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第11話 十二の消失区

今更なのですが、この作品は少し残酷です

あまり残虐になりすぎないようには善処しますが、苦手な方は少々ご注意ください

 東京の夜空が、十二箇所で裂けていた。


 黒い円が、雲よりも低い位置に浮かんでいる。


 円の内側では、現在の街と、滅びた街が重なっていた。


 高層ビルの壁面を突き破り、錆びた鉄道橋が伸びる。


 首都高速の上には、見覚えのない巨大な防壁がせり上がり、その表面を人間ほどの大きさの虫が這っていた。


 東京湾から浮上した黒い軍艦は、赤い線の入った旗を掲げている。


『切除歴二百十三号へ告ぐ』


 男の声が、関東全域の通信回線へ割り込んでいた。


『我々は欠落体ではない』


『救助も帰還も求めない』


『奪還に来た』


 地下二十三階だった空間は、地表へ突き出していた。


 壁の半分が消え。


 天井は裂け。


 頭上には、東京の夜空が見える。


 瀬名冬真は、血の流れる右目を押さえたまま立っていた。


 もう未来は見えない。


 一秒先に、どこから攻撃が来るのか。


 誰が死ぬのか。


 どの道を選べば生き残れるのか。


 何も見えなかった。


「冬真」


 柊真白が近づく。


「手、どけて」


「先に地上の状況を確認する」


「確認する目が半分減ってるんだけど」


「左は見える」


「そういう問題じゃない」


 真白は冬真の手首を掴み、無理やり右目から離した。


 潰れた眼球。


 裂けた瞼。


 血が頬から顎へ流れ続けている。


 真白の表情が強張った。


「……馬鹿」


「自覚はある」


「あるならやらないで」


「必要だった」


「その言い方も嫌い」


 真白は救急包帯を取り出し、冬真の頭へ巻き始めた。


「きつい」


「わざと」


「性格が悪い」


「片目を自分で潰した人に言われたくない」


 冬真が僅かに眉を寄せる。


 真白は包帯をさらに一周強く締めた。


「痛い」


「よかった。神経は残ってる」


 荒牧が近くで鼻を鳴らした。


「仲いいな、お前ら」


「左肩も締め直そうか?」


「俺は何も言ってねえ」


「今、言った」


「負傷者に優しくしろ」


 ほんの数秒。


 それだけだった。


 次の瞬間。


 地上から、爆発音が響いた。


 夜空が白く染まる。


 黒い軍艦の一隻から放たれた光が、霞が関の建物を貫いた。


 上層部分が横へずれ。


 鉄骨とガラスを撒き散らしながら崩れ落ちる。


 避難警報。


 悲鳴。


 車の衝突音。


 わずかな緩みは消えた。


「移動する」


 久世玲司が言った。


「澪、地上部隊との通信は」


「通常回線は全滅しています」


 水城澪は端末へ複数の接続線を差し込んでいた。


「局内専用回線も混線。十二箇所すべてから同じ識別信号が送られています」


「敵の数は」


「計測不能」


「便利な答えだな」


 荒牧が言う。


「正確な答えです」


「そこは少し申し訳なさそうに言え」


「申し訳ありません。計測不能です」


「変わってねえ」


 久世が短く息を吐いた。


「榊」


 呼ばれた主任監察官は、白い少女が消えた場所を見つめていた。


 椅子の下には、血に濡れた小さな足跡だけが残っている。


「十二の消失区について知っていることを話せ」


「同時発生の記録はない」


「予測は」


「理論上、複数区域が重なれば現在側の時間は耐えられない」


「何が起きる」


「境界が消える」


「分かりやすく言え」


 榊は裂けた天井の向こうを見た。


「消失区が現在へ来るんじゃない」


 遠くで、未来の高層建築が現在のビルへ重なる。


 二つの建物が同じ場所を奪い合い。


 コンクリートが内側から膨張した。


 窓にいた人間たちが、壁と一緒に押し潰される。


 血と肉がガラスへ塗り広げられ。


 次の瞬間には、建物ごと黒い霧へ消えた。


