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第12話 奪還軍

 帰還重装体の背に生えた砲身へ、赤い光が集まっていく。


 筋肉を剥き出しにした巨体。


 その全身へ縫いつけられた何百もの顔が、息を吸った。


「帰りたい」


「帰りたい」


「帰りたい」


 声が重なるたび、砲身の内部で人間の腕が弾薬を送り込む。


 砲口が向いているのは、第六封鎖班ではない。


 第一封鎖班が守る避難路。


 民間人が密集している。


「発射まで七秒」


 水城澪が告げた。


 未来を見ているわけではない。


 砲身の収縮。


 発光間隔。


 内部を移動する腕の速度。


 現在観測できる情報だけで算出している。


「真白」


「砲身の根元でしょ」


 柊真白は壊れた照準器を外し、道路へ投げた。


 狙撃銃を構える。


 片目を閉じる。


「風、右から三・二。目標まで百八十四」


「発射時に筋肉が収縮します」


「どれくらい?」


「十二センチ」


「先に言ってくれて助かる」


 荒牧岳が銃を右手で持ったまま、冬真を見る。


「俺は何すりゃいい」


「走れ」


「雑だな」


「俺の前に出るな」


「それは心配しなくても無理だ。片目のお前より足は遅くねえ」


 冬真が荒牧の負傷した左肩を軽く小突いた。


「痛っ!」


「動くな」


「確認の仕方が雑なんだよ!」


 帰還重装体が前脚を持ち上げた。


 地面へ打ち下ろす。


 道路が沈む。


 砕けたアスファルトが波のように持ち上がり、現在の車両と、未来から重なった錆びた標識をまとめて吹き飛ばした。


「来るぞ!」


 久世玲司の散弾銃が火を噴く。


 帰還連合の歩兵が撃ち返す。


 赤黒い弾丸が路上を走り、第一封鎖班の隊員の頭部を貫いた。


 防護面が割れる。


 顔面の上半分が消えた隊員は、その場へ二歩進んでから崩れ落ちた。


「第一班、避難路を維持!」


 東堂静夏が長槍を振るった。


 三本の刃が開く。


 突撃してきた敵兵の首を挟み込み、そのまま捻り切る。


 頭部が呼吸器ごと路上へ落ちた。


 首の断面から流れ出したのは血だけではない。


 細い白い腕が何本も伸び、落ちた頭を拾おうと蠢いた。


 東堂は槍の石突きで頭部を叩き潰す。


「第六班! 重装体を止めろ!」


「最初からそのつもりだ」


 冬真と荒牧が走り出す。


『複製個体の抵抗を確認』


 敵兵の一人が叫んだ。


『原記録回収班、前へ』


 歩兵たちの背後から、四人の兵士が現れる。


 人間の背丈ほどある黒い杭を抱えていた。


 杭の先端には、口がついている。


 歯を鳴らし。


 唾液を垂らし。


 避難民へ向かって、同じ名前を呼んでいる。


「篠崎貴志」


「宮原美咲」


「高瀬結衣」


 避難民の中から、呼ばれた者たちが足を止めた。


「何で、俺の名前を……」


 一人の男が振り返る。


 その瞬間。


 黒い杭が投げられた。


「伏せろ!」


 第一封鎖班の隊員が男を突き飛ばす。


 杭は隊員の腹部を貫き、二人まとめて路上へ縫い止めた。


「がっ……!」


 杭の口が開く。


 隊員の腹へ噛みつき。


 肉を食い破りながら、下敷きになった男へ潜り込もうとする。


「名前……確認」


「原記録……照合」


 杭の表面に、人間の眼球が浮かび上がった。


 男の顔を見ている。


『対象は第三切除歴に存在』


『記憶を回収する』


「やめろ!」


 男が隊員の下から逃げようとする。


 だが杭から伸びた舌が、男の耳へ入り込んだ。


 鼓膜を突き破る。


 頭蓋の内側へ潜る。


 男の身体が激しく痙攣した。


「いやだ、やめ、俺の、俺の中に――」


 口から黒い液体が溢れる。


 瞳が白く濁った。


 次の瞬間。


 男は泣きながら笑い始めた。


「思い出した」


「何を」


 近くにいた女が尋ねる。


 男は女を見た。


「俺、お前を殺した」


 女の表情が凍る。


「何を言って――」


「二〇四一年。地下避難区で、食料がなくなって」


