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第15話 八秒の現在

 六万九百八十二人は、三台の車両に収められていた。


 人間が乗っているようには見えない。


 荷台を占めているのは、黒い金属容器。


 長さ三メートル。


 高さ二メートル。


 表面を覆う透明な管の中では、緑色の液体が脈打っている。


 切除歴百八十八号。


 乾ききった世界《緑葬圏》の生存者たちは、肉体の大部分を根へ変え、一つの時象空間に折り重なって眠っていた。


 三台。


 一台につき約二万人。


 わずかな固定誤差でも、数百人が現在から滑り落ちる。


「離れないでください」


 水城澪が、瀬名冬真の認識票へ接続線を差し込んだ。


「冬真を仮設区画の固定点として使用しています。車列から三十メートル以上離れた場合、収容空間が崩れる可能性があります」


「俺が車から落ちたら?」


「三台とも停止してください」


「止まれない状況なら」


「六万九百八十二人のうち、何人かが死にます」


 運転席に座っていた柊真白が振り返った。


「落ちないでね」


「落とすな」


「運転するの初めてなんだけど」


「交代しろ」


「運転できるの?」


「教習所には行った」


「免許は?」


「取る前に局へ入った」


「私より駄目じゃん」


 助手席の久世玲司が額を押さえた。


「二人とも後ろへ行け。運転は第一班から借りる」


「最初からそうして」


 真白が席を立つ。


「お前が座ったんだろ」


「一回、装甲車を運転してみたかった」


「今じゃない」


 冬真が荷台へ移ろうとしたとき。


 外から、杖で車体を叩くような音がした。


「出発前に漫才を始めないで」


 開いた後部扉の前に、一人の女が立っていた。


 灰色の防護外套。


 背は高くない。


 年齢は二十代後半ほど。


 黒髪を首元で切り揃え、両目へ透明な保護板を装着している。


 左目の白目は、ほとんど赤く染まっていた。


「第四封鎖班副班長、御影千景」


 女が名乗る。


「この車列の護衛を引き継ぐ」


 久世が車外へ出る。


「第四班の班長は」


「渋谷区で建物と融合した。まだ生きてるけど、指揮は無理」


「融合?」


「腰から下が駅の改札になった」


 御影は平坦に答えた。


「切り離せない。本人は切れって言ってる」


「医療班は」


「説得中」


「何を説得する」


「麻酔なしで腰を切る許可」


 真白の顔が僅かに引きつった。


「それ、説得する必要ある?」


「医療班のほうが嫌がってる」


 御影は冬真を見る。


 右目を覆う包帯。


 顔色。


 血の染みた固定帯。


「瀬名冬真」


「ああ」


「未来視を捨てたって?」


「誰から聞いた」


「地下二十三階の監視記録が、全班へ流出してる」


 冬真が榊宗一郎を見る。


 榊は視線を逸らした。


「俺じゃない」


「まだ何も言っていない」


「顔に書いてある」


 御影が冬真の正面へ立った。


「何本?」


「何が」


「指」


 冬真が左手を上げる。


「五本」


「見えてるね」


「左目は残っている」


「私の左目も残ってる」


 御影は赤く染まった自分の目を指した。


「見える範囲は、もう半分以下だけど」


 真白が保護板の奥を覗き込む。


「傷?」


「代償」


 御影の目が真白へ動いた。


「近い」


「ごめんなさい」


「謝りながら覗かないで」


 真白が一歩下がる。


「能力者なの?」


 御影は答えず、榊を見る。


「説明してなかったの?」


「瀬名の分類を優先していた」


「それで現場へ出してたのか。監理室は相変わらず人を武器だと思ってる」


「違う」


「違わない」


 御影は保護板を指で押し上げた。


「《時象適応者》。消失区から生身で戻って、向こう側の法則を身体へ残した人間」


