第13話 片目で見る現在
帰還重装体の残骸から、血の臭いが立ち上っていた。
路上を覆う肉。
砕けた骨。
まだ僅かに動いている指。
第一封鎖班の隊員たちは、その間を歩きながら、生存者と異形を一体ずつ確認している。
「反応あり!」
若い隊員が、重装体の腹部から半身を引きずり出した。
二十代ほどの女性。
両脚はない。
腰の断面には黒い管が詰まり、何かを探すように蠢いていた。
「救護班、こっちだ!」
担架を持った局員が駆け寄る。
まだ配属されて間もないのだろう。
防護服は新しく、血で汚れていない。
「意識、ありますか」
局員が女性の顔を覗き込む。
女性が目を開いた。
「赤ちゃん」
「え?」
「私の中に、まだ」
女性は自分の腹部を指した。
局員が傷口へ光を当てる。
切断された骨盤の奥。
黒い管に包まれて、小さな胎児の頭部があった。
眼球だけが異様に大きく。
母親の内臓を食べながら、僅かに口を動かしている。
「お母さん」
胎児が喋った。
救護員の動きが止まる。
「お腹、空いた」
黒い管が伸びた。
胎児の口が母親の腸へ噛みつく。
女性は悲鳴を上げなかった。
穏やかな表情で、自分の腹を撫でていた。
「いっぱい食べて」
「下がれ!」
東堂静夏の槍が、母子をまとめて貫いた。
三本の刃が開き。
女性の胸部と胎児を内側から引き裂く。
黒い液体が救護員の防護面へ飛び散った。
救護員は数秒、その場に立ち尽くした。
そして。
防護面を跳ね上げ、道路脇へ走った。
「おえっ……!」
膝をつく。
胃の中身を、何度も吐き出した。
口元を拭おうとして。
自分の手袋に付着した肉片を見て、さらに吐いた。
「すみません……」
声が震えている。
「すみません、俺……」
東堂は槍についた血を振り落とした。
「謝るな」
「でも、救護を……」
「吐けるうちに吐いておけ」
救護員は顔を上げる。
「何も感じなくなったら、前線から外す」
東堂はそれだけ言い、次の残骸へ歩いていった。
瀬名冬真は、その背中を左目だけで見ていた。
慣れた者が強いわけではない。
壊れずに動ける者が、残っているだけだ。
◇
第一封鎖班が設置した臨時指揮所は、横転した大型車両三台を壁代わりにして作られていた。
中央には東京の立体地図。
十二箇所の消失区が、赤い円として表示されている。
海岸。
市街地。
住宅街。
山間部。
それぞれの内部で、異なる時間の都市が現在へ重なり続けていた。
「首都圏の通常通信は六割が停止」
水城澪が報告する。
「電力網も複数箇所で切断。現在側の死傷者数は集計不能です」
「自衛隊は」
久世玲司が問う。
「都心へ向かっています。ただし、帰還連合側が主要道路を封鎖しています」
「東京湾の軍艦は?」
「十二隻中、九隻が健在。うち三隻が霞が関方面へ砲口を向けています」
荒牧岳が地面へ腰を下ろした。
左肩には新しい止血材が巻かれている。
「九隻も残ってんのか。さっきの一発で、一隻くらい勝手に沈んでくれてもいいだろ」
「沈んだ場合、東京湾に搭載物が流出します」
「何が積んである」
「人間、およそ四万二千」
荒牧の顔から冗談めいた色が消えた。
「兵士か」
「民間人を含みます」
帰還連合は侵略軍であると同時に。
切除された都市を丸ごと運ぶ避難船でもある。
沈めれば終わる敵ではない。
「柊奏汰が残した端末は」
冬真が尋ねた。
澪は小型の記録端末を持ち上げる。
「解析率、十二パーセント。深町二丁目に存在する十三番目の座標は確認できました」
「原記録がいる場所か」
「おそらく」
「おそらくが多いね」
真白が壊れた照準器を分解している。
「精度の低い断定より安全です」
「澪って、好きな食べ物を聞かれても『おそらくカレーです』とか答えそう」
「カレーは好きです」
「断定できるんだ」
「食べた経験がありますから」
荒牧が小さく笑った。
「じゃあ今度、生きて帰ったら食いに行くか」
「構いません」
「俺のおごりで?」
「はい」
「そこは否定しろよ」
澪は不思議そうに首を傾げた。
真白が僅かに笑う。
冬真も。
ほんの少しだけ、口元を緩めた。
その瞬間。
澪の端末が警告音を発した。
「接近反応」