 男の口が大きく開く。


 顎の関節が外れる。


「お前の脚を食った」


 黒い杭が男の頭部へ完全に潜り込んだ。


 頭蓋が内側から膨らむ。


 皮膚が裂け。


 記憶の断片らしき赤い光が噴き出した。


「撃て!」


 東堂の命令。


 第一封鎖班の銃撃が杭と男をまとめて吹き飛ばす。


 道路へ脳組織が飛び散った。


 男を呼んでいた女の頬へ、その一部が付着する。


 女は声も出せず、膝をついた。


「過去の記憶を現在の人間へ押し込んでる」


 真白が呟く。


「違います」


 澪が言う。


「帰還連合側は、あれを本来の記憶だと認識しています」


「本人が経験してないのに?」


「彼らにとっては、現在側の記憶が欠けている状態です」


 砲身の光が強くなる。


「残り三秒」


「真白!」


「今!」


 引き金が落ちる。


 狙撃弾が夜気を裂く。


 帰還重装体が発射直前に身体を沈めた。


 砲身の根元が十二センチ下がる。


 澪の予測通り。


 弾丸は動いた先の接合部へ吸い込まれた。


 人間の腕が束ねられた箇所。


 骨と金属が砕ける。


 砲身が大きく傾いた。


 赤い光が暴発する。


 光線は避難路を外れ、現在の高層ビルへ重なっていた未来の防壁を貫いた。


 防壁の上部が崩れる。


 何十体もの虫型欠落体が、瓦礫と一緒に落下してきた。


「増えたぞ!」


 荒牧が叫ぶ。


「予定通りだ」


「その予定は聞いてねえ!」


「今伝えた」


「ふざけんな!」


 荒牧は走りながら銃を撃つ。


 落下してきた虫型の一体。


 頭部へ三発。


 外殻が割れ、内部から人間の顔が露出する。


 老人の顔。


「寒い」


 虫の口ではなく、老人の唇が動く。


「家に帰して」


 荒牧の足が僅かに鈍る。


 虫型が飛びかかる。


 冬真の刀が横から入り、老人の顔ごと胴体を断った。


「止まるな」


「分かってる」


「今、止まった」


「年寄りの顔で来られたら、一瞬くらい躊躇うだろ!」


「次は小さくしておけ」


「小突くなら右肩にしろ!」


 冬真は答えず、帰還重装体へ迫る。


 巨体の前脚が振り下ろされる。


 未来残響はない。


 軌道は見えない。


 だが筋肉が動く。


 重心が左へ移る。


 爪先が内側へ向く。


 見えるものだけを見る。


 冬真は右へ跳んだ。


 巨大な脚が路面へ落ちる。


 衝撃で身体が浮く。


 冬真はその勢いを利用し、前脚の側面へ刀を突き立てた。


 刃を足場にする。


 巨体を駆け上がる。


 全身へ縫いつけられた顔が、冬真へ向く。


「隊長」


「隊長」


「置いていかないで」


 顔の一つ。


 立花誠。


 別の一つ。


 血まみれの真白。


 腕を失った久世。


 盾に妻を埋め込んだ荒牧。


 存在しない未来の仲間たちが、巨体の皮膚として冬真を見ている。


「また、切るの?」


 真白の顔が尋ねた。


 冬真の刀が止まる。


 帰還重装体の背中から、細い腕が伸びた。


 冬真の右側。


 失った視界から迫る。


「冬真、右!」


 真白の銃声。


 腕が冬真の眼前で千切れた。


「見えないほうをこっちへ向けないで!」


「任せた」


「事前に言って!」


 冬真は巨体の背を走る。


 砲身の内部から、人間の腕が次々に伸びてくる。


 足首を掴む。


 防護服へ爪を立てる。


 一つを踏み砕き。


 一つを斬り。


 残る腕を振りほどく。


 砲身の根元。


 真白が撃ち抜いた亀裂の奥に、赤い核が見えた。


 だが一つではない。


 何十個もの人間の心臓が、数珠のように繋がっている。


 すべてが鼓動していた。


「帰りたい」


 心臓が一斉に喋る。


「私たちの東京を返して」


 冬真は刀を構える。


「ここにいる人間を殺してか」


「同じ人間」


「違う」


「同じ顔」


「違う」


「同じ血」


「それでも違う」


 心臓の鼓動が速くなる。


「複製を守るの?」


 冬真は刃を振り下ろした。