 彼女の赤い左目が、冬真を捉える。


「二十年間の確認数は八十二人。現在も人間の姿を維持しているのは二十七人。封鎖班で動けるのは十一人」


「少ないね」


 真白が言う。


「適応しなかった人間は死ぬ。適応しすぎた人間は欠落体になる」


「あなたは、どっち寄り?」


「日に日に後者」


 御影は何でもないことのように答えた。


「だから急ぐよ。新宿から立川の時象収容壕まで、通常なら四十分。今の道路なら、死者が少なくて二時間」


「少なくて?」


 真白が聞き返す。


「全員生還を前提にするほど、第四班は楽観的じゃない」


 ◇


 車列は十二台。


 三台の時象収容車。


 護衛装甲車が六台。


 救護車両が二台。


 最後尾に観測車。


 第四封鎖班の生存者、十八名。


 第六封鎖班、四名。


 荒牧岳は手術中。


 東堂静夏率いる第一班は、都心部の避難路へ残った。


 冬真は一台目の収容車へ乗り。


 真白と澪が同乗する。


 久世は先頭の指揮車。


 御影は車外だった。


 装甲車の屋根へ立ち。


 透明な保護板越しに、道路の先を見ている。


「落ちないのかな」


 真白が小窓から御影を見上げた。


「落ちても止まるんじゃないか」


 冬真が答える。


「能力を何だと思ってるの」


「まだ説明されていない」


 澪が端末を操作しながら言った。


「御影副班長は、八年前に《静止駅区》から帰還しています」


「静止駅区?」


「内部の物体は、観測されている間だけ状態が変化しない消失区です」


「分かりにくい」


「御影副班長が見続ける限り、対象の変化を一時的に固定できます」


 真白が目を瞬く。


「建物が崩れるのを止めたり?」


「可能です」


「銃弾は?」


「止められます」


「人間は?」


「可能です。ただし心臓や血流も固定されます」


「それって」


「長時間使用すれば死にます」


 冬真は車外の御影を見る。


「限界は」


「一度に一対象。最大八秒」


「短いね」


「八秒あれば、人は殺せる」


 冬真が言った。


 真白が横を見る。


「さらっと怖いこと言わないで」


「事実だ」


「それに」


 澪が続ける。


「固定した変化は消滅しません。解除と同時に、すべて発生します」


「崩れる建物を止めても」


「八秒後には崩れます」


「防いでるわけじゃないんだ」


「猶予を作る能力です」


 車列は、現在と未来が混ざった新宿の街を進んでいた。


 左側には、見慣れた商業ビル。


 右側には、百八十八号から重なった緑色の塔。


 道路の中央を境に。


 空の色まで違っている。


 現在側は深夜の黒。


 切除世界側は、濁った緑。


 塔の内部。


 ガラスのない窓へ、人間のようなものが立っている。


 全員が根で天井から吊られ。


 顔だけを車列へ向けていた。


「見られてる」


 真白が呟く。


「百八十八号の残留住民です」


「収容した六万人とは別?」


「移送に間に合わなかった者です」


 男。


 女。


 子供。


 建物の壁と一体化し。


 身体の中を樹液に置き換えられた人々。


 助けを求めない。


 手も振らない。


 ただ。


 通り過ぎる六万人を見送っていた。


 冬真の右眼窩が疼いた。


 透明な膜。


 六万人が共有していた感覚器官の一部が、まだ奥に残っている。


 一瞬。


 車内とは違う景色が重なった。


 高い場所から見下ろす車列。


 根の隙間から。


 道路の下から。


 収容車の内部から。


 無数の現在。


「冬真?」


 真白が顔を覗き込む。


「何か見えた?」


「今だけだ」


「未来?」


「違う」


 答えた瞬間。


 御影が車列の上で右腕を上げた。


 停止信号。


 十二台が一斉に速度を落とす。


「前方に障害?」


 真白が銃を取る。