空気が変わる。
全員が同時に武器へ手を伸ばす。
「数は」
「一」
久世の眉が寄る。
「一人?」
「人型反応、一。正面から接近中」
臨時指揮所の外。
霧に沈んだ道路から、男が歩いてきた。
灰色の軍装。
長い外套。
頭部には防護具がなく、黒い髪を後ろへ撫でつけている。
年齢は三十前後。
左頬から首へ、金属の縫合痕が走っていた。
手にしているのは槍。
ただし。
柄の表面には人間の歯が並び。
穂先の根元で、一つの眼球が周囲を見回している。
「帰還連合か」
東堂が長槍を構える。
男は足を止めた。
距離、五十メートル。
「切除歴百二十一号」
男が名乗る。
「奪還軍第八戦列長、御厨玲央」
「目的は」
「原記録端末の回収」
御厨の目が、澪の手元へ向く。
柊奏汰が残した端末。
「渡せば退くのか」
久世が問う。
「この部隊からは」
「ほかの部隊は知ったことじゃない?」
「我々は連合であって、一つの軍ではない」
御厨は穏やかに答えた。
「深町の原記録を求める勢力は十三ある」
「お前たちは何に使う」
「瀬名冬真を殺す」
御厨の視線が冬真へ移る。
「帰還前の個体も。帰還後の個体も。すべて」
冬真が前へ出る。
「理由は」
「お前を起点に世界が切除される」
「俺が死ねば止まるのか」
「分からない」
「なら話にならない」
「だから試す」
御厨の槍に並ぶ歯が、一斉に噛み合った。
カチ。
カチ。
カチ。
乾いた音が道路へ響く。
「交渉決裂だ」
東堂が槍を前へ向ける。
「第一班、戦闘配置!」
隊員たちが展開する。
御厨は一人。
それでも。
誰も余裕を見せなかった。
冬真の右目はない。
未来残響も使えない。
だが。
男の立ち方だけで分かる。
強い。
「撃て!」
第一封鎖班が一斉射撃した。
十数発の弾丸が御厨へ向かう。
男は動かなかった。
槍の眼球だけが、激しく動く。
「記録済み」
槍が横へ振られる。
穂先が弾丸へ触れた。
一発。
二発。
十発。
すべての弾丸が軌道を変え、地面や車両へ突き刺さる。
「弾を見切った?」
真白が息を呑む。
「違います」
澪が言う。
「発砲前に銃口の向きから弾道を取得しています」
「冬真と似てる」
「俺はもう見えない」
冬真は刀を抜いた。
「現在の情報だけなら、同じだ」
御厨が地面を蹴る。
速い。
五十メートルが一瞬で消える。
最前列の隊員が盾を構える。
御厨の槍が突き出された。
盾へ触れる。
次の瞬間。
槍に並んだ歯が盾を食い始めた。
金属が削られる。
歯の間から伸びた舌が、隊員の手首へ巻きつく。
「離せ!」
隊員が叫ぶ。
御厨が槍を引く。
盾ごと両腕が持っていかれた。
肩口から血が噴き出す。
東堂が横から踏み込む。
三刃槍を御厨の首へ。
御厨は身体を沈める。
避けながら、槍の石突きを東堂の腹へ打ち込んだ。
防護板が割れる。
東堂の身体が後方へ飛び、横転車両へ叩きつけられた。
「班長!」
第一班の隊員が駆け寄ろうとする。
「来るな!」
東堂が血を吐きながら叫ぶ。
御厨の槍が隊員へ向く。
冬真が間へ入った。
黒い刀と、生きた槍がぶつかる。
槍の歯が刀身へ噛みついた。
ぎりぎりと、黒い金属を削る。
「その刀」
御厨が冬真を見る。
「切除歴四十七号で見た」
「俺は行ったことがない」
「お前は、な」
槍が捻られる。
刀を奪われる。
冬真は抵抗せず、柄から右手を離した。
御厨の体勢が僅かに後ろへ流れる。
その懐へ踏み込む。
左拳を顎へ。
御厨は腕で受けた。
冬真の拳が止まる。
御厨の膝が腹部へ入った。
折れた肋骨へ。
「っ……!」
視界が白くなる。
冬真の身体が沈む。
御厨が槍を返す。
穂先が冬真の首へ迫る。
銃声。
真白の弾丸が、槍の眼球へ飛ぶ。
御厨は首を狙っていた穂先を動かし、弾丸を受けた。
眼球の直前で弾が二つに割れる。
「照準器なしで、その精度か」
「褒めても何も出ないよ」
真白が次弾を撃つ。
御厨は槍を振る。
二発目も外される。
その死角から、荒牧が突っ込んだ。
右肩を御厨の胸へぶつける。
「一人で来たのを後悔しろ!」
御厨の身体が僅かに下がる。
だが倒れない。
「一人ではない」
槍の柄に並ぶ口が、一斉に開いた。
