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前世ヒーラーのじじい馬、隠居したいのに長距離レースで無双する 〜こっそり全員癒やしてたら、伝説のステイヤーになってました〜  作者: 猫の造形美


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15/51

第15話 芙蓉ステークスとその後


 9月の京都競馬場。


 天候は、雲一つない快晴。馬場状態は絶好の良馬場。


 発走時刻は午後2時15分。芝の右回り2000メートル。


 2歳限定のオープン競走、芙蓉(ふよう)ステークスが始まる。


 パドックを周回する馬たちの中に、一頭の芦毛がいた。


 馬名は、ユメノワスレナグサ。


 中身は異世界の元大聖者、通称「じじい」である。


(ふむ。良い秋晴れじゃな)


 じじいは、鼻息を鳴らす。


 周囲の馬たちは緊張していた。


 だが、じじいは冷静だった。


 馬になっても美味しいカイバとお昼寝の生活、その極上の隠居ライフを楽しむじじいである。


 メンタルは、つよつよなのだ。


(わしはただのサラブレッドじゃ、魔法など知りません、で行こう)


 と、よそ事を考えるほどの余裕だった。


 そこへ、一人の男が歩み寄ってきた。


 競馬界の生ける伝説、鷹騎手。


 数々のG1を制してきたレジェンドだ。


 今日は彼が、ユメノワスレナグサの手綱を取る。


 レジェンドが、じじいの背に跨がった。


 その瞬間、じじいは目を見張った。


 鞍上の男から、一切の無駄な力みが消えた。


 馬の骨格と、完全に同調している。


 重さを感じさせない、自然で完璧な騎乗。


(ほう……ピカイチじゃ。さすが、ただ者ではないのう。異世界の一流騎竜騎士にも劣らん技術じゃ)


 じじいは、その卓越した技量に心から感心した。


 なお、じじいは竜騎士の技術など見たこともないので、比較としては完全に適当なのだが――感心そのものは、本物であった。


 そして、二人は静かに本馬場へと入場した。


 ファンファーレが鳴り響く。


 スタンドから、大きな拍手が湧いた。


 ユメノワスレナグサは、5番ゲートに収まった。


 誘導は、スムーズだった。


 ガチャン、と前方の扉が開いた。


「スタートしました! ユメノワスレナグサは抜群の飛び出し!」


 実況の声が響く。


 ここから、鷹騎手の真骨頂が発揮される。


 彼は、無理に馬の手綱を引かなかった。


 馬の「走りたい」という意思。それを、拳の絶妙な柔らかさで受け流す。


(抑えぬか。話が分かるのじゃ)


 馬の推進力を一切邪魔しない、完璧な手綱捌き。


 じじいはストレスなく一気に加速し、先頭へ躍り出た。後続を、グングンと突き放していく。


「ユメノワスレナグサ、大逃げだ!」


 実況のトーンが跳ね上がった。


 向こう正面に入っても、鷹騎手は美しい前傾姿勢を崩さない。風の抵抗を、最小限に抑えている。


 2番手との差は、20馬身以上。完全な一人旅だった。


 他馬の動向を完全に遮断する、レジェンドの極めて自然な誘導。


 それが、じじいの大逃げを最高のものにしていた。


 しかし、この肉体はまだ2歳馬だ。


 いくら名手が乗ろうと、ハイペースの限界が来る。


 心臓が激しく波打ち始めた。四肢に、乳酸が溜まっていく。


(おお、少々飛ばしすぎたかのう)


 じじいは、肉体のリミットを察知した。


 だが、鷹騎手は慌てない。


 馬の呼吸の乱れを察し、重心を僅かに後ろへ移す。


 馬に「一息入れろ」と無言で伝える、芸術的な手綱捌き。


 じじいは、その合図に合わせて魔法を編んだ。


(――『ヒール』)


 体内で、極小の治癒魔法を発動する。


 魔力は、外に一切漏らさない。


 じわあ、と心地よい温かさが巡り、蓄積された疲労物質が瞬時に消えた。


 スタミナは、完全に回復した。


 レジェンドの絶妙なタメ。そこに、じじいの魔法が合わさる。


 じじいの脚は、再びスムーズに伸びた。


「ペースが全く落ちません!」


 解説席から、驚愕の声が漏れる。


 普通なら、後半で力尽きる暴挙だ。


 だが、鞍上の鷹騎手は完全に馬と一体化し、無駄な体力を1ミリも使わせない。


 じじいは息を整え、3コーナーの坂を越えて最後の直線へ向かった。


 4コーナーを回り、最後の直線。


 残り400メートル。


 ここで、この馬の弱点が出た。


 末脚が、絶望的に遅いのだ。


(最後のキレ味だけは、どうにもならんのう)