「現在が、消失区になる」


 ◇


 地上へ出ると、街はすでに戦場だった。


 局本部の一部は、霞が関の交差点を割って浮上している。


 道路は隆起し。


 地下施設の壁が、巨大な墓石のように地上へ突き出していた。


 交差点の中央で、警察官が倒れている。


 上半身は現在の制服。


 腰から下は、錆びた機械へ置き換わっていた。


 まだ生きている。


 両手で道路を掻きながら、助けを求めていた。


「痛い……脚が、脚がない……」


 機械の内部で、何かが回転する。


 警察官の腹部が巻き込まれた。


 腸が引きずり出され。


 歯車へ絡み。


 湿った音を立てて細かく潰れていく。


 真白が銃を向けた。


 指が止まる。


 警察官が彼女を見た。


「殺して」


 真白が引き金を引いた。


 一発。


 頭部が後方へ弾ける。


 身体から力が抜け。


 機械だけがしばらく回り続けた。


「行くよ」


 真白は死体を見なかった。


 冬真も何も言わなかった。


 交差点の先。


 装甲車両が横倒しになっている。


 局の標章。


 ただし、第六封鎖班のものではない。


「生存者!」


 久世が声を上げる。


 車両の下から、血まみれの腕が伸びた。


 荒牧と冬真が駆け寄る。


 二人で車体を持ち上げようとするが、荒牧の左腕は使えない。


「俺一人でやる」


 冬真が刀を置き、車体の縁へ手をかけた。


「肋骨が折れてる人間の台詞じゃねえ」


「右腕を貸せ」


「命令の仕方が雑になったな」


「早くしろ」


「はいはい、隊長殿」


 二人が力を込める。


 重い車体が僅かに浮いた。


 久世が下敷きになっていた隊員を引きずり出す。


 若い男。


 左脚が膝から潰れている。


 防護服の胸には、第一封鎖班の紋章。


「第一班か」


 久世が問いかける。


 男は何度か咳き込み、血の塊を吐いた。


「都心……合同封鎖線が破られました」


「班長は」


「前です」


「敵の情報を」


「人間です」


 隊員の顔が恐怖に歪む。


「欠落体じゃない。言葉も通じる。部隊行動もする」


 遠くで銃声が続いている。


「でも、あいつらの装備は……生きてる」


「生きている?」


「銃も、車両も」


 隊員が震える手で、自分の胸を指した。


 防護服に、小さな白い指が食い込んでいる。


 最初は装備の一部に見えた。


 違う。


 赤子の腕だった。


 潰れた車両の下から伸び、隊員の胸部へ入り込んでいる。


「離れろ!」


 冬真が刀を掴む。


 赤子の腕が、隊員の肋骨を内側から掴んだ。


「あ」


 隊員の胸が膨らむ。


 骨が一本ずつ外へ突き出す。


 白い指が肋骨の間から現れ。


 胸郭を左右へ引き開いた。


 心臓が露出する。


 その表面に、小さな口がついていた。


「見つけた」


 心臓が喋った。


「現在の器」


 冬真が刀を振り下ろす。


 隊員の胸から伸びる白い腕を断つ。


 だが遅い。


 心臓の口が笑う。


「返して」


 破裂。


 血と骨片が、冬真たちへ降り注いだ。


 隊員の上半身は内側から消し飛んだ。


 真白が顔についた肉片を拭う。


「さっきの子と同じもの?」


「違います」


 澪が残骸を観測する。


「時象構造が単純です。末端端末に近い」


「端末が人を食うのか」


 荒牧が低く言う。


「敵の人外兵器か」


「それも違う」


 榊が死体を見下ろしていた。


「あれは兵器として作られたものじゃない」


「何だ」


「帰還できなかった人間の、帰りたいという衝動だけを装備へ繋いでいる」


 車両の下。


 切断された赤子の腕が動く。


 冬真へ向かって、指だけで這い始めた。


「人間を材料にしたんじゃない」


 榊が続ける。


「人間の願いを、材料にしている」


 冬真が腕を踏み潰した。


 骨が砕けても。


 白い指は冬真の靴へ縋り続けていた。