荒牧の名前を呼ぶ。
「荒牧岳」
「荒牧岳」
「荒牧岳」
荒牧の右腕が止まった。
「何だ……」
筋肉が勝手に硬直している。
首。
胸。
脚。
名前を呼ばれるたび、身体の一部が動かなくなる。
「個体記録を拘束」
御厨が槍を引き。
荒牧の腹へ穂先を突き込んだ。
「岳さん!」
真白が撃つ。
御厨は荒牧の身体を盾にする。
真白の指が止まる。
槍が荒牧の脇腹を貫く。
背中から歯のついた穂先が出た。
「ぐ……っ!」
荒牧の口から血が溢れる。
御厨はそのまま荒牧を持ち上げた。
「端末を渡せ」
誰も動かない。
「でなければ、一人ずつ記録を固定する」
槍の口が次の名前を呼ぶ。
「柊真白」
真白の右手が硬直した。
狙撃銃が地面へ落ちる。
「久世玲司」
久世の左脚が止まる。
「水城澪」
澪の口が動かなくなる。
「東堂静夏」
車両へ背を預けていた東堂の右腕が垂れた。
強い。
単独で。
二つの封鎖班を押さえ込んでいる。
「冬真」
久世が言う。
「端末は渡すな」
御厨の槍が荒牧の傷を広げる。
肉が裂ける。
血が路上へ落ちる。
「渡せば、深町への道を失います」
澪が動かない唇の代わりに、端末へ文字を表示した。
「ならどうする」
真白が動く左手で短銃を抜く。
「岳さんごと撃つ?」
「撃て」
荒牧が血を吐く。
「どうせ死ぬなら、こいつも巻き込め」
「簡単に言わないで」
「いつも冬真には撃ってるだろ」
「冬真は当たらない前提なの!」
「俺にもそれ適用しろ!」
御厨の槍がさらに深く入る。
荒牧の表情が歪んだ。
冬真は地面に落ちた刀を見た。
右目があれば。
未来が見えれば。
荒牧を救う軌道が分かったかもしれない。
だが。
もうない。
分からない。
正解はない。
冬真は御厨を見る。
槍。
足。
肩。
呼吸。
視線。
眼球がついた穂先は、全員を観測している。
柄の口は名前を呼び続けている。
だが。
御厨自身は、一度も冬真の名前を呼ばせていない。
「俺は固定しないのか」
冬真が尋ねた。
「お前の記録は多すぎる」
「できないんだな」
御厨の目が僅かに細くなる。
「何が言いたい」
「その槍は、一人につき一つの記録しか固定できない」
冬真は一歩進む。
「俺には、瀬名冬真が多すぎる」
「止まれ」
「止めてみろ」
御厨が槍を振るう。
荒牧の身体ごと。
冬真へ穂先が迫る。
冬真は避けなかった。
左手で槍の柄を掴む。
歯が手袋へ噛みつく。
皮膚を破り。
指の骨へ達する。
「冬真!」
真白の声。
冬真は手を離さない。
「名前を呼べ」
槍の口が開く。
「瀬名冬真」
冬真の左腕が硬直する。
別の口。
「瀬名冬真」
右脚が止まる。
三つ目。
「瀬名冬真」
胸部が締めつけられる。
御厨が笑う。
「同じだ」
「違う」
冬真の胸元。
二十七年後の認識票が赤く光った。
地下で拾った。
第六封鎖班班長、瀬名冬真。
御厨の槍が、そちらの記録へ反応する。
冬真の身体の硬直が一瞬揺らいだ。
現在の十九歳。
二十七年後の四十六歳。
八歳の第一帰還者。
帰還前の原記録。
一つの名前に。
複数の存在。
「どれを止めた」
冬真が問う。
御厨の表情が変わる。
冬真は動かないはずの右脚を踏み出した。
「今、ここにいる俺は」
噛みついた槍を左手ごと引き寄せる。
「お前の記録にない」
額を御厨の顔へ叩き込んだ。
鼻骨が折れる。
御厨の頭が後ろへ跳ねた。
槍の拘束が緩む。
「真白!」
真白の右手が動いた。
落とした狙撃銃ではない。
左手の短銃。
撃つ。
弾丸が槍の眼球へ入った。
眼球が破裂する。
柄に並ぶ口が悲鳴を上げる。
久世と東堂の拘束が解けた。
「荒牧を引け!」
久世が御厨へ散弾を撃ち込む。
御厨は荒牧を手放し、槍を盾にする。
東堂が横から踏み込んだ。
三刃槍が御厨の左肩を貫く。
「第一班を一人で止められると思ったか」
「止めた」
御厨が低く答える。
「十分な時間は」
男の右手が外套の内側へ入る。
冬真は気づいた。
「澪!」
遅い。
御厨が小さな金属片を投げた。
澪の手元。
柊奏汰の記録端末へ張りつく。
端末が赤く光る。
「転送信号!」
澪が端末を引き剥がそうとする。
金属片から白い指が生える。