 最初の心臓を貫く。


「今、生きている」


 二つ目。


 三つ目。


 刃を横へ引く。


 心臓を繋ぐ黒い管が裂ける。


「それで十分だ」


 帰還重装体が咆哮した。


 身体が暴れる。


 冬真の足場が傾く。


 背中から砲身が分離し、現在の道路へ落下する。


「荒牧!」


「来ると思った!」


 荒牧が右肩から重装体の前脚へぶつかった。


 人間一人で止められる質量ではない。


 それでも進行方向を僅かに変える。


 巨体が横転した。


 現在の建物ではなく、未来から重なった防壁へ激突する。


 何百もの顔が潰れた。


 皮膚。


 歯。


 眼球。


 赤黒いものが防壁へ広がる。


「核を露出させた!」


 冬真が叫ぶ。


 東堂が戦場を見た。


「第一班、射線を作れ!」


 長槍を回転させる。


 襲いかかってきた帰還連合兵の腹部へ突き刺し、その身体を持ち上げた。


 槍の刃が開く。


 兵士の胴体が三方向へ裂けた。


 第一封鎖班が一斉射撃する。


 重装体を守ろうとした歩兵たちが倒れていく。


 久世の散弾が、敵兵の膝をまとめて砕く。


「真白!」


 真白は狙撃銃を構えていた。


 壊れた照準器はない。


 片膝をつき。


 左目だけで、巨体の背に露出した心臓を狙う。


「冬真、邪魔」


 冬真は砲身の残骸を蹴り、巨体から飛び降りた。


「撃て」


 一発。


 心臓の列、その中央へ弾丸が入る。


 最初の核が破裂する。


 連鎖。


 二つ。


 十。


 二十。


 赤い心臓が、内部から次々に弾けた。


 帰還重装体の巨体が痙攣する。


 縫いつけられた顔が、一斉に叫んだ。


「帰りたい!」


 その声だけを残して。


 肉体が崩れた。


 大量の血と、人間の身体が路上へ流れ出す。


 重装体の中に詰め込まれていた者たち。


 子供。


 兵士。


 老人。


 身体の半分を失いながら、まだ息をしている者もいた。


「救護班!」


 第一封鎖班の隊員が駆け寄ろうとする。


「近づくな!」


 榊が叫んだ。


 遅かった。


 倒れている女の腹部が裂ける。


 内部から白い腕が伸び、救護へ向かった隊員の顔を掴んだ。


 指が眼窩へ入り込む。


 眼球を潰し。


 頭蓋の内側を掻き回した。


 隊員の口から、意味のない声が漏れる。


 東堂が長槍を投げた。


 女と隊員をまとめて貫く。


 刃が開き。


 二人の胸を内側から引き裂いた。


「全員、残骸から離れろ!」


 重装体の中から救出された人間たちが、一斉に起き上がる。


 骨の折れた身体。


 内臓を垂らした身体。


 首が半分切れた身体。


 白い腕に引かれ。


 現在の人々へ向かって歩き始める。


「帰して」


「身体を返して」


「その人生は私のもの」


 第一封鎖班が銃を構える。


 東堂の表情が険しくなる。


「撃て」


 銃声が続いた。


 救出できたかもしれない人々が、次々に倒れていく。


 冬真は左目だけで、その光景を見ていた。


 未来を見ていない。


 だから。


 別の手段があったかどうかは分からない。


 撃たなければ何人死んだのか。


 救えた者がいたのか。


 やり直せば変えられたのか。


 もう答えは出ない。


 それでも。


 冬真は右目を失ったことを後悔しなかった。


 分からないまま。


 ここで決めるしかない。


 それが、本来の時間なのだ。


 ◇


 帰還連合の歩兵は撤退を始めた。


 統率は乱れていない。


 重装体を失っても。


 仲間の死体を回収せず。


 一定の速度で未来側の霧へ下がっていく。


「追うな」


 久世が命じた。


 東堂も同時に槍を下げる。


「深追いはしない。避難を優先!」


 冬真は撤退する敵の背を見る。


 一人だけ。


 足を止めた兵士がいた。


 透明な覆面。


 左肩に、赤い線ではなく青い線が入っている。


 兵士は銃を下げ。


 冬真へ向けて両手を見せた。


「話がしたい」


 男の声。


