第30話 東京優駿後日談
翌朝。
美浦のトレセンに、朝日が差した。
じじいは、馬房でニンジンを食べていた。
(ふむ、今日も良い朝じゃ)
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【北海道・古道牧場】
古道敏夫は、朝からスポーツ紙を三紙買っていた。
全部、一面がじじいだった。
「史上初の同着決着」
「ワスレナグサ、三の足の衝撃」
「ダービー馬二頭誕生」
敏夫は、三紙を食卓に広げた。
春代が、お茶を持ってきた。
「また飾るんですか」
「当たり前だろ」
「もう壁に貼る場所がないですよ」
「作る」
敏夫は、真剣な顔で言った。
息子が、スマートフォンを見ながら食卓に来た。
「社長、ネットがすごいことになってますよ」
「どんな感じだ」
「『三の足ってなんだ』って競馬民がパニックになってます。あと『ワスレナグサはじじいっぽい』ってスレが伸びまくってて」
「なんで」
「あの落ち着き方と、勝っても淡々としてるところが、おじいちゃんっぽいって」
敏夫は、紙面のじじいの写真を見た。
ゴール後、全く息を乱さず歩いている芦毛の馬。
「……まあ、確かに」
春代が、隣でお茶を飲みながら言った。
「でも、あの子、牧場にいた頃からそうでしたよ。寝太郎って呼んでたやつですよ」
敏夫は、新聞を丁寧に折り畳んだ。
「額縁、買ってくる」
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【競馬掲示板・某スレッド】
『日本ダービー同着騒動スレ・その7』
>三の足ってなんなんだよ説明しろ
>二の足は皐月賞で見たけど三の足は初めてだろ
>残り150から加速したよな明らかに
>あそこで上がり目があるのおかしい
>普通の馬は残り150で減速するんだよ
>ワスレナグサだけ残り150から加速した
>カイザーの末脚が世界レベルなのに並ばれたまま差し返してるんだよ
>意味わからん
>三の足の正体は何
>スタミナの権化説
>魔力説
>草
>ワスレナグサの正体はじじいって聞いたけど
>どういうこと
>落ち着きすぎてておじいちゃんっぽいってことじゃないの
>なるほど
>じじいが三の足を持ってるのか
>筋が通ってる
>通ってない
>でもカイザーに回復かけてたよな
>は?
>ゴール後じじいがカイザーに近づいてたじゃん
>そしたらカイザーが急に落ち着いたんだよ
>気のせいだろ
>草
>草じゃなくない?
>新馬の時から謎多すぎるんだよこの馬
>とりあえずセントライトと菊花賞が楽しみすぎる
>菊花賞3000mならじじいの天下だろ
>二の足三の足のスタミナ化け物が3000m走ったら
>他の馬が可哀想
>カイザーは天皇賞秋行くらしいじゃん
>別の頂点目指すのか
>熱い
>ワスレナグサとカイザー、それぞれの王道
>胸熱すぎる
>競馬って最高だな
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【紗季・インタビュー】
ダービーの翌日。
東京競馬場の一室で、紗季はメディアの前に座っていた。
カメラが、数台並んでいる。
マイクが、いくつも向けられている。
「駿河騎手、まず昨日のレースを振り返っていただけますか」
紗季は、静かに答えた。
「完璧なレースをしてくれた馬に、感謝しています」
「三の足と呼ばれている、残り150メートルからの加速についてはいかがですか」
紗季は、少し考えた。
「私には、説明できません」
記者が、身を乗り出した。
「どういう意味でしょうか」
「この馬が持っているものです」
「騎手として、何か指示を?」
「手綱を緩めただけです」
「それだけで?」
「それだけです」
記者たちが、顔を見合わせた。
「ロードカイザーとの同着について、悔しさはありますか」
紗季は、首を振った。
「カイザーは、皐月賞より強くなっていました。鷹騎手の騎乗も、完璧でした」
「それでも同着に持ち込めたのは」
紗季の目が、静かに光った。
「この馬のおかげです」
「次走はセントライト記念、そして菊花賞を狙うとのことですが」
「はい」
「3000メートルという距離は」
紗季は、口元を緩めた。
「この馬に、距離の限界はないと思っています」
記者が、また身を乗り出した。
「それはなぜ?」
紗季は、少し間を置いた。
「……距離が延びれば延びるほど、強くなる馬です」
それだけ言った。
記者たちは、一斉にペンを走らせた。
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【美浦・古谷厩舎】
インタビューが終わった夜。
紗季が、古谷厩舎に戻ってきた。
じじいの馬房の前に立った。
じじいは、藁の上でトラと並んで座っていた。
完全にリラックスしている。
「昨日のこと、聞いてもいい?」
じじいは、紗季を見た。
「残り150から、何かが変わった」
じっと見てくる。
「あれは、なんだったの」
じじいは、しばらく紗季を見ていた。
それから、鼻先を格子に向けた。
(説明できんのう。前世の術じゃ、言葉にならん)
紗季は、じじいの鼻先に手を当てた。
「まあ、いいか」
じじいは、耳をぴくりと動かした。
紗季は、小さく笑った。
「次は菊花賞3000メートル、頼んだよ」
じじいは、藁をもう一口食んだ。
(やれやれ、また仕事が増えるのう)
★
【翌朝・美浦】
佐々木が、馬房を掃除しながら言った。
「ワスレナグサ、お前、今やスポーツ紙全部に載ってるぞ」
じじいは、飼い葉を食べていた。
「三の足って呼ばれてるらしいぞ」
食べていた。
「ネットじゃ『じじいっぽい』って言われてるぞ」
食べていた。
「……全然気にしてないな」
佐々木は、苦笑した。
トラが、佐々木の足元に擦り寄ってきた。
尻尾が、ゆらゆら揺れている。
「ちゅーるか」
にゃあ。
「後でな」
トラは、じじいを見た。
じじいを見た。
また佐々木を見た。
(後でじゃなくて今じゃ)
という顔だった。
佐々木は、ため息をついた。
――ちゅーるは先週から、厳重管理になった。
管理者は、佐々木である。
意味はなかった。
「……わかった」
押しに弱い管理者は、今日も押しに負けて、事務スペースへ歩いていった。
じじいは、その背中を見送った。
(トラ、うまいことやるのう)
外では、初夏の風が吹いていた。
菊花賞まで、まだ時間がある。
前世の大聖者は、今日も美浦の朝を、のんびりと過ごした。




