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第14話 現在を見ろ

 荒牧岳の手術は、装甲車の中で始まった。


 臨時医療区画へ運ぶ時間すら惜しかった。


 車内の床へ固定された簡易手術台。


 白い照明。


 開かれた脇腹。


 切断された腸管を、医療班が一つずつ繋ぎ直している。


 麻酔は効いている。


 それでも荒牧の身体は、ときおり大きく跳ねた。


「血圧低下!」


「輸血、追加!」


「同型が足りません!」


「局員の登録から探せ!」


 扉の外。


 瀬名冬真は、壁へ背を預けて座っていた。


 右目には厚い包帯。


 左脇腹には固定帯。


 呼吸するたび、折れた肋骨が内側を擦る。


 柊真白が隣へ立ち、黙って冬真を見下ろしていた。


「何だ」


「別に」


「なら見るな」


「右側から見たら気づかないかなって」


「気配は分かる」


「未来視なくても?」


「あれは未来を見るための力だ。お前が鬱陶しいのは今の話だ」


 真白が冬真の頭を小さく小突いた。


「負傷者に優しくしろ」


「誰の真似?」


「荒牧」


「似てない」


 手術車両の中から、金属器具が落ちる音がした。


 二人の表情から、僅かな緩みが消える。


 若い医療員が、血に濡れた手袋のまま外へ出てきた。


 防護面の内側には汗が溜まっている。


「荒牧隊員は」


 冬真が立とうとする。


「座っていてください」


「状態を聞いている」


「脾臓の一部と左腎臓を損傷しています。腸管にも複数の穿孔。出血は、まだ完全には――」


 医療員の声が途切れる。


 車内から、荒牧の低い呻き声が漏れた。


「死ぬのか」


 真白が尋ねた。


 医療員はすぐに答えなかった。


「今は、生かしています」


 生きるとも。


 助かるとも言わなかった。


 前線では、それが正確な答えだった。


「必要なものは」


 冬真が問う。


「血液と時間です」


「時間はない」


「だから血液だけでも持ってきてください」


 医療員は苛立ちを隠さなかった。


「あなたたち戦闘員は、身体を部品か何かだと思っているんですか」


「思っていない」


「なら、壊す前に止まってください」


「止まったら、ほかが死ぬ」


「それで自分が死んだら、次は誰が止めるんです」


 冬真は答えなかった。


 医療員も、返答を待たずに車内へ戻った。


 扉が閉まる。


「怒られたね」


 真白が言う。


「ああ」


「少しは反省した?」


「少し」


「珍しい」


「お前も負傷している」


「話を逸らした」


 遠くから、低い振動が伝わった。


 地震ではない。


 新宿方面。


 緑色の光が、夜空を下から照らしている。


 未来の都市から伸びた巨大な根が、現在の高層ビルへ絡みついていた。


 一本が収縮する。


 五十階建ての建物が、中央から圧し折られた。


 鉄骨が悲鳴を上げる。


 何百枚もの窓が砕け。


 建物内部に残っていた人間が、机や椅子と一緒に夜空へ放り出された。


 地上へ落ちる前に。


 根から伸びた枝が、一人ずつ身体を貫いた。


 頭。


 胸。


 腹。


 枝先へ吊り下げられた人々は、まだ生きていた。


 手足を動かし。


 声にならない叫びを上げている。


 根が脈打つ。


 人間の身体から血が吸い上げられ。


 緑色の葉へ、赤い筋が広がった。


『全封鎖班へ緊急通達』


 局の通信が一時的に回復する。


『新宿消失区が急速拡大』


『現在側の避難指定病院が侵食範囲に含まれます』


『入院患者および避難民、推定八百四十名』


『現地部隊は直ちに救助へ――』


 通信が途切れた。


 冬真は立ち上がった。


「行く気?」


 真白が尋ねる。


「第六班は荒牧を欠いている」


「だから休む?」


「逆だ」


「言うと思った」


 真白は壊れた狙撃銃を背負った。


「右は私が見る」


 冬真が横を見る。


「何」


「いや」


「何か言って」


「頼む」


 真白は一度だけ目を瞬いた。


「……了解」


 ◇


 新宿へ向かう道路には、複数の封鎖班が集結していた。