 まだ若い。


 二十代半ばほどに聞こえる。


「所属を名乗れ」


 久世が散弾銃を向ける。


「帰還連合・第九十三区救難軍」


「東京を撃った連中が救難軍か」


「撃ったのは二百十三号奪還軍だ」


 男は東京湾の軍艦を見る。


「俺たちは同じ組織じゃない」


 東堂の眉が動く。


「旗は同じだ」


「現在側だって、時象災害対策局には複数の封鎖班があるだろ」


「何を求めている」


 冬真が尋ねる。


 男の透明な覆面の奥。


 左目には、機械部品が埋め込まれていた。


「瀬名冬真」


「俺に用があるのか」


「違う」


 男は深町方向を見た。


「俺たちが探している瀬名冬真は、十九歳じゃない」


「二十七年後の俺なら、さっき死んだ」


「それも違う」


 男の声が低くなる。


「お前たちが知っている冬真は、全部帰還後の個体だ」


 周囲が静かになった。


「どういう意味だ」


「最初の切除を実行した冬真は、一度も現在へ帰っていない」


 冬真の胸元で、認識票が熱を持つ。


「俺は第一帰還者として記録されている」


「記録を作ったのは誰だ」


「……」


「八歳で帰ったお前が、自分で帰還者名簿を書いたのか?」


 男が一歩下がる。


 帰還連合の霧が背後へ迫っていた。


「深町の十三番目を開け」


「そこに何がある」


「原記録」


 男の身体が霧へ入り始める。


「やり直しを始めた、帰還前の瀬名冬真がいる」


 真白が銃を向ける。


「待って! あなたの名前は!」


 男は一度だけ真白を見た。


 透明な覆面の内側。


 口元が僅かに笑う。


「柊奏汰」


 真白の指が止まった。


 兄の名前。


 思い出せないはずの。


 消失区で失った兄。


「嘘」


「お前はまだ、俺を忘れたままなんだな」


 男の姿が霧に沈む。


「待って!」


 真白が走ろうとする。


 冬真が腕を掴んだ。


「離して!」


「追えば戻れない」


「兄さんかもしれない!」


「だから止めている」


 真白が冬真の胸を殴った。


 折れた肋骨へ拳が入る。


「ぐっ……」


 冬真が身体を折る。


 真白の顔が一瞬青ざめた。


「そこ、折れてたの?」


「さっきから」


「先に言ってよ!」


「殴る前に聞け」


「殴る場所を相談する人いないでしょ!」


 荒牧が肩を押さえながら横を通る。


「仲いいな」


 真白が睨む。


「岳さんも殴るよ」


「俺は折れてない右側で頼む」


 霧が閉じる。


 柊奏汰の姿は消えた。


 残された道路には。


 帰還連合の兵士が落とした、小さな記録端末が転がっていた。


 澪が拾い上げる。


「映像データが入っています」


「何の」


 冬真が問う。


 澪が再生する。


 映ったのは、東京ではなかった。


 砂に埋もれた都市。


 海中へ沈んだ高層街。


 巨大な植物に覆われた国家。


 空が永久に燃え続ける大地。


 それぞれ異なる終末を迎えた世界。


 映像の下には、番号が表示されている。


 切除歴四十七号。


 切除歴九十三号。


 切除歴百二十一号。


 切除歴百八十八号。


 同じ未来から来た軍ではない。


 帰還連合とは。


 二百を超える切除世界の一部が組んだ、連合軍。


 最後に。


 深町二丁目の地下映像が表示された。


 地図上には存在しない十三番目の座標。


 その最深部。


 巨大な透明容器の中で。


 一人の男が眠っていた。


 現在の冬真よりも大人。


 二十七年後の冬真よりは若い。


 胸には切除核がない。


 両目も失っていない。


 容器の表面には、短い文字が刻まれていた。


 原記録。


 時象切除管理者。


 瀬名冬真。


 その隣には。


 もう一つ。


 小さな容器があった。


 中で眠っているのは、白い服を着た少女。


 黒い仮面の妹。


 二人の容器を繋ぐ管だけが。


 今もゆっくりと脈打っていた。


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