 澪の端末には反応がない。


「何も――」


 道路が消えた。


 車列の中央。


 六台目と七台目の間。


 アスファルトが音もなく灰色の砂へ変わる。


 建物。


 信号。


 街灯。


 半径百メートルの現在が、一瞬で別の世界へ置き換わった。


「時象侵食!」


 澪が叫ぶ。


「切除歴四十七号!」


 乾いた地面。


 白く濁った空。


 地平線まで続く、灰の海。


 街のあった場所に。


 何千もの人間の石像が立っていた。


 泣く姿。


 逃げる姿。


 子供を抱く姿。


 全員が灰へ固まり。


 風に削られている。


 後続車両が急停止する。


 間に灰の海が入り込み。


 車列が二つに分断された。


「久世班長!」


 通信は雑音だけ。


「先頭と繋がりません!」


 灰の地面から。


 銃口が現れた。


 一つ。


 十。


 百。


「伏せろ!」


 冬真が叫ぶ。


 銃声。


 灰の下から放たれた弾丸が、護衛車の底部を貫いた。


 運転席。


 助手席。


 隊員たちの身体が座席ごと跳ねる。


 一台が制御を失い、収容車へ激突した。


 黒い容器が大きく傾く。


「固定誤差発生!」


 澪の端末に数字が並ぶ。


 六万九百八十二。


 六万九百七十一。


 六万九百四十三。


「減ってる!」


 真白が容器へ駆け寄る。


「衝撃で仮設区画から脱落しています!」


「車体を安定させろ!」


「外から支える必要があります!」


 冬真が後部扉を開く。


 灰の弾丸が扉を貫いた。


 金属片が頬を裂く。


「冬真!」


「車を止めれば、もっと狙われる」


 外を見る。


 灰の海。


 敵の姿はない。


 すべて地面の下。


 銃口だけを出し。


 こちらの底部とタイヤを正確に撃っている。


「現在の装甲配置を知ってる」


 真白が短銃を構える。


「帰還連合?」


「違います」


 澪が信号を解析する。


「切除歴四十七号《灰海》の独立軍。帰還連合と交戦記録があります」


「敵の敵は味方じゃないんだ」


「現在側も含め、すべての生存圏を敵と認識しています」


 地面が膨らむ。


 灰を纏った兵士が現れた。


 人間の形。


 皮膚は石灰化し。


 目と口を布で塞いでいる。


 銃を構えたまま。


 音もなく車列へ走ってくる。


 真白が撃つ。


 頭部へ命中。


 灰の外殻が砕ける。


 内部には。


 脳がなかった。


 空洞。


 代わりに、小さな鐘が吊られている。


 兵士が倒れると。


 頭の中で鐘が鳴った。


 澄んだ音。


 周囲の灰が人の形へ集まり始める。


「倒すと増える!」


「鐘を鳴らすな!」


「撃つ前に言って!」


 二体目が後部扉へ飛びつく。


 冬真が刀を振るう。


 首ではなく。


 銃を持つ手首を断つ。


 身体を蹴り落とす。


 兵士は転がったが、鐘は鳴らない。


「切断は手足だけ!」


 真白が膝を撃つ。


 兵士の脚が崩れ。


 地面へ倒れる前に、冬真が胸を掴んで支えた。


「重い」


「頑張って」


「撃ったのはお前だ」


「役割分担」


 冬真は兵士を車外へ放り投げる。


 容器の数字がまた減る。


 六万八百九十七。


「澪!」


「一台目の右固定具が外れています!」


「何秒持つ」


「二十秒以内に復旧しなければ、収容区画が裂けます!」


 冬真が車外へ出ようとする。


 真白が腕を掴んだ。


「固定点が離れたら同じでしょ!」


「十メートルだ」


「外に何人いると思ってるの」


「数えられない」


「未来視ないんだから、少しは怖がって!」


「怖い」


 真白の手が止まった。


 冬真は左目で彼女を見る。


「だから急ぐ」


 腕を外し。


 車外へ飛び降りた。


 ◇


 灰の海へ着地した瞬間。