 じじいは、最高速度を維持していた。


 だが、後方から猛然と他馬が迫る。


 20馬身あった差が、一気に縮まる。


 15馬身、10馬身。


 残り200メートル。差は、わずか3馬身。


 大外から、一頭が猛烈に迫ってくる。


 普通ならここで焦って、激しくムチを入れる場面。


 しかし、レジェンド鷹は違った。


 彼は、まだムチを使わない。


 馬の走るリズムを崩さないよう、体幹を固定して追い続ける。


 風車鞭とは、ちがうのだ。


 極めて自然で、力強い「追い」の技術。


「ユメノワスレナグサ捕まるか!」


 実況と観客の絶叫が響く。


 並ばれる、一歩手前。


 だが、レジェンドの完璧なリード。


 そして、元大聖者としてのプライドがあった。


(この素晴らしい騎乗、無駄にはできんのう)


 じじいは、二度目の魔法を解禁した。


(――『ヒール』)


 体内で、治癒魔法が炸裂した。


 限界の筋肉が、強制的に覚醒する。


 他馬がバテる領域。


 そこで鷹騎手の追いに合わせ、最高速度を維持し続ける。


 グンッ、と馬体がもう一伸びした。


 猛追してきた他馬の脚が、わずかに鈍る。


 じじいは、リードを保ち続けた。


 残り50メートル。


 完全に、勝負は決した。


 鷹騎手は勝利を確信し、最後は優しく手綱を緩めた。


 馬に無理をさせない、どこまでも自然な思いやり。


 ユメノワスレナグサは、悠々とゴール板を駆け抜けた。


「逃げ切った! 見事な大逃げ!」


「芙蓉ステークスを制したのは、ユメノワスレナグサ!」


 2馬身差の圧勝。


 レコードタイムに迫る、衝撃的な勝利だった。


 万雷の拍手が鳴り響く。


 スタンドの歓声を浴びながら、じじいはゆっくりと芝を逆回りに進んだ。


 鷹が、じじいの首筋を優しく撫でる。


 掲げた鞭の先、夕日に染まるターフが、王者の帰還を祝福していた。


       ★


 レース後、検量室前。


 古谷調教師や佐々木厩務員たちに囲まれる。


 鷹騎手はふわりと鞍から下りると、じじいの首をポンと叩いた。


「素晴らしい馬だ。自分の走りをよく分かっている」


 鷹の顔に、満足げな笑みが浮かぶ。


 じじいはその言葉を受け、大聖者としての矜持がもたげてきた。


 調子に乗ってきた、ともいう。


 鷹が完璧に乗ってくれたからこそ、自分の魔法も完璧に決まったのだ。


 そう思うと、もう誇らしくて仕方がなかった。


(見たか。これがわしとレジェンドの、絶対王者の実力じゃ!)


 じじいは、首をグッと高く掲げた。


 威風堂々とした足取りで、ステップを踏む。


 レンズを見据えて、カッと目を開く。


「フン!」と、力強い鼻息を放った。


 誰が見ても、最高に調子に乗っている姿だった。


「ユメノワスレナグサ、完全に天狗だな」


「鷹さんの完璧なエスコートで、すっかりその気になってるぞ」


 周囲の人間たちは、微笑ましく眺めていた。


 鷹騎手もそれを見て、フッと優しく微笑んでいる。


 まさか脳内で「わしを崇めるが良い!」と大威張りしているとは、誰も知らない。


 平穏な隠居ライフの誓いは、どこへやら。


 レジェンドの完璧な騎乗の心地よさ。そして、勝利の快感。


 じじいは、それにすっかり魅了されていた。


 じじい馬は、最高に不遜なドヤ顔で笑うのだった。


       ★


 レース後の京都競馬場、共同記者会見場。


 詰めかけた大勢の報道陣の前に、レジェンド鷹騎手が姿を現した。


 芙蓉ステークスでの衝撃的な大逃げ劇に、記者たちの興奮は最高潮に達していた。


「鷹さん、見事な逃げ切り勝ちでした! 今日のレースを振り返っていかがですか?」


 マイクを向けられたレジェンドは、穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。


「驚きましたね。正直、こちらの想像を遥かに超える走りでした。道中はかなりハイペースでしたが、彼は私が『ここで一息入れよう』と手綱をほんの少し緩めた瞬間、驚くほど自然にリラックスして息を整えたんです。そして最後の直線、後ろから猛追された時も、私が鞭を使わず姿勢を維持しただけで、自らもう一伸びしてくれました」


 鷹騎手は手元の資料に目を落とし、さらに言葉を続けた。


「今までに数多くの名馬に乗ってきましたが、あそこまでこちらの意図を完璧に汲み取る賢い馬は、私の騎手人生でも初めてです。まるで、人間の言葉や戦術をすべて理解しているかのような……本当に恐ろしいほどの知性を持った馬ですね」


 レジェンドの、この率直すぎる評価。


 その言葉は瞬く間にニュースとして発信され、競馬界に大きな衝撃を与えた。

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