 ◇


 交差点の向こうから、複数の車両が接近してきた。


 現在側の装甲車。


 先頭車両が急停止する。


 十数人の武装隊員が展開した。


 胸の紋章は、第一封鎖班。


 先頭に立つ女が、片手を上げる。


「武器を下げろ!」


 三十歳前後。


 髪を短く切り。


 右側の首筋から顎にかけて、黒い火傷痕がある。


 手には、刀でも銃でもなく。


 先端に三本の刃がついた長槍を持っていた。


 久世が散弾銃を下げる。


「第六封鎖班、久世だ」


「第一封鎖班、班長の東堂静夏」


 女――東堂は、第六封鎖班の面々を見渡した。


 荒牧の肩。


 冬真の右目。


 全身に付着した血。


「地下で何があった」


「説明すると長い」


「なら一言で」


 久世は少し考えた。


「世界をやり直す装置を止めた」


 東堂が無表情に冬真を見る。


「一言にまとめる努力は認める」


「信じるのか」


「今の東京を見て、多少の話では驚かない」


 彼女の背後。


 第一封鎖班の隊員たちが、避難路を構築している。


 民間人。


 負傷者。


 子供。


 何百人もの人間が、車両の間を通って移動していた。


「都心部に未来側の部隊が三箇所から上陸した」


 東堂が言う。


「自称、《帰還連合》」


「指揮官は」


「不明。交渉を求めた隊員を、その場で解体した」


「交渉する気はないのか」


「あるらしい」


 東堂の表情が僅かに歪む。


「解体しながら、三十分話していた」


 冬真は東京湾を見る。


 黒い軍艦。


 甲板の人影。


 欠落体とは違う。


 意思を持つ人間たち。


「要求は」


「東京の返還」


「誰に」


「自分たちに」


 東堂が端末を操作する。


 映像が表示される。


 未来側の兵士。


 顔の半分を透明な覆面で隠した女。


 彼女は、拘束した現在の男性を膝立ちにさせていた。


『氏名、篠崎貴志』


 兵士が言う。


『二〇四一年、第三切除区にて死亡』


「この男は現在、二十六歳です」


 映像内の局員が答える。


『同一人物ではない』


『同じだ』


 未来の兵士は、男性の髪を掴む。


『血液、骨格、指紋、幼少期の傷。すべて一致する』


『彼はまだ第三切除区を経験していない』


『だから返せ』


 兵士は男性の耳を切り落とした。


 悲鳴。


『それは、我々の死者から盗まれた身体だ』


 映像が終わる。


 真白が眉を寄せた。


「現在の人間を、未来の死者の複製だと思ってる?」


「思っているんじゃない」


 榊が言った。


「証明できる情報を持っている」


 荒牧が険しい顔をする。


「本当に同じ人間ってことか」


「時間が切除されても、人間が完全に別の存在へ置き換わるわけではない」


「じゃあ俺たちは、あいつらの過去か」


「それだけなら単純だった」


 榊は冬真を見る。


「帰還連合は、現在側を過去と呼んでいない」


「何と呼んでいる」


「複製区」


 そのとき。


 避難民の列から、一人の女が飛び出した。


 三十代ほど。


 裸足。


 腕には幼い男の子を抱いている。


「離して!」


 第一封鎖班の隊員が女を止める。


「向こうに夫がいるの!」


「未来側へ近づかないでください!」


「見えたの! あの船にいた!」


 女が東京湾を指さす。


「三年前に死んだ夫がいる!」


 周囲の避難民がざわめく。


 東堂が女へ近づく。


「見間違いの可能性があります」


「違わない!」


 女は端末を差し出した。


 画面には、軍艦から送信された映像。


 甲板に立つ兵士の一人。


 確かに、女が隣へ表示した家族写真の男と同じ顔だった。


 ただし。


 映像の男は、現在より二十歳以上老いている。


 男が画面越しに口を動かしていた。


 音声を再生する。


『美咲』


 女の名前。


『そいつを連れて逃げろ』


 女の腕の中で、子供が泣いている。