 足首まで沈んだ。


 灰は砂ではない。


 人骨を細かく砕いたものだった。


 靴の下で。


 歯。


 指の骨。


 頭蓋の欠片が擦れ合う。


 地面から灰兵が現れる。


 四体。


 冬真は収容車から離れない。


 一体目の銃身を刀で払う。


 二体目の膝を断つ。


 三体目の腕が、死角から伸びる。


「右後ろ!」


 真白の声。


 屈む。


 灰兵の刃が頭上を通る。


 真白の弾丸が、その肩を砕く。


 四体目。


 鐘のない兵士。


 ほかより細い。


 両腕の代わりに、長い銃身が生えている。


 銃口が冬真の胸へ向いた。


 発砲。


 避けた。


 はずだった。


 弾丸は冬真の左を通過する。


 次の瞬間。


 存在しなかった穴が胸の防護服へ開いた。


 衝撃。


 冬真の身体が後ろへ飛ぶ。


「冬真!」


 弾丸が遅れて現れた。


 撃たれた位置ではなく。


 敵が登録した座標へ、三秒後に着弾する。


 左肩。


 血が噴き出す。


「時差弾です!」


 澪の声が通信から響く。


「発射時ではなく、三秒後の対象位置へ出現します!」


「どう避けるの!」


「三秒後、自分がどこにいるかを読ませないでください!」


 未来視を失った冬真には。


 自分が三秒後に立つ場所も見えない。


 細い灰兵が再び銃口を向ける。


 発砲。


 弾は冬真の足元を通過した。


 三秒後。


 どこかへ来る。


 冬真は固定具へ走る。


 敵はそれを読む。


 修復しなければ、六万人が死ぬ。


 なら三秒後の位置は限られる。


 固定具の前。


 冬真が手を伸ばす場所。


「読まれてる!」


 真白が叫ぶ。


 一秒。


 冬真は走る。


 二秒。


 固定具へ近づく。


 三秒。


 胸の正面。


 空間が僅かに歪む。


 冬真は止まらなかった。


 刀を地面へ突き立て。


 柄を支点に身体を横へ投げる。


 弾丸が脇腹を掠めた。


 完全には避けられない。


 肉が抉れ。


 血が灰へ落ちる。


 それでも固定具へ手が届く。


 金属枠を持ち上げる。


 歪んだ接続部へ押し込む。


「復旧率四十!」


 澪の声。


 灰兵が集まる。


 十体。


 二十体。


 冬真一人では防ぎきれない。


 真白が車内から撃つ。


 手足だけを狙う。


 だが。


 敵も理解している。


 小さな鐘を自ら鳴らした。


 灰の海から、新たな兵士が立ち上がる。


「増援、三十!」


「四十!」


「第五封鎖班側も攻撃を受けています!」


 通信の向こう。


 銃声。


 悲鳴。


 誰かが泣きながら母親の名前を呼んでいる。


 若い第四班員が、収容車の陰で動けなくなっていた。


 目の前。


 仲間の頭部が、時差弾で内側から弾けた。


 顔面に脳と血を浴び。


 銃を落としている。


「無理だ」


 隊員が呟いた。


「見えない……撃たれた弾が、見えない……」


 灰兵が迫る。


「立て!」


 別の隊員が襟を掴む。


「無理だ、無理だって!」


「死ぬぞ!」


「もう死んでる! あいつ、さっきまで喋って――」


 灰兵の銃口が二人へ向いた。


 御影千景が間へ入った。


 赤く染まった左目を見開く。


「止まれ」


 発射された弾丸が。


 空中で静止した。


 灰兵も。


 舞い上がった灰も。


 倒れかけた隊員の血も。


 一枚の絵のように固定される。


 御影が見ている範囲だけ。


 世界から変化が消えた。


「八秒」


 御影が言う。


「立てないなら這え」


 若い隊員は震えている。


「でも」


「七秒」


 仲間が腕を引く。


 隊員は地面へ手をつき。


 嘔吐しながら這い始めた。


「六秒」


 御影の左目から血が流れる。


 白目だけではない。


 瞳の内部に細い亀裂が走る。