 第二封鎖班。


 第四封鎖班。


 第七封鎖班。


 車両の間には、救助隊。


 消防。


 自衛隊。


 通常の警察官まで混じっている。


 装備も指揮系統も統一されていない。


 それでも。


 高層建築が次々に緑へ呑まれていく状況で、立ち止まっている者はいなかった。


「第二班は病院北側!」


 東堂静夏の声が飛ぶ。


 腹部を固定しているが、現場指揮へ戻っていた。


「第四班は地下搬送路を確保! 第七班は侵食根の火力抑制!」


「第一班は?」


 別の班長が尋ねる。


「私たちは正面から道を開く」


「その傷で?」


「第六班に言え」


 東堂が冬真を見る。


「片目と折れた肋骨で、もう来ている」


「悪い手本に使うな」


「便利だから使う」


 立体地図へ、赤い点が表示される。


 避難指定病院。


 現在の建物へ、未来の植物研究都市が半分以上重なっている。


 病院の西棟は巨大な樹木の幹へ埋まり。


 東棟だけが辛うじて形を保っていた。


「侵食の中心はここ」


 第四封鎖班の観測員が、病院地下を指す。


「地下三階の非常電源室。そこへ未来側の《根杭》が固定されています」


「破壊すれば止まるか」


 久世が問う。


「拡大速度は落ちる。ただし根杭を守る部隊がいる」


「帰還連合か」


「旗が違う」


 映像が拡大される。


 緑色の軍装。


 身体の一部を植物へ置き換えた兵士たち。


 腕から刃状の葉を生やし。


 背中へ花を咲かせ。


 病院へ近づく人間を捕らえている。


「切除歴百八十八号」


 榊が言った。


「《緑葬圏》の生存者だ」


「帰還連合ではない?」


「百八十八号は連合への参加を拒否している」


「じゃあ何で現在へ攻めてくる」


「土壌が必要なんだ」


 映像の中。


 植物兵が捕らえた男性を地面へ押し倒す。


 背中を切り開き。


 脊柱へ種子を埋めた。


 男性の身体が反り返る。


 口から根が伸び。


 眼窩から若葉が開いた。


「人間を植えるための」


 誰かが小さく呻いた。


 若い警察官だった。


 映像から目を逸らし。


 口を押さえる。


「大丈夫か」


 同僚が肩へ触れる。


「すみません……」


 警察官は道路脇へ走り。


 防護面を上げ、吐いた。


 周囲には。


 彼以外にも、青ざめた顔で立っている者が何人もいた。


 銃を握る手が震えている。


 帰りたいと顔に書いてある。


 それでも。


 誰も逃げなかった。


 久世が全員を見る。


「作戦は二つに分ける」


 地図の病院東棟を指す。


「救助部隊は患者を搬出。戦闘班は根杭を破壊する」


「第六班は根杭?」


 真白が問う。


「ああ」


「荒牧抜きで前衛が足りない」


「第一班から二名借りる」


 東堂が首を振る。


「貸せる人員はいない」


「第二班は」


「病院内の防衛で限界だ」


「なら俺が前へ出る」


 冬真が言った。


 久世が即座に否定する。


「駄目だ」


「ほかにいない」


「お前は未来残響を失っている」


「刀は残っている」


「右側が見えない」


「真白が見る」


 真白が軽く手を上げた。


「勝手に人を追加装備みたいに扱わないで」


「嫌か」


「嫌とは言ってない」


 東堂が二人を見る。


「決まりだ。第六班は根杭へ向かえ」


「簡単に決めるな」


「時間がない」


 地図の侵食率が上がる。


 六十一パーセント。


 六十四。


 六十八。


「病院が完全に重なれば」


 観測員が言う。


「現在側の八百四十名は、百八十八号の生態系へ取り込まれます」


「生存可能性は」


「取り込まれた状態を、生存と呼ぶなら高いです」


 冬真は刀の柄へ手を置いた。


「行くぞ」


 ◇


 病院前の道路は、森になっていた。


 アスファルトを突き破る根。


 信号機へ巻きつく蔓。


 救急車の車体から、白い花が咲いている。


 花弁の中央には、人間の舌があった。


「たすけて」


「みず」


「いたい」


 花が風に揺れるたび。


 異なる声が漏れる。


 救助部隊の一人が、足を止めた。


