。
御影の認識端末へ押し出した。
灰の地下。
巨大な脳。
脈打つ神経。
御影が息を呑む。
『これは……誰の目?』
「現在にいる全員だ」
御影が右目を開く。
距離、四十メートル。
灰の下。
直接は見えない。
それでも。
冬真から送られた現在像を。
自分の視界として捉えた。
「固定する」
地下の脳が止まった。
時差弾の座標更新が止まる。
「八秒!」
御影が叫ぶ。
久世が走る。
第一秒。
灰兵の間へ散弾を撃ち込み、道を開く。
第二秒。
第四班の隊員が続く。
第三秒。
地面へ爆薬を打ち込む。
第四秒。
灰の下。
脳の直上へ到達。
第五秒。
久世が起爆装置を押す。
第六秒。
爆発は起きない。
御影が中枢の変化ごと固定している。
第七秒。
久世たちが退避する。
第八秒。
御影が目を閉じた。
爆発。
灰の大地が持ち上がる。
巨大な脳が、地面ごと吹き飛んだ。
白い組織。
黒い血管。
人間の顔が無数に埋め込まれた脳が、夜空へ露出する。
十二発の時差弾が同時に発生した。
だが。
座標を固定していた中枢が砕けたことで。
弾丸は狙いを失う。
車列の周囲へ無作為に現れた。
装甲車を貫き。
道路を抉り。
第四班員二人の身体を引き裂いた。
完全には防げなかった。
それでも。
三台の収容車は残った。
灰兵たちが、糸を切られたように崩れる。
頭部の鐘が。
一つずつ鳴った。
何百もの澄んだ音が。
灰色の世界へ広がる。
◇
灰海は退いた。
元の道路が戻ってくる。
建物。
信号。
血のついたアスファルト。
車列十二台のうち。
動けるのは八台。
第四封鎖班、死亡五名。
重傷七名。
緑葬圏の脱落者、二百七十一名。
勝ったとは言えなかった。
守るべきものの一部を失い。
敵の本隊は姿すら見せず。
地中中枢一つを潰しただけ。
若い第四班員が、道路へ膝をついていた。
先ほどまで嘔吐していた男。
今度は泣いていない。
死亡した仲間の認識票を、一枚ずつ外している。
手はまだ震えていた。
御影が隣へ立つ。
「名前を読める?」
「はい」
「なら覚えて」
「忘れません」
「そう言った人間から忘れる」
御影は開かなくなった左目へ触れた。
「記録に残して。自分の頭を信用しないで」
「副班長は」
「何」
「今までに、何人忘れたんですか」
御影は答えなかった。
右目だけで。
並べられた五枚の認識票を見る。
「出発する」
それだけ言った。
◇
冬真は収容車の横へ座り込んでいた。
共有視界は切れている。
左目を開いても。
右眼窩には暗闇しかない。
真白が包帯を持ってくる。
「六万人分の目、どうだった?」
「うるさい」
「目なのに?」
「声も混じる」
「じゃあ六万人分の真白がいたら?」
「切る」
「ひどい」
真白が包帯を巻く。
今度は強く締めなかった。
「能力、戻ったのかな」
「未来は見えない」
「でも、弾丸を避けた」
「撃たれる場所が、すでに決まっていただけだ」
「その先は?」
「分からない」
「手繰り寄せるとか言ってたのは?」
冬真は血のついた左手を見る。
御影へ視界を渡した瞬間。
離れた二つの現在が。
一本の線で結ばれた。
偶然ではない。
冬真が選び。
掴み。
引き寄せた。
「まだ、現在だけだ」
「未来は?」
「そのうち」
「自信あるんだ」
「ない」
「即答しないでよ」
澪が端末を持って近づいた。
「冬真」
「何だ」
「緑葬圏の収容人数に変化があります」
「また減ったのか」
「増えています」
冬真が顔を上げる。
六万七百十一。
六万七百十二。
一人増えている。
「仮設区画の内部から、新しい個体が固定されました」
端末へ映像が出る。
植物都市の深部。
前に手を振っていた少女。
白い衣服。
緑色の髪。
年齢は十歳ほど。
少女が、根で作られた暗い部屋を歩いている。
腕の中には。
一つの黒い箱を抱えていた。
箱の表面に刻まれているのは。
時象災害対策局の紋章。
中央に赤い針。
「百八十八号に、局の設備が?」
真白が呟く。
「違います」
澪が映像を拡大する。
箱の製造年。
二〇〇五年。
時象災害対策局が設立される一年前。
「また局より先にある」
冬真が言った。
少女が箱を床へ置く。
蓋を開ける。
中に入っていたのは。
人間の右眼球だった。
腐敗していない。
赤い虹彩。
眼球の裏側から、何百本もの透明な糸が伸びている。
糸の一本ずつに。
異なる東京が映っていた。
少女が映像越しに冬真を見る。
口が動く。
『見つけた』
音声はない。
それでも意味が伝わる。
『お兄ちゃんの、最初の目』
冬真の潰れた右眼窩が。
強く脈打った。