「御影副班長!」


「止まるな」


 固定された弾丸の周囲へ、行き場を失った力が溜まっていく。


 空気が歪む。


「四秒」


 二人が射線から外れる。


「三秒」


 御影の左目が白く濁る。


「二秒」


 彼女自身の足元が揺れた。


「一秒」


 御影が目を閉じる。


 止められていた八秒が。


 一度に動いた。


 弾丸が壁へ殺到する。


 灰兵が前へ倒れる。


 血が噴き。


 空気の衝撃が車体を叩いた。


 御影も吹き飛ばされる。


 地面を転がり。


 顔から灰へ落ちた。


「副班長!」


 若い隊員が這い戻ろうとする。


 御影が顔を上げる。


 左目は開かない。


「戻るな」


「でも、目が」


「右がある」


「見えるんですか」


「お前が泣いてるのは見える」


「……泣いてません」


「吐いた跡もついてる」


「それは見ないでください」


「なら立て」


 隊員は銃を拾った。


 両脚が震えている。


 それでも。


 御影の前へ立った。


 ◇


「復旧率七十三!」


 固定具は、まだ戻らない。


 冬真の周囲。


 灰兵が積み重なる。


 手足を失っても。


 地面を這い。


 歯で冬真へ噛みつこうとしている。


 肩。


 脇腹。


 左手。


 傷が増える。


 未来を見られない。


 時差弾が次々に発射される。


 三秒後。


 どこに現れるか分からない。


 冬真は左目で敵を見る。


 右眼窩が熱を持つ。


 一瞬。


 違う景色。


 収容車の内部。


 六万人の感覚。


 根の先。


 透明な管。


 地面へ落ちる冬真の血。


 血を吸った小さな根が、灰の下へ伸びている。


 そこから。


 地面の中が見えた。


 銃を抱えた灰兵。


 時差弾の座標を計算する装置。


 灰の海に埋まった、巨大な人間の脳。


 何千本もの神経が地表の兵士へ繋がっている。


「澪」


『はい』


「この視界を共有できるか」


『どの視界ですか』


「俺のじゃない」


 冬真は目を閉じた。


 左目まで。


「冬真?」


 真白の声が強張る。


「何してるの」


「探してる」


「何を」


「今を見ている目」


 収容区画。


 六万九百人。


 一人ずつではない。


 根を通し。


 同じ大地を見ていた感覚。


 車輪の下。


 建物の上。


 灰の中。


 敵の足元。


 冬真の右側。


 背後。


 無数の現在が重なる。


 未来ではない。


 起こるかもしれない出来事でもない。


 すでにそこにあるもの。


「接続信号を確認!」


 澪が叫ぶ。


「冬真の認識票から、百八十八号の共有感覚へ接続しています!」


「切れ!」


 久世の声。


『負荷が高すぎる!』


「切らなくていい」


『右目がありません! 視覚情報を受ける器官が――』


「目で見る必要はない」


 細い灰兵が銃を撃つ。


 三秒後の冬真を狙う。


 だが。


 銃身の内部。


 座標を刻む指。


 地中の脳が選んだ着弾点。


 全部。


 現在のどこかに存在している。


 冬真には見えていた。


 一秒。


 固定具へ手をかけたまま、右脚を引く。


 二秒。


 身体を沈める。


 三秒。


 時差弾が、冬真の肩があった場所へ現れる。


 空を穿つ。


「避けた……」


 真白が呟く。


 別の時差弾。


 今度は背後。


 冬真は振り返らない。


 刀を後ろへ立てる。


 三秒後。


 現れた弾丸が、黒い刀身へぶつかった。


 火花。


 刃が大きく欠ける。


 だが弾丸は逸れた。


「未来は見えていないはずです」


 澪の声。


「見えてない」


 冬真は目を閉じたまま答える。


「今なら」


 灰の下。


 収容車。


 根。


 仲間。


 六万の感覚が。