 花の声が。


 自分の母親と同じだったのだろう。


「母さん……?」


 蔓が足首へ巻きつく。


「離れろ!」


 久世が発砲する。


 蔓が千切れる。


 だが。


 切断面から新しい指が生え、隊員の足へ爪を立てた。


 冬真が刀で根元を断つ。


「声を聞くな」


「でも、今……」


「お前の母親はどこにいる」


「実家です」


「なら違う」


「同じ声でした」


「声だけだ」


 隊員は震える手で銃を構え直した。


「……はい」


 病院の玄関。


 自動扉は根に押し潰されている。


 内側から、患者たちがガラスを叩いていた。


「開けて!」


「息ができない!」


「子供がいるんです!」


 建物内部には緑色の霧が溜まっている。


 吸い込んだ患者の皮膚から、小さな芽が出始めていた。


「救助班、正面!」


 久世が指示を出す。


「第六班は地下へ!」


 冬真たちは側面の非常口へ向かう。


 壁を覆う蔓。


 真白が短銃で接合部を撃つ。


 久世の散弾が扉を吹き飛ばした。


 院内へ入る。


 廊下は暗い。


 床に点滴袋。


 車椅子。


 血に濡れた手形。


 天井から。


 看護師が吊り下げられていた。


 四肢を枝に貫かれ。


 腹部を切り開かれている。


 内臓の代わりに、赤い果実が房のように実っていた。


「まだ……患者さんが……」


 看護師の目が動く。


 生きている。


「三階の……小児病棟……」


 久世が近づこうとする。


 看護師の腹部の果実が開いた。


 中から、無数の小さな虫が飛び出す。


「下がれ!」


 真白が射撃する。


 数匹は落ちた。


 残りが救助隊員へ群がる。


 防護服の隙間。


 首。


 耳。


 眼球。


 虫が入り込む。


「取って! 取ってくれ!」


 隊員が自分の顔を掻きむしる。


 爪で頬を裂き。


 眼窩へ指を入れる。


 中から虫を引きずり出そうとする。


「押さえろ!」


 二人がかりで地面へ倒す。


 だが。


 隊員の喉が膨らんだ。


 皮膚の下を何十匹もの虫が上っている。


 口が開く。


 虫と血が、一緒に噴き出した。


 久世が一発撃った。


 頭部が床へ叩きつけられる。


 動かなくなった。


「進め」


 声に感情はない。


 誰も異論を挟まなかった。


 ◇


 地下へ続く階段は、途中から樹木の内部へ変わっていた。


 コンクリートの壁。


 その先に。


 生きた木の管。


 内壁が脈打っている。


 床には、血液のような樹液が流れていた。


「反応、前方」


 澪が言う。


「人型、十二」


「植物兵か」


「十一です」


「残り一つは」


「分類不能」


 暗闇の奥。


 葉の擦れる音が近づく。


 最初に現れたのは、人間の女だった。


 緑色の軍装。


 肩から先の両腕がなく。


 代わりに、長い枝が伸びている。


 背中には白い花。


 花の中心に、目がある。


「現在種」


 女が言った。


 声は人間のものだった。


「退去せよ」


「病院から根を抜け」


 久世が答える。


「ここは我々の土地ではない」


「だから奪うのか」


「百八十八号に、土地は残っていない」


 女の枝が広がる。


「空も。海も。人が眠れる土も」


「ここには、今生きている人間がいる」


「知っている」


「なら退け」


「退けば、我々が絶える」


 暗闇から、植物兵が現れる。


 十一人。


 誰も銃を持っていない。


 腕。


 背骨。


 顎。


 身体の一部を刃や棘へ変えている。


 女の背後。


 さらに大きな影が立ち上がった。


 分類不能反応。


 身長は二メートルほど。


 見た目は、ほぼ人間。


 長い黒髪。


 細身の男性。


 緑色の外套。


 右手には何も持っていない。


 ただし。


 胸部が縦に開いていた。


 肋骨の間から。


 一本の若木が生えている。


 枝には。


 十数個の人間の頭部が果実のように吊られていた。


「指揮個体」


 澪が端末を向ける。


「時象濃度、御厨玲央と同等以上」