『その子は、俺たちの時間には存在しない』


 音声に雑音が入る。


『見つかれば、消される』


 通信が切れた。


「夫は敵じゃない」


 女が言う。


「私たちを助けようとしてる」


 誰も答えられなかった。


 帰還連合は、現在を奪いに来た。


 だが。


 その中にも、守ろうとしている人間がいる。


 単純な侵略軍ではない。


「東堂班長!」


 第一封鎖班の隊員が叫んだ。


「南側から敵接近!」


 道路の先。


 未来の建物が重なった霧の中から、人影が現れる。


 二十人。


 軍装。


 統一された動き。


 中央には、四足歩行の巨大な何か。


 象ほどの大きさ。


 皮膚はない。


 剥き出しの筋肉の表面に、人間の顔が無数に縫いつけられている。


 顔は全員、同じ言葉を繰り返していた。


「帰りたい」


「帰りたい」


「帰りたい」


 巨体の背中には、長い砲身が生えている。


 砲身の内部。


 何十本もの人間の腕が、弾薬を運んでいた。


「帰還重装体!」


 東堂が長槍を構える。


「防御陣形!」


 第一封鎖班が避難民の前へ並ぶ。


 敵兵の一人が拡声器を上げた。


『複製区住民へ告ぐ』


『抵抗を停止し、原記録を返還せよ』


 東堂が久世を見る。


「第六班、戦えるか」


「荒牧は重傷。冬真は右目を失った」


「戦えるかと聞いた」


 荒牧が銃を持ち上げる。


「片腕余ってる」


 真白が弾倉を確認する。


「照準器は壊れたけど、目は二つある」


 澪が端末を接続する。


「観測可能です」


 全員が冬真を見る。


 未来は見えない。


 最適な答えも。


 生存する道も。


 もう与えられない。


 冬真は左目だけで戦場を見る。


 帰還重装体。


 二十人の敵兵。


 第一封鎖班。


 避難民。


 横転した車両。


 崩れかけた高架。


 敵の砲撃が来れば、避難路ごと吹き飛ぶ。


 未来を見なくても。


 見るべきものは、目の前にあった。


「第一班は避難民を守れ」


 東堂の眉が動く。


「私に命令するのか」


「重装体は第六班が止める」


「その人数と傷で?」


「十分だ」


 冬真は刀を抜いた。


 黒い刃。


 未来の長刀は重ならない。


 今ある刀だけ。


「久世さん、敵の歩兵を」


「了解」


「真白、砲身の根元」


「照準器なしで?」


「外すのか」


 真白が不敵に笑う。


「まさか」


「荒牧は俺と前へ」


「やっとまともな命令が来たな」


「澪、敵の射撃動作を現在の情報だけで読め」


「未来観測なしで?」


「できないか」


「できます」


 澪の指が端末を走る。


「ただし精度は落ちます」


「俺が補う」


 帰還重装体が咆哮した。


 縫いつけられた何百もの顔が、一斉に口を開く。


「帰りたい」


 背中の砲身へ、赤い光が集まる。


 冬真は一歩踏み出す。


 未来はない。


 やり直しもない。


 失敗すれば。


 誰かが死ぬ。


 その当たり前の恐怖が、初めて冬真の身体を満たしていた。


「第六封鎖班」


 刀を低く構える。


「迎撃する」


 五人が、未来から来た軍勢へ走り出した。


 ◇


 その頃。


 関東一帯に出現した十二の消失区を、上空から観測していた無人機があった。


 十二の黒い円。


 発生地点は無作為に見える。


 だが。


 すべてを一枚の地図へ重ねると。


 円は、巨大な時計の文字盤を作っていた。


 一時。


 二時。


 三時。


 十二時。


 その中央に位置するのは。


 霞が関でも。


 東京湾でもない。


 杉並区深町二丁目。


 最初に冬真が認識票を拾った場所。


 地図上には存在しない十三番目の座標が。


 地下へ向かって、ゆっくりと開き始めていた。


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