第40話 騎手選定
休み時間になると、優芽の席に人が集まってきた。
いつものことだ。優芽のクラスでは、優芽の席が一番にぎやかになる。今日は特ににぎやかだった。菊花賞から一週間、クラスの子たちはまだワスレナグサの話をしていた。
「優芽ちゃんの馬、また出るの?」
「ジャパンカップっていうレースに出るんだよ」
「また勝つの?」
「勝つよ」
優芽は、当然でしょという顔で言った。
周りがわあっと盛り上がった。
その中で、水無月凛が前の席から身を乗り出してきた。夏に牧場まで会いに行った、優芽の一番の友達だ。言いたいことを、真っ先に言う。
「ねえ優芽ちゃん、次の騎手誰にするの?」
「それがさあ」
優芽は、少し眉を寄せた。
「悩んでるんだよね」
「え、悩んでるの?」
「うん」
「菊花賞の人じゃだめなの?」
「だめ」
優芽は、即答した。
「なんで?」
「鞭でいっぱい叩いたから」
凛が、目を丸くした。
「叩いたの?」
「叩いた。風車みたいにぐるぐるってやって、ゴールしてからも叩いてた」
「え、ゴールしてからも?」
「してた」
周りがざわついた。
「それはひどくない?」
「ひどい」
「かわいそう」
「ひどいよね」
女の子たちが、次々と言った。優芽は、うんうんと頷いた。
「ワスレナグサ、痛かったと思う」
「絶対痛かったよ」
「あの子、撫でたらすごくやわらかいんだから」
凛が、牧場で触れた鼻先を思い出しながら言った。
「その人やだね」
「やだ」
凛が、腕を組んだ。
「じゃあ誰がいいの」
「駿河紗季騎手」
「女の人?」
「そう。ずっと乗ってた人。皐月賞もダービーも勝った人」
「じゃあその人でいいじゃん」
「でも今怪我してるんだよ」
「治ったら乗せればいいじゃん」
凛が、あっさり言った。優芽は、少しだけ迷った顔をした。
その時、窓際の席から静かな声が聞こえた。
白石ひよりだった。
普段はあまりしゃべらない子で、でも言葉が少ない分、言う時はちゃんと刺さる。
「優芽ちゃんは、どうしたいの」
教室が、すこし静かになった。
優芽は、ひよりを見た。
「紗季騎手がいい」
「じゃあそれでいいじゃない」
「でもパパが決めるんじゃなくて、わたしが決めていいのかなって」
ひよりは、少し考えてから言った。
「優芽ちゃんの馬なんでしょ」
「そう」
「じゃあ優芽ちゃんが決めればいいじゃない」
凛が、ぽんと優芽の背中を叩いた。
「そうだよ! 優芽ちゃんの馬なんだから優芽ちゃんが決めなよ!」
「そうだよそうだよ」と、周りも続いた。
優芽は、少しだけ背筋が伸びた気がした。
★
その日の夜、お父さんに言った。
「パパ、ワスレナグサの次の騎手、わたしが決めていい?」
お父さんは、新聞から目を上げた。
「もちろんいいよ」
「駿河紗季騎手がいい」
「理由は?」
「ずっと一緒に走ってきたから。それと」
優芽は、少し考えてから言った。
「ワスレナグサのこと、大事にしてくれると思うから」
お父さんは、優芽を見た。
それから、小さく笑った。
「わかった。古谷先生に伝えておく」
「うん」
「他に理由はないの?」
「……陣内騎手は鞭でいっぱい叩いたから嫌」
お父さんが、口元を押さえた。
笑っているのを、隠していた。
「そっか」
「ダメだった?」
「いや、全然ダメじゃない」
お父さんは、新聞を畳んだ。
「優芽が決めることだから、それでいい」
優芽は、こくりと頷いた。
それから、ランドセルを取りに自分の部屋へ向かった。
廊下を歩きながら、少しだけスキップした。
★
古谷調教師から電話が来たのは、翌日の午前中だった。
「駿河、ジャパンカップの騎乗依頼が来た」
紗季は、受話器を持ち直した。
「ワスレナグサですか」
「そうだ。馬主からの指名だ」
紗季は、少しだけ目を閉じた。
「肩の具合はどうだ」
「問題ないです。乗れます」
「無理はするな」
「無理じゃないです」
古谷が、少し間を置いた。
「よかったな」
「はい」
紗季は、短く答えた。
電話を切った後、しばらくスマホを握ったままでいた。
馬主からの指名。あの小さな女の子が、自分を選んでくれた。
紗季は、スマホをテーブルに置いた。
また、あの背中に乗れる。
窓の外、空が青かった。