「またか」


 真白が呟く。


 男が冬真を見る。


「観測者」


「俺を知っているのか」


「右の眼を捨てたな」


 男の胸から生えた頭部が、一斉に冬真へ向く。


「賢明だ」


「誰だ」


「百八十八号、緑葬管理官」


 男は胸へ手を当てた。


「黒瀬彩架」


 女性とも男性とも取れる名前。


 声音も。


 身体つきも。


 性別を判別しづらい。


「根杭を止めに来た」


 冬真が言う。


「止めれば、病院の者は助かる」


「止めれば、我々の苗床が死ぬ」


「苗床?」


「百八十八号の住民、六万一千人」


 真白の顔が強張る。


「この地下にいるの?」


「根杭の内側で眠っている」


「破壊すれば」


「全員が枯れる」


 久世が散弾銃を下げない。


「だから、現在の八百人を使うのか」


「八百四十七」


「数の問題じゃない」


「数の問題だ」


 黒瀬の胸に吊られた頭部が口を開く。


「六万一千」


「八百四十七」


「六万一千」


「八百四十七」


 異なる声で。


 数字を繰り返す。


「どちらを残す」


 黒瀬が問う。


 冬真は答えなかった。


 第一切除と同じ。


 多いほうか。


 少ないほうか。


 どちらを救う。


「選べないなら、こちらが選ぶ」


 黒瀬の足元から根が伸びた。


「戦闘開始」


 ◇


 植物兵が一斉に床を蹴った。


 速い。


 狭い通路。


 十二対四。


 荒牧がいない。


 正面を受ける者がいない。


「真白、後退しながら右!」


 久世が散弾銃を撃つ。


 先頭の植物兵の胸が吹き飛ぶ。


 だが倒れない。


 傷口から根が伸び。


 床と壁へ突き刺さる。


 失った胸部を、周囲の木材で補い始めた。


「再生する!」


 真白が頭部を撃ち抜く。


 頭が砕ける。


 背中の花が開き。


 花弁の中から新しい顔が現れた。


「頭も駄目!」


「根との接続を断て!」


 冬真が走る。


 植物兵の脇を抜け。


 背中から床へ伸びた細い根を斬る。


 身体が一瞬で萎れた。


「接続部が弱点!」


「全部、床と繋がってる!」


 真白が根を狙う。


 だが。


 黒瀬が右手を上げた。


 床一面の樹液が跳ねる。


 薄い膜となり。


 銃弾の前へ広がった。


 弾丸が膜へ触れる。


 速度を失い。


 樹液の中へ沈んだ。


「防がれた!」


 冬真の背後から、枝の刃が迫る。


「右!」


 真白の声。


 冬真は屈む。


 刃が包帯を掠める。


 見えない。


 それでも、真白の声がある。


 冬真は振り返らず、刀を後方へ突いた。


 植物兵の腹部を貫く。


 刃を下へ落とす。


 根まで断つ。


 一体が崩れた。


 左から二体。


 久世が一体を押さえる。


 もう一体が澪へ向かう。


「澪、伏せろ!」


 澪は端末を見たまま膝をつく。


 枝が頭上を通る。


 真白が足元の根を撃つ。


 弾丸は樹液膜に阻まれる。


「冬真!」


 冬真が踏み込む。


 だが。


 黒瀬が間へ入った。


 武器は持っていない。


 右手で。


 冬真の刀身を掴む。


 皮膚が裂ける。


 血ではなく。


 緑色の樹液が流れた。


「遅い」


 黒瀬の胸から生えた頭部が、同時に冬真を見る。


 十数個の視線。


 前。


 横。


 背後。


 死角がない。


 黒瀬の左手が冬真の胸へ触れた。


 掌から根が伸びる。


 防護服を貫き。


 皮膚へ入る。


「っ……!」


 根が肋骨へ絡みつく。


 折れた箇所を探し当て。


 内側から締め上げた。


 冬真の口から血が噴き出す。


「痛みも記録だ」


 黒瀬が囁く。


「お前の身体は、一度壊れた場所から枯れる」


 冬真の右目。


 左脇腹。


 左手。


 過去に負った傷が、一斉に熱を持つ。


 皮膚の下から芽が出る。


 右目の包帯が膨らんだ。


「冬真!」


 真白が撃つ。


 黒瀬は冬真の身体を盾にしなかった。


 胸の頭部の一つが口を開く。


 弾丸を歯で受け止めた。


 頭部ごと後ろへ弾ける。


