第18話 京都へいこう
馬運車は走る。
東名高速道路を、西へ、西へと進む。
じじいは、車内で揺られていた。
前世の大聖者のころ、移動といえばもっぱら竜車だった。
あるいは、従えたドラゴンの背中だ。
それに比べると、今の乗り物は怪異だった。
(ふぉっふぉっふぉ。実によく走る箱じゃて)
鉄の匂いがするし、クッションが良い。
お尻が痛くならない。
冷たい風が、天井から吹き出している。
じじいは、のんきに藁を喰んだ。
やがて、トラックの速度が落ちる。
大きなトンネルである。
中に入った瞬間、じじいは目を見開いた。
頭上を、凄まじい速度で光が通り過ぎていく。
換気口の隙間から、等間隔に並んだ黄色や白の輝きが見えた。現代のLED照明である。
しかし、じじいにはそうは見えない。
驚くべき密度の、光の魔導具。
一本の道に、数千、数万の魔石が使われている計算になる。
前世の世界なら、国が傾くほどの財力だ。
(どうやら魔物はおるようじゃ……しかし、どれだけの魔物から集めねばならぬのか……)
魔石は、魔物から取れるエネルギー源である。
さぞ良き狩場があるのだろうと、じじいは勘違いした。
ビュン、ビュン、と光が背後に流れる。
その緻密な魔法陣の並びに、一頭で圧倒されていた。
人間ども、いつの間にこれほどの文明を築いたのか。
じじいは生まれたおんぼろ牧場との違いに、ぶるると小さく鼻を鳴らした。
★
トンネルを抜けると、雨が降ってきた。
屋根を叩く雨音が、コツコツと響く。
じじいは、耳をそばだてた。
雨音に混じって、妙な音がする。
カシャ、カシャ、と規則正しく繰り返される音だ。
(むむっ!? 前方で何かが動いておる!)
密閉された馬房の中では、その正体がわからない。
(待て、誰も慌てておらんぞ。運転手も普通に運転しておるようじゃ)
じじいは、耳だけで観察を続けた。
雨が強くなると音も速くなり、雨が弱まると音も落ち着く。
(……なるほど。あれは、雨水を払うためだけに飼い慣らされた、新種の大人しい魔獣か)
じじいは、納得した。
世の中には、色々な生き物がいるものだ。
懸命に働く魔獣。
じじいは、少しだけ哀れみの目を天井に向けた。
(ほれ、お主も頑張りなされ。――『ヒール』じゃて)
じじいは、音のする方向へ向けて、微弱な治癒魔力を放った。
お戯れである。
「うお、ワイパーの拭きが急に良くなったな」と、運転手が不思議そうに呟く声が、壁越しに聞こえてきた。
(ふぉっふぉっふぉ)
★
トラックは、サービスエリアへ入る。
大きな休憩所だ。
停車すると、馬房の扉が開いた。
様子を見にきた調教助手の稲葉が、バケツを持ってやってくる。
じじいは、開いた扉の隙間から、外をちらりと覗いた。
そこで、さらなる衝撃がじじいを襲った。
(な、なんじゃと……!?)