澪の手首へ爪を立て。
端末ごと御厨へ引き寄せた。
冬真が刀へ手を伸ばす。
御厨は端末を掴む。
同時に。
東堂の槍から、自分の左肩を引き抜いた。
肉が大きく裂ける。
血が噴く。
それでも顔色一つ変えない。
「目的は達した」
真白が撃つ。
御厨は槍を振り、弾丸を外す。
眼球を失っている。
今度は完全には防げない。
弾丸が右頬を抉った。
歯が数本飛ぶ。
「次は頭を撃つ」
「次があれば」
御厨の背後に、細い霧が開く。
久世が散弾銃を向ける。
「逃がすな!」
第一封鎖班が一斉射撃する。
御厨の脇腹。
太腿。
右腕。
複数の弾丸が命中する。
それでも。
男は倒れず、霧の中へ一歩下がった。
「瀬名冬真」
血に濡れた口が動く。
「未来を捨てたのは、間違いだったな」
冬真は刀を拾う。
「必要ない」
「何?」
「次は今のお前を斬る」
御厨の目が僅かに見開かれた。
大げさな言葉ではない。
怒鳴りもしない。
冬真はただ。
左目で、はっきりと男を見ていた。
御厨は数秒黙り。
血に濡れた顔で笑った。
「覚えておく」
「記録するな」
「なぜ」
「俺は変わる」
霧が閉じた。
御厨の姿が消える。
銃声が止む。
道路には。
大量の薬莢。
血。
倒れた隊員。
そして、深町への座標を記録した端末が消えた事実だけが残った。
◇
「荒牧!」
真白が駆け寄る。
槍を抜かれた脇腹から、血が止まらない。
澪が傷口へ止血材を押し込む。
「臓器損傷。出血量が多いです」
「死ぬ?」
荒牧が尋ねる。
「現状では可能性があります」
「もっと優しく言え」
「かなり危険です」
「そうじゃねえ」
荒牧は苦笑しようとして、血を吐いた。
冬真が隣へ膝をつく。
「持ち上げる」
「お前、肋骨折れてんだろ」
「知っている」
「俺、重いぞ」
「黙れ」
「そこは少しくらい励ませ」
「痩せろ」
「今言うかよ……」
冬真と久世が荒牧を持ち上げる。
第一封鎖班の生き残りが、負傷者を装甲車へ運び込んでいく。
東堂も自力では歩けない。
腹部の防護板は割れ、内側で出血している。
敵一人。
それだけで。
封鎖班二つが半壊した。
しかも。
敵は目的を達成して撤退した。
「敗北だな」
東堂が言った。
久世は否定しなかった。
「ああ」
「追跡は」
「負傷者を捨てれば可能だ」
「なら無しだ」
東堂は即答した。
悔しさを押し殺し。
槍を杖代わりに立ち上がる。
「現在の避難路を維持する」
冬真は霧が閉じた場所を見る。
未来は見えない。
御厨が次にどこへ現れるのか。
端末を誰へ渡すのか。
何も分からない。
そして。
それでいい。
見えないなら。
追う。
奪われたなら。
取り返す。
失敗をなかったことにはしない。
「澪」
「はい」
「端末の複製データは」
「解析途中の情報が、私の端末に十二パーセント残っています」
「深町へ行けるか」
「座標の再計算が必要です」
「どれくらい」
「現在の観測情報だけでは、少なくとも半日」
真白が荒牧の担架を押しながら言った。
「半日も東京が持つ?」
遠く。
新宿方面で、巨大な光が上がる。
黒い円の一つが、さらに広がっていた。
内部から。
緑に覆われた超高層都市が現在へ重なる。
ビルの壁面を突き破り。
樹木の根が、道路と地下鉄をまとめて持ち上げる。
現在の街が。
別の終末へ呑まれていく。
「持たせる」
冬真が言った。
「どうやって」
「俺たちだけじゃない」
上空。
複数の輸送機が飛来する。
局のものではない。
機体の側面には、外国語と異なる紋章。
東京以外の対時象組織。
さらに。
首都高速の向こうから、別の封鎖班の車列が接近してくる。
第二班。
第四班。
第七班。
現在側の部隊が、ようやく集まり始めていた。
だが。
それと同時に。
十二の消失区からも。
異なる旗を掲げた軍勢が、次々に現れていた。
砂に埋もれた世界の騎兵。
海中都市から来た潜水兵。
植物に身体を侵食された人間たち。
空を燃やす兵器を持つ軍団。
敵も一つではない。
味方も一つではない。
世界は。
冬真が思っていたよりも、遥かに広かった。
そして。
そのすべてに。
瀬名冬真が切り捨てた時間があった。