 だが。


 隣の枝から、新しい頭が膨らみ始める。


「当たってるのに……!」


「攻撃情報を吸収しています」


 澪が叫ぶ。


「同じ角度、同じ速度の攻撃は二度目から適応されます!」


 黒瀬が冬真を投げた。


 背中が木の壁へ叩きつけられる。


 肋骨がさらに折れる。


 息が止まった。


「撤退!」


 久世が即断する。


「一度通路を出る!」


「根杭が拡大しています」


 澪の端末。


 侵食率、七十九パーセント。


「残り患者は」


「五百二十一名!」


「時間がない!」


 真白が冬真へ駆け寄る。


 植物兵が道を塞ぐ。


 久世が散弾を撃つ。


 二発目。


 先ほどと同じ角度。


 植物兵の身体が、撃たれる直前に硬質化する。


 散弾が外殻へ弾かれた。


「適応が共有されている」


 久世が舌打ちする。


 敵全体が。


 こちらの攻撃を学んでいる。


 黒瀬がゆっくりと歩く。


「現在種は脆い」


「一度の死しか持たない」


「一つの身体に固執する」


 胸の頭部たちが笑う。


「だから滅びる」


 冬真は膝をついた。


 右目の包帯。


 内側で何かが動いている。


 白い芽が。


 潰れた眼窩から外へ伸びようとしていた。


 真白が手を伸ばす。


「触るな」


「でも」


「根が移る」


 冬真は包帯ごと芽を掴んだ。


 引く。


 眼窩の奥へ食い込んだ根が。


 神経。


 肉。


 血管を巻き込みながら抜けてくる。


 激痛。


 黒瀬の胸の頭部たちが、一斉に息を吸った。


「観測器官」


「新しい眼」


「こちらへ接続しろ」


 根の先。


 小さな眼球が開いた。


 赤い瞳。


 冬真の右目と同じ色。


 そこに。


 一瞬だけ。


 未来が映った。


 久世の頭部が枝に貫かれる。


 真白が胸を裂かれる。


 澪が根へ取り込まれる。


 冬真が切除装置を起動する。


 また。


 用意された未来。


「いらない」


 冬真は根を床へ落とした。


 刀で踏み断つ。


 小さな眼球が潰れた。


「なぜ拒む」


 黒瀬が初めて表情を変えた。


「見えれば救える」


「それで失敗した」


「見えなければ死ぬ」


「かもしれない」


 冬真は壁へ手をつき、立ち上がる。


 左目だけで。


 黒瀬を見る。


 敵は強い。


 未来視があっても。


 勝てた保証はない。


 攻撃を記録し。


 部隊全体で適応し。


 傷を利用して侵食する。


 正面からでは、押し切れない。


 だが。


 黒瀬たちは現在側の攻撃を学んでいる。


 銃。


 刀。


 散弾。


 動き。


 今まで見せたものを。


「久世さん」


「何だ」


「同じ攻撃を続けろ」


「効かないぞ」


「効かなくていい」


 冬真は刀を鞘へ戻した。


 黒瀬の目が細くなる。


「真白」


「何」


「俺の右へ」


 真白が冬真の死角へ立つ。


「見える?」


「ああ」


「嘘」


「お前がいる」


 真白は一瞬だけ黙った。


 そして。


 短銃を構える。


「右、任せて」


「頼む」


 久世が植物兵へ散弾を撃つ。


 弾かれる。


 二発目。


 三発目。


 敵の外殻が、散弾へ特化して厚くなる。


 真白も同じ位置へ撃ち続ける。


 樹液膜が展開する。


 銃弾を受け止める。


 澪が同じ侵入経路へ、何度も接続信号を送る。


 遮断される。


「無駄だ」


 黒瀬が言う。


「記録した」


「そうか」


 冬真は走り出した。


 黒瀬へ向かう。


 刀を抜かない。


「右から三本!」


 真白の声。


 一歩左。


 枝が通過する。


「下!」


 跳ぶ。


 床から伸びた棘が足元を貫く。


「前、二!」


 身体を傾ける。


 二本の刃が防護服を掠める。


 未来は見えない。


 真白が。


 現在を伝える。


 黒瀬が冬真へ手を伸ばす。


「学習しない個体」


「違う」


 冬真は黒瀬の懐へ入った。


「学習させた」


 右手で。


 黒瀬の胸に生えた若木を掴む。