建物の入り口。
大きなガラスの壁がある。
人間が近づくと、その壁が、スッと左右に割れた。
人間が通り抜けると、また、パタンと閉じる。
自動ドアである。
(空間転移の結界か!? いや、自動感知式のゴーレムの仕業か……)
人間が近づくだけで、勝手に開く門。
どれほど高度な魔導技術を組み込めば、あんな芸当ができるのか。
しかも、誰も驚いていない。
小さな子供まで、当然のようにその結界を通り抜けていく。
(今の人間ども、恐るべしじゃ。儂の知らない魔法が、そこら中に溢れとる……)
大聖者じじいは、ブルブルと体を震わせた。
完全に、時代の波に取り残されている。
だが、驚きすぎて、逆にどうでもよくなってきた。
じじいは、息を吐いた。
少し、喉が渇いた。
「水だ。よく頑張ってるね」
稲葉がバケツを差し出す。
(おお、若者よ。すまぬのう)
じじいは、ごくごくと水を飲んだ。
冷たくて、美味しい水だ。
これも、きっと何かの魔導具で冷やしたに違いない。
じじいは、水を飲み終えると、稲葉の顔を見た。
ひどく疲れている。
目の下に、黒い隈がある。
(お主、働きすぎじゃ。若いのに、そんな顔をしてはいかん)
じじいは、稲葉の額に、ふっと息を吹きかけた。
(ほれ。――『ヒール』じゃて)
馬の吐息とともに、目に見えない癒しの波が、稲葉へと染み込んでいく。
じじいから繰り出される、回復魔法。
そのほんの、一滴。
稲葉の脳の疲れが、消え去った。
肩の凝りも、完全に消失する。
「……あれ?」
稲葉は、自分の肩を回した。
軽い。羽のように軽い。
さっきまでの頭痛が、嘘のように消えていた。
「サービスエリアの空気、美味すぎるな……」と、稲葉は深呼吸をした。
★
じじいは、次に隣の馬房を見た。
同乗している、別の厩舎の2歳馬だ。
その栗毛の馬は、左の前脚を、ずっとわずかに浮かせている。
じじいの目は、その脚の異常を見抜いていた。
腱が、今にも千切れそうなのだ。
競馬村でいう、屈腱炎の兆候だった。
(おやおや、隣の若手は、脚に大きな爆弾を抱えとるな。これでは、走るどころか、歩くのも辛かろう)
じじいは、前世の感覚で、仕切り越しに鼻先を寄せた。
全盛期は、数万人の軍勢を一度に癒やした大聖者だ。
一頭の馬を治すなど、造作もない。
(ほれ、楽になりなされ。――『ヒール』)
ブフフ、と鼻を鳴らす。
無色の魔力が、隣の馬の脚を包み込んだ。
細胞が、瞬時に再生していく。
千切れかけていた腱の繊維が、綺麗に、元の通りに結び直されていく。
「ブルルルルッ!」
隣の馬が、驚いたように鳴いた。
痛みが、完全に消えたのだ。
それどころか、かつてない活力が体に満ちている。
馬は、嬉しそうにじじいの鼻先を舐めた。
(ふぉっふぉっふぉ。元気になって何よりじゃ)
★
さらに、じじいの目は外へ向く。
扉の隙間から、トラックの横で、運転手の男が腰を曲げて悶絶しているのが見えた。
重度の椎間板ヘルニア。
長距離ドライバーの、宿命の病だ。
(あっちの男は、腰の骨のクッションが潰れとるのう。よし、ついでじゃ)
じじいは、扉の隙間越しに、運転手へ向けて射線を合わせた。
狙いを定め、心の中で呟く。
(――『ヒール』じゃて)
バキッ、と運転手の腰の中で、骨が収まる音がした。
軟骨が綺麗に再生し、歪みが消え去る。
「うわあああ!? 腰が、軽い! 痛くない!」
運転手が、駐車場で飛び跳ねた。
二十代のころの柔軟性を取り戻し、何度も前屈を繰り返している。
「奇跡だ、奇跡が起きた!」と、男は天を仰いだ。
★
最後は、たまたまじじいの見える場所にとまった、一羽の雀だ。
羽を膨らませ、今にも落ちそうに震えている。
(小さな命も、大事にせねばな。お空へ帰りなされ)
じじいは、雀に向けて、本日最後の魔法を放った。
(――『ヒール』)
衰弱していた小さな内臓が、完全に蘇生する。
「チュンッ! チュチュチュンッ!」
雀は、弾丸のような速度で、空へと飛び去っていった。
(ふむ……?)
じじいは、ふと首を傾げた。
ワイパーに始まり、稲葉、隣の馬、運転手、雀。
本日、すでに五連発である。
それなのに、眠気のねの字も来ていない。
(今日はやけに、燃料の持ちがええのう。旅の空気が合っとるのかの)
じじいは、深く考えなかった。
腰が治った運転手が、唖然として言った。
「ていうか、今日の遠征、なんかみんな元気ですね」
疲れが吹き飛んだ稲葉が、笑った。
(ふぉっふぉっふぉ。皆が元気なら、それが一番じゃ。さて、京都とやらへ、のんびり向かうとしようかね)
大聖者の感覚のまま、のんきに尾を振る。
トラックは、まったりとした空気を乗せて、再び走り出した。