 敵の位置を現在へ固定している。


「六万人分ある」


 冬真は固定具を押し込んだ。


「復旧率、百!」


 収容空間が安定する。


 減少していた数字が止まった。


 六万七百十一。


 二百七十一人。


 間に合わなかった。


 冬真は立ち上がる。


 灰兵の群れではなく。


 地面の下へ刀を向けた。


「真白」


「どこを撃つの」


「車両右側、九メートル」


「何がある?」


「脳へ繋がる神経」


「見えないけど」


「俺も見ていない」


「信用していい?」


「今さら聞くのか」


 真白が壊れた照準器のない狙撃銃を構えた。


「一発だけね」


 撃つ。


 弾丸が灰へ沈む。


 数秒後。


 地面が脈打った。


 灰兵の動きが一斉に止まる。


 真白の弾丸が、地下の神経束を切断していた。


「久世さん」


『聞こえている』


「地下中枢は収容車の北、四十メートル」


『距離がある』


「御影の八秒を借りる」


 御影が片目を押さえながら通信へ入る。


『もう左目は使えない』


「右目があるんだろ」


 数秒の沈黙。


『さっきの聞いてたの?』


「聞こえた」


『性格悪いね』


「真白にも言われる」


『納得した』


 久世の散弾銃が鳴る。


『第四班、御影を中継点へ運べ! 第六班は収容車を維持!』


 灰兵が再び動き始める。


 地下の脳が、別の神経へ接続した。


 敵も対応が早い。


 時差弾が同時に十二発。


 冬真の共有視界へ、着弾座標が浮かぶ。


 収容車。


 御影。


 真白。


 澪。


 久世。


 すべてを守れない。


「冬真!」


 真白が叫ぶ。


 未来視があれば。


 助かる経路を探せた。


 今は違う。


 見えているのは。


 十二発の弾丸が、すでに登録されたという現在だけ。


 冬真は認識票へ手を置いた。


 六万の視界。


 仲間の位置。


 敵の神経。


 御影の能力。


 離れた現在を、一本ずつ掴む。


 まだ。


 未来を変えることはできない。


 だが。


 存在しているもの同士を。


 近づけることなら。


「御影」


『何』


「中枢を見ろ」


『灰の下で見えない』


「俺が見せる」


 冬真は右眼窩へ流れ込む感覚を。


 御影の認識端末へ押し出した。


 灰の地下。


 巨大な脳。


 脈打つ神経。


 御影が息を呑む。


『これは……誰の目?』


「現在にいる全員だ」


 御影が右目を開く。


 距離、四十メートル。


 灰の下。


 直接は見えない。


 それでも。


 冬真から送られた現在像を。


 自分の視界として捉えた。


「固定する」


 地下の脳が止まった。


 時差弾の座標更新が止まる。


「八秒!」


 御影が叫ぶ。


 久世が走る。


 第一秒。


 灰兵の間へ散弾を撃ち込み、道を開く。


 第二秒。


 第四班の隊員が続く。


 第三秒。


 地面へ爆薬を打ち込む。


 第四秒。


 灰の下。


 脳の直上へ到達。


 第五秒。


 久世が起爆装置を押す。


 第六秒。


 爆発は起きない。


 御影が中枢の変化ごと固定している。


 第七秒。


 久世たちが退避する。


 第八秒。


 御影が目を閉じた。


 爆発。


 灰の大地が持ち上がる。


 巨大な脳が、地面ごと吹き飛んだ。


 白い組織。


 黒い血管。


 人間の顔が無数に埋め込まれた脳が、夜空へ露出する。


 十二発の時差弾が同時に発生した。


 だが。


 座標を固定していた中枢が砕けたことで。


 弾丸は狙いを失う。


 車列の周囲へ無作為に現れた。


 装甲車を貫き。


 道路を抉り。


 第四班員二人の身体を引き裂いた。


 完全には防げなかった。


 それでも。


 三台の収容車は残った。