 植物兵たちの外殻は、銃弾と斬撃へ適応している。


 樹液膜も。


 散弾と狙撃を防ぐため、前方へ集まっている。


 現在側が。


 素手で根を引き抜くとは記録されていない。


「久世さん!」


 散弾が黒瀬の背後へ撃ち込まれる。


 防がれる。


 だが、その衝撃で。


 黒瀬の身体が僅かに前へ出た。


 冬真は若木を抱え込む。


 傷んだ肋骨が悲鳴を上げる。


 それでも。


 全体重を乗せ、引いた。


「やめろ」


 黒瀬の表情が初めて歪む。


 胸部から。


 根が抜ける。


 肋骨。


 臓器。


 十数個の頭部。


 それらを繋いでいた若木が。


 血と樹液を撒き散らしながら、外へ引きずり出された。


 黒瀬の胸に巨大な穴が開く。


「それは……六万一千人の……」


「分かっている」


 冬真は若木を投げた。


「だから、まだ斬らない」


 澪が端末を向ける。


「接続経路を確認!」


 若木から。


 地下深くへ。


 六万一千の生体反応が繋がっている。


 根杭の内側。


 眠る住民たち。


「根杭だけを切れば、全員死ぬ」


 冬真が言う。


「なら先に、接続先を移す」


 黒瀬が膝をつく。


 胸の穴から根が伸び。


 若木を取り戻そうとする。


「そんなことはできない」


「やったことがないだけだ」


「現在種に、六万一千の時間を抱えられる器はない」


「俺にはあるらしい」


 冬真の胸元。


 二十七年後の認識票が光る。


 八歳の第一帰還者。


 二十七年後の班長。


 帰還前の原記録。


 複数の冬真を、一つの現在へ固定している認識票。


「澪」


「危険です」


「聞いていない」


「接続すれば、冬真の身体へ六万一千人分の時象負荷が入ります」


「何秒持つ」


「計測不能です」


「十秒でいい」


 真白が冬真の肩を掴んだ。


「また自分を器にする気?」


「一時的だ」


「その言葉、全然信用できない」


「ほかに方法は」


 真白は歯を食いしばる。


 答えられない。


 久世が黒瀬へ銃を向けたまま言う。


「十秒で接続を移せ」


「十一秒なら」


「十秒だ」


「厳しい」


「命令だ」


 冬真は僅かに笑った。


「了解」


 澪が認識票へ接続線を差し込む。


 若木と冬真。


 二つを繋ぐ。


 瞬間。


 冬真の身体が反り返った。


 六万一千人分の声が、頭蓋の中へ流れ込む。


 乾いた大地。


 枯れた海。


 子供を土へ埋めた母親。


 自分の腕を切り、苗床へ与えた男。


 雨を知らない世代。


 緑色の空。


 人間を植えなければ、生きられなかった世界。


 冬真の口から血が溢れる。


 鼻。


 耳。


 失った右目の眼窩からも。


 白い根が伸び始めた。


「一秒!」


 澪が叫ぶ。


 若木の接続が。


 根杭から冬真へ移る。


「二秒!」


 黒瀬が立ち上がろうとする。


 真白が胸の穴へ短銃を向ける。


「動かないで」


「撃てば適応する」


「一発目で止める」


 黒瀬の動きが止まる。


「四秒!」


 病院全体を覆っていた根が、緩み始める。


 壁へ埋まっていた患者たちの身体が解放される。


 救助部隊が動く。


「五秒!」


 冬真の皮膚が裂ける。


 内部から細い枝が伸びる。


 指先が緑色へ変わる。


「冬真、もう切って!」


 真白が叫ぶ。


「まだ半分です!」


 澪の声。


「七秒!」


 冬真の左目に。


 六万一千人の記憶が重なる。


 それでも。


 未来は見えない。


 ただ。


 今。


 病院から患者が運び出されている。


 緑葬圏の住民たちも。


 根杭から別の仮設時象区画へ移り始めている。


「八秒!」


 黒瀬が冬真を見る。


 初めて。


 敵意以外の感情が、その目に浮かんだ。


「なぜ」


「何が」


「現在の人間を守りながら、我々も残す」


「どちらかを選んで失敗した」


「だから両方を?」


「できる範囲で」


「傲慢だ」


「ああ」


 冬真の膝が折れる。


「九秒!」


 久世が冬真の背中を支えた。


「立て」


「立っている」


「膝がついてる」


「細かい」


「真白に似てきたな」


「聞こえてる!」


「十秒!」


 澪が接続線を引き抜く。


 真白が若木と冬真の間へ刀を差し込み。


 接続を断った。


 冬真の身体から伸びた根が、一斉に枯れる。


 その場へ倒れかける。


 久世と真白が両側から支えた。


 病院を侵食していた巨大な根が停止する。


 緑色の光が消える。


 植物兵たちは動きを止めた。


 黒瀬は胸に穴を開けたまま。


 冬真を見ている。


「六万一千人は」


 黒瀬が問う。


 澪が端末を確認する。


「仮設時象区画へ移行。生体反応、六万九百八十二」


「十八人減っている」


「移行前から生命活動が限界でした」


 黒瀬の表情が動かない。


 十八人。


 数字だけなら少ない。


 だが。


 誰かの家族で。


 誰かの子供だった。


「我々の敗北だ」


 黒瀬が言う。


「違う」


 冬真は血を吐きながら立つ。


「病院を奪わせなかっただけだ」


「次は」


「来るなら止める」


「また両方を救うつもりか」


「そのとき決める」


 黒瀬は小さく笑った。


「未来が見えない者の答えだ」


「ああ」


 冬真は左目で黒瀬を見る。


「今は、それでいい」


 黒瀬は残った植物兵へ手を上げた。


「撤退する」


 久世は散弾銃を下げない。


「逃がすと思うか」


「追えば、仮設区画を維持できない」


 澪の端末。


 六万一千人を収容した時象区画は。


 冬真の認識票を仮の固定点としている。


 距離が離れれば。


 崩壊する可能性がある。


 黒瀬はそれを理解していた。


「また会う」


 胸の穴へ根が集まり。


 仮の身体を作り始める。


「そのときは、お前の現在を学ぶ」


「好きにしろ」


「同じ手は通じない」


「俺も同じではいない」


 黒瀬の目が細くなる。


「記録した」


「だから記録するな」


 緑色の霧が植物兵たちを包む。


 黒瀬の姿が消える。


 敵は退いた。


 だが。


 倒してはいない。


 六万一千人という重荷まで。


 冬真たちは抱えることになった。


 ◇


 救助された患者は、五百九十四名。


 死亡確認、百三十一名。


 残る者は。


 植物都市の内部へ取り込まれ。


 回収できなかった。


 完全な勝利ではない。


 病院前。


 担架が何列も並ぶ。


 泣く者。


 家族を探す者。


 呼びかけても起きない身体へ縋る者。


 冬真は救急車両へ座らされていた。


 医療員が包帯を剥がす。


「また眼窩に異物が入っています」


「抜いた」


「全部ではありません」


「そうか」


「他人事みたいに言わないでください」


 真白が隣から覗き込む。


「反省してない顔してる」


「少しはしている」


「前も聞いた」


 医療員が冬真の眼窩から、細い白い根を摘出する。


 根の先に。


 小さな透明の膜がついていた。


 瞳のようにも見える。


 澪が近づき、端末を向けた。


「時象反応があります」


「管理者の未来視か」


 久世が尋ねる。


「違います」


 澪は膜を観測する。


「百八十八号の住民たちが共有していた、感覚記録です」


 真白が冬真を見る。


「目、戻る?」


「現時点では不明です」


「またそれ」


「ただし」


 澪が透明な膜を光へ透かす。


 内部に。


 病院の廊下。


 救助される患者。


 戦う冬真たち。


 先ほど起きた出来事が映っていた。


「これは未来を映していません」


「何を映してる」


 冬真が尋ねる。


「六万一千人が見た現在です」


 失った右目の代わりに。


 別の視界が生まれようとしていた。


 一人の冬真が見る未来ではなく。


 切り捨てられた人々と共有する。


 無数の現在。


 冬真は透明な膜を見つめた。


 その奥で。


 まだ救助されていない一人の少女が。


 植物都市の深部から。


 こちらへ手を振っていた。


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