 灰兵たちが、糸を切られたように崩れる。


 頭部の鐘が。


 一つずつ鳴った。


 何百もの澄んだ音が。


 灰色の世界へ広がる。


 ◇


 灰海は退いた。


 元の道路が戻ってくる。


 建物。


 信号。


 血のついたアスファルト。


 車列十二台のうち。


 動けるのは八台。


 第四封鎖班、死亡五名。


 重傷七名。


 緑葬圏の脱落者、二百七十一名。


 勝ったとは言えなかった。


 守るべきものの一部を失い。


 敵の本隊は姿すら見せず。


 地中中枢一つを潰しただけ。


 若い第四班員が、道路へ膝をついていた。


 先ほどまで嘔吐していた男。


 今度は泣いていない。


 死亡した仲間の認識票を、一枚ずつ外している。


 手はまだ震えていた。


 御影が隣へ立つ。


「名前を読める?」


「はい」


「なら覚えて」


「忘れません」


「そう言った人間から忘れる」


 御影は開かなくなった左目へ触れた。


「記録に残して。自分の頭を信用しないで」


「副班長は」


「何」


「今までに、何人忘れたんですか」


 御影は答えなかった。


 右目だけで。


 並べられた五枚の認識票を見る。


「出発する」


 それだけ言った。


 ◇


 冬真は収容車の横へ座り込んでいた。


 共有視界は切れている。


 左目を開いても。


 右眼窩には暗闇しかない。


 真白が包帯を持ってくる。


「六万人分の目、どうだった?」


「うるさい」


「目なのに?」


「声も混じる」


「じゃあ六万人分の真白がいたら?」


「切る」


「ひどい」


 真白が包帯を巻く。


 今度は強く締めなかった。


「能力、戻ったのかな」


「未来は見えない」


「でも、弾丸を避けた」


「撃たれる場所が、すでに決まっていただけだ」


「その先は?」


「分からない」


「手繰り寄せるとか言ってたのは?」


 冬真は血のついた左手を見る。


 御影へ視界を渡した瞬間。


 離れた二つの現在が。


 一本の線で結ばれた。


 偶然ではない。


 冬真が選び。


 掴み。


 引き寄せた。


「まだ、現在だけだ」


「未来は?」


「そのうち」


「自信あるんだ」


「ない」


「即答しないでよ」


 澪が端末を持って近づいた。


「冬真」


「何だ」


「緑葬圏の収容人数に変化があります」


「また減ったのか」


「増えています」


 冬真が顔を上げる。


 六万七百十一。


 六万七百十二。


 一人増えている。


「仮設区画の内部から、新しい個体が固定されました」


 端末へ映像が出る。


 植物都市の深部。


 前に手を振っていた少女。


 白い衣服。


 緑色の髪。


 年齢は十歳ほど。


 少女が、根で作られた暗い部屋を歩いている。


 腕の中には。


 一つの黒い箱を抱えていた。


 箱の表面に刻まれているのは。


 時象災害対策局の紋章。


 中央に赤い針。


「百八十八号に、局の設備が?」


 真白が呟く。


「違います」


 澪が映像を拡大する。


 箱の製造年。


 二〇〇五年。


 時象災害対策局が設立される一年前。


「また局より先にある」


 冬真が言った。


 少女が箱を床へ置く。


 蓋を開ける。


 中に入っていたのは。


 人間の右眼球だった。


 腐敗していない。


 赤い虹彩。


 眼球の裏側から、何百本もの透明な糸が伸びている。


 糸の一本ずつに。


 異なる東京が映っていた。


 少女が映像越しに冬真を見る。


 口が動く。


『見つけた』


 音声はない。


 それでも意味が伝わる。


『お兄ちゃんの、最初の目』


 冬真の潰れた右眼窩が。


 強く脈打った